第12話 第一の知識
■ 1:アランの新税制(塩の専売)
「建国記念夜会」での痛快な反撃から三日後。
帝都の社交界は、私の話題で持ちきりだった。
「皇太子殿下を袖にし、冷血公爵を惑わした悪女」
「親友を見捨てて権力に走った冷酷な令嬢」
それが、今の私に対する社交界の評価だ。イザベラの「被害者ムーブ」は一定の成功を収め、アラン派閥の貴族たちはこぞって私を非難している。
だが、そんなことはどうでもいい。
私には、社交界の茶飲み話などよりも、はるかに重要で、命を懸けて成し遂げるべき復讐の計画がある。
その日、皇太子アランは、予定通り帝国の「新税制」を正式に発表した。
『帝国の財政再建のため、生活必需品である「塩」の流通を、皇室が管理する「専売制」とする』
表向きは、帝国の財政を安定させるための政策だ。
だが、その真の狙いは、北のヴァレリウス公爵領への「経済的圧迫」である。
北の領地は、広大で軍事力には秀でているが、気候が厳しく、岩塩の産地が存在しない。彼らが消費する塩は、帝都や南部の商業ルートからの輸入に頼り切っているのだ。
その流通ルートを皇室が独占的に押さえれば、北の民は塩を手に入れることが困難になり、ルシアン公爵の統治基盤は根底から揺らぐことになる。
一度目の人生で、アランのこの策は、表向きは見事に成功を収めた。
北は深刻な塩不足に苦しみ、価格は暴騰。民衆の不満は爆発寸前となり、その怒りの矛先はルシアン公爵へと向けられたのだ。
「……エリアーナ。お前の言った通りになったな」
リステン侯爵家の執務室。
父は、皇宮から届いたばかりの新税制の報告書を手に、苦い顔で私を見た。
「はい、お父様。ですが、アラン殿下は気づいておられません。ご自分の足元が、どれほど腐りきっているのかを」
私は、冷たい笑みを浮かべた。
アランは、私を「社交界から孤立した哀れな令嬢」だと見下し、勝利を確信しているだろう。
だが、彼のその慢心こそが、私にとって最大の武器となる。
■ 2:エリアーナの対抗策
私は、執務室の大きなテーブルに、帝国全土の詳細な地図を広げた。
テーブルを囲むのは、私と父、そしてルシアン公爵から極秘裏に派遣されてきた連絡係の側近、ガレス副団長だ。
「アラン殿下は、塩の流通を皇室で一括管理すると宣言していますが、実際には、アラン派閥の貴族たちがその利権を独占するだけです」
私は、地図上にある帝都南部の港町を指差した。
「特に、アラン殿下の側近であるバートン伯爵は、この港から帝都への『塩の密輸ルート』をすでに確立し、専売制の裏で私腹を肥やそうと企んでいます。わたくしの調べでは、彼らはすでに莫大な量の塩を隠し持ち、価格が高騰するのを待っている状態です」
「なんと……皇太子の側近自らが、皇室の法を破るというのか」
父が、呆れたように息を呑む。
「ええ。彼らにとって、法とは自分たちが儲けるための道具に過ぎません」
私は、さらに地図の北東部へと指を滑らせた。
「公爵閣下の領地は、確かに塩の産地ではありません。ですが、公爵領は、帝国と隣国である『東の王国』を結ぶ、唯一の『大河川貿易ルート』を管理しておられます」
「……まさか、エリアーナ様」
ルシアンの側近であるガレス副団長が、私の意図に気づき、ハッと目を見開いた。
「はい。皇室が塩を専売し、北への流通を絶つというのなら、私たちは『隣国』から直接、塩を輸入します」
「しかし、隣国からの輸入には莫大な関税と、長距離の輸送費がかかります。北の財政だけでは、到底賄いきれません」
ガレス副団長が、現実的な懸念を口にする。
「そのために、わたくしの『リステン家』の財力がございます」
私は、父に向き直り、深く頭を下げた。
「お父様。リステン家が所有する全ての商船と、動かせる限りの備蓄資金を、この『隣国からの塩の輸入』に回してください」
■ 3:リステン家とヴァレリウス家の共同事業
「……正気か、エリアーナ」
父が、さすがに躊躇うように声を震わせた。
「それは、リステン家の全財産を賭けるに等しい行為だぞ。もし失敗すれば、我が家は破産し、路頭に迷うことになる」
「賭けではございません、お父様。これは、確実な『投資』です」
私は、父の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「アラン殿下の専売制は、必ず破綻します。なぜなら、彼らは民の生活など少しも考えていないからです。彼らが狙っているのは、塩の価格を不当に吊り上げ、自分たちの懐を潤すことだけ」
私は、再びガレス副団長に向き直った。
「公爵閣下には、わたくしたちが隣国から買い付けた塩を、公爵領の河川ルートを使って、帝都および帝国全土に『非公式に』流通させていただきたいのです。もちろん、輸送の護衛と引き換えに、公爵領の民が必要とする塩は、全て無償で提供いたします」
「……!」
ガレス副団長は、この提案の持つ意味の大きさと、その恐るべき破壊力に気づき、武者震いするように肩を震わせた。
皇室の「専売制」に真っ向から対抗し、リステン家の「圧倒的な財力」とヴァレリウス家の「強固な流通・軍事力」を融合させ、独自の「裏の塩の流通網」を作り上げる。
それは、アランの経済政策を根底から叩き潰し、彼の権威を失墜させる、完璧な反撃計画だった。
「父上。アラン殿下は、塩の価格を高騰させ、北を苦しめ、その差額で私腹を肥やすつもりです。ですが、わたくしたちが『安価で良質な隣国の塩』を、彼らよりも先に大量に市場に流せば、どうなりますか?」
「……アラン殿下の用意した高価な塩は、誰にも売れなくなる。専売制は、機能不全に陥る」
父が、ゴクリと唾を飲み込む。
「それだけではございません。民衆は、皇太子の高圧的な政策ではなく、安価な塩を流通させて生活を救ってくれた『誰か』に、深く感謝するでしょう。アラン殿下の支持は地に落ち、逆に北の公爵への支持が高まります」
父は、私の顔をじっと見つめた。
かつての、純粋で世間知らずだった娘の面影は、もうどこにもない。そこにあるのは、帝国全土を盤面に見立てて駒を動かす、冷酷な戦略家の顔だ。
やがて、父は深く長い溜息をつき、そして、力強く頷いた。
「……わかった。リステン家の全てを、お前に預けよう。存分にやりなさい、エリアーナ」
「ありがとうございます、お父様」
私は、ガレス副団長と視線を交わし、冷たい笑みを共有した。
ルシアンとの「偽りの婚約」が結ばれてから、初めての共同事業。
反撃の狼煙が、今、上がる。
■ 4:破綻するアランの計画
エリアーナの計画は、電光石火の早業で実行に移された。
リステン家の莫大な財力が、隣国の塩市場を瞬く間に買い占めた。次々と出港した商船は、北のヴァレリウス領が管理する大河川へと秘密裏に入港していく。
ルシアンは、エリアーナの的確すぎる一手に舌を巻きながらも、その塩を「公爵領の防衛訓練のための物資輸送」という名目で、彼の精鋭部隊を使って帝国全土へと迅速に輸送させた。
そして、運命の日。
アランが「新税制(専売制)」を大々的に開始し、皇室製の塩を「不当な高値」で市場に出した、まさにその日の朝。
帝都の市場には、すでにリステン家とヴァレリウス家の紋章が(非公式に)刻印された、安価で良質な塩の袋が、山のように溢れかえっていたのだ。
「なんだ、この塩は!?」
「皇室が売り出した塩の、半値以下だぞ!」
「しかも、不純物が少なくて真っ白だ! こっちの方がずっと質がいい!」
民衆は、突如として市場に現れた安価な塩に殺到した。
アランが莫大な予算を投じ、側近のバートン伯爵らが私腹を肥やすために準備した「皇室の塩」は、誰一人として見向きもせず、倉庫に山積みになったまま放置された。
アランの「新税制(塩の専売)」は、開始からわずか数時間で、完全に破綻したのである。
皇宮の玉座の間。
その信じがたい報告を受けたアランは、手にしたワイングラスを壁に叩きつけ、顔を真っ赤にして激昂した。
「誰だ……! 誰が、俺の計画を邪魔した!!」
アランの怒声が、皇宮の冷たい石壁に虚しく響き渡る。
彼はまだ知らない。自分を破滅の淵へと追い詰めたのが、かつて彼が「手のひらの上で転がる愚かな女」と見下していた、あのエリアーナであることを。




