第11話 二人の夜会
■ 1:注目の的
帝国主催の「建国記念夜会」。
それは、リステン家とヴァレリウス家の婚約が正式に発表されてから、私たちが初めて揃って姿を現す公式な社交の場だった。
私は今、ルシアン公爵のエスコートを受け、会場である皇宮の大広間へと続く大階段をゆっくりと降りている。
私が身にまとっているのは、リステン家の莫大な財力を注ぎ込んで仕立てられた、深紅と漆黒の豪奢なドレス。そして隣を歩くルシアンは、ヴァレリウス公爵家の威信を示す漆黒の軍服姿だ。
「……すごい注目ね」
私が小さく呟いたのも無理はない。
私たちが姿を現した瞬間、あれほど華やかでうるさかった会場の喧騒が、まるで水を打ったようにピタリと止んだのだから。
肌を刺すような、無数の視線。
好奇、侮蔑、そして隠しきれない恐怖。
皇太子アランを拒絶し、あろうことか「北の死神」と呼ばれる冷酷公爵を選んだスキャンダラスな悪女。それが、今の帝都における私の評価だ。
「当然だ。今夜の主役は我々だからな」
隣で、ルシアンが低い声で応じた。
彼は、自分たちに向けられる無数の敵意など意にも介さず、堂々と前を向いて私をエスコートしている。その姿は、周囲の有象無象の貴族たちを圧倒する、北の王者の風格に満ちていた。
「怖気づいたか?」
ルシアンが、からかうように私を見下ろす。
「いいえ。むしろ、高揚しているくらいですわ」
私は、集まった貴族たちに向かって、完璧な淑女の笑みを浮かべてみせた。
背筋を伸ばし、顎を引き、一切の隙を見せない。
「わたくしの復讐劇の、最初の舞台ですもの。これくらい派手でなくては面白くありませんわ」
「……いい度胸だ」
ルシアンが、初めて私を見て、その口元にわずかな、しかし確かな笑みを浮かべた気がした。
私たちは、フロアを埋め尽くす人々の間を、モーゼの海割りのように進んでいく。
誰もが、恐れをなして私たちに道を開け、そして遠巻きにヒソヒソと噂話をしている。
「あれが、リステン家の……」
「なんてことを……皇太子殿下に恥をかかせて、よくも平然と顔を出せたものだ」
「だが、あのヴァレリウス公爵は、あんな女のどこを気に入ったのだ……?」
聞こえてくる声は、どれも私を非難し、嘲笑するものばかりだ。
一度目の人生の私なら、この冷たい視線と陰口に耐えられず、アランの影に隠れて泣き崩れていただろう。
だが、今の私は違う。
(存分にご覧なさい。あなたたちがすり寄っているその皇太子が、これからどうやって没落していくのか。その様を、わたくしが特等席で見届けてさしあげますわ)
私は、この夜会のもう一人の主役である皇太子アランと、その傍らにいるであろうイザベラを探した。
■ 2:アランとイザベラの登場、そして回想
「皇太子殿下、並びにイザベラ様、御成り!」
高らかなファンファーレと共に、会場の主役が、エリアーナたちと入れ替わるように大階段の上に姿を現した。
皇太子アラン。そして、その隣にぴったりと寄り添うイザベラ。
イザベラは、もう地味な侍女の服を着ていなかった。
皇太子の「公式のパートナー」として、皇族やそれに準ずる高位貴族しか許されない、鮮やかな青色の豪奢なドレスを身にまとっている。
会場が、再び大きくどよめいた。
皇太子が、男爵家の庶子という平民上がりの女を、正式な婚約者でもないのに公式の夜会に同伴させたのだ。これは、帝国の伝統に対する明確な挑戦だった。
(……アランは、イザベラを正式に『庇護下』に置いたのね)
大階段の上に立つ二人を見上げながら、私は冷静に分析していた。
一度目の人生で、私を処刑台に送った後、あの二人が皇宮のバルコニーで堂々と寄り添っていた光景が蘇る。あの時よりも、随分と早く、二人は公の場で結びついた。
(私が、アランを拒絶したから。私が、イザベラを屋敷から突き放したから)
皮肉なものだ。私の復讐のための行動が、一度目の人生とは違う形で、あの二人を早く結びつけている。
イザベラが、階段の上から私を見下ろしている。
その瞳には、一瞬の怯えと、それ以上に、私に対する明確な「優越感」と「勝利」の色が浮かんでいた。
『エリアーナ様には奪えないものを、私は手に入れた』
彼女の顔は、一度目の人生の最後、私を見下ろして笑っていたあの顔と全く同じだった。
そして、私は思い出す。
(そもそも、なぜあの二人が繋がっていたのか)
(なぜ、平民同然のイザベラが、アラン様の目に留まったのか)
一度目の人生の記憶だ。
あれは、回帰するより一年前。アランがまだ私に甘い言葉を囁き、リステン家の財力を取り込もうと頻繁に屋敷にお茶会に来ていた頃。
その日、私は純粋な善意で、アランに彼女を紹介したのだ。
『こちらはイザベラ。侍女ですが、わたくしにとっては妹のような、大切な親友なのです』
イザベラは、父が事業に失敗した没落貴族の娘だった。路頭に迷い、借金取りに追われていた彼女を、私が「可哀想に」と父に頼み込み、私の侍女として側に置いていたのだ。
あの日。アランの目が、イザベラを値踏みするように見たのを、なぜ私は気づかなかったのだろう。
アランは、私の「純粋さ(利用しやすさ)」と、イザベラの「野心(私へのどす黒い嫉妬)」を、あの瞬間に見抜いたのだ。
そして、私に隠れて、イザベラと密通を重ねていた。
(あの時から、私の処刑台への道は、すでに始まっていたのだわ)
私は、苦い記憶を胸の奥底にしまい込み、現実の二人を真っ直ぐに見据えた。
■ 3:アランの圧力とイザベラの演技
大階段を降りきったアランとイザベラは、まっすぐにエリアーナとルシアンの元へと歩み寄った。
会場の全ての貴族が、息を呑んでその光景を見守っている。
皇太子アラン。北の公爵ルシアン。そして、その二人を手玉に取る令嬢エリアーナ。
帝国の権力の頂点に立つ者たちが、一堂に会したのだ。
「ルシアン公爵。遠路はるばる、建国記念夜会への出席、感謝する」
アランは、完璧な皇太子の笑みを浮かべてルシアンに手を差し出した。
「皇太子殿下のご招待とあらば、馳せ参じねばなりますまい」
ルシアンも、その手を握り返し、冷たい笑みで応じる。二人の男の手が固く握られ、水面下でギリギリと力が込められているのが見て取れた。
アランは、ルシアンから視線を外し、エリアーナへと移した。
「……エリアーナ。久しぶりだね。病は、もう良いのか?」
アランの声は、一見優しげだが、明確な「圧力」が込められていた。
「病」という言葉をことさらに強調し、彼女が「正常な判断ができない状態にある」と周囲に印象付けようとしているのだ。
「ご心配には及びませんわ、皇太子殿下。わたくしは今、これまでの人生で最高に気分が良いのですから」
エリアーナは、アランの圧力を柳のように優雅に受け流し、隣のルシアンに寄り添ってみせた。
「それは、良かった。……だが、君は少し、選択を急ぎすぎたのではないかな?」
アランの目が、スッと細められた。
「北の冬は、帝都の春とは比べ物にならないほど厳しい。君のような温室育ちのか弱い女性には、耐えられないかもしれないよ? 今ならまだ、やり直す道もある」
アランは、エリアーナに「君は間違った選択をした」「俺の元に戻って謝罪するなら、許してやる」と、甘い毒のように囁いている。
「ご忠告、感謝いたします。ですが、わたくしは北の冬の厳しさよりも、春の陽光に隠された『欺瞞』の方が、よほど恐ろしいと知りましたの」
エリアーナが、アランの「欺瞞」を真っ向から指摘した、その時。
「エリアーナ様……!」
アランの背後に隠れていたイザベラが、ふらふらと前に進み出た。その目には、大粒の涙が浮かんでいる。
「……イザベラさん。皇宮に召し上げられたとのこと、おめでとうございます」
エリアーナが冷たく言い放つと、イザベラはわなわなと震え始めた。
「エリアーナ様! なぜ、あんな酷いことを……! 私は、ずっとエリアーナ様をお慕いしていたのに! 侍女の私を見捨てて、公爵閣下の権力に走られたのですね!」
イザベラは、顔を両手で覆い、ついに泣き崩れた。
会場の貴族たちは、イザベラの「悲痛な叫び」を聞いてざわめいた。
(ああ、やはり。エリアーナは親友を捨てて権力に走った悪女だ)
(イザベラ様は、エリアーナに虐げられ、皇太子殿下に救われたのだ)
イザベラの完璧な演技によって、会場の世論は完全にエリアーナを「悪役」として断罪する空気に包まれた。
■ 4:エリアーナの反撃
完璧な演技だ。
一度目の人生の私を処刑台に送った、あの見事な被害者ムーブ。
私は、泣き崩れるイザベラを、感情の抜け落ちた冷ややかな目で見下ろした。
アランが「イザベラ、もういい。彼女は変わってしまったんだ」と、イザベラを優しく抱きしめ、私を非難の目で見る。
「エリアーナ。君には、本当に失望したよ」
アランが、私に背を向けようとした、その時だ。
「お待ちくださいませ、皇太子殿下」
私は、静かに、しかし会場の全員に響き渡る凛とした声で言った。
「イザベラさん。わたくしは、貴女を『見捨てた』のではありませんわ」
「……え?」
涙を浮かべたイザベラが、戸惑ったように私を見上げる。
「わたくしは、貴女の『本当の望み』を叶えて差し上げただけですわ」
「……望み、ですって?」
「ええ。貴女は、わたくしの侍女であることよりも、皇太子殿下のお側に仕えることを、ずっと、ずっと前から望んでおられましたでしょう?」
私は、一歩前に出て、イザベラの耳元にだけ聞こえる声で、氷のように冷たく囁いた。
「……一度目の人生と、同じようにね」
「ひ……っ!?」
イザベラの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
彼女が、一度目の人生のことを知るはずがない。だが、私の言葉の奥にある「絶対的な確信」が、彼女の隠し持っていた罪悪感と野心の核心を、鋭く突いたのだ。
私は恐怖に震えるイザベラから離れ、アランと、そして会場の全員に向かって、堂々と宣言した。
「わたくしの婚約者は、ただお一人。ルシアン・ヴァレリウス公爵閣下だけ。それ以外の殿方がわたくしの名を気安く呼ぶことは、未来の公爵夫人に対する無礼と心得ていただきたいわ」
私はルシアンの腕に手を添え、彼に向かって美しく微笑みかけた。
「参りましょう、ルシアン様。わたくしたちの、新しい門出のために」
ルシアンは、私の堂々たる反撃に驚いたような、そして最高に楽しそうな顔をして、「ああ」と応じた。
私たちは、屈辱に顔を歪めるアランと、恐怖で震えるイザベラの前を、悠然と通り過ぎた。
背中に突き刺さる二人の視線を感じながら、私は心の中で冷たく笑った。
(おまえたちは、絶対に許さない!)
私の復讐の夜会は、まだ始まったばかりだ。




