ドッペルゲンガー(5)
「メリー・ワースですって!」
メリーさんの声がうわずった。彼女ですら泡を食う強敵らしい。
「そんなに恐ろしい相手なのですか」といぶかしげな王さん。
「あたしも噂にきいただけなのだけど、呪殺・毒殺、なんでもござれの凄腕らしいの。もう引退したと思っていたのだけど、誰が復活させたんだろう」
首をひねっている。
「メリー・ワースの名が出てきたのって、そもそもどういういきさつ?」
私は、稲荷の神からのおつげのことを話した。
「そう、それなら確実な情報ね。……次は、誰があんな怪物を誰が呼び出したのか、を考えましょう。鏡の中の世界に連れて行かれたのがたまたまなのか、それとも狙っての犯行なのか。それによって対応がちがってくるわ」
「たまたまの場合は?」
「魔女を鏡の世界に戻しておしまい」
「もし狙っての犯行なら?」
「犯人とワースをともに鏡の世界に送り込む」
……まあ、そうなるよねー。
こぶしを合わせて口元にかかげた磬鳴ちゃんが言った。
「先生を狙ったのなら、少なくとも能楽堂のこけらおとしに参加することを知っていた人ですよね」
「その推理が妥当ね。てことは、京文大の中に犯人がいる…… うーん、わからない。誰にも恨まれた記憶はないのだけど……」
三人で、片っ端から犯人の候補を挙げていく。
「メリーさんが講師になったことで自分の椅子が奪われたと怨んでいる人はいる?」
「思い当たらない。そもそもあたしほど多数の言語と文化を扱えるような人は他にはいないし」
「講師としてきびしくあたった学生とか」
「そこまで厳しくはしていない。授業中にゲーム機いじってたバカはゲーム機へし折ったけど、体罰はしていないよ」
「恥をかかされた先輩学者とか」
「うーん。時代遅れの学説だよ、て教えてあげた人は何人かいるけど、恥をかかせたというわけじゃない」
……けっこう恨みをかってそうだ。
いろいろと考えてみたが、容疑者が絞り込めない。
「ねえ、思ったんだけど。メリーさんって神出鬼没だよね。てことは、そのドッペルゲンガーも神出鬼没じゃないかな」
「え?」
「つまり、時空の制約を受けずに現れるってこと。もし仮に、今ここで召喚したら現れるんじゃないかな、なんて思ったの」
「……!?」
やってみました。
「アイ・ビリーブ・メリー・ワース、アイ・ビリーブ・メリー・ワース、アイ・ビリーブ・メリー・ワース……」
四十九回唱えた。もちろんかがみんも加わって。
これだけ唱えるとトランス状態になりそうだ。
てか、磬鳴ちゃんはすでに白目を剥いている。メリー・ワースに乗り移られなきゃいいのだけど。
指折り数えて(王さんが一の位、私が十の位を担当した)四十九回目。勢いで五十回目を唱えたときに鏡の中が霞に曇った。そして、狙った相手が現れた。
「おやおや、また会ったね」
完璧な日本語だ。声質もメリーさんに似ている。ただし、声がしわがれていた。そして、鼻の横には大きなほくろが盛り上がっている。
「どっこいしょ」
鏡の中から洗面台に降りてきた。服装もメリーさんにそっくり、確かに遠目で見たら間違いそうな雰囲気だ。
そして。
鏡の中から最後に現れた右手には、逆手に構えた大きな包丁を握っていた。刃先が木の葉のように尖ったアメリカンな包丁だ。けど、真正面か襲ってきた物がかわせないメリーさんではない。手首を取って背後へと投げ飛ばす。
ぐしゃっ。
メリー・ワースはいやな音を立てて床にころがった。
その喉元に、王さんが隠し持っていた連銭剣が突きつけられる。古銭を赤い糸でつなぎ合わせたアレだ。怪異には効果があるらしく、触れた喉からはジュッといやな音がして肉の焦げたにおいがした。
私は、床にころがった包丁を脚で踏んで取れないようにする。
「わかったわかるかな?った降参だよ。年寄りをいじめないでおくれ」
皺だらけの顔をゆがめる。
メリーさんが勝ち誇ったようにたずねた。
「あなたに聞きたいことがあるの。あたしを鏡の国に引きずり込むよう命令したのは誰?」
メリー・ワースは、けっ、と言いたげに顔をゆがめた。しかしメリーさんが包丁を手にとって腹につきつけるとあきらかにおびえた表情を浮かべた。どうやら、鏡の世界の住人には鏡の世界の武器が有効らしい。
「なあ、お若いの。わかっておくれよ。あたしゃ契約で縛られているんだ。言うことはできない」
「ふうん。それじゃ死んで鏡の国に帰って」と冷酷なメリーさん。
「ちょ、待って。言うことが出来ないのなら筆談で伝えてよ。それなら契約違反にはならないでしょ」
私の提案に少し考えたメリー・ワースは、私が差し出した鉛筆とメモ帳にふるえる手で文字を書き始めた。
鏡文字の英文は読みにくかった。しかもミミズが這ったような筆記体だ。
けど、復活した磬鳴ちゃんが読み解いてくれた。
「グランツーリストビルのタキヤマクラ研究所……」
うなずくメリー・ワース。
「私は召喚されてドクター・タキヤと仕事をしていたんだよ。レボメサンファトミンのエナンタイオマーであるデクストロメサンファトミンに変える作業をして、その報酬として失われてよい命を――正確にはその断末魔の恐怖をもらったというわけさ。ドクター・タキヤの勤める病院でね」
翻訳しつつ、磬鳴ちゃんは頭からクエスチョンマークを出している感じだ。メリーさんが解説してくれた。
「ドクター・タキヤというのは恐ろしい犯罪者なのです。メリー・ワースを使ってクリスタルメスを作り出していたのです」
クリスタルメスなら映画できいたことがある。アイスやスピードとも呼ばれる麻薬のことだ。
「何なんですか、そのデクスなんとかてのは」とかがみん。
「一般的な日本語で言い換えると、LメタンフェタミンをDメタンフェタミンに変えていた、てことなのです。もっとも、日本ではメタンフェタミンは全て覚醒剤として禁止されているけどね、作用の弱いLメタンフェタミンは、アメリカでは普通に鼻炎の薬に入っていて売られていて、価格もはるかに安のい。それを密輸入するか自分のラボで製造して、鏡像異性体に変えていたってわけね」
……まさか、鏡の怪異にそんな使い道があったとは!
磬鳴ちゃんがメモの読み上げを続ける。
「最近はもっぱら札束の複製をしている。世界中のありとあらゆる紙幣を偽造している」
???
「紙幣は文字が反転するから複製できないはずでは!?」
「どういう仕掛け?」
メリーさんが詰問し、メリー・ワースがメモの続きを書く。
「鏡を直交させると、反転はしない」
……その手があったか!
概念としてはわかる。が、なとなく想像しづらい。大きな鏡を使えば出来なくはないのだろうけど。鏡に映った鏡像は、この世界で見られる姿そのものになるのだ。
「で。メリーさんを狙ったのはどうして? ドクター・タキヤがどうしてメリーさんを狙わせたの?」
「わからない。私は指示されただけ」
悲しいかな、彼女はただの下っ端なのだ。
「ドクター・タキヤを締め上げるしかなさそうですね。メリー・ワース、あなたは犯罪に加担しました。あまつさえあたしを殺そうとしました。あなたの身柄を拘束して、米国大使館に突き出します」
「そううまく行くとお思いかい、お若いの」
メリー・ワースがしわがれ声で悪態をついた。
「まあいいわ。あなたは鏡の世界に帰って、米国大使館からの呼び出しを待っていなさい。さあ、行って」
メリー・ワースは、煙状になって鏡の中に吸い込まれて行った。もうこりごりだという風に首を振りつつ。
「かがみん、録画は出来てる?」
「は、はい」
「じゃ、その映像をちょっとコピーしてもらえないかな。あ、念のためメモも撮影しといてね。犯罪の証拠として提出するから」
「はい」
言われるままに、予備のメモリーカードにその場で動画をコピーする。メリーさんはそれを、封筒に入れてしっかりと封をする。
……あっ、探偵七つ道具のレターセットってこういう時に使えるんだ!
宛名を、米国大阪総領事館ウィリアム・ケイン様、にしている。日本の郵便は優秀だ。これだけで配達はしてくれるはずだ。切手も貼ってあるし。
「帰りに寄りたいところがあるんだけど、いいかしら。四条の壱錢洋食」
みんなが賛同した。
こうして、怒濤の一日がおわった。




