ドッペルゲンガー(4)
とまあ、怪談話をしていると廊下をどかどかと歩いてくる連中の足音がした。
「宴会していた連中が帰っていくみたいね」
「あっ、鍵、締めて」
かがみんの言葉に私と王さんが動く。
内側からねじ込み錠で止めると誰も入って来れない。テスト期間中の締め出しによくされたヤツだ。
酔っ払い連中が扉をがたつかせた。
「なんだ、入れないか」「仕方ねえな。電気の消し忘れだろう」
……とか何とか言いながら去って行った。
「ふう。酔っ払いはいつの時代も怖いよー」とかがみん。私も完全に同意するところ。
と安心していたら。
校庭側から回ってきたバカがいた。
「ここは私にまかせて下さい」
王玉妃さんが立ち上がった。
立ち上がった、というか、すっと伸び上がった。
百七十センチ弱の身長が一気に三メートルくらいに伸び上がった。腕も、太さはそのままに二倍ほどに伸びる。
「ひいっ」
かがみんが悲鳴を漏らした。
「大丈夫、味方だから」
肩を抱き寄せてなだめる。
外では、職員室をのぞこうとしていた酔っ払いたちが「うわーっ」という声をあげていた。
「倩兮女だー!」
「いや、あれは絡新婦だ!」
「くそっ、あっ、警備員さん、助けてー」
なんかわちゃわちゃしながら門へと走って行った。
再び悲鳴が上がる。
どうやら警備員さんも骸骨の正体を現したらしい。時間オーバーには厳しいと見た。
「さて。そろそろ十二時ね。女子トイレに行きましょうか」
私の言葉に、かがみんはガクガクとうなずくのだった。
王さんが洗面台に水をため、蝋燭に火をともして横に立て、線香の束に火をつけた。
懐から紙を取り出し、呪文を唱える。大きな文字で漢文が記されているのが見えた。いわゆる祭文というやつだ。
「謹請紫微天機太陽武曲天同廉貞
天府太陰貪狼巨門天相天梁七殺破軍」
もちろん、読み上げるのは台湾語だ。私が習った普通話とは違う。ただ。字が大きいので私にも漢字は読めた。どうやら、星宿の神々を呼び出しているようだ。
続いて、経文を読誦し始める。
「北斗七元,神氣所臨……」
トイレでするのはもうしわけないほどのおごそかな儀式だ。
読誦がおわった。一部分だけ詠んだらしい。また、祭文に戻る。
「奉勅速令擎羊陀羅火星鈴星地空地劫
拘引紫衣之媼縛其形魂
禁其手足閉其咽喉
押解至此急急如律令」
……漢文から察するに、何かヤバい神々を召喚した様子だ。大まかに解釈すると「ムラサキババアをふん捕まえて連れてこい」という意味になる。
線香の束を持って三回礼をする。
儀式がおわったようだ。
そして、鏡からころがり出てきたのは……
紫色のゴスロリを着たメリーさんだった。
「メリーさん! なんでここに!」
慌てて抱え起こす。
「ゲフゲフ」
むせている。
言葉は出せない様子だ。多分、呪文の「閉其咽喉」のあたりが効いているのだろう。手脚もろくに動かせない様子だ。
「本物のメリーさん、だよね?」
涙目で、こくこくとうなずいている。
「王さん、話せるようにしてあげて」
「いいのでしょうか。私には本物かどうかの見分けがつかないのですが」
師弟愛の希薄さが嘆かわしい。
「メリーさん、悪いけどポシェットの中を確認させて」
私は、ポシェットの中の札束を確認する。
……うん、本物だ。
鏡の中の住人は左右が反転した偽札しか持っていない。だから食い逃げをしたのだ。
「大丈夫、本物だから」
王さんは別の呪文を唱える。
「勅令六煞神星解除縛禁急急如律令」
……まあこのあたりは耳コピなのでこんな感じかな、という話だが。
「ふう、助かったのですぅ」
メリーさんは、手脚を水を払うようにふるわせている。
「先生!」
磬鳴ちゃんが涙目になっていた。
……いい師弟関係だ。
「お隣りのメリーさん!」
かがみんも目を見開いている。
ちなみに、彼女の収録はまだ続いていた。儀式前にミニ三脚でスマホを設置していたのだ。
……これ、放送されたらまずいよね。いや、単にCG動画だと思われるだけか。
「で、何があったの? 話して」
私はメリーさんに事の顛末をたずねた。
「発端は、能楽堂の見学だったのです」
京都文化大学には能楽狂言を学ぶ講座がある。専任講師としては幸徳井流の能楽師を招いていた。その幸徳井家が新たな能楽堂を作った。場所は京都御所の東北のあたりで、そのこけらおとしだったという。
その日、あちこちの大学や高校の教員が見学に来ていた。メリーさんは、数合わせとして行かされたのだ。
伝統の木造建築で、こぢんまりとしてはいたが立派な能楽堂だったという。
大黒舞と狂言の「狐塚」と能の「土蜘蛛」の公演のあと、特別に施設見学の機会がもうけられた。
舞台下の音響甕、古い能面の展示、舞台裏の楽屋、といった見学があり、最後に「鏡の間」という衣裳をつける場所に案内それた。
そこでメリーさんは入れ替わられてしまったのだとか。全くの不意打ちだったらしい。当人は、鏡の向こうの世界でわけもわからずさまよっていた。鏡からは出られず、鏡のそばで電話をかけようとしても電波が通じなかった。通信経路がないからか、電磁場の向きが関係していたのだろう、とはメリーさんの言。フレミングの右手の法則とか左手の法則とかいうののからみで。
そして、鏡の中の世界は、こちら側から見えない部分は全くのめちゃくちゃだったと言う。
「本当に、気が狂ってしまいそうだったの! ダリとかキリコを思わせるシュールな世界だったよ」
メリーさんをしてこう言わしめるとは、鏡の中の世界は本当に恐ろしい場所だったに違いない。
「おなかもすくし、銃は効かないし、物陰で休んでいたら突然怖い化け物たちが来て私をしばってここに連れてきたというわけ」
「化物じゃなくて星神なんですけど……」と弱々しく抗議する王さん。
「まあ、神煞ですから怖いとは思いますけどね。王ちゃん、よくこんな怖い連中を使役するなぁと感心します」
……磬鳴ちゃんは見た目通りに弱々だ。
「えっと、神煞を使ったのはサツキじゃなくて王さんだったの!? あたしはてっきり陰陽道の術かと思ったのだけど」
「私、そんな術は使えないよ」
誤解を解いておかなくては。
「はい、私が術を行いました。本来はムラサキババアをつかまえてくるはずだったのですが……」
そう言ってから王玉妃さんの顔が引きつった。まずいことを口走ったと気づいたのだ。
「ババアね。ババアをつれて来いって言ったんだ、ふーん」
ショックを受けているメリーさん。
「そりゃああたしだって昭和と同じ歳月を経た怪異ですよ。でも、それってないんじゃないかな……」
ぶちぶち言っている。
「まあまあ、結果オーライということで。もしムラサキカガミを呼び出していたらまた時間がかかったんだから」
「はあ。ムラサキカガミ、て鏡の中の妖怪じゃない、鏡の妖怪だよ。それって、戦車と戦車兵を混同するくらい間違ってるから」
……言われてみればそうかもしれない。
磬鳴ちゃんが場の空気を変えようと言った。
「次はメリー・ワース探しですね!」




