ドッペルゲンガー(3)
「ムラサキカガミって、二十歳まで覚えていたら不幸になる、てアレだよね」
「ええ、そうです。でもそれは、話が教訓化した結果で、そもそもはムラサキババアという妖怪なんです」
「?」
「話を整理します。ムラサキカガミというのは、元々はシキョウのことでした。紫の鏡、ではなく四つの鏡と書いたのです」
王さんの話はこうだ。
四鏡とは、『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』の四つの「鏡物」と呼ばれる歴史物語のことだ。これらは、平安後期から南北朝時代にかけて成立した。二十歳すぎてもそういう文学や歴史に夢中になっていると不幸になるぞ、現実を見ろ、という教訓から出来た話なのだとか。
それとは別の解釈もある。
紫は、古今東西高貴な色とされている。紫鏡とは、高貴さを反映した鏡のことだ。本来、鏡とは正しい写し姿を写すもののはずだ。けれど、若い娘は鏡に映った自分を高貴なお姫様、白馬の王子様が迎えに来る価値がある存在として夢見がちだ。そのような現実を見ない夢想を二十歳すぎてまで抱いていると不幸になるぞ、現実を見ろ、という教訓だったのだとも言う。
要するにムラサキカガミとは「夢を見るな、現実を見ろ」という教えだったのだとか。
……前に聞いた、女学校の校長が地方に飛ばされた話とはかなり趣が違っていた。
そして、ムラサキババアの話になる。
ムラサキババアは小学校の女子トイレに現れる怪異だ。真夜中に、全身紫色の服を着た老婆がトイレの鏡の中から出てくる、と言われている。個室に隠れたとしても見つかると襲われる。が「ムラサキ」と三回唱えると消えるのだとか。それを知らないと殺されて赤紫色の肝臓を抜き取られる。伝説によっては、紫の口紅・長い髪・長い爪という特徴も付け加えられている。
この二系統の伝承が習合して「ムラサキカガミ」という怪異が生れたらしい。
「トイレの鏡から出てきたり爪が長いあたり、メリー・ワースと似ているね」
私の感想に王さんは深くうなずく。
「ムラサキカガミは、日本産の妖怪です。メリーさんのドッペルゲンガーであるメリー・ワースに対抗できる存在だと思うんです。それに、ムラサキカガミはある意味とても弱いんです。ムラサキと三回唱えるだけで退散しますから」
「うん。呼び出してみる価値はあるかもしれない」
……ただし、出てきてくれたらの話だが。
「では、ムラサキカガミを呼び出す場所と時間が決まったら連絡してください。呼び出し方は私の方で調べておきます」
「私も、行けたら行くよ!」
……磬鳴ちゃん、それはほぼ行けないってことやよー
というわけで、私は隣りの自室に戻った。
ネットを使って伝承を確認する。
紫のグッズを手にして「ムラサキ」と三度唱えると撃退できる、らしい。醤油をぶっかけるといい、という説もあった。寿司屋で「ムラサキ」と言えば醤油のことだからだ。これは武器になる。
次は、召喚場所の選定だ。
ムラサキババア――もといムラサキカガミが出てくるとしたらかなり大きな鏡が必要だ。それも、小学校の女子トイレの。
時間は真夜中の零時と三時の二つの説がある。けど、そんな時間に小学校に侵入するのは不可能だ。そもそも最近の学校には警報装置がついている。怪異でもない限り、そんな時間に中に入ることは難しい。かといって、昭和のように宿直の先生がいる、なんて風習も今はない。知り合いのツテで真夜中の小学校に入るのは難しい。
小学校……
廃校でも可能かもしれない。夜の怪異に子供たちの息づかいは不要だ。
そうだ、レンタルスペースだ!
ネットで「真夜中でも借りられる廃校」を探す。
……どこも遠かった。
できるなら京都市内がいい。
ゲストハウスは色んな人がいるからだめだ。深夜まで借りられる所はあるが料金が高い。別の場所はリノベーションしていて合宿所という感じだ。
なかなか適当な場所がない。
そうだ、誰かにきこう。こういう時は人の力を借りるべきなのだ。
真っ先に蠣崎監督の顔がうかんだ。けど、そんなに親しいわけではない。犬彦先生経由で訊くのもありだが、あまり仲がいい関係ではなさそうだ。映画のロケ地もほぼ関東だ。
身近なところだと映像文化研究会。ただ、紹介されるとしても遠くのロケ用の廃校だろう。やはり、一晩借りて何万円とかの世界だ。というか、そもそも映像研の作品に小学校は出て来ない。
スワンスタジオのおトイレの花子さん? スタジオ外の事情には詳しくなさそうだし、ムラサキカガミと仲がいいという保証もない。
あ、近くにいる人を忘れていた。お向かいのネット配信者、かがみん――支倉かがみちゃん。彼女なら何かいい場所を知っているかもしれない。
私は、彼女が出勤するのを待って話を聞くことにした。
「え!? 深夜の小学校ですか!? トイレの花子さんを呼び出すとか!?」
めちゃくちゃ乗り気である。この子に相談したらこうなるとはわかっていた。けど、背に腹は代えられない。
「ムラサキカガミを呼び出そうと思って」
「ムラサキカガミを、呼び出す?」
怪訝そうだ。
そう、一般に知られている都市伝説では、ムラサキカガミは怪異の名ではない。
私は、メリーさんが失踪したこと、その前にメリーさんのドッペルゲンガーが悪さをしていたこと、台湾から留学している日本文化の研究者が解決法を示唆してくれたこと、を適当にはしょりつつ話した。
「ひえー、ご近所のメリーさんがそんなことに! ……本当に神隠しなんですか? どこかに旅行で行っているなんてことは?」
ごく常識的なツッコミをありがとう。
けど、私はお稲荷さんのお告げを信じていたので、断固、メリー・ワース入れ替わり説を主張した。そもそも連絡がとれない時点で失踪を疑うべきなのだ。彼女は、元々は私のお婆ちゃんの人形なのだから連絡もなく旅行にでかけるはずがない。
「そこまで言うのなら、今回の収録はムラサキカガミ・ハンティングということで」
「……ってなるよねー。て、ハンティング!?」
「ぜひ、コスプレで来て下さい」
にんまりしている。
「あの、場所は決めてないんだけど」
「京都アクターズセンター、元の錦鴎小学校にしましょう。ここなら融通がきくし、料金も安いですから」
「そこって遠いの?」
「徒歩二十分です」
かがみんはにっこりする。
「あのー、あと二人来るかもしれないんだけど、いいかな」
「女子?」
「ええ」
「可愛い?」
「可愛い系と美人系」
「ほほう。それは撮れ高が稼げそうです」
というわけで、私は急遽、いつもの巫女装束を着るはめになった。
そこは繁華街のすぐ近くにあった。一階が図書館やカフェになっている、おしゃれなビルを抜けた裏側だ。
「このビル、元々は体育館や前庭があった場所らしいんです。その土地だけ売れてビルの建築が始まったのはいいのだけど、校庭と校舎が避難場所指定されていて、それが問題になったんです。反対運動もあって残りの土地が売るに売れなくなったんですね。で、ビルの中に通路を残して、そこだけは今も夜間開放されているんです」
なるほど「避難場所」の標識の矢印が表ではなく裏側に向かっているのはそれが理由か。
そこそこ幅のある通路を通り抜けると「京都アクターズセンター」の門柱が見えてきた。門柱の前には細い路地が直行している。別の場所からも道が通じてはいるらしい。
「この門柱は、元の小学校の物を移築したそうです」
確かに趣のある門柱だ。
勝手知ったる我が家とばかり、かがみんはすたすた奥に進む。
校舎は、フランク・ロイド・ライトの建築のようにごつごつした壁になっていて、かといって本家のライトほどのゴツゴツ感はなく、ライト風の建築になっていた。確かにこれは保存運動が起きそうだ。
悲しいのは、建物の中に耐震補強の大きな鉄骨が張り巡らされていることだ。窓越しに教室の中に通されたぶっ違いの鉄骨を見ると、芸術と安全の共存は難しいとつくづく実感する。
「そろそろ十時ですね。守衛室に行かなくちゃ」
「え!?」
「今日の予約確認をするんです。真夜中の予約が埋まっていたら意味ないですから」
ごもっとも。でも……
「えっと、予約とかしていない?」
「十時以降の利用は、こっそりとするんです」
何かよくわからなかったが、そういう風習なんだということにしておいた。
玄関脇の守衛室には、警備員の服を着た痩せたお爺さんがいた。暇そうに文庫本を読んでいる。
私たちに気がついた。
「やあ、ようおこし」
「こんばんは。今日の夜間利用ってどうなってます?」
かがみんとは顔なじみらしい。
「十一時まで人形劇の連中が飲み会やってる。それ以降はなんもなし。なんやったらそれまで職員室で休んどき」
職員室の鍵を渡された。
「あのー、十一時から一時までの利用ってできるんですか?」
「あー、わしも年取ってなあ、あんまりよう聞こえへんのや」
「しっ、サツキさん、それは言わぬが華というものです」
かがみんに巫女服の袖を引っぱられた。どうやら裏事情があるようだ。
「あー、そやそや、真夜中の丑三つ時に百鬼夜行の連中が来よるかもしれんけど、『蘇民将来子孫』のお守り持ってたら大丈夫やから。まあ、巫女さんに言うても釈迦に説法やけどな」
からからと笑っている。
「じゃ、これでお願いします」
二千円を差し出すかがみん。
「ああ、すまんなあ。ほなこれを」
八角形の小さなお守りを二個授与される。
……ここは神社か!?
とりあえず職員室に行く。
撮影用の小道具だろうが、それらしい書類や本が置かれていて、明日になったら学校の先生が出勤してきても不思議のない光景だ。
王さんと胡さんには個別にメールを送る。場所は正式な住所と、「京都アクターズセンター」の名称と、ビルの通路の奥だということを伝えた。道に迷ったら電話してくるだろう。
かがみんは、適当に自撮りで収録している。「今夜は、学校の怪談の取材でとある小学校に来ました」と声をひそめる。
……こりゃ配信を見た人は貸しスタジオじゃなくて事実だと思い込みそうだわ。
「これは、ここの卒業生からきいた話です。下校時間をすぎて忘れ物を取りに来たその子は、家庭科室からミシンが動く音に気づいたのです。こっそり見に行くと、ミシンに向かっている見知らぬ女子生徒を見かけたのでした。女子生徒は、大きくて無骨な手袋のような物を縫っていました。少女は思わず声をかけました。『もう帰らないと、鍵、閉じられちゃうよ』すると、『あと少し、もう少しだから』と必死の形相です。そして、顔を上げると彼女に言いました。『ちょっと手を貸して』。近づくと、女子生徒は急にその子の手首をつかんでミシンの針の下に突っ込もうとしたのです。『きゃあ、やめて!』無我夢中で振り払うと、ミシンがゴトリと床に落ちました」
そこでちょっと間を置く。そして声色を替える。
「あーあ、手袋をあんたに縫い付けたら完成だったのに」
一呼吸置いて続ける。
「よく見ると、その子の手も顔もミシンの縫い跡だらけなのでした」
……今までにありそうでなかった新しい学校の怪談でした。
「怪を語れば怪いたる。こよいはこれまでにいたしとうございます」
なんか新しいキャラ設定に入っている。そういえば、今夜の衣装はつぎはぎだらけのデニムのワンピースだ。
「収録、できた?」
「はい。これで今夜の放送はなんとか乗り越えられそうです」
……自転車操業か!?
そのあと、自販機でコーヒーを買って、二人して飲んだりする。最近は配信のネタが切れてきて、けっこう毎回苦しいのだとか。
王さんと胡さんがやってきた。二人とも漢服――中華服姿だ。
「こんな建物があったなんて知らなかったです」
「凄いですね。どこから入っていいかわからなくて迷っていたら、骸骨の警備員さんが案内してくれました」
「えっ!? 骸骨の警備員?」
「ええ。正確に言うと警備員の服を着た骸骨さん」
「とても親切な方でした」
……。
かがみんが真っ青になったのだった。




