ドッペルゲンガー(1)
午前中の京大での講義を聴きおえた私は、どこで昼食をとろうかと悩んでいた。
生協食堂でのご飯にはそろそろ飽きてきた。かといって、午後の授業もあるので遠出は避けたい。コンビニ弁当を買ってミステリー研の部室にこもるのも味気ない。
こういう時はネット情報だ!
というわけで、「京大生」「昼ご飯」「人気」というキーワードで検索してみる。
……塩屋食堂?
この半世紀以上、京大生のお腹を満たしてきたという老舗食堂!?
行ってみたい。
けど……
いざ歩いて行くと、迷った。
京都は碁盤の目のようにきれいな街並である――○
空襲に遭わなかったので古い街並が残っている――○
スマホで位置を確認出来るので現代ではとても動きやすい――×
だから迷うことはない――×××
そもそも同じような街並すぎるのだ。個人の家の間に適当に商店や開業医が配置されている。「今自分がどこにいるのか」が把握しづらいのだ。
私は、何度目かに通りすぎる郵便局の前でパニックにかられた。
……これはきっと怪異の仕業だ!
私はメリーさんに電話をした。
「ごめん、助けて。道に迷った」
郵便局の名前を告げると、メリーさんはすぐにタクシーでかけつけてくれた。
……ありがとう、親友!
泣きじゃくる私を抱きしめてよしよししてくれたメリーさんは、静かに返した。
「怪異の気配はしないよ。サツキが道に迷っただけだよ」
「は、ははは」
笑うしかなかった。
というわで、二人で塩屋食堂へと行くことにした。もちろん私のおごりで、だ。
ネット情報ではメンチカツ定食が人気とのこと。
実際に行ってみると、そんなにわかりにくい場所にあるわけではなかった。
何度もうろうろした南北の通りを、少し東に行って小路をちょっと北に歩いていったあたり。
――うん、よし、次からは一人で来れる!
塩屋食堂は、正直言って薄汚い、小さな個人経営の食堂だった。
人気店で行列ができているというわけでもない。
すぐに坐れた。
私はメンチカツ定食を、メリーさんはエビフライ定食を頼んだ。
注文をメモした女将さんは、とても無愛想だった。何か怒っている気配だ。
料理はとてもおいしかった。もちろん、仲良し女子としてはおかずの分け合いは必須だ。メンチカツとエビフライを交換する。
「おいしいのですー」
満足そうなメリーさんである。
……いやー、この子が何かを頬張る姿は本当にいい顔だわ。
食事をしながら、最近の怪異情報を交換する。私は午前中の講義で聴いた韓国のタルギャル鬼神の話、メリーさんは英国で流行っているキャット・イン・ザ・ハットの話、など。
さて、そうそう長居もせずにごちそうさまをしたわけだが、会計の時に女将さんが不機嫌だった理由がわかった。
「あんた、前回、会計せずに帰ったでしょう。まあ、今回払ってくれたらそれでいいけど、もうあんなことはしないでね」
メリーさんの前に二枚重ねの伝票を置く。
「えっ!? そんな。ここに来たのは初めてなのです」
抗議するメリーさん。
「ちょうど一週間前のこの時間。頼んだのは野菜炒め定食。金髪で、こんな目立った格好の人、忘れるわけないじゃない」
私は弁護に立った。
「服装が同じだったというだけなのでは? 人の印象は服装で決まるものですから。まして一人客なら話すところも聞いていなかったのですよね」
「いいえ、この人でした」
……と言った女将に一瞬、逡巡の色が走るのを私は見逃さなかった。
「この子は食い逃げをするような人じゃありません。お金持ちなんです。……まあ、今日のところは私のおごりなんだけどね」
強気で文句を言う。
「仕方ないのです。誰か似た人が悪さをしたのです。その分はあたしが払います」
メリーさんは哀しげにポーチを開けると、札束から万札を一枚引き抜く。さすがにこれには女将さんも目をまん丸にしていた。
「とりあえず、今日は私がはらっとくから。また今度、おごって。タクシー代かかったし、そっちもチャラってことでいいよね」
何とかお金で解決しました。
「せっかくいい気分だったのに、災難だったね」
「うん。疑われるのはつらいのです」
しゅんとなるメリーさん。
「まあ、人生、万事好調なんてことはないんだから。人間万事塞翁が馬。……てのはちょっと違うか。禍福はあざなえる縄のごとし、てヤツだよ」
「うん。そうだよね」
こうして私たちは吉田キャンパスに向かい、その後は何事もなく終ったのだった。
数日後。
ミステリー研の部室でしかめっつらの澪さんに遭遇した。今日は会長は来ていない。
「どうかしました?」
見るからに不機嫌を振りまいている先輩に、おそるおそるたずねる。
「聞いて。メリーさんのことなの」
読んでいた本を伏せて澪さんの愚痴が始まった。
……要するに、図書館でメリーさんを見かけたので声をかけたが無視された、との話だった。
「ミズ・ウィンチェスター、て丁寧に呼びかけたんだけど素通りされちゃったのよ。いくら年上だからって、いくら博士号持ちだからって、あの態度はないんじゃない? 同じ部活仲間なのに」
「は、はあ」
そこで私は塩屋食堂であったささいな事件について話し、そっくりさんがこのあたりをうろついているという情報を伝えた。
「ひょっとして、その人かもしれませんよ。ゴスロリ好きで、髪の毛も金髪にしていて。はっきり顔を見ました?」
「えっ!?」
たじろぐ澪さん。塩屋食堂の女将さんと一緒で、風体だけで判断していたのだ。
「確かにゴスロリ服で京都をうろついていたら、それは十中八九メリーさんです。でも、変装によって犯人を偽装するなんて、推理小説の常道じゃないですか。きっとそれですよ」
「うん。でも、横顔はメリーさんだったよ。明らかに白人だったし……」
「じゃあ、もしその人がその場で誰かを殺したとして、メリーさんだったと百パーセント証言出来ますか?」
「そこまで言われると…… 私、あまり目もよくないし」
証言の脆弱性は立証出来た。あとは本人をつかまえてきくだけだ。
「ひょっとしたらワイヤレスイヤホンで音楽を聴いていて、周囲の音が耳に入らなかっただけかもしれないし。そんなことで腹を立てても仕方ないですよ」
「うん、そうだよね。私が大人げなかった」
澪さんは折れたのだった。
その日、メリーさんは部室には現れなかった。
さらに数日後、私は京都文化大学の陰陽道史の授業を聞きに来ていた。今は戦国期の話。豊臣秀吉が陰陽師を京都から追放して尾張での干拓作業をさせるために集住させたあたりだ。これはネット視聴もできる講義だったが、本を返すついでに学舎へと来たのだ。
授業おわりに廊下に出ると、胡磬鳴ちゃんと王玉妃さんがいた。去年、図書館の講演会で知り合った二人だ。胡さんには、犬彦邸での騒音事件でも顔を会わせている。
二人は私をみつけると小走りに近づいてきた。
「霧島さん、こんにちは」
「こんにちは」
礼儀正しく、まずは挨拶から。
「ところで、メリーさんの近況はいかがですか?」
「というと?」
「先週に引き続いて今日も休講なんです」
「それも、学校には無断で。私たち、心配で心配で」
「えっ!?」
そういえば、塩屋食堂以降、メリーさんとは話していない。お隣さんだから毎日会っていると思われるかもしれないが、私だってレポートで缶詰になることはあるのだ。特にアルバイトの繁忙期とレポートの予定が重なると、大忙しになる。そして、私もメリーさんも用事のないメールはしないタイプだ。
慌ててSNSを確認する。
連絡なし。近況報告なし。スマホへの着信もメールもない。
……消えた!?
いやな予感に体が熱くなり、胸の鼓動が早くなった。
私は、二人に時間はあるかときいた。幸いにもあると言う。
直接、メリーさんの家に行こうと提案した。
「えっ、いいんですか?」
「押しかけて大丈夫ですか?」
心配性な怪異たちだ。
「大丈夫だよ。もし病気で寝込んでいたりしたら大変だし」
と言いつつ、本当の不安は別の所にあった。
……もし、メリーさんのそっくりさんがドッペルゲンガーなら、もし、本人が出会ってしまったのなら、メリーさんは死ぬ!
タクシーを拾って急行する。
ピンポーン。
反応がない。
ドンドン。
扉を叩く。
「メリーさん、いるなら返事して!」
私はパニックしていた。
扉を前にしてようやく預かっていた鍵(の複製)のことを思い出す。あぶない資料を隠すための「ディナー作戦」決行用合鍵だ。
「ごめん、ちょっとうちから合鍵をとってくる」
……頭を冷やせ、霧島彩月。冷静になって動け。科学の基本は「観察し、計測し、予測し、実証しろ。単位と端数を忘れるな」だ。目を皿のようにして観察するんだ!
頭の中がすでに暴走していた。
ふるえる手で鍵をあけ、扉を開く。
そこには……
ベッドの中でぽつねんと主人の帰りを待つ日本人形の雅ちゃんがいたのだった。




