生駒山荘事件(6・終)
「まさか、犯人はフィルム倉庫に逃げ込んだとでも?」と監督。
「いいえ」
「夏目兎角の霊?」と私。
「いいえ」
「わかりましたわ。初駒の大将ね。ここのどこかに潜んで老害を殺す機会をうかがっていた」と翡翠さん。ていうか、橙原さんってそこまで嫌われていたんだ。
「違います」とメリーさん。
「帯刀君が裏口からひそかに入ってきたとか? アルコール依存症の彼なら酔っ払って何かやらかす可能性は充分にある」辛辣な貞樹プロデューサーである。
「全然、違います。犯人はずばり、フリッカーなのです!」
メリーさんが力強く宣言する。
「フリッカーとは?」石動氏がたずねた。
「映画に潜む魔物です。またの名をアザトート、あるいはマナ・ヨード・スシャイ。映画の発明によって初めてこの世界への侵入が可能になった異界の存在です。映画を見ることによって人間の脳はこの世にフリッカーを投影する装置となるのです!」
「何を言っとるんだ、キミは」
枯堂先生が吐き捨てるように言った。
メリーさんは、静かに説明を続ける。
「フリッカーはもともと、フィルムの間隙の見えない闇から人の脳に働きかける悪魔でした。やがて蛍光灯のちらつきから脳に侵入するようになり、今ではLEDのちらつきや、液晶の見えない隙間――ブラックマトリクスからも侵入するのです」
「はあ? ファンタジーもいい所じゃない」
翡翠さんもキレぎみだ。
「まあ、今となってはフリッカーは誰の脳にでも巣くう悪魔――ブドウ球菌や白癬菌、ニキビダニのような存在です。ただし、フリッカーに強い思想や感情が加わると、爆発的な力を持って人の行動を変える場合があります。ナチスの映画なんかはそう」
陰謀論めいた話になってきた。
「で。その悪魔が密室殺人を引き起こしたと? トリックもひっくるめて?」
「そうです。そして、フリッカーに操られた実行犯は、石動啓、あなたなのです!」
メリーさんに指さされたアクション俳優はびくりとする。
「そ、そ、そんな。無茶言わないで下さいよ。僕に殺人を犯す度胸なんてありませんって」
「証拠はあります。あなたのその血まみれの服です」
メリーさんの人差し指は揺るぎもしない。
「いや、これはシアターの床ですっころんだ時に橙原さんの血がついたもので……」
「あなたはそうやって服についていた血をごまかそうとした。おそらくジャケットに隠された部分とかズボンの裾あたりについていた血に気がついたのでしょう。それをごまかすにはもう一度、殺人現場に戻るしかなかった。警察が来たらすぐにばれますからね。そして、出所不明の短刀。あなたは何かのタイミングで道場にある本物の短刀を取ってきた。そして、床に流れている血に刃をひたしてさもそれで自殺したように見せかけようとした」
監督が反論した。
「それはおかしいな。なら、橙原はどうやって殺されたんだ。こんなに血が出ているということは、刺されたとしか思えない。手にも服にももっと血がついたはずだ。石動君が眠っている橙原を突き刺したとしても」
「いいえ。橙原氏は孤月で刺されたのです。そうですよね、夏目さん」
ブー、とブザーが鳴り、照明が暗くなり、やがて真っ暗になった。自動再生になっていたらしい。
映画会社のロゴがスクリーンに映り、音楽が鳴り始める。
その時、白いエクトプラズムが橙原氏の隣の椅子に現れた。
亡霊は、邪魔だから坐れと言いたげに両手で押さえつける仕草をする。生者は皆、あっけにとられて固まる。
「監督、上映を止めて!」
メリーさんの言葉に、監督がのろのろと反応した。映写室のある入り口の方へと歩き出す。その歩みがしだいに早まる。
「監督、昔の広報映画にして。サイレントで、夏目さんが興味を持たなさそうなやつ」大女優が指示を出した。
「わかった」
本編に入る前の画像が結核予防の映画に切り替わった。これは二十一世紀では誰も見たがらないヤツだ。てか、よく持ってたよね、監督。資料映像?
サイレントで「結核はいまだ死の病」といった字幕が出る。痩せ衰えた人たちが出てくきて検診を受けていたりする。
夏目兎角らしい霊がこちらに顔を向けて抗議する。まあ、あくまで雰囲気からの判断だが。
メリーさんが口を開いた。
「少しだけ質問させてください。あなたは、隣りの席の人が日本刀で刺し殺されるところを見ていますね」
亡霊がうなずく。
「さぞおいやでしたでしょう。神聖な映画館で人が殺されるのを見るのは」
亡霊が重々しくうなずく。
「犯人を指さして下さい」
亡霊は腕をゆっくりと伸ばすと、その指は枯堂先生を指さした。
「あちゃー、犯人を間違ってしまったのー」
メリーさん、素で恥じている。
「と、とりあえず、犯人はあなただったということで」
「くーっ。まいっちまったね。目撃者証言が出たとあっちゃ、シラは切り通せねえや」
枯堂先生はあっさりと自らの犯行を認めたのだった。
「俺もそろそろ年なんで引退しようと思ってたのさ。医者に言わせるともって半年の命、こうやって生きているのも不思議なんだってさ。まあそれもあって、ここは俺が動くしかないと思ったわけよ」
枯堂先生の話に石動氏や監督の話を合わせるとこうなる。
三時すぎ。
私、メリーさん、ナコちゃんの三人は生駒山上遊園地に出かけた。
同時刻。
石動氏は孤月を借り出して二階の道場に行き、初駒の大将に巻藁を斬ってもらった。これは、貞樹氏や翡翠さん、枯堂さん、その他大勢が見ている。その場ではメリーさんのうっそりした構えからの予兆のない斬りつけが改めて話題になったとか。
三時半ころ、アンケートを読み終えた監督が橙原氏をシアタールームに呼び出して、説得をこころみた。もちろん、リモコンで問題のある箇所を再生しつつだ。
橙原氏は、音作りは現実の音とは違う、むしろ違ったほうがビシリと締まるんだ、という持論を展開して水掛け論になった。
しはらくして、石動氏がシアタールームに来る。二人が喧嘩でもしていないかと心配になったのだ。この時、監督の説得に石動氏が加勢、実際の音を聞いてもらいたいと戻したばかりの孤月をロビーから持ってくる。しかし、橙原氏は首を縦に振らない。
話は効果音作りの実際に移る。人を殴っても映画の中のような音はしない、あれは袋菓子を口に含んで殴って出た音を加工したんだ、とか、線香花火のシーンはクッキー缶に画鋲を落として作ったんだ、とかそういった話だ。
「映画は虚構だ。現実にない音が入ることもある」
それが橙原氏の一貫した主張だ。
が、最終的には、最初から最後まで通しで見て音を見直す、という確約を得た。他にも、セリフが聞き取りにくい部分があるという指摘があったからだ。
この時、監督は大事な連絡をする約束があったことを思い出し、石動氏に後を託してシアタールームを出る。
四時すぎ。飲んだくれて愚痴る蠣崎監督の様子に、殺陣の重鎮、枯堂先生が動く。
こっそりシアタールームに行って橙原氏に声をかける。その後ろの席には、監督が置いていった孤月が立てかけられてていた。石動氏は暗闇で気がつかなかったのだ。
「よう、どうだい。音を変える気になったかい」
にわかに橙原氏の機嫌が悪くなった。
「音を聞いてるときに声をかけるんじゃない。お前さん、何年この業界にいるんだ」
年齢から言えば枯堂先生の方が上だ。業界の序列から言っても失礼極まりない物言いだ。
しばらく無言の鑑賞が続く。
問題の鍔鳴りが入るシーンになった。虫の声しかしない静かなシーンだ。
「分かるだろう。この音がないと、これから斬り合いって感じが出ないんだ」
「ほーう、そうかい。ところで今、俺が孤月を抜いた音がちっとでも聞こえたかい」
橙原氏の顔の横にぬっと刀身を突き出す。
一瞬ぎくりとした橙原氏だったが、長年付き合いのある間柄だ。それに、枯堂先生なら無茶はしないという確信があったのだろう、上映を一時停止してこう言った。
「確かに俺の完敗だ。巻藁も切れないような竹光侍の動きが聞き取れなかったなんてな。おっと、先生、手がふるえているぜ」
刃をつきつけらてここまで言えるというのも相当な肝の据わり具合だ。若い頃に映画会社の労働争議で修羅場をくぐってきた老人ならではの胆力と言えよう。
枯堂氏は、その場は唇をかみしめて刀身を鞘に収め、ロビーの刀掛けに戻すと談話室にもどった。怒りの炎をを胸に秘めつつ。
次に説得に向かったのは翡翠さんだった。
というか、ただ酒を持っていっただけだった。
「喉が渇いたんじゃありませんこと」
さすが大女優だ。演出面には一切触れず、皆がどれだけ今回の映画に心血を注いだのか、誰もが情熱をこめて完成させた作品なのだ、ということをぽつりぽつりと語った。
「今となっては、私たち役者にはもう手を出すことはできない過去の作品になったわけだけど、あと少しだけいじって完成させられるのだとすれば、その手を止めることはしたくはないものよね」
「ああ、わかったよ。けど、俺はこれで完璧だと思ってる。監督に言っといてくれ。俺はベストをつくした、と」
暗に、翡翠さんが監督の使い走りで来たかのような物言いだった。
自分の意思で動いた翡翠さんにはひどい屈辱だった。そして、大女優の願いも音響屋のかたくなな心には届かなかった。
談話室に戻った翡翠さんは、ミッション失敗を告げて酒飲みの輪に加わった。けど、彼女のずるい所は悪口の対象を「ノミニケーションに加わらない最近の若手女優たち」にすり替えたところだ。まあ、それも監督の愚痴が問題を蒸し返すまでの間だったが。
その時点で枯堂氏の腹は決まった。再度説得に行こう、と。
地下に行って孤月をカバーから取り出し、もう一度シアタールームに入った。
画面は停止されていた。
何かのタイミングで橙原氏が通路にいた。
死体が尿を漏らしていなかったところからすると、トイレから戻った所だったのではないか、とはのちのメリーさんの推理である。
話を元に戻そう。
枯堂先生は左手に提げた孤月の柄に右手を掛けねと言った。
「てめえ、さっきはよくもは巻き藁も斬れねえ竹光侍だなんてぬかしやがったな!」
枯堂氏は孤月を抜き、橙原氏の胸元に向けけようとして……
刀が手からすっぽ抜けた。
普通なら刃先がかすめることのない距離だった。
けど、全力で抜刀したのがまずかった。
刃先はあっさりと橙原氏の胴体にぶっささった。
橙原氏は、自分に起きたあり得ない事態に目を見開きながら、よろよろと自分の席にころがり込んだ。あたかもそこが、安全なシェルターでもあるかのように。
リモコンが落ちて再生がはじまった。
「いやー、本当にフリッカーって悪魔はいるのかもしれねえな。俺はその時、何の感情もわかなかった。巻藁を斬ったくらいにしか思わなかったのさ。正直言って今もまだそんな感じだ。ただ、まずいことになったとは思ったよ。孤月を引き抜いて手持ちのティッシュでぬぐってポケットにしまった。まあ、血なんてそう勢いよく吹き出るものじゃないからな。肺の腑を貫いたからには息は長く続かなかっただろう。ロビーに出て懐紙で入念に刀身をぬぐった。そのあと、紙は全てトイレでながし、二階の道場に行って刃先が似た短刀を探した。ちょっとした賭けだったが誰にも会わなかった。俺は白鞘の短刀にべったりと血をつけて椅子の下にころがした。それを石動君が拾ったってわけだ」
「そのあとドアストッパーを使って密室を作ったのね。橙原氏が自殺したように見せるために」
「ああ、そうだ」
「その時、刀の下げ緒を伸ばしてドアストッパーを外から引っ張り開かないように閉めた。けど、運悪く栗形がはずれてしまった」
「ああ、まったくその通りだ。横着はするもんじゃねえな。刀身は手入れして刀掛けにかけた。鞘も返そうと思ったんだが、下げ緒がほこりまみれだ。その上、打ち粉がこぼれて大変なことになっちまった。まさか掃除機をかけるわけにもいかねえ。食事の時間になったので、俺は運を天に任せて一階に戻った。まあ、接着剤を探す必要もあったしね」
枯堂氏は観念したように両手を差し出す。
「お縄にかけるかい?」
「事故、だったんですよね。なら、罪状は過失致死。後の証拠隠蔽はまずかったとしても、騒ぎを大きくして映画をお蔵入りにする方が被害は甚大です。それに本当に悪いのはあなたを操ったフリッカーなのです。今回はみごとにしてやられました。何かたくらんでいるとは感じたのですが、全く迷惑な悪魔です」
本人の言葉を信じるなら枯堂先生はあと半年の命。私も、メリーさんの意見に賛成だった。
私は残された疑問をぶつけた。
「さっきアザトートとか言ってたよね。それってかなり恐ろしい邪神なんじゃ……」
「何をおっしゃるウサギさん。アザトートやマナ・ヨード・スシャイなんてのは、映画という一つの世界が構築される間にしか支配力をふるえないアホ神なのです。映画の中では万能にして最強。でも、エンドロールが終わればその影響力は急速に衰えていくのです。あたかも映画館での興奮が外に出てしばらく歩いたらさめるかのようにね」




