生駒山荘事件(5)
赤い絨毯が敷き詰められた床に、白い粉末が飛び散っていた。そこに、孤月の鞘が落ちていて紐を通す部位――確か「くりがた」というやつだ――がはずれて少し離れたところにころがっている。刀身はなぜか刀掛けに掛けられていた。そして、透明なカバーはせり上がっていた。十手鉄砲と鍔はカバーもそのままで無事だ。
「泥棒だな。くそっ、警察に電話しよう!」
「ちょっと待って」
怒りにふるえる監督を、翡翠さんが止めた。
「ケースが開いている、ということは、身内の犯行ね。で、この粉はいったい何?」
「怪しいものじゃないよ。タルカムパウダーだ。刀の手入れに使う」
「はあっ!?」
誰もがあきれたような声を異口同音に上げた。メリーさん以外は。
「蠣崎、苦し紛れもいい加減にしろ!」
プロデューサーが怒号を放つ。
「いや、本当なんだ。このケースの下に入れてあった。刀の手入れに使う。白い粉が違法薬物なら警察を呼ぶなんて言うわけがないだろう」
メリーさんが補足した。
「タルカムパウダーというのは、細かい石の粉末なんです。打ち粉、つまり砥石の粉と同じ」
「本当かね。聞いたことねえぞ」
いぶかしげない枯堂先生。
「ベビーオイルと布ももどこか近くにあるはずなのです。日本刀の手入れは赤ちゃんと同じ――居合をする者には常識なのでーす!」
「本当ですの?」
「いえ、僕も初耳です」
翡翠さんと石動氏の会話が耳に入る。
監督が哀しげに言った。
「ケースの下を見てくれ。丁子油と布がある」
枯堂先生が確かめに動いた。
「確かにベビーパウダーの缶があったよ」
蓋に赤ちゃんの写真がついた缶をかかげて示す。
メリーさんが続ける。
「問題は、誰が展示ケースを開いて鞘を壊し、ベビーパウダーをばらまいたのか、なのです。暗証番号を知っていたのは?」
石動氏がおずおずと手を上げる。それ以外は誰も名乗り出ない。
翡翠さんが投げやりに言った。
「どうせみんな知ってるでしょ。一二四八よ。監督の好きな数字。倍上がりって」
うなずく監督。
「そうか、みんな知っていたんだ」うなだれるメリーさん。
「そうよ。電話番号の末尾も、車のナンバープレートもみんなそう。あーたは単純なのよ」
はあ、とため息をつく監督。
「試してみるのー」
十手鉄砲の入ったケースで実験するメリーさん。隠されたキーパッドを開いて四つの数字と「決定」のボタンを押す。
確かにガラスケースはせりあがった。油圧式なのだろう、音もしない。
メリーさんは、そのまま「四季の鍔」をひっくり返してしばらく鑑賞している。
……あんたってたまに興味のままに動くよね。
「何か取られたものはないかね」と枯堂先生。
「いえ、特には」
「とすると、泥棒ってわけじゃなさそうだな。嫌がらせか。まさか橙原の野郎が馬鹿しでかしたんじゃねえだろうな」
「はあ」
誰も否定しない。欠席裁判は怖い。
「防犯カメラはついてないの?」とメリーさん。
「いやー、そこまでは考えてなくて」
「外から入れるルートは階段以外にある?」
「あるにはあるが、シアタールームの奥なんだ。フィルムの倉庫のさらに先にある。ただ、そこは長年使ってないし鍵も錆びついている。何せ今はデータスティックで映画が持ち運び出来る時代だからね」
「行ってみましょう」
メリーさんの先導でシアタールームの唯一の扉へと向かう。その際、床のタルカムパウダーの端が踏み荒らされたが、誰も何も言わない。何も盗まれていなければただの器物損壊、警察もまともに捜査してくれないだろう。
監督は、扉を押して開こうとした。観音開きの、真っ赤なレザーが貼られた重厚な扉だ。
「動かない。ロックがかかっているようだ」
皆が加わって押してみる。びくともしない。
「こういう時、映画なら誰かが体当たりするんだが……」
枯堂さんの軽口に石動さんが渾身の体当たりをかます。
「俺はやめとけと言いたかったんだ。人の話は最後まで聞け」
「はい、すみません」
殺陣師に頭を下げる石動氏である。ただ、体当たりの仕方が八極拳の鉄山靠の形になっているのはさすがだ。こうすると肩を壊さずにすむのだ。
「鍵は、ロビーからは開かないの?」
翡翠さんがたずねる。
「ええ。夏目兎角は映画の鑑賞中に邪魔をされるのが大嫌いで、外からは開けられないようにしたそうです」
もっともだ。私も、映画を見ているときに邪魔されるのは嫌い。
「つまり誰かが中から鍵をかけたと? これは、密室殺人の予感がするのでーす」
メリーさんの冗談が本当になろうとは、その時は誰も予想出来なかったのだった。
映画館の扉はゴムパッキンで四囲を封じられている。ここでもそれは同じだ。解錠の方法を探って扉の合わせ目をつついて回る。メリーさんが使ったのは、そこらにあった金属製の薄くて硬い定規だ。
そこでおかしなことがわかった。閂となるバーが突き出していなかったのだ。
「これはきっとドアストッパーだけで止めているのです」
腕を組んでいたメリーさんは、定規でしきりと扉の下をつつき始めた。
「これは、硬い! みんなで押したからがっちり食い込んでいるのです。トンカチを貸してほしいのー」
監督が上の部屋からトンカチをとってくる。ついでに釘抜きも持ってきた。
「よいしょ!」
監督は釘抜きでこぜて扉の先端を持ち上げるようにし、メリーさんは定規の端をトンカチで叩く。
二人の力が加わると予想よりもはるかに簡単に扉が開いた。
中では、さっき見たばかりの映画『幕末秘帖』がかかっていた。そろそろエンドロールだ。
椅子には二人の人物が腰掛けている。
いや、そう見えたのは一瞬だった。私の見間違いだろうか。
真ん中の廊下側の端に一人。逆光で誰かはわからない。
「失礼します」
薄暗い中、石動氏が駆けよった。
そして、見事にすっころんだ。
けど、さすがはアクション俳優だ。すぐに立ち上がって謎の人影へとちかづく。
肩を揺さぶる。
「橙原さん、どうしたんです。目を覚まして下さい」
監督とメリーさんが後に続いた。
「反応がありません!」
石動氏は監督に報告する。
監督も両肩を持ってゆさぶる。
「橙原さん、起きて下さいよ」
橙原氏の頭ががくがくと揺れて、全身が椅子の間の床にくずれ落ちた。
メリーさんが鼻の下に手を当ててから頸動脈をさわり確認した。
「死んでいるのです」
「いいタイミングで逝ってくれたな」
枯堂先生の毒舌が冴える。
「本当。これで監督のお悩みも解決ね」と翡翠さん。
けど、そんなおちゃらけた雰囲気も、天井の照明がつくとともにしぼんだ。
橙原氏の周囲に真っ赤な血が広がっていたからだ。あたりにはアンケート用紙が散らばっている。説得のために監督が渡したのだろう。
そして、すっころんだ石動氏のワイシャツにはべっとりと血がついていた。生乾きの血は見るからにどす黒い。
「うわっ、なんてこった!」
当人は、手と服についた血におろおろしている。
「はーあ。なんてひどいことをしてくれたのかしら」
翡翠さんは、なぜかとても落ち着いていた。まるでこのことを予想していたかのようだ。
「えらく落ち着いているのですね」とメリーさん。
「わたくし、こういうことには慣れっこですもの。もちろん、映画やドラマの中でですけど」
「そうだな。俺たち映画屋は、こんなことじゃおたつかない。まあ、さすがにリハ中に刀がささって目玉つぶしたヤツが出たときには慌てたけどな」
枯堂先生も冷静だ。
「あー、これはやっかいなことになったぞ。完成試写会で殺人なんて、せっかくの作品がお蔵入りじゃないか」
貞樹プロデューサーは文字通り頭を抱えている。
私はおずおずと言った。
「あのー、シアタールームに入ったときにもう一人横に人影が見えたんですけど、ひょっとしたら犯人に逃げられたかも」
「えっ!?」
全員が入り口を振り返る。
もちろん誰もいない。
硬直して突っ立っているナコちゃん以外は。
「誰か出て行ったか?」と監督。
ふるふる。首を横に振る。
「なら、映写室だ」
枯堂先生が動いた。さすがは殺陣師、俊敏な動きだ。手には、扉に立てかけてあったバールをひっつかんでいる。
入り口の脇にある階段から映写室に上がる。身を低くして中の照明をつける。
数秒後、枯堂氏は「誰もいなかった」と言いながら映写室から出てきた。
「あのー、短刀が落ちていたんですけど。これって、自殺じゃないでしょうか」
石動氏が。白鞘の短刀をみんなに示した。
「指紋がー!」
メリーさんが悲しげな声をあげた。
「というわけで、自殺で決まりだな。俺が渡したアンケートを見て、古い決め事は通用はないと実感したんだろう」と監督。
「ああ。不幸な事件ではあった。けど、映画がお蔵入りになるほどのダメージじゃない。彼は、最後の作品を見て一人静かにこの世を去った」
プロデューサーが感傷的な言葉でまとめる。
「そうね。自ら扉を閉ざして中にこもっていたんですものね。自殺だわ」と翡翠さん。
「ちょっと待ったー!」
メリーさんが素っ頓狂な声を上げた。
「いろいろと疑問があるのです。まず、壊れた鞘の件です。何でそんなことをしたのでしょう」
監督が答えた。
「おそらく、自分で確かめてみたんだろうな。実際の刀を扱ったときにどんな音が出るのかが知りたくて」
「その時に鞘を投げ捨てたか手からすっぽぬけて栗形が壊れたのね。あの人、刀に関してはずぶの素人のようでしたから。……天花粉は、違法な薬物と勘違いして、腹立ち紛れに撒き散らしたって所かしら」
さすが、翡翠さんの言葉遣いは古い。
「短刀は?」
「護身用に持ち歩いてたんじゃないかな。まあ、道場にも何本かはあるけど」と監督。
「短刀術の実演に使うんです。十手や捕り縄なんかもそろっています」と石動氏が補足する。
「つまり、短刀は数すら把握していなかった?」
「ああ。僕らの感覚じゃただの小道具だからね。といっても大半はジュラルミンの模擬刀だが」
「なるほど。……全ての謎は解けました。これはあきらかに殺人事件です。そして、犯人はお前だ!」
メリーさんは、びしりとスクリーンを指さした。誰もいない真っ白の空白を。




