生駒山荘事件(2)
「君は何流? 段位とかあるのかな」
監督が訊ねる。
「アグイ流免許なのでーす」
「アグイ流?」
「日外流と書くのでーす」
「はっ、そんな、外国人が勝手に作った流派を名乗られても……」
監督の発言を石動氏が止めた。
「アグイ流って、実在します。もはや海外でしか伝承されていませんが」
「えっ!? そうなの?」
「そうなのでーす。アグイ・ヒョウゴ・タメトモが明治時代にアメリカに渡って伝えた日本の伝統武術なのです」
「そ、そうか。それは失敬した。……彼女の他に、孤月で巻藁を切ってみたいヤツはいるかね」
みんなブルっている。もちろん私も含めてだ。
「枯堂先生、どうかね」
監督が半ばからかうように誘ったのは、小柄で痩せたおじいさんだった。いかにも近くを散歩してそうな、襟なしのブルゾンを着ている。
「いやー、私なんかはタテ一本槍で、真剣を振るのはとんと苦手でして」
「またまたご謙遜を。タテ師の先生がそれでは、メンツがたたんでしょう」
「いやもう、この年になると体の節々が痛くてね。本身を振るったらすっぽぬけますよ。まあ、フリツケの指導くらいならできますが、実戦となるとどうにもいけません」
笑顔を作っているが目が笑っていない。さすがに蠣崎監督もそれ以上無理強いはしない。
「アグイ流のお嬢さん。そのドレスでは動きにくかろう。そうだ、ナコちゃん、衣装部屋に案内して何か動きやすい服に着替えさせてやってくれ。あとで、二階の道場に案内してくれ」
「はい」
ナコちゃんは、おとなしく返事をする。
……監督とは、かくも権威があるものなのか!? 恐るべし、映画界!
「石動君、地下に行って孤月をとってきてくれ。警報器の解除の仕方は知っているよな」
「はいっ」
アクション俳優の石動氏は、素早い動きで休憩室を出て行く。
「さっ、ナコちゃんも行って」
「はい」
声優の楠ナコちゃんは、メリーさんをうながすと談話室を出たのだった。
二階の道場は、畳敷きの広い部屋になっていた。このまま柔道場にもなりそうだ。真ん中には、家用の柱で作ったような巻藁を置くための器具――架台が設置してある。少し離れた所にはブルーシートが広げられ、巻藁の束が置いてあった。
監督から簡単な説明があった。
「試し切りを見たことのない人もいると思うので、ちょっと解説しておく。これは古い畳表を巻いたものだ。人体に近いよう水を含ませてある。芯は入っていない。見ての通り四カ所を縛ってあり、それ以外に紐や糸の類はない。台には十センチほどの突起があり、これに刺して固定する」
監督は、巻き藁を自ら台の上にセットする。
続いて、壁の刀掛けにある刀を手に取った。
「これは愛用の居合刀だ。こしらえを含めて約一・七キロ、八分研ぎの、腕がいい人なら人が切れる研ぎ具合だ。私は普段からこれを使って巻き藁を切っている」
監督は、刀身を引き抜く。ほとんど何の音もしない。居合刀を誰もいない方向に向けてビュンと振って見せる。
「いい音だろう。これが風切り音だ。刃筋通りに振れるとこういう音がする」
監督は、居合刀を鞘に戻すと刀掛けに戻す。
「幕末の日本刀は、これよりも軽い。刀身が七百グラムなどという物もざらだ。いわば武装公務員の身分証だから、持ち運びに便利なようにどんどん軽量化していった。参考のために言っておくと、いわゆる模擬刀が約一キロ。今回、アップの撮影で使った孤月が約一・三キロ。重さは刀装具によってけっこうかわってくる」
枯堂先生が物言いをつけた。
「ちょっと待った。幕末の新々刀はけっこう重くなっているぞ。長寸で圧重ねになっている」
「まあ一般にそう言われている、という話でして、私が読んだ本にも……」
「それは説が古いな。元禄期ならまだしも……」
論争になりそうな気配だ。
「失礼します!」
石動啓氏が戻ってきた。手には本鞘に入った刀を下げている。
「私の勉強不足でした」
あっさり折れる監督。
「さあ、石動君の腕前を披露していただこうじゃないか」と枯堂氏。
「ええ、そうしましょう」
監督は、観客を少しさがらせる。
「では、まいります」
石動氏は、ズボンのベルトに鞘をさすと孤月の刀身を引き抜いた。
すり足で巻藁に近づき、ぶんとふるう。風切り音がかっこいい。というか、所作の全てがかっこいい。さすがは俳優さんだ。
巻き藁は、上三分の一のあたりを斜めに切り下ろされて真っ二つになった。人間で言うと首のあたりだ。
「おー」
感嘆の声が上がる。
「続けて」と監督。
「はいっ」
さらに二撃、三撃。巻き藁はどんどん短くなっていった。
最後に形だけの血振るいをすると。石動氏はポケットからハンカチを取り出して刀身をぬぐった。濡れた巻藁を切ったがゆえの作法だ。
刀身を鞘に収めてベルトから抜き、皆に向き直って一礼する。
パチパチパチ……
拍手が巻き起こった。
「これが本物の斬撃というやつだ。竹光しか振ったことのない方にはいい勉強になったんじゃないかな」
誇らしげな監督。石動氏はその手に孤月を捧げ持って返す。
「最近は、竹光どころか柄だけを渡されますよ」
ベテラン俳優の帯刀章吾さんだった。
「あとでCGで付け足すからって、芝居をしにくいったらありゃしない」
「あー、それありますね。シーンによって刀の長さがかわっていたり」
ひとしきり、現場での苦労話が語られる。
「失礼します」
ナコちゃんが後ろからおどおどと声をかけた。
「ミズ・ウィンチェスターの支度が整いました」
皆が道を開く。
メリーさんが現れた。
ブルマ姿だった。腰にヘコ帯をしめ、額には日の丸の鉢巻をしている。
……なめとるのか、こいつは!
これには蠣崎監督も枯堂先生もぽかんとしている。
というか、尊い。紺色のブルマーから、完璧なプロポーションの白い脚が伸びている。これはもう神々しいとしか言いようがない! さすがは人形の怪異だ。
石動氏が架台に巻藁をセットする。
メリーさんは、石動氏が切った巻藁をちらりと見てつぶやいた。
「こういう風に切ればいいのね」
蠣崎監督から孤月をうけとると、ヘコ帯に差しつつつかつかと巻藁に近づく。
そして、無造作に刀身を引き抜いた。
一撃、二撃、三撃。
最初は左からの水平に近い切り上げ、返す刀で袈裟懸けの二撃目をくらわせ、さらに左から右へと水平に振り抜く。
……まるで何も切れてなかった。
いや、刀身の位置からして明らかに切れているはずだった。ただ、巻藁が落ちなかったのだ。
最後に真ん中の巻藁をザクッと突いてねじる。
三分割された巻藁が、ボトリという鈍い音を立てて畳に落ちた。
皆、蒼白になっていた。拍手すら起きない。彼女の前に立ったら、気づくことすらなく三分割されるだろう。格の違いは歴然としていた。
「えっと、何か拭うものがほしいのー」
誰も動かない――いや、あまりの凄技に体が固まって動けないのだ。
私は無理に体を動かしてハンカチを差し出した。
メリーさんはそれを受け取ると、いとおしそうに孤月の刀身をぬぐうのだった。
ボンボン時計が正午を告げた。多分、音だけで中はデジタル式だ。毎時鳴るとうるさくて仕方ない。
監督が放心状態からよみがえった。
「正午ですね。食事にしますか。食後に試写会をしますので、皆さん食べ過ぎないようにお願いしますよ」
監督が、孤月をさげたまま皆を一階の食堂へと誘導した。
私はメリーさんに声をかけた。
「すごかったね」
「えー? 普通なのですー」
メリーさんは、謙遜という風でもなく、これくらい出来て当り前、という顔だ。
「何が食べられるのかな-」などと返してくる。
「ブルマー姿のままなのね」
「はいのー。着替えていたら、よいネタがなくなってしまうのですー」
一階の食堂には食べ放題の寿司が並んでいた。といっても、にぎり寿司が箱にみっちりと入った、江戸時代の寿司屋スタイルだ。寿司箱は斜めになっていて、横に醤油が入ったお椀と刷毛が置いてある。
「へい、らっしゃい」
角刈りの、腕っ節の強そうなおじさんがマスクをして寿司の向こうに立っていた。横には酢飯の桶が三段に積み重なっている。
「生駒の名店、初駒の大将だ。今回、出張料理人として来てもらった」
監督が拍手をすると、皆もそれに従う。
「今回はわざと握りを大きくしてもらっている。醤油も、味噌を溶いて昔の風味に近づけてもらった。江戸情緒を味わってもらうためだ。どうぞ、楽しんでくれたまえ」
とはいえ、手づかみではなく紙皿と割り箸は必須だ。そのあたりは江戸時代とは違う。
枯堂先生や「橙原|さん、帯刀さんといったベテラン勢が先に立ち、数個の寿司を皿にとっていく。
「これは?」
橙原さんが示したのは柿の葉寿司だった。
「奈良の名物、カキノハズシです。柿の葉は食べないで捨ててください」
大将が説明する。
「こりゃおもしろいね。柿の葉っぱでくるんであるのか」
効果音の専門家らしく、耳元で柿の葉の音を楽しんでいたりする。
「酒はないの?」
帯刀さんが蠣崎監督にたずねる。
「試写会の前ですからちょっと」
「いやだなあ、さっきシャンパンを飲んだじゃないか。堅いこと言わないでよ。俺、アル中気味になだからさ」
「ははは。だめですよ。撮影の時も『手が震えるから』ってこっそり飲んでたでしょ。メイクさんも困ってたんだから」
「いいじゃん、彼女もぼーっと立ってるだけじゃきづつないでしょ。仕事あげなきゃ」
監督目は笑っていない。
と、思ったら、帯刀さんは監督の目のないところでこっそり「五神」の小瓶をくすねていた。初駒の大将は見て見ぬふりだ。
……ケータリングだから、料金に含まれてるのね。
映画界の序列の順で寿司が消えていく。私たちの番に残されたのはほとんど残り物だった。
と、思いきや、大将は寿司箱を持ち上げてその下の段を開放した。
「わお、おいなりさんが一杯あるのですぅ」
「これは、バッテラかな」
「おっ、薄くそいだ昆布で巻いたお寿司なのですー!」
「これはサーモンですね!」と石動氏。
「江戸時代には生で食べられていなかった――というか、江戸では手に入らなかったネタです。現代では必須のネタですから入れておきました。イクラ、ウニ、ホタテなんてのもそうです。監督が、『守貞漫稿』に出てくるネタは必須だっておっしゃったんで、車海老、海老そぼろ、白魚、漬けまぐろ、こはだ、穴子の甘煮、卵焼きはそろえておきました」
得意げな大将だ。
「白魚は、目玉が怖いのですー」
「車海老って、押し寿司になっているんですね」
「いやー、監督のこだわりはさすがだなあ」と石動氏。
後ろから蠣崎監督が恥ずかしそうに補足した。
「実は、原作者の犬彦先生にいろいろと教えていただきまして、おかげさまで寿司屋のシーンは充実したものになりましたよ」
……あ、あれだ、二人で交わされた激論の成果だ。
背後から、「おはようございます」という挨拶の声が聞こえた。振り返ると、女優の翡翠すみれさんがいた。裾広がりの赤いロングドレスを着ている。まさに女優、といった感じだ。
皆が会釈しつつ、紅海が開くように道があく。
翡翠さんは、まっすぐ監督のところに向かった。
「監督、一別来ですわね。どういう仕上がりになったかがたのしみですわ」
ぷーんと高級そうな香水の香りがした。寿司屋では嫌われるタイプの客だ。
「やあ、ソニ君。わざわざ来てくれたんだ、うれしいよ」と監督、うやうやしく手を取る。
「大阪のテレビ局からの帰りですの。試写も見ずに番宣で騙るのって、心苦しいですものね」とソニさん。
そして、手近にいたメリーさんに向き直る。
「あら可愛い人。新人女優さん?」
全身を見ようと、くるっと後ろ向きにする。
そして、お尻をペチンとはたく。
「まあ、形のいいお尻だこと。次のオメデといった所かしら」
ふっふっふっ、と笑っている。
「いえ、その子は原作者の名代でして……」
監督は困り顔だ。
「今回のヒロインの子は…… あら、今日はメイドさんなのね。お茶屋の娘よりは断然映えるわね」
「ありがとうございます」
ペコリと挨拶するナコちゃん。バカにしているのは丸わかりだが、それでも、満面の笑顔で応えている。厳しい業界だ。
「一別来です」
石動啓氏が挨拶した。
「あら、ケイ君。その後、お仕事は順調?」
「はい」
「ホストクラブ、でしたっけ。二足のわらじは大変でしょう」
「バーです。でも、もう他人にゆずりました。思った以上にもうからなくて」
「ふふふっ。そうだ、いくつかおすもじをみつくろってくださる?」
おすもじとは、寿司の雅語だ。ご指名の石動氏は鞠躬如として動く。
……主演俳優なのにこの扱いなの!?
音響の橙原|さんが、苦々しげに顔をしかめて言った。
「あのババア、やりたい放題だな。見てられないぜ」
その声が聞こえたのか、周囲の人が振り向いた。
帯刀氏などはわかりやすく唇に人さし指を当てていたりする。
「別にかまやしねえ。俺なんざ、そろそろお迎えが来てもおかしくねえお年頃さね」
急にべらんめえ言葉になったのは、素が出たのかそれとも映画の編集でセリフを聞き続けすぎた結果なのか。
ともあれ、お腹を満たした私たちは、地下の映画試写室へとむかったのだった。




