生駒山荘事件(1)
生駒山の東側には奈良盆地を一望できる別荘地がある。その南のはずれにある一軒家をめざして私とメリーさんはひたすら歩いていた。こんなことならロープウェイの可愛い列車には乗らず、ふもとでタクシーを拾った方がよかったなとちょっとだけ後悔する。もちろん、後に立たないのは「後悔」の特質だ。ちなみに、メリーさんは後に立たせると怖い(笑)
目的地は映画監督、蠣崎玄武氏の別宅だ。
職人監督として名高い蠣崎監督は、どんな原作でも面白くしてみせると評判のヒットメーカーだ。その蠣崎監督が数億円で買い取ったのが昭和の名俳優、夏目兎角が建てた一軒家、通称生駒山荘だった。
話は数日前にさかのぼる。
その日、部室に現れた犬彦矢次郎氏は、私とメリーさんの顔を見るなり映画のチケットを二枚取り出して、手を合わせて拝んできた。
「君たちなら絶対に喜ばれるから。試写会に参加してほしいんだ。お願い!」
聴講日でもないのに試写会のチケットを渡すためだけに京都に来るとは、なかなかの情熱だ。ただし、デートのお誘いではなかった。残念なことに。
私は、添えられた招待状を見ながらたずねた。
「でも、原作者が行かなくていいんですか?」
「それがね、監督ともめちゃって顔を合わせたくないんだ。でも、自分の作品の映画だ、まるっきり無視するわけにも行かない。プロデューサーの貞樹氏のメンツは潰したくないんだ。それに、これは完成試写会じゃない、あくまでテスト・スクリーニングなんだ。君たちの方がう適任なんだよ」
今回映画化されたのは犬彦先生の唯一の時代小説『幕末秘帖』。マイナーな出版社の賞に応募してすっかり忘れていたら、数年後にハードカバーになって世に出たのだとか。結果としてあまり売れなかった地味目の作品だと言う。
「テスト・スクリーニング?」
私がつぶやいた疑問にメリーさんがこたえてくれた。
「映画の完成前に、一般の観客を集めて開く試写会のことなの。そこで評判が悪かった部分は、徹底的に修正するのですー」
「そうそう、それそれ。ハリウッドの場合はそうなんだけど、日本の場合は本格的なテスト・スクリーニングじゃなくて、関係者の内覧会的なヤツのことが多い。ただ、蠣崎監督は、きちんとした指摘ならこたえてくれる人、だそうだ。時には追加撮影や結末の変更までやるらしい」
……予算と役者の確保が大変そうだ。
「で、何でもめたのですか?」
「ヒロインの扱い」
「はいぃっっ?」
「貞樹さんから『誰か出したい人はいますか』てきかれて、声優の楠ナコちゃんの名前を出したんだ。でもね。演技がなってない、誰がこんな大根をつっこんだ、って監督が怒り出してさ、プロデューサーがつい原作者のつっこみです、て口を滑らせたわけ。すると今度は私の方に矛先が向いてさ、延々と原作の問題点を指摘してきたのよ。こちらもついかっとなって、これは『守貞漫稿』にこうある、三田村鳶魚はこう書いている、長谷川渓石の絵を見ろ、なんて反論したわけよ」
……恐ろしく高度かつ激しい論争が起きていたことは推測できた。
「向こうは、たたがラノベ作家とあなどっていたんだろうね。僕からすれば、蠣崎監督は通俗的な江戸文化紹介本を読んだだけで、きちんと調べてなかったんだろう。……とにかく、板挟みになったプロデューサーが僕たち二人に念書を書かせた。蠣崎監督は原作の大きな改変はせずにエンターテインメント作品に徹する、僕は映画がヒットしたらそれでよしとする、てね」
「はあ……」
「それは顔を合わせづらいのですー」
……原作者も大変だ。
「そもそも、テスト・スクリーニングなんだから、役者と関係者だけで見るのはおかしいんだ。なるべく素人の観客をあつめるべきなんだよ。というわけで、君たちに僕の名代として映画を見に行き、アンケートには率直な感想を書いてほしい」
「はあ」
「別にいいけど…… あたしに書かせる辛辣になりますよー」
メリーさんは、あまり乗り気ではなさそうだ。そういえば、この子はめったに時代劇は見ない。
私は、招待状に書かれたゲスト予定者を斜め読みした。ヒロインである楠ナコはもちろん、アクション俳優の石動啓や女優の翡翠すみれ、時代劇で有名な帯刀章吾といった著名人の名前が並んでいる。そして、目玉展示としては、劇中で使われた名刀「孤月」と「四季の鍔」、そして指定文化財でもある「 十手鉄砲」が記されていた。そのほかには、出張料理には地元の有名寿司店を予定していると書いてある。
「これは、行きたいかもしれない……」
私の一言で今週末の予定が決まった。
生駒山荘は、けっこう荒れた場所にあった。周囲には廃屋も多い。舗装はひび割れ、雑草が顔をのぞかせている。かつての高級別荘地も、坂道の多さで敬遠されて住む人が減ったのだろう。そこをドレス姿でとぼとぼと歩くのは何とも物悲しい。
アールヌーボー風の巨大な門扉は開け放たれていた。その先にある前庭には、所狭しと乗用車が並んでいる。中には高級車ぽいものも混じっている。さらに進んでいくと、角のあるウサギの彫刻があった。夏目兎角が残したシンボルだ。ただし、ジャッカロープのような鹿の角ではなく、ユニコーンのような角をしている。
「これは、ジャッカロープの狩猟免許だと狩ってはいけない種類なのー」
「そもそもここ、日本だから」
「残念」
肩をすくめるメリーさん。その場でスキャンするようにあたりを見回す。
「おかしいのです。キモーがいないのです」
「キモー? ……あ、亀毛のことね。たぶんどこにもいないと思うよ。だって、トカクって人が建てた建物なんだもの。亀毛は天敵」
「おーっ、ウサギとカメのレースなのでぇす!」
そう。兎角亀毛はありえない物の代名詞としてセットで語られることが多い。「兎に角」の語源としても有名だ。ただ、ウサギとカメのレースは『イソップ物語』が元なので無関係だが。
「ようこそいらっしゃいました」
黒髪ツインテールのミニスカメイドが出迎えてくれた。
というか、この人、声優の楠ナコさん!?
「えっと、楠ナコさんですよね」
「はい!」
ナコさんは、急に泣きそうな顔になった。
「ヒロインが何でこんなことを!」
「監督の指示なんです。元々コスプレイヤーなんだから、メイドくらいしろって。貞樹プロデューサーは、この世界では新人なんだから我慢しろって笑うだけだし」
扱いがひどい。
「でも、可愛いからいいのですー。今日一日、頑張って!」
「あなたも、すごく素敵ですよ。……えっと、映画会社の方?」
私たちは映画のチケット(を模した招待状)をナコさんに示した。宛先は犬彦矢次郎になっている。
「えっ!? 犬彦先生のご紹介なんですか?」
ナコさんの目が輝いた。きょろきょろとあたりを見回している。
「先生は……」
「監督と顔をあわせたくないから逃げたのでーす」
「えっと、テスト・スクリーニングなんだからって、私たちに名代を託されました」
「はぁ」
しょぼんとしている。
なんか可哀想なことをした。
「えっと、君たちが犬彦先生の代理なんだ」
ナコちゃんの背後から、まだ火をつけていないタバコを手にした老紳士が現れた。一目でいい仕立てだとわかる上下を着ている。
「はいのー。メリー・ウィンチェスターなのですー」
「霧島彩月です」
ぺこりと挨拶する。……どなただろう?
「犬彦先生の親戚?」
「まあ、そんなとこなのー」
「はい。知り合いです」
「ははーん。子ウサギたちを虎の穴にぶち込んだというわけか。先に言っておくけど、こういう場で知り合いが出来たからって芸能界に入れる可能性は万に一つもないからね。もて遊ばれないように気をつけなさいよ」
なんか鼻につく感じだ。
「えっとあなたは?」
「橙原重望。音響効果だ。時代劇の専門家なのでね。今回の映画では特別に招かれたんだ。……あ、僕はここで一服してくから」
橙原氏は、玄関外にあるポーチに行くと、タバコをふかしはじめた。
生駒山荘の玄関ホールには、地球を模したシャンデリアが吊られていて淡い光を放っていた。その先の廊下には赤絨毯が敷き詰められ、栗色の腰壁に白漆喰の壁と、前に行った楽友会館に似た感じだった。
玄関ホールを抜けてすぐに二階と地下に続く階段、左には中庭があり、その先にはゲストがたむろする書斎兼休憩室、ドン突きには食堂らしい広間がある。
まずはご挨拶、というわけで休憩室に入る。
「おや、可愛いお嬢さんたちだ」
シャンパングラスを片手に、禿げぎみの中年男性がにこにこしていた。舞台挨拶の動画でよく見る顔だ。
「監督、本日はお招き、ありがとうございます。犬彦矢次郎の代理でまいりました霧島彩月です」
「同じく、名代のメリー・ウィンチェスターなのー」
挨拶をする。
「おおっ、そうか。……犬彦氏の親族? それとも愛人?」
橙原氏以上にぶしつけなおっさんだった。
「妹、みたいなものです」
「愛人なのー」
メリーさん、むちゃを言う。ていうか、そう言った方が変にくどかれなくていいという判断か。
「そうか。さすがだな。俺も頑張らなくちゃな」とため息をつく監督。何を頑張る気なんだか。
ナコちゃんメイドがトレイに乗せたシャンパングラスを渡してくれた。「原作者」の名代という金看板を背負っていなければ、私たちもこういう扱いを受けていたかもしれない。さすがに、メインヒロインの扱いではなかった。腹が立つやら悲しいやら。
「これは高級チョコなのですー!」
トレイに乗せられた生チョコに手を伸ばすメリーさん。器はおそらく銀のボンボニエールというヤツだ。私も一つつまんでみた。高級かどうかはわからなかったが、おいしいのは確かだった。
「クロム監督、お久しぶりです」
入り口の方から、やたら力強い声がした。陽気を発散する感じで近づいてくる。アクション俳優の石動啓氏だ。
「おおっ、久しぶり。元気でやってっか」
「はいっ。おかげさまで。日々忙しく過ごさせていただいてます」
オーラがすさまじい。いるだけで周囲の気温が一、二度は上がる感じだ。
「居合はやってるか」
「最近はちょっとサボり気味でして」
「なら、上の道場で何本か切っていくか」
上機嫌の監督だ。「なんなら、孤月、つかっていいぞ」
「それは、この上ない光栄です」
敬礼でもしそうな勢いだ。
「いいなあ。孤月」
ぼそっとつぶやいたのは、俳優の帯刀章吾氏だった。昔のドラマでは名脇役として名をはせていたが、最近は悪の黒幕とかの役が多い。
「あー、古流の居合をやってないヤツに巻き藁は切らせないぞ。怪我するしな。……誰か、やってみたいヤツはいるか」
「はいはーい!」
メリーさんが脳天気に名乗りを上げた。
『守貞漫稿』は正しくは『守貞謾稿』と書くそうです。ただ、「謾」の字には、第一義としてあざむく、見下すという意味があり、ネットで見た版本でも「漫」と書いてあったのでそちらを採用しています。




