快人アトラクナチャの挑戦(3・終)
ウリュウという読み方をする姓にはいくつかある。瓜生が一般的だが、マンガで有名になった雨流という表記もある。ただ、雨竜という表記はド・マイナーだ。ミステリー研のネット会議では議事録として残す都合で、本名を名乗ることになっている。メリーさんは「本名だから」でギブンネーム――いわゆるファーストネームで押し通したが。だから、そこに記された雨竜の姓に間違いはない。
榛さんは、指先でテーブルに「雨竜」て書いてみせた。私の、彼女が偽者ではないかという疑念は晴らされた。
「雨竜先生のお知り合いなんですか?」
不安そうにたずねる榛さん。
「直接の知り合いではないけど、連絡はとれるよ」と私。
「ひょっとして京大生?」
「いいえ。広域大生」
「京文大の所属なのでーす」とメリーさん。
榛さんは混乱している。
雑司刑事がこちらに向きなおった。
「お二人はどうしてここに?」
そう、すっかり忘れていたが、私たちも快人アトラクナチャ事件の容疑者なのだ。
私たちは、ミステリー研究会に郵送で届いた予告状と「続きはWebで」、そしてネットで見つけたスレッドのことを話した。
「班長、例の物を持ってきました」
制服警官が、透明なプラスチックケースを持ってあらわれた。密封できる衣装ケースか何かだ。中には、こぶし大の黄色と黒のしましま模様をした塊が入っていた。
「ありがとう」
雑司刑事は、ケースを受け取ると加計呂麻博士の前に置いた。
「これを見ていただきたいのです。何かわかりますでしょうか」
「どれどれ」
博士は眼鏡をかけてじっくりて見入る。それは、人の掌ほどのタランチュラに似た蜘蛛が入っていた。毛の生えていない種類だ。確かに、こんなものが降ってきたらパニックが起きるのは当然だ。
「これは?」と博士。
「天井から降りた綱、あるいは糸の先端についていた何かです。糸のサンプルはこちらにあります」
ケースの上の密閉式のポリ袋を示す。
何か、ということは、生物か機械かがまだ判別できていないのだろう。精巧なゴム人形かもしれない。
博士は縄を少しだけ取り出す。直径一センチほどの透明な綱だ。においを嗅いだり、引っ張ったりおさえたりしている。
「ふむ。強靱な繊維であることは確実です。……確かに私は蜘蛛の糸を使った手術糸を開発しました。でも、蜘蛛の専門家というわけではありません。これがどういう物なのか、この場では特定できません」
メリーさんが首を伸ばした。
「これは、インディアンオーナメンタルタランチュラの一種でしょう。インドに生息している凶暴な毒蜘蛛です。でも、タランチュラは糸を出して空中にぶら下がったりはしないのでーす」
ガサッ……
突然、ケースの中の蜘蛛が動いた。
蓋をしてあったのが幸いして、蜘蛛は外に出ることができなかった。尻から出た極太の糸の切れ端を抱えてバタバタしている。
博士は付け加えた。
「こいつはただの飾りですよ。このサイズの蜘蛛でこの太さの糸を出すことは不可能です。もしそんな蜘蛛がいるとしたら戦車ほどの大きさになるでしょう」
「戦車、ですか」
「それも、最大級のね。あるいは、複数の糸を撚り合わせたか。それなら、このサイズの蜘蛛が数万匹もいれば可能かもしれない。私も、アミノ酸の連鎖結合を使って糸を作り、それを撚り合わせて手術糸を作りました。あまりに細いと人間には扱えないのでね」
「アミノ酸の連鎖結合? 何ですか、それ」
刑事さんは首をかしげる。
「タンクの中で繊維を作るのです。その繊維を回収して紡績する。この方法だと布状の製品も作れて、ヤケドや網膜の再生にも使えるのです。低価格化には至っていないものの、このカケロマメソッドは世界の医療を大きく変えつつあるのですよ。そう、不老不死と関連づけられるほどにね」
……そんなに凄い発明をしたんだ。
私は自分の無知を恥じる。
「タンク、で作るのですか」
「そう。正確にはプラントになるかな。無菌室とステンレスタンクを使っての生成になります。まあ、巨大な綿飴製造装置ですよ」
規模の大きそうな話だ。
メリーさんがスマホの写真を見せた。梁の上の糸の元らしい芋虫のような生物だ。
「これってひょっとして生物プラントなのでは?」
「これは気持ち悪いな。生物プラントは研究が禁止されているのだが…… 生態系に悪影響が出るといけないのでね。でも、可能性はなくもない。カイコを使った蜘蛛の糸の生成を研究していたグループもある。フマ教授のグループだ。ただ、効率が悪い。純度も低く強度も私の方式に比べるときわめて弱い。そして……」
「そして?」と刑事が先をうながす。
「フマ教授は十年以上前に亡くなっている。自殺だ」
付間教授は、加計呂麻教授の真の意味でのライバルだった。二十数年前、カイコの遺伝子組み換えを使ったフマメソッドは、直接糸が紡げることで加計呂麻教授の一歩も二歩も先に進んでいたという。ただ、問題点が一つあった。カイコの餌となる桑畑の減少、そして、付間教授自身の人格だ。
桑畑の減少は、遺伝子改良による食べ物の多様化で何とかなりそうだった。ただ、当人のパワハラ・セクハラ気質は学内でもかばう者もなく、自業自得で孤立してていった。
そして、ある年。加計呂麻研究室への付間教授によるいやがらせ工作が発覚する。ミニプラントに合成を阻害する有害物質を投入していたのだ。付間氏は教授の身分を剥奪されて研究室に立てこもった。最後には、全ての研究資料とともに焼身自殺をはるという壮絶な最期を遂げた。学長に郵送した「お前たちはこの先百年の医学の進歩を止めた」との遺書は当時の流行語にもなったのだとか。
その後、付間氏の弟子たちは遺伝子改良による生物プラントの研究を進めようとしたが、学内の倫理委員会がストップをかけた。結局、地道な化学合成の手法を追求した加計呂麻チームが世界的にも功績を認められ、ノーベル賞を受賞することとなる。
「というわけで、一番の容疑者である付間教授に、こういう怪物を生み出すことは不可能なのです」
加計呂麻氏は大きな蜘蛛を手で示した。
刑事は首を横にふる。
「そうでしょうか。その弟子たちというのは今、どこにいるのでしょう」
「みな、海外に行っている。遺伝子改造への抵抗がない国や、生物兵器を開発しているような国に、だ」
しれっと怖いことを言う加計呂麻先生。
メリーさんが目を輝かせた。
「その弟子たちが結集して、悪の秘密結社を作ったのです。その手先が連続企業バイオテロ犯のサナキダなのです!」
「はっはっはっ」
加計呂麻氏は愉快そうに笑う。
「この太さの糸を、ここの天井から床につくまで作るには最低でも一年はかかる。どこかの工場で作った物を持ち込むとしても、天井まで持って上がる手段がないだろう」
「天井を切り開いて梁の上に設置したのです!」
「その可能性は否定出来んな。が、そんなことをして付間の弟子たちにどんなメリットがあるのかね」
「腹いせと恩師への供養――彼らにとって、カケロマ博士は逆恨みの対象です。その博士が毎朝悠々自適でこのカフェですごしている。蜘蛛を使った事件を起こせば、当然、博士に容疑がかかります。そして、それを間近で見てあざ笑うのが快人アトラクナチャの真の目的だったのです」
メリーさんは、再度、榛さんに向き直った。
「ずばり、あなたは付間教授の娘ですね!」
傍観者を決め込んでいた明智学園生はびくりとする。まるで危険を感知したフクロウのように細くなった。
そして、少し考えてから店舗のブースを指しさた。
「先月、このカフェテリアにいた人は他にもいますよ。ほら、あそこの店員さん。年齢的にも、私よりも容疑者像に合っていると思うんですけどね」
雑司刑事は冷静にこたえた。
「あー、お店の従業員に関しては部下がすでに調査を進めています。何かあればすぐに連絡が来ますよ」
そういえば、制服警官が空中カフェテリアを封鎖して以降、お店の人は客席側に一回も出てきていない。別の刑事さんたちが聴取しているのだろう。
雑司刑事の部下の若い刑事――塩見さんだっけ――が現れて、何かをささやいた。
「あー、その件でちょっと会わせたい人がいるのです」
制服警官たちの向こうから、赤い長めのエプロンと同色のキャスケット帽を身につけた小太りのおばさんが現れた。どう見てもこの店の店員さんだ。
「こちらへどうぞ」
女性は、おどおどしつつ営業スマイルを顔にはりつける。
榛さんがたずねる。
「えっと、ここの店員さんですよね」
「さ、帽子を取ってご挨拶して」と刑事さん。
おばさんは、言われたとおり帽子をとる。緩いパーマのかかった肩丈の髪があらわれる。
「こんにちは。お嬢さん、明智高校の生徒さんなのね」
おっとりとした話し方だった。
……こんな人、いたっけ?
カフェの店員というよりは、どこかの事務員の感じだ。
「あなたとは、初めまして、かしら」
店員さんは、面白そうに目を細めている。
「えっ? えっ?」
困惑する榛さん。
「ふっふっふっ、あたしにはわかってしまったの。あなたは……」
刑事がメリーさんを制止する。
「榛さん、本当にわかりませんか? 種あかしをしていただきましょう」
雑司刑事は、おばさんに先をうながす。
「わたくしは雨竜かずは。明智学園の事務職員です。あなたの身元確認に呼ばれましたの」
ぺこりとお辞儀をする。
……盲点だった。歩いて五分。警察が当人を連れてきても不思議はない。しかも、自ら小説を書くような人だ。事件現場と聞いて首を突っ込みたくなるのは当然じゃないか。
「どうです、雨竜先生」
「わたくし、推理文学同好会の顧問をしておりますの。部員の皆様の顔は全員覚えておりますが、この子の顔に見覚えはありませんわ」
「ありがとうございます。面通しはおしまいです」
エプロンをはずした雨竜先輩は、ちょっとさみしそうだった。そのまますごすごと引き返していく。
雑司刑事は榛さんへと向き直った。
「身分証の偽造、制服の調達、クラブ活動の調査、そこまでは上出来でした。でも、あなたは雨竜先生の顔も声も知らなかった。あさはかですね」
「そうなのでーす。いくら単位制高校でも、外出するときにはパーカーくらい羽織るものなのでーす!」
メリーさんが、私の抱いた最初の違和感を今になって指摘してくれた。
「そして、あなたのスマホを調べれば、予測変換で『見ろ、人がゴミのようだ』と出るはずなのです!」
「おっと、その手があったか!」
雑司刑事、そこまでは考えていなかったようだ。多分、尋問によって吐かせる気だったのだろう。
「ふう。バレちゃったか。仕方ないなあ。そうです、私が快人アトラクナチャです。……でも、どういう罪状でつかまえるつもり? わたしがやったのはただのいたずら。バカがつられただけ。せいぜいが未必の故意による過失傷害か教唆犯、くらいなものね」
「あの百万円の束は?」とメリーさん。
「あんなもの、ネットで買えるジョークグッズよ。裏が白いただのメモ帳、万も円も字が違うし、肖像は江戸川乱歩と来ている」
「どうやってあそこに置いたの? 蜘蛛とか糸の設置は」
雑司刑事は、聞きたかったことをメリーさんに全て先に聞かれて苦笑している。
「ふっ、どうやったのでしょうね。案外、ずっと昔から設置してあったのかもね」
……そういえば、加計呂麻教授もそんなことを言っていた。この太さと長さの糸を作るには一年はかかる、と。ということは、あの気持ち悪い遺伝子改造カイコは、一年以上前から梁の上で糸を紡ぎ続けていた? それは本当にキモい!
その時、メリーさんが人さし指を立てて指摘した。
「簡単なことなのです。屋根を開いて改造生物を置けばいいのです」
「「えっ」」
刑事さんと私の声がハモる。
「アトラクナチャにはチャッカー同胞団という配下の一団がいるのです。彼らは先月、仕掛けをすませた。けど、何らかの理由で操作がうまくいかなかった。そこで一度回収して、今回、改めて犯行に成功したのです」
「面白い推論ね。でも、どうしてそう断言できるの?」
「改造生物には餌が必要なのです!」
びしり!
……そうか。カイコやクモの改造生物には食料と水が必要なのだ。糞も落とすだろう。そこらにいる怪異とはワケが違う。
「今日は十分楽しませてもらったわ。推理ごっこも楽しかった。ですから、私はもう行かせてもらいます」
榛さんは椅子に置いてあったカバンを手にすると、文庫本を中にしまった。
「そうはいきませんよ。あなたの背後関係について、署でみっちりきかせてもらいます。駅ビルへの器物破損についても」
「そううまく行くかしら」
少女は、逃げ道のない隅へと静かに向かう。
その足下には、プラスチックケースの中にいた改造生物とは違う、真っ黒で一回り大きなタランチュラがひそんでいた。直径は五十センチほどか。ふわふわの毛に覆われていてぬいぐるみのようにもみえる。
少女はその背中に足をかけると空中の透明な糸へと片手を伸ばした。
「行って」
静かな声で命じると、タランチュラは少女を乗せたまエレベーターほどの速度で天井にむかって登っていった。少女は身じろぎもせずにその動きに身をまかせる。
天井で、がこんていう音がした。灰色の作業着を着た男たちが少女を抱え上げる。そして、黒い蜘蛛も回収してしまった。
「ガッデム。逃げられたのです! 犯罪らしい犯罪は一つもおかさずに」
地団駄を踏むメリーさん。
「食い逃げ!?」
雑司刑事の間の抜けたつぶやきに、私は思わず 突っ込んでいた。
「ここは先払いシステムですよ!」




