快人アトラクナチャの挑戦(2)
京都駅北側コンコースの天井からキラキラとかがやくオーロラが下がり始めたのだ。
そのきらめきはだんだん下の方に広がっていく。
「メリーさん、あれ、なんだろう」
私の指さす先を見ようと、メリーさんが単眼鏡――掌サイズの小型望遠鏡を取り出した。
「蜘蛛なのー」
「は!?」
「自分の目で見て」
単眼鏡を渡される。
オーロラは一枚の幕ではなく、あまたの縦糸でできた垂れ幕だった。
素材は、透明な繊維――たとえるなら蜘蛛の糸だ。無風の構内でも多少の揺らぎがあるため、輝いて見える。その下端には、蜘蛛の形を模した何かがついていた。
改めて上端を見る。そこには、芋虫のような何かが梁の上に貼りついていた。おそらくは糸の供給源だ。
「ぐぇっ。キモっ!」
「写真をとるのです!」
「えっ、使い方がわからないよ」
単眼鏡をメリーさんに返す。
「ガッデム!」
メリーさんは、自分のスマホを接眼レンズにセットすると何枚も写真を撮りはじめた。
私たちの動きに気づいたのだろう。周りの人間もスマホを構えだした。中には空中カフェテラスの端にある首ほどの高さのガラス壁に貼りく者もいる。これは迷惑だ。おや、メリーさんは椅子にのぼって写真を撮っている。出禁にならなければいいのだけど。
「何やってるんだ」「椅子にすわれよ」
誰かが叱責の声をあげた。
周りを見回したメリーさんは、恥ずかしそうに椅子にすわる。
「写真は、撮れた?」
「ばっちりなのです。会長に送信しておくのー。……ところで、例のスレッドに変化はない?」
私は、自分のスマホで「快人アトラクナチャの予告」のスレッドを見る。
そこには、「登れ」と一言だけ書かれていた。
「これは、カンダタとかいうアレなのです。えっと、何だっけ……」
「芥川龍之介の『蜘蛛の糸』!」
「そうそれそれ。まったく、お釈迦様きどりもいいところなのです」
「てか、これを本当に登る人が…… いたっ!」
屈強な大学生が糸をつかむと登り始めた。日頃から鍛えているのだろう、するすると登っていく。すると、次から次へと人々が登り始めた。
「ちょっと待って。あの糸ってどれくらいの太さがあるの!?」
「直径一センチくらい?」
「高さは?」
「ざっと五十メートルはあるかな」
「信じられない! 落ちたら死ぬよ!」
思いもつかない蛮勇だった。人は百万円のためにはここまで無謀なことをするのか。いや、賞金がなくても登山が趣味の人はたくさんいる。ということは、これは人の本能がなせるわざなのか!?
一応、登る「糸」は別の物を選んでいるようだったが、それでも梁の強度を考えたら一時に何人もがぶら下がるのは危険だ。下手をしたら屋根全体が崩壊するかもしれない。
そして、彼ら以上に混乱をきたしたのがコンコースにいる観衆だった。ポカンと口をあけて上を見上げている。誰かが不用意に動く。すると、近くの人にぶつかる。普通に改札口へと急いでいた人がぶつかる。「ぼやぼやしてんじゃねえ」「何するんだ」「気をつけろ」。怒号が飛びかった。
ひょっとしたら、快人アトラクナチャは人の怒りをかきたてる化学物質――アドレナリンやコルチゾールを噴霧していたのかもしれない。たちまちコンコースは阿鼻叫喚の地獄絵図へとかわった。
人は一度凶暴性を開花させると歯止めがきかなくなる。スポーツの試合でのサポーターがいい例だ。
一番乗りを果たした若者は、梁の上で帯封のある札束を数えている。
そして、何かに気づいたのか帯封を切ると、やけぎみに賞金を地上へとまき散らした。
これが混乱に拍車をかけた。途中まで登っていた何人かが地上に落下する。下にいた人が巻き添えになる。小説そのままの地獄絵図だ。
快人アトラクナチャのスレッドが更新された。
「見ろ、人がゴミのようだ」
……IDは快人アトラクナチャのものだった。
「まさか、これが言いたくて大混乱を引き起こしたってこと!?」
「ふっふっふっ」
メリーさんが不敵な笑い声を立てた。
立ち上がるとあたりを見回すと大声で言った。
「快人アトラクナチャ、ここにいるのはわかっています。さっさと正体を現すのです!」
メリーさんが指をつきつけたのは真っ黒なセーラー服の女子高生だった。姫カットで、見るからにお嬢様、服装からすると昔のドラマに出てくるスケバンの感じだ。
文庫本を片手にパフェをつついた姿で固まっている。。
「えっ、私?」
「そうです。あなたは先月の十日の十時にここにいました。偶然にしてもできすぎているのです」
「言いがかりです。私は単なる休憩です」
律儀に言い返す。
「証拠は他にもあるわ。日本の萌え文化において、クトゥルー神話のアトラクナチャの擬人化は、セーラー服の女の子と相場が決まっているのです!」
ゆるぎない自信をもって指摘する。
「ちょって待って。これは明智高校の制服! ネットで調べてみて」
……裏がとれた。京都駅から歩いて五分の所にある明智学園。ビルの中にある単位制高校だ。そういえば、明智短大にも「ミステリ研」宛ての予告状が届いていたっけ。誰かが様子を見に来ていても不思議ではない。
「怪しい人物はもう一人いるのです。そこの車椅子の老人。さっきからパソコンをいじっているあなた。あなたも先月、ここにいましたね」
確かに印象に残る人物だ。はげ頭の周囲に残る白い髪。ぎょろりと大きな目玉は、月岡芳年が描いた土蜘蛛の絵にそっくりだ。
「私かね。私はここの常連だよ。いつもこの席でパソコンをいじっている。フリーワイファイがあるのでね」
そう言われるとまっとうな理由に思える。
老人は問い返した。
「そう言うあんたは誰だね」
「メリー・ウィンチェスター、探偵です」
メリーさんが示した身分証を、老人はメガネをずりあげて確認する。
「確かに探偵のようだ。ただし、米国のな」
「で、あなたは?」
老人は、京都大学名誉教授の肩書きのついた名刺を札入れ取り出した。
「しがない独居老人だ」
「かけいろま?」
「ひょっとして、カケロマ博士ですか」と私。
「そう。彼女は知っているようだね」
皮肉をこめてメリーさんを見る。
加計呂麻光太郎。ノーベル医学賞の受賞者だ。創傷や火傷の治療に関する研究で医学の世界で多大な貢献をしたとした表彰された偉人。ただ、授賞式の時の写真では、車椅子にも乗らずかっちりした髪型だった。
「そう。十年前にノーベル生理学・医学賞をもらったのは私だよ」
得意げである。
私はたずねた。
「確か、蜘蛛の糸のタンパク質で手術用の糸を作ったのですよね」
「そうそう」
「参考のためにお聞きしますが、あれをご覧になってどう思われます?」
「ん?」
加計呂麻博士は顔を上げて私が指さす方向を見た。あまり眼が良くないようだ。
「ふむ。ホログラフかオーロラ、かな。最近の装飾は面白いね。ただ、あれが人工オーロラだとすると若干危険かもしれない。真空と電磁石と高電圧電源が必要だからね」
博士は、ノルウェーの科学者、ビルケランドの功績について蕩々と語り始めた。初めて人工オーロラを作った人なのだとか。話は、電気炉から空中窒素固定装置、世界初の電磁砲、油脂硬化によるマーガリンの改善にまで及んだ。これには、明智学園の子もじっと聞き入っている。
……学者に得意分野を語らせると話が長いのだ。
「えっと、種明かしをすると、あれオーロラではなく、天井かおろした蜘蛛の糸なのです。直径一センチほどの」
「は? 直径一センチ? 馬鹿馬鹿しい。そんなもの、作れるわけがない。……いや、作ろうとすれば、遺伝子を操作して、体長十メートルくらいの怪獣にして…… いや、筋肉の断面積と食事の量を考えると……」
加計呂麻博士はぶつぶつ言いながらパソコンで計算を始めた。
一階のコンコースでは、警察と消防が来て大騒ぎになっていた。
幸いなことに京都駅のすぐそばには大きな病院がある。消防署も近い。けが人はすぐに搬送された。
困ったのは、北側の階段とエスカレーターが封鎖されたことだ。お店の人たちは伊勢丹ビルへの経路を誘導している。本来は駅の職員がすべきことだが、救護活動で手が足りないのだろう。
「一階で大規模テロが起きました。迂回路の使用をお願いします」
カフェテリアの店員さんはかわいそうだ。「すぐそこなのに、降りられないの?」と嫌みを言う旅客までいる。それでも、「命に危険がありますから」と頭を下げている。もはや商売どころではない。会計をすませようとする客には「警察の指示でとどまってもらうように言われています」と制止している。それでも、現金を投げつけて走って行く客もいた。その客は、階段をのぼってきた警察官の一団に取り押さえられた。
ベージュのコートを着た一人がメリーさんを目指して歩いてきた。京都府警の雑司刑事だ。
「怪人アトラクナンチャラを捕まえたそうですね」
「怪人アトラクチャラなのです。あれ? 怪人ラクラカチャ?」
混乱するメリーさん。
「快人アトラクナチャ、です」と私。
「そう、それ。どうやって特定したのか教えてください」
メリーさんは、「見ろ、人がゴミのようだ」という書き込みについて説明する。
「これは、絶対に上から見下ろしている人間の言葉なのです」
「ふむ」
そして、先月の予告で示された日時と時間にいた二人のことを告げる。
「他の人たちは無関係だと思います。先月にはここにいなかったので」
「ふむふむ」
雑司刑事の指示で、制服警官たちは身分証の撮影をして……
逃げようとした男女を取り押さえた。
「あっ、お前はサナキダ!」
警官の言葉にメリーさんが反応する。
「連続企業バイオテロ犯のサナキダなの!?」
そういえば、私が小学生の頃、そんな事件があった。税制面で優遇を受けている企業の社長あてに、官公庁を騙った表彰盾が送られてきてきたのだ。シュリンクラップを破って展示すると病原菌が広まるという仕組で、多くの一部上場企業の社長が倒れて病院送りにされるという事件だ。犯人は外国に逃亡したと言われていたが、戻ってきていらしい。
「ちょっと失礼」
雑司刑事は忙しそうだ。
「大変なことになっちゃったね」
「瓢箪からコマ、蛇口からオレンジジュース、なのです」
とまあ、付随した騒ぎはあったものの、空中カフェテリアにいた客たちは身分証と予約した乗車券やレシート、スマホの宿泊予約に冠婚葬祭のお知らせを示すなどして、警察の包囲から解放されたのだった。
残されたのは、私たちとセーラー服少女と加計呂麻博士だった。
雑司刑事が戻ってきた。
メリーさんがたずねた。
「テロリストは無事に護送されていったの?」
「ええ。今のところ、あの二人が第一容疑者です。事件を起こそうとして、先月は別の仲間がしくじったためにヤツが現れたのではないでしょうか」
「それは違うのです。確信犯のテロリストは、今回のような不特定多数に対する愉快犯にはなりえないのです」
「言いますね」
刑事さんは車椅子の老人に向き直った。
「で、あなたは?」
「ドクター・カケロマ。かつてノーベル賞と文化勲章を受賞したことのある、ただの引退した年金生活者ですよ」
老人は、マイナンバーカードで身元を明かす。
「ふむふむ。で、今日はまたどうしてここに」
「何、毎朝の習慣ですよ。店員さんにきていもらえばわかると思う」
刑事さんはすぐに女性店員にたずねに行く。返事が聞こえてくる。
「ええ、あの方はいつもあそこの席におられます。偉い先生だということは、みな承知してます」
戻ってきた雑司刑事は、セーラー服の少女に向き直った。
「次は、あなたです。身分証を出してください」
少女は、すっと学生証を差し出す。メリーさんが横からのぞき込む。
「ハシバミ・ヒロミ。ふりがながないと読み方がわからないのー」
「こらこら、仕方ないなあ」
雑司刑事はそう言いつつメリーさんを遠ざけようとはしない。彼女の観察力が役に立つと思ったのだろう。
「で。明智学園生のあたながどうしてここに」
「単なる休憩です。うちは単位制高校なので、空き時間にどこに行こうと個人の自由なんです。で、快人の犯行予告の時間の少し前に来ました」
「どうやって犯行予告を知ったのです」
「短大の先輩、というかクラブ活動の顧問の先生から話をきいて……」
「何という人です」と刑事。
「ウリュウ先生です」
確かに納得のいく説明だった。
明智学園には推理文学同好会がある。ハシバミさんはその会員で、京大ミステリー研究会OGで明智学園職員の雨竜さんから「ミステリ研究会」宛の手紙が回ってきた。自分でも小説を書く雨竜さんなら、学生たちの推理文学同好会にも親しまれているはずだ。
私は、ふと疑問になったことをたずねた。
「ちょっと待って。あなたウリュウ先生の知り合いなの!?」
「ええ。事務の先生で、推理文学同好会の顧問です」
「ウリュウってどういう字か書ける? 書いてみせて」
「えっ!?」




