おばけホテルの殺人(7・完)
当時、隅屋さんは、景子さんと一緒に心霊スポットめぐりをしていた。先輩である景子さんは、すでに車も運転免許も持っていたのだ。
あちこちの心霊スポットを回ってはみたものの、恐怖体験は一度もなし。「走るババア」を見つけたと思ったら近所では有名な徘徊老人だったし、犬鳴トンネルの向こう側には犬鳴村はなかった。京大に三輪健吉事件の起きた場所を見に行ったが、もはや何の痕跡もなかった。
とまあ、京大ミステリー研よりもはるかにアグレッシブな活動をしていた二人だったが、とある廃病院に行ったときに危機に陥ったのだ。そこは地元の不良学生のたまり場になっていて、そこにのこのこと若い女子が入っていったのだ、どうなるかは火を見るよりも明らかだ。そこに益荒男先生――当時の松田氏が登場した。
熊のような大男相手に不良たちは逃げることを選択した。実際、賢明な判断だったろう。松田氏はフルコンタクト空手の有段者だったのだから。
というわけで、女子大生二人が乗った軽自動車と松田氏の大型バイクは併走して近くの駅まで行った。
赤信号で止まったときに、景子さんが声をかけた。
「お茶でもしていきませんか」
「ええ、いいですよ」
三人は駅前の全国チェーンの喫茶店で話をし、心霊スポット巡りの話をしたりして、互いの連絡先を交換した。
かくして松田氏は二人の心霊スポットめぐりについていくナイトとなり、夏期講習の時期が来る。
男一人に女二人、という三角関係は、意外にもうまく行った。ラブホの一室に三人で泊まったり、三人でキャンプしたり。若くて体力のありあまった三人には、まさに『太陽の季節』だった。
けど、松田氏の 愛情はどうしても益荒男景子に傾いていった。
そして、資産家の娘である景子は、学資を餌に松田氏を釣り上げた。そして、あるとき景子が提案した。
「私は啓吾君と結婚する。それで七年たってまだ気が変わってなかったらあんたと結婚すればいい。それで七年ごとに交代で旦那を共有するの。ね、作家らしいワイルドな生き方でしょ」
その時にはすでにミステリー作家としてデビューしていた益荒男氏は、この冒険心ある提案にのった。何より、作家としてのワイルドな自分の演出にぴったりだと思ったのだろう。
「けど、私はその七年が待てなかった。だからあちこちの神社でお願いしたんです。どうか景子と松田さんの縁が切れますようにって」
隅屋さんは、ふうっ、とため息をつく。
「京都の安井金比羅宮、大阪の鎌八幡、山科の鎌留神社……」
「えっ、鎌留神社!?」
それは、ババサレが祀られているという噂のある神社だった。姑と仲の悪いお嫁さんが祈ると霊験あらたかだという神社。今朝の発表でも触れられていた「縁のない人には絶対に行き着けない神社」だ。ちなみに、山科は京都市には含まれるが、京都人の感覚では別の地域だ。
「そしたら、本当に景子さんが失踪してしまって。……でも、本当にそれだけなんです。私は手を下していません」
怖い話だった。
部屋にノックの音がした。
「失礼、滋賀県警です」
犬彦氏が扉を開く。
私服の刑事と制服の警察官二人がいた。
「こちらで益荒男啓吾氏殺害の犯人を確保されているということですが……」
ナイフを持っているメリーさんと、血まみれの服の隅屋さんを交互に見ている。
「犯人は、向かいの部屋にいる仁室先生なのです」
メリーさんが断言した。
「はあ。……とりあえず、そのナイフを渡してもらえますか」
警官は、警棒に片手をかけつつ緊張して手を差し出す。
「はいのー」
きちんと柄を向けて渡すメリーさん。
刑事さんは、隅屋さんを指ささした。
「そちらの女性は?」
「隅屋さん。益荒男先生の内縁の妻、にあたる人なのー。刺さっていたナイフを、パニックして引き抜いてしまったのです。そのときに血が噴き出してかかったの。でも、その前の写真は撮ってあるので、彼女が無実なのは明らかなのです」
いや、ひょっとしたら自分の指紋をごまかすために引き抜いたという可能性も…… と思ったが、口にはしなかった。とりあえずは様子見に徹する。
刑事さんがたずねた。
「えっと、ニムロという方が犯人だというのはどういう根拠で?」
「部屋から出てきたときの発言がおかしかったのです。血まみれの女性が血まみれのナイフを手にしていたら、普通は自害に失敗したと思うものです。でも、ニムロ先生は言いました。『誰か、刺されたのかね』と。普通は隅屋さんに『大丈夫ですか』と声をかけるものです。テルヤ君がしたように」
そう。冗談だったと言い訳されればそれまでの一言だったが、思わず口をついて出たにしては違和感がある言葉だ。その時は聞き過ごしていたが。
刑事さんもうなずいた。
「携帯電話は、こちらで預かります。いいですね」
「はい」
刑事さんは、メリーさんの携帯を意味もなくポリ袋に入れる。
「ところで、事件の動機に心当たりとかありませんか?」
「それは、怪異伝承学会の名誉を守るためなのです」
メリーさんの推理はこうだった。
最初は、益荒男氏のストーリーをろくに調べずに伝承として取り上げた炎田氏が犯人だと思った。しかし、一介の修士である炎田氏を脅したとしても、大した見返りは期待できない。益荒男氏はもっと金を持っていそうな仁室教授と交渉することにした。作家として名の通っている益荒男氏に、著作権料を支払うべきだろう、そうするなら査読のミスには目をつむる。しかし、ことわるのなら炎田氏の研究者としての経歴に傷はつき、怪異伝承学会のずさんな体質についてあらゆるメディアを通じて世間に広めてやる。おそらくは、強圧的で馬鹿にした口調で言ったのだろう。仁室氏としては、怪異伝承学界全体に傷がつくのは何としても避けたかった。それも、無頼漢のような飲んだくれの男にこけにされつつ。
いったん部屋を出て目についたのは、さっき廊下に出した昼食のワゴンだった。そこには、ステーキ用のけっこう頑丈なナイフが置いてある。
――今なら殺れる!
ナイフを手に取った仁室教授は、五〇五号室に引き返してノックをした。著作権の取り決めについてもう少し詰めておきたい、とでも言ったのだろう。
そして、益荒男氏が扉を開けたところでブスリと腹を一刺し。
いくら鍛えた益荒男氏とはいっても、全く警戒していない相手からの刺突は防ぎようがない。
ただ、腹を押さえながら後ずさりして扉を閉めるのが精一杯だった。
全体重を扉にかけながら、もたれかかった。仁室教授の追撃を受けないように。
「以上が私の推理です。ドゥーユーアンダスタン?」
「ええ、理解しました」
表情に「なんだこの思い込みの激しい外国人は」という気持が露骨に現れている。
そのあと、刑事さんは犬彦先生からの聞き取りにうつった。
益荒男氏が「本場のフナ寿司を食べたい」と言い出したので、有志をつのって昼食は近くのフナ寿司専門店に行こうと企画した。しかし、時間になっても言いだしっぺが現れない。電話をかけたりホテルに扉を開けてもらうよう頼んだ。そして、ロビーでかねて知り合いだった私とメリーさんに会った。二人とともに五〇六号室に来ると、五〇五号室の扉の下から血らしい液体が流れ出していたので、無理矢理扉を押し開けて中に入った。メリーさんが冷静に現場写真を撮った。その時、私が体調を崩したので五〇六号室に入れて休ませていた。すると、隅屋さんが現れてナイフを引き抜いてしまい、さらなる流血で騒ぎとなった。仁室教授の奇妙な発言があり、ホテルの職員であるテルヤ君が薬を買ってきてこれまた体調を崩した。
さすがは作家だった。理路整然と話をする。
「あとで署の方で再度話を聞くと思います。よろしいですね」
刑事さんは、ぎろりと目をむいた。
そして、メリーさんをにらみつけるようにして言った。
「しかし。よく冷静に現場写真を撮ることが出来ましたね」
「あたし、米国で探偵のライセンスを持っていますから」
揺るぎない自信をもって答えるメリーさんだった。
結局、事情聴取はなかった。仁室教授が全てを白状したのだ。
午後の怪異伝承学会は、三〇分遅れで別の役員が司会をして進められた。呪物としての鎌、グレートマザー、死と再生の支配者。ババサレには比較神話学的な解釈がされていた。
「今年はババサレブームなの!?」
メリーさんが目を丸くしている。
そのあと、「デッド・インターネット理論」系の発表があった。「ネットはもうAIだらけ」「人気SNSアカウントはほとんどがAI生成」「コメントの半数はすでにボット」「AIが自分たちの意に染まない一般ユーザーの情報発信を妨害している」「AIによるシミュレーションが超大国の戦略を決めている」「国連の生存戦略研究所が人類半減計画を進めていて戦争とDNA組み替えをした病原菌を撒いている」などなど。
……まあ、陰謀論的な話ではあったけど、思い当たる節もちょっとはあったり。
そのあとも似たような都市伝説の発表が続きそうだったので、私とメリーさんはプールへと遁走したのでした。




