おばけホテルの殺人(6)
メリーさんは、私と犬彦先生に五〇六号室に入るよううながした。
「廊下でくっちゃべっていると、迷惑なのです。犬彦先生のお部屋で話しましょう」
「あ、ああ」
素直に従う犬彦氏。
犬彦氏はベッドに腰をおろし、私とメリーさんは来客用の椅子にすわる。
メリーさんがたずねた。
「犬彦先生は、益荒男氏の奥さんについてはどの程度知っているの?」
「実を言うと、あまりよく知らないんだ。ただ、教え子ではない、という話は聞いている。趣味の活動での出会ったらしい」
「で、益荒男氏が隅屋さんから益荒男さんに乗り換えた、と」
そう言われるとややこしい。
「そう、当時はまだ松田氏だが。当時、貧乏学生だった先輩は、学費を益荒男さんの親ごさんに援助してもらった。だから、博士号を取るとすぐに結婚して入り婿になった。僕も結婚式でそのことを知って驚いたよ」
……でもまあ、珍しい姓を残したいという気持は分かる。
「その時の隅屋さんとの関係は?」
「うーん。まだ続いていたのか、一度切れたのか。まあ、常識的に考えたら話し合いで解決した、てことなんだろうな」
ぽりぽりと頭をかいている。
「ではなくて。益荒男さんと隅屋さんは。同じ学校の先輩後輩とか?」とメリーさん。
「ああ、そんな感じだと思う。本当によく知らないんだ。とにかく。益荒男さんと結婚して半年ほどしてから、先輩の作家デビューが決まった。ミステリー作家、益荒男啓吾、爆誕。結婚によってめちゃくちゃ運が上がったんだ」
私は気になっていたことをたずねた。
「あのー、その奥さんの名前は何ていうんです?」
「景子さん。超絶美人だった。目がぱっちりしたお嬢様タイプで、才気煥発、オーラが明るい。何というか、隅屋さんとは正反対のタイプだったよ」
確かに、隅屋さんは平たい顔で乙にすました才女タイプだ。男受けのいい感じではない。
私はさらにたずねた。
「写真はあります?」
「ああ。家にはある。結婚式の時の写真だけどね」
「今は持っていないの?」とメリーさん。
「ああ、携帯もかわってしまっているしね。他人の奥さんの写真を持ち歩く趣味もない」
ごもっともだ。
その時、廊下からただならぬ物音がした。ドン、という、人が倒れたような鈍い感じの音だ。
「しまった! 話してないで早く警察に電話すべきだったのです」
みんな、急いで外に出る。
「あわわわわ」
血だらけのステーキナイフを両手で握りしめた隅屋さんが、向かいの扉に背中をつけへたり込んでいた。
「わっ、何してるんですか!」
「抜いちゃだめなのです!」
どうやら益荒男先生に会いに来たところで死体を見つけてしまったらしい。
隅屋さんの背中のドアが開いた。
「君たち、なんなんだ騒ぎ立てて。静かにしてくれんか!」
淡海大学の仁室教授だった。真っ赤になって怒っている。
そして、ふとあたりを見回す。
足下には足を投げ出してナイフを持った隅屋さん。向かいの五〇五号室の扉は開き、血のような液体が流れ出している。死体の一部も見えているかもしれない。
「誰か、刺されたのかね」
視線は、答えを求めて犬彦先生、私、メリーさんをさまよう。
「ご自分の目でご確認なさってください。益荒男氏が殺されました」
「そうなのー。五〇五号室をのぞいて見るべきなのー」
「あ、ああ」
部屋から出るには、隅屋さんを乗り越えていかなくてはならない。さすがにたじろいでいる。
その時、廊下を小走りでやって来るホテルマンが見えた。昨日、ロビーでバーテンダーをしていたテルヤ君だ。
「先生、お待たせしました。頭痛薬です。お薬代は宿泊代に上乗せしておきます」
「ああ、ご苦労様」
薬局の紙袋に入った何かを仁室氏にわたす。
そして、テルヤ君はへたり込んでいる隅屋さんに視線を向け、ナイフを凝視し、伸び上がって五〇五号室をのぞく。誰かが倒れているのかは分からない様子だ。
「えっと、大丈夫ですか?」
隅屋さんに向かってとぼけたことを言った。
……んなわけはない。
「急いで警察に通報するのです! 人が死んでいます!」
メリーさんが叱咤した。
「は、はい」
廊下を戻ろうとして、メリーさんに上着のすそをつかまれる。
「あたしの携帯を使うの! さあ、これを使って!」
こうして、私たちがあえて拾わなかった火中の栗を、テルヤ君がむりやり拾わされたのだった。
「琵琶湖ウェストランドホテルです。A棟の五〇五号室で人が亡くなっています。刺されたようです。僕はボーイで、あ、えっと」
「被害者は益荒男啓吾、加古川大学の准教授なの」
隣りでメリーさんが言うべきことを伝える。
「被害者は益荒男啓吾、加古川大学の准教授…… て、えっ!? あの益荒男先生!?」
テルヤ君が目を大きく見開く。膝ががくがくとふるえはじめた。
メリーさんが電話のあとを引き継ぐ。
「第一発見者のメリー・ウィンチェスターです。すぐに来てください。犯人は確保しています」
人形の怪異は、しゃがむと隅屋さんの手から無造作にナイフを取り上げる。
「ぼ、ぼくは午後のししし司会の準備があるから」
仁室先生が自室に逃げ込んだ。ガチャリと鍵をかける。
「逃げ足が速いのですー」
聞こえるように独り言を言うメリーさん。
私と犬彦先生は、五〇六号室にテルヤ君と隅屋さんを引きずるようにして入れた。
テルヤ君のおびえ様は半端なかった。全身が痙攣している。
「僕はやってない、僕じゃない」
自ら犯人だと名乗っているようなものだ。
メリーさんは冷静に伝えた。
「今朝、何があったのかを話して」
テルヤ君はこくりとうなずく。
「ぼ、ぼくは、バーの後片付けを終えると、自分の部屋に帰ったんです。B棟の地下のS二〇一号室――従業員の部屋です。くたくただったので、寝酒を一杯ひっかけて寝ました。今朝はちょっと寝過ごしてフロントに入りました。日勤の人たちが来たので、通常通りA棟の見回りに出ました。清掃チームの見落としがないかとかのチェックがあるんです。益荒男先生を見かけたんで、あらためて昨日のお礼を申し上げました。バーテンダーの妙技を見せていただいたお礼です。そのついでに、部屋に入れていただき、どこのバーで修行したとか、そこでの苦労話を聞かせていただきました」
「どこのバーだったの?」
「ポンヨウという祇園のバーです。できればそこで修行したいなと思いまして」
特にあやしい点はない。むしろテルヤ君はバーを紹介してもらいたがっていた方なのだ。益荒男氏を殺す動機がない。
「そのあとフロントにいたら、仁室先生から近江牛のステーキを持ってきてくれと電話をいただきました。自室で早めに昼飯をすませたい、と言われたので。急いでお持ちしました」
「その時の室内の様子は?」
「テーブルにレジュメを広げて、何かメモを書いておられました。僕は食事が乗ったワゴンを部屋の中に入れると、チップをいただいてフロントに戻りました」
「ふむふむ。そのワゴンは?」
「清掃係が片付けたはずです。廊下に出しておいていただけると助かると申し上げましたので」
「ステーキということは、ナイフとフォークがついていたのね。それが短期間でも廊下に出しっ放しになっていた――つまり誰でもナイフは手に入れられた」
「はい」
しょぼんとなるテルヤ君である。
私は、コップの水を隅屋さんにすすめた。
「隅屋さん、落ち着きました?」
「はい」
「どうしてナイフを抜いたりしたの?」
「わかりません。無我夢中でした。何かそうしなければいけないという自分ではない誰かの強い意思を感じて」
説明にはなっていない。けど、ナイフを抜く前の写真はメリーさんのスマホに収められている。さすがに「探偵」と言うだけはあって、そういう点ではぬかりがない。
メリーさんは、隅屋さんに向き直った。
「あなたに聞きたいのは、益荒男景子さんのことについてです。七年前の失踪の経緯を聞かせて」
メリーさんの手にある血まみれのステーキナイフにちらりと視線を向けると、隅屋さんはぽつりぽつりと話し始めた。




