おばけホテルの殺人(5)
早めの食事を終えた私たちは、ロビーの奥のバーラウンジで一休みした。今はバーカウンターがしまっていて、周囲の自販機コーナーが飲料の唯一の補給源だ。そうそう、スナックとアイスの補給拠点でもある。……高いけど。
「あー、今、出張中なんですよ。いきなり自宅に来られてもちょっとねえ…… ええ。何かありましたらまたよろしく」
電話コーナーから犬彦氏の声が聞こえてくる。どうやら、自宅の方に不意の来客があったらしい。ほとんど人のいないロビーでも電話コーナーに移動しているあたり、真面目である。
観察していると、今度は備え付けの電話で内線をかけているようだった。益荒男先生あてだろうか。
「……どこに行ったんだろう」
ぶつぶつ言いながらロビーに出てきた。
「こんにちは」
「こんにちはなのー」
私たちは立ち上がって挨拶する。
「やあ、こんにちは。そうだ、君、鍵開けできたよね。ちょっと手を貸してくれないかな」
犬彦氏は、メリーさんに向かって意を決したように頼んだ。
「実は、益荒男氏と連絡がつかないんだ。『フナ寿司を食べる会』の有志が待ち構えているっていうのに、呼びかけた本人が出てこないんじゃはじまらない。きっと約束を忘れて寝腐ってるんだ、あのバカ」
珍しく感情をあらわにしている。
「で、あたしに鍵をあけろと言うのね。でも、カード式の鍵は開けられないと思うの」
「A棟の部屋は、昔ながらのキーなんだ」
犬彦氏は、透明な棒にぶら下がった自分のキーを出して見せた。五〇六号室と書いてある。五〇五号室が益荒男氏の部屋なのだとか。
「壁ドンドンしたらどうかな」とメリーさん。
「やってみた。反応がなかった」
「フロントの人に頼んでみたらどうでしょう」と私。
「ことわられた」
……仕方がない。ホテルにとっては、お客様はみな平等に守るべき存在なのだ。
「鍵あけは高くつきますよ」とメリーさん。
財布を取り出す犬彦先生、悲しい顔になる。
「昨日、益荒男氏にお金を貸してほぼ無一文なんだ」
「では、次回作の献辞に名前を載せてもらうのですー」
「わかった。もちろん、本もあげるよ」
「交渉成立なのです。道具を取ってくるから部屋の前で待ってて!」
小走りに駆けていくメリーさんなのだった。
五〇五号室のドアノブには「ドント・ディスターブ」の札がかかっていた。
そのドアの下からは、どす黒い液体がしみ出していた。
「えっ!? さっきはこんなのなかったぞ」
いぶかしげな犬彦氏である。
私はティッシュで液体を押さえて採取してみる。赤黒い。
「血!?」
「ワインの可能性は…… ないな」
ティッシュを嗅いだ犬彦氏が断言した。
しばらくドアを叩いてみる。応答はない。
メリーさんが到着した。ティッシュの血を見て血相が変わる。
「これは緊急事態なのです。鍵を開けます!」
チェーンはかかっていない。
扉は、少し開いて止まった
「動かない!」と犬彦氏。
「中でつっかえている。益荒男さん、犬彦です。入りますよ!」
どう見ても内側から人が寄りかかっている。多分、背中を押し当てているようだ。
三人がかりでぐいぐい押す。ぐにゃぐにゃしていやな感触がした。押したり引いたりを繰りかえす。
しばらくすると、扉が開いた。体勢が崩れたのだ。
「益荒男さん!」
犬彦氏が中に入って頬を叩く。反応がない。
そのお腹には大きなステーキナイフが刺さっていた。おそらくはこのホテルのレストランで使われている品だ。ジビエ料理のコーナーで見た記憶がある。
体勢がかわったせいで新たな血が流れ出していた。
「死んでいます。体はまだ温かいのです」
頸動脈を押さえたメリーさんが言った。
「ここからは私が指揮をとります。こう見えて米国探偵協会の一員ですから」
「それ、日本では何の意味もないと思うのだけど……」と私。付け加えると、「魔界探偵」という怪しげな資格なのだ。
「まあまあ。犯罪捜査に関しての一通りの知識はあるのです」
メリーさんは部屋の中を見回す。
「まず、現場の写真をとります」
パシャパシャ……
「犬彦先生、益荒男先生に貸したお金はいくらでした?」
「五万円」
メリーさんは、サイドテーブルに置かれたカバンから財布を取り出して中身を調べる。手にはいつも白いレースの手袋をしているので、問題ないという判断だろう。もっとも、人形の怪異に指紋があるかどうかは知らないが。
「はい、五万円」
「えっと」
受け取りにくそうな犬彦先生。
「だいじょーぶ、自分の指紋がついた自分のお金を取り返すだけなのでーす」
「まあ、そうだな」
納得する犬彦先生。
「残りは千円札が数枚。銀行の伝票の残高から察するに、益荒男先生はかなり生活に困っていた様子です。……いつ貸したの?」
「昨日の昼間。僕は、いざとなればクレジットカードがあるからね」
犬彦氏のスマホが鳴る。
「ちょっと待って。『フナ寿司を食べに行こう』の連中だ」
「益荒男先生は都合が悪くなったので行けなくなった、と答えるのです。一切の無駄な情報は伝えないように」
犬彦先生は、メリーさんの指示をうまくこなす。
「……いやー、申し訳ない。よんどころが用事ができて、僕も行けなくなったんだ。楽しんで来てね」
犬彦氏はいい役者になれそうだ。
「では次に、状況から犯人を推測します。可能性のある人物は何人かいますが……」
メリーさんは、テーブルに置かれた日本怪異伝承学会レジメをツンツンした。
「犯人は、重要な手がかりを残していきました。ところで教えてほしいのだけど、昨日の午後に益荒男先生が怪異伝承学会に来たのはどうして?」
「ああ。その時間は機械翻訳関係の発表が詰まっていたからね」
犬彦先生の言葉を要約するとこうだ。
AIの発達にともなって、翻訳という仕事は辞書と記憶による職人技から、プログラムと文化体験の物量戦へと移行した。誰もが気軽にAIを使った翻訳ができるようになった。けど、AIには文化への深い造詣が欠けている。プロの翻訳者は、現地の文化と慣習に応じて原文に込められた意味や省略を読み解かねばならない。翻訳映画の字幕はまさにそれだ。時には丸っきり反対の結果になってしまう。イエスとノーを間違う、「嘘をつけ」を「ライ・トゥー・ミー」と英訳する、みたいなたぐいだ。……ということを論じるのが益荒男氏や犬彦氏らロートル組の思考だ。
昨日の午後の発表には分散表現の評価方式とかその演算方法とか、全く違った発表が集められていた。もちろん、こちらのニューカマーには若手研究者が多い。学会とは若手学者に実績とハクをつけるための機関だ。自然言語情報処理学会といった世界的に権威ある学会からはじき出された若手研究者・異端学者は、翻訳翻案学会のようないまいち冴えない学会で論文を発表する。それはある程度の実績となり、就職につながったりする。時には、翻訳翻案学会で発表された論文が脳科学の世界で大量に引用される、といった一発逆転もある。ロートル組にとっても、ニューカマーを温かく見守ることは自分たちの責務なのだ。
「……というわけで、ロートル組は午後にはそっと抜け出して他の学会に首を突っ込んでいたというわけだ」
まだ若い犬彦先生が自らを老頭児と言うのはちょっと面白かった。
「で。このレジメがあるということは、益荒男先生は怪異伝承学会の発表にイタク興味をそそられたようなのです。おそらく、最後に話をした相手は、怪異伝承学会の人だったと思うのです」
メリーさんは、レジュメをぱらっと広げて見せる。
確かに、一ヶ所だけ広がりの癖がついた場所があった。
「その論文は?」
「ビワマスが川から攻め込み、古参のビワコオオナマズと戦っている、とか、竜神と呼ばれるのは実はワニで和迩川の主だ、といった伝承の話なのです。田原藤太のムカデと竜神の構図とも比較して、江戸時代の四方原家文書に記されているとしています」
「はあ……」
「至ってまじめな発表じゃないか」
私も犬彦氏もポカンとしている。
「発表の時に気になっていたのだけど、この四方原家文書って実在するんでしょうか。これって、誰かが考えついた架空の本では? 伝承を語ったという末松という人物は、実在したんでしょうか」
「つまり、作られた伝承である、と?」
「そう。創作された架空の伝承をこの論文の執筆者、炎田氏は信じ込んでしまった。そしてろくに裏取りをせずに論文にしてしまった」
「それって、査読のミスなんじゃ……」
「とも言えます。そして、それに気づけるのは物語の作者――益荒男先生なのです」
「は?」
「どうして作者だと?」
メリーさんは、サイドテーブルにあったボールペンをとるとレジメの裏に無造作に書き込んだ。
YOMOHARA SUEMA
MASURAO HA YOME
「修士が博士になるためには論文が大切です。益荒男氏は名刺交換で炎田氏にその場で面会の約束をした。たぶん、俺はこの物語の秘密を知っている、あんたの学者生命にかかわる秘密だ、とでも言ったのでしょう。炎田氏は最初はその意味がわからなかった。けど、YOMOHARAとSUEMAのアナグラムの意味に気づいてしまった。そこで食事の時にナイフを盗み、益荒男氏を殺そうと決心した。騒ぎになる前に逃げ出せば容疑からははずれる、とでも思ったのでしょう。あさはかなことです。……さて、そろそろ警察を呼んでもいいんじゃないでしょうか」
メリーさんはレジメを元の場所に戻すと、私と犬彦さんを廊下に追い立てた。
「ピッキングで鍵、開けたよね。どう説明するの?」
「最初からかかってなかった。廊下に怪しい液体が流れ出ていたのでむりやり押し開いたら死体を見つけた、これで行くのです」
「じゃなくて、誰が鍵をかけたのかの話なんだけど」
「うーん、それは、ホテルのスタッフが一番ありそうなのです。たとえば駅の公衆電話から電話をするのです。『五〇五号室のマスラオだけど、鍵をかけ忘れたのでかけといてよ』こんな感じで。連泊の部屋に『ドント・ディスターブ』の札がかかっていたなら、ノックをするくらいでわざわざ中をのぞいたりしないのです」
……かもしれない。
「ところで、謎はまだ残っているのです。『益荒男は嫁』とまで記した益荒男夫人はどこに消えたか、という問題です」




