おばけホテルの殺人(4)
夜。
私たちはどうにも暇を持て余していた。
部屋でテレビを見て過ごすのもつまらない。といって、シアタールームで翻訳翻案学会が流している意識高い系の映画も見る気がしない。この時間、大浴場は混んでいそうだ。暇をつぶすならここ、と思った十三階の大広間は、A棟B棟どちらも閉ざされていた。
というわけで、一階ロビー奥にあるバーをのぞきに行くことにした。同じことを考えた人がたくさんいたのだろう、ロビーには結構人がたむろしていた。
バーカウンターの前には、長蛇の列ができていた。一人だけいる若いバーテンダーは、シェイカーを振るのに大忙しだ。
「なっとらんな」
カウンターの真ん前の席でダミ声を上げたのは益荒男先生だった。うっそりと立ち上がったその姿には、熊を思わせる迫力がある。
「そっちに入っていいかね。ちなみに、俺はNBA――日本バーテンダー協会の元会員だ。ずっと神戸のバーでバーテンダーもしてきた」
「は、はい」
権威ある団体名を出されて、バーテンダー君は押し切られた。
「ビールとか瓶ドリンクは君がやってくれ。名前は? テルヤ君か。手が空いたら適宜ヘルプに入ってくれ。俺はフリモンを受け付ける。おい、ワンコ、お前はワリモンを作ってやれ」
「はい」
念入りに手を洗ってからカウンターの中に入る。
そして、益荒男氏はカクテル名をきくとテキパキと振り分けていく。
フリモン――シェイカーを使ったカクテルは、五つほど注文をためると面白い作り方を始めた。シェイカーの胴に材料を入れてそこそこ振り、肩から上の部分をはずして重ね合わせるのだ。そして、並べたカクテルグラスの上で横倒しにする。すると、五つのグラスにそれぞれのカクテルが注がれた。
「おーっ!」
観客から歓声が上がった。
「はい、シェイクしたウォッカマティーニ、ヴェスパー、ボンドマティーニ、シェイクン・ノット・ステアード、ダブル・オー・セブンね」
ピックにオリーブをさして手際よく完成させる。
「次は、サイドカーにアップルカー、ね。サンドリヨンはワンコが作ってくれ。スプモーニも頼む。……スカイ・ダンビンク? テルヤ君、作ってくれ。トワイライト・ゾーン。これもまかせた。アンナチュラルもだ。存分に腕をふるってくれよ。マルガリータはこっちで作る。ツイン・ピークスにスレッジ・ハマー。こいつらはテルヤ君に頼む。ギムレットはこちらでやる。ガルフストリームも俺だ」
再びシェイクの後、シェイカーの胴を重ね合わせてから五つのグラスにそれぞれのカクテルを注ぐ。今度は色違いなので、益荒男氏の腕前が際立つ。
「マルチ・ポーなのですぅ」
メリーさんが感嘆の声を上げた。
「ほほう、お嬢さん、通だね。何にするね」
「じゃ、ニューヨークをお願い」
「そちらのお嬢さんは?」
「チェリーブロッサムをお願いします」
気がつくと、あれだけ行列ができていたバーカウンターはすっかり暇になっていた。
益荒男氏の振り分けシステムは単純だ。定番のフリモンは自分で作る。調べないとわからないものはテルヤ君に回す。犬彦先生はモスコミュールやスクリュードライバーを担当する。合理的だ。
益荒男氏はかっこよかった。
冴えない中年の飲んだくれが、バーカウンターの中に入ると急に生き生きと輝き始めたのだ。本当に人はわからない。
気がつくと、横で隅屋さんがロンググラスに入ったカクテルを飲んでいた。中身は緑色だ。照葉樹林か針葉樹林だろう。
「かっこいいよねー」
ほろ酔いでつぶやく。視線をたどると、どうやら益荒男氏を見ているようだ。
「ですね」
「実を言うとね、あの人に処女を奪われたんだ」
「えっ!?」
思いもかけない告白だった。
「高校二年の時だったかな。予備校の夏期講習でね、松田先生と出会ったの」
「はあ……」
そうか、益荒男というのはペンネームで本名は松田なんだ。犬彦先生は本名らしいけど。
「色々と相談にのってもらっている内になんかそういう気分になっちゃってさ。予備校の相談室でスカートまくってヤッちゃった。ヒャハハ」
「酔いすぎなのです。そういうことは他人にベラベラしゃべることではないのです」
メリーさんがたしなめる。
「別にいいじゃない。事実なんだし。それにもう大人なんだしさ。でさ、奥さんが失踪してもう七年、そろそろ益荒男の姓を捨ててもいい頃なんじゃない? て言ったわけよ、私は」
……あ、本当に益荒男という姓なんだ。
「そしたらさ、何て言ったと思う? 作家としてのアイデンティティーがあるからこの姓は捨てられない、て。隅屋姓に変える気はないんだってさ」
……ま、どちらも珍しい姓ではあるけど。確かに益荒男の方がインパクトある。
「じゃあ、ずっと私は日陰の身のままなの? て話じゃん。このまま枯れ果てさせるの、てことじゃん」
……たぶんこの人が飲んでいるのは針葉樹林だ。酔いようがいちじるしい。
メリーさんが提案した。
「婚姻届であなたが益荒男姓にすればいいのですー。確か、失踪した人は七年で死亡扱いになるはずなの」
「いやよ。益荒男って、私からあの人を奪った女なのよ。死んでもいや」
結構、声が大きくなっている。周りの人たちが聞き耳を立てている気配をひしひしと感じる。なんか複雑な過去がありそうだ。てか、事ここに及んでもバーカウンターの奥に入っている益荒男氏は、本当にメリーさんが言うように小心者なのかもしれない。
あっ、忠犬が動いた!
「チェイサーです。どうぞ」
犬彦氏は、炭酸水とグラスを置くと見えない位置で私とメリーさんに片手で拝んで去る。あとをよろしく、の意味だろう。
「ノックアウトをお願いするのー」
メリーさんが大きな声で犬彦氏に注文した。
「じゃ、私はバカラを」
二杯合わせて「くたばれバカ」の意味だ。犬彦氏は、やれやれという風に首を振るとバーカウンターへと戻っていく。
「で。益荒男夫人を殺したのはあなたなの?」
ビクッ。
隅屋さんの体が飛び上がった。
そして、ケタケタと笑い出した。
「アメリカン・ジョークね。でしょう。あるいは、私の様子を見るためにカマをかけた? そうはいきませんよーだ」
隅屋さんは立ち上がるとバーカウンターに向かってふらふらと歩き出した。いよいよ修羅場か、と思ったが、普通に飲み物を頼んだだけだった。テルヤ君に。
「メリーさん、いくら何でも、やりすぎだよ」
「……反省します」
小さくなる相棒なのだった。
翌朝は、導引術と五禽戯の講習会から始まった。
隅屋さんは、昨日の醜態を忘れたかのようにフランクに接してくれた。
女子は、根に持ってもおくびにも出さないタイプもいれば、五分前に言ったことを忘れる子もいる。私たちは、それを見分けることができない。対して男子は大体が単純だ。病的な嘘つきでない限り、自己のの「認知的不協和」を嫌う。誇り高いのだ、女子はそれを「子供っぽい」の一言で片付けたりする。
閑話休題。
私とメリーさんは中庭に出て涼しい風に吹かれつつ、体験に参加する。
リーさんという男性講師の指導のもと、ラジオ体操的な動きをゆるゆるとする。続いて、虎、鹿、熊、猿、鳥のポーズをとったりする。思ったほど難しくはなかった。
続いて護身術のコーナーに移る。ハンさんという女性指導員が前に立った。
「誰か被害者役をしてみませんか」
はい、はい、と手が上がる。ハンさんは彼らを坐らせる。
「大体、こういう時手を上げるのは何かの武術の経験者なんです。普通の方は『こわいなー、様子見しとこう』って尻込みするんですよ。では、手を上げた方以外で……
後ろのロリータ服の方、お願いします」
「えっ、あたし!?」
もちろんこんな場でロリータ服の人といえば一人しかいない。うかつな人選をしたものだ。
「メリーさん、思いっきり遊んできなよ!」
背中を押す。
「はいなのー」
うきうきしつつ前に出る。
「ではまず、夜道で背後から背後から抱きつかれた場合です。どうします?」
体格的に言って、ハンさんとメリーさんでははちょうど男性と女性の感じだ。
「えっと、ヘッドバッドをくらわせてお辞儀をします」
「えっ!?」
メリーさんの頭頂部が指導員の顎に入る。その直後にみごとな沈身。体幹最大の筋力である腹筋を使って背負い投げのような形になる。体勢が崩れたところを全体重を使った斜めジャンプで重心をくずくしてエルボーを……
「そ、そこまで」
慌ててリー師匠が介入する。
「君、格闘技の経験あるでしょう」
「えへへ。ヤマトナデシコの心得なのですー」
……いや、知らんけど。
そのあと、合気道で言う隅落としとか中国拳法で言う放鬆などを教えてもらいました。
日本怪異伝承学会、二日目。
またしてもババサレに関する発表があった。
ただし、内容が全然違った。ボロ家に入って畳の上を土足で歩いていると、大きな鎌を持った婆さんが現れて脚を切り落としに来るのだとか。住宅展示場のモデルハウスにも現れたと言う。
京都にはババサレを祀る小さな神社があって、そこで不敬をはたらくと大学入学共通テストの足切りにひっかかって浪人する、という伝承もあった。
そして、ある予備校の話。そこでは毎年、一人の女子学生が必ず失踪する。それは、あるイケメン講師が色んな意味で女子学生を食べていたからだ。
発表をした研究者は、長年阪神間の予備校で講師をしていて、集めた伝承を今度ようやく本にするのだと言う。その出版の前宣伝も兼ねた発表だった。題して『予備校の怪談』。
「これって、実話怪談だよね」
「これはヤバいのです」
あたりを見回す。が、益荒男氏と犬彦氏の姿は見当たらない。今日はおとなしく翻訳翻案学会に引きこもっているようだ。
そのほかには、牛首村と午頭天王の関係とか、メディアでの都市伝説史の統計的研究だとか、雑多な内容の発表が続いた。特にブラック・ショールズ式を用いた都市伝説伝播の分析という発表は、私には最初から最後まで何を言っているのかさっぱりわからなかった。「この研究によってある都市伝説が将来的にバズる期待値が計算できるのです」とか言い出して、「疫学モデルやネットワークモデルに対する優位性はあるのか」といった質問が出て大いに紛糾した。
「疲れたの-」
「私も。……先に昼ご飯にしちゃおうか」
私とメリーさんは、最上階にあるレストランへと遁走した。
「今日はパンにする! サンドウィッチを制覇する!」
「それ、いいのー」
こうして食べ放題の罠にかかった私たちは、またしても食べまくったのだった。




