おばけホテルの殺人(3)
怪異伝承学会の午後の部は、重複した内容もあって結構眠たくなる感じだった。
発表と質疑応答で時間は押したが、紛糾するといったこともなく静かにおわった。
「このあと最上階のレセプションルームで交流会があります。御用とお急ぎのない方は、ご参加いただけると幸いです」
司会の方が案内する。淡海大学の仁室教授だ。
会場ではすでに、学者の卵たちの名刺交換タイムが始まっていた。偉いさんが弟子たちを引き連れて知り合いに挨拶回りをする。これが将来の人脈作りにつながるというわけだ。あっ、犬彦先生と益荒男先生も名刺交換に加わっている。てか、翻訳翻案学会はどうした?
「あたしたちには関係ないのです-」
メリーさんはばっさりと切って捨てる。確かに、比較言語学とは何の関わりもなさそうだ。そして、ミステリー研としても名刺交換をするメリットはない――たぶん。
「だよねー。晩ご飯までは時間があるし、どうする?」
「プールに入るのですー!」
明るく大きな答えが返ってきた。これは予想外だ。
「えっ!? 今、水着を持ってないよ! 荷物には入れてきたけど」
「あたしもなのー。一度部屋に戻って着換えるのです。プールのあとに大浴場に行くの。……あれ? お風呂に入ってからプール? どっちがいいのかな?」
悩んでいる。私と違って汗とか垢にほぼ無縁のメリーさん、これは悩みどころだ。
「うーん。プール、お風呂、の順かな。下着は風呂上がりにつければいいし」
というわけで、私たちは大急ぎでB棟に移動すると水着に着替えて(ちなみに二人ともセパレートだ)その上から服を着け、タオルと替えの下着が入ったセカンドバッグを手に部屋を出た。
エレベーターホールに向かおうとすると、メリーさんが止めた。
「そっちじゃない! こっちに早道があるの。湖側のエレベーターを使うとプールにも大浴場に近いよ!」
またしても「先達はあらまほしきことなり」だ。確かに、ロビー側のエレベーターを使うと遠回りだ。五分は損をする。
七階の自販機コーナーの奥にあったのは、ロビー用と比べると半分ほどの広さのエレベーターだった。
「あれ? 地下四階までボタンがある!」
「ふっふっふっ、それは冥界への入り口なのです」
メリーさんが言うと冗談か本当かがわからない。
とりあえず、地下一階のボタンを押す。
途中で別の階で止まることもなく地下一階の大浴場前へと出る。本当に、ロッカールームが目と鼻の先だった。ヘビーユーザーでないと気づかない動線だ。……いや、もちろんパンフレットをきちんと見ていればわかることなんですけど。
「ロッカーにカバンと服をあずけて、プールに出るのです~」
プールは竹林の中の傾斜路を降りて地下二階くらいの位置にあった。とてもきれいで広々としたプール。その先には美しく整えられた松原があって、琵琶湖も見える。まあ、見えるだけで直接は行けないのだけど。いわゆる借景というやつだ。
他の客が誰もいない所で泳ぐのは、なかなかの快感でした。
貸し切り気分を楽しんだのは少しの間だった。
「あっ!」
小さく声を上げたのは隅屋さんだった。ワンピース型の黒い水着を着ている。
「わっ、スク水人魚なのー!」
メリーさんが久しぶりに耳にする言葉だ。
「こんばんはー。……えっと、まだこんにちは、かな、ははは」
スポーツバッグを手にした隅屋さんは、困惑している。
「逢魔が刻だからコンバンワでいいのですー」とメリーさん。
「休憩ですか? お疲れ様です」
私はねぎらいの言葉をかけた。
「はい。せっかくプールがあるので、ちょっと一泳ぎしようと思って。このあと懇親会があるので、ほんの一泳ぎだけなんですけどね」
「どうぞ、泳いでください」
急いでそうなので無駄話を切り上げる。
隅屋さんは、プールサイドからザンブと飛び込むと、みごとなクロールで向こう岸へと泳いでいく。
そして、向こう岸にタッチをするとまたクロールで帰ってくる。そして、すぐに縁へとあがる。
「ごめんなさいね、あわただしくて」
「いえいえ。お気になさらず」
隅屋さんは、ずぶ濡れの体を拭こうともせず、足早にB棟へと向かうのだった。
「夕飯はA棟にしようか」
私の提案にメリーさんがうなずく。
「いろいろと試してみるのですー」
というわけで、大浴場でのカラスの行水のあと、私たちはA棟に向かった。髪の毛を乾かす時間がもったいない。今度はロビーにつながるエレベーターへと急ぎ足で向かう。
A棟の十三階は「レセプションフロア/接待层」になっている。ちなみに「层」とは中国の簡体字で「層」のことだ。中は完全な立食パーティーになっていた。
バイキングコーナーが昼を食べたB棟よりもこった配置になっていた。
怪異伝承学会をメインターゲットにしたのだろう、猪、鹿、熊の頭(の剥製)が飾ってある。そして、それぞれの下にそれぞれの肉料理が並んでいる。頭こそなかったものの、ウサギのスープにタヌキ汁なんてものもあった。ビワマスとビワコオオナマズの中華風炒めもある。ヴィーガンの人が見たら目を回しそうなラインナップだ。
確保したテーブルに戻って一口食べた瞬間、思わず声が出た。
「おいしい!」
これは熊肉だ。牛肉より濃厚な味で、脂身が甘い。かといって野性味も感じられる。たとえるなら、前にワニ肉を食べたときに感じた衝撃に近い。
「鹿肉は、脂身が少なくて健康的なのー。日本一の害獣と言われているけど、ジビエ料理になったらおいしい食材だよね」
「イノシシは…… まんま豚肉だよね」
「遺伝子上はブタと同じなのー」
「タヌキ汁は…… 上手に臭みが消えてる。シェフの腕だね」
「これは、トラッシュパンダ――アライグマを少し硬くしたような食感なのです」
「ウサギのスープは…… これは上品で淡泊な味だね」
「さすが、トクガワ将軍家の正月料理になのです」
「え!? そうなんだ」
と、珍しい食材に舌鼓を打っていると……
どこからか生臭いにおいがただよって来た。いにしえの防虫香のようでもある。そのにおいの元は黒づくめの集団だった。バイキングコーナーに向かって行列を作っている。心なしか、足取りがふわふわしているようだ。
「あの人たちって……」
「しっ!」
メリーさんが人差し指を立てて唇に当てた。
「あれはモウリョウなのです。……ちがった、ボウレイなのです。水陸会と勘違いしているみたい。かかわらな方がいいよ!」
「スイリクエ?」
「施餓鬼みたいな儀式。ありとあらゆる場所にいる霊に対して、供養と救済をする儀式。仏教では精進料理を供えるのだけど、道教や儒教では肉類が不可欠なの。そして、人間の亡霊は肉料理は大好きなのです」
「つまり、ホテル側はこの機会を利用してスイリクエもやっていると!?」
「かもしれない。だとしたらお客様をだましているのだからひどいことなの」
メリーさんは憤慨している。
目の端で見ていると、いろんな怪異――まさしく魍魎もバイキングコーナーに並んでいた。シャークヘッド、犬頭人(カワウソ?)、葦を束ねて作ったようなモワモワした女。じっと見ていると気づかれそうなので視線をはずす。
「えっと、霊が食べたものって、人間が食べても大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。一部の気がなくなっているだけだから」
「は?」
「何だっけ、中医学で言う気のひとつで…… なんだっけ」
さすがのメリーさんも専門外の話となると記憶があやふやなようだ。
「ここ、いいかしら」
隅屋さんだった。
「どうぞ」
場所をつめる。隅屋さんのトレイには、色んな肉料理がのっていた。チャーハンもある。
「あんまり素食続きだと貧血になっちゃうから、こっちに来ちゃった」
言い訳している。どうやらアンチエイジング学会の会食から逃げてきたらしい。
「今、ちらっと聞こえたのだけど、気のお話?」
「そうなのー。中医学で言う四種類の気の話なのですー」とメリーさん。
「元気、宗気、栄気、衛気ね」
隅屋さんは漢字と意味を教えてくれる。
「元気は生命力の源となる気。宗気は酸素。栄気は栄養。衛気は免疫系。要約するとそんな感じね」
予想外に科学的な話になった。
「そう、幽霊が食べるのはその元気なのー」
確かに、あとの三つは欲しがりそうな気がしない。
「神様へのお供えもそんな感じかな?」
「そうなのですー。神様は元気もりもりなのです。もちろん、お下がりは人間がいただくのですー」
ちょっとあきれている感じの隅屋さん。
「怪異伝承学会ってそういう物の見方をするんだ……」
周囲には他の研究者もいる。私はあわてて話題を変える。
「そういえば、アンチエイジング学会って完全に理系って感じですよね。いただいたレジュメをちらっと見たんですけど、全然わからなかったです」
そう。アルファベット三文字に数字や小文字がついた何かがやたらと出てきて、さっぱりわわややだった。
「そう。実は理系なんよ。伝統を検証して現代に生かす、がモットーだから。……あっ、明日の朝は中庭でドウイン術の実演があるから見に来てよ。誰でも参加OK!」
「健康体操?」とメリーさん。
「まあ、そんな感じ。現代の物と馬王堆帛書から復元したのと二種類やるから体験しておくととってもお得!」
導引術、五禽戯、といった文字が記されたチラシを渡される。
「五禽戯とは?」
「太極拳的な動き。といっても、戦わないけどね。あ、護身術の実演とかもしてもいいかも。それ、師匠に言っておこう!」
かくして、新たな企画が急遽追加されたのだった。




