京大生はおことわり(4)
「針と糸とフォークって?」と雑司刑事。
「ゾウシさんはミシン糸の長さがどのくらいかご存知ですか?」
「さあ。五十メートルくらい?」
「ノン! 市販の一般的なもので二百メートルです。三階にあるこの部屋を縦断してバルコニーから地面まで垂らしてもせいぜいが十から二十メートル、往復でも四十メートルもあれば十分でしょう。さて、この糸を一度ほどきます。鍵の柄の穴に糸を通して糸の真ん中まで移動させます。次に、両端をコートの胸ポケットの底から針を使って内側に通します」
メリーさんは針で何かを縫う手振りを二回して見せる。
「糸の先端には重りをつけてバルコニーから屋外に落とします。そのあとバルコニーの鍵を閉めて施錠のトリックにとりかかります。鍵をお借りしても?」
素直に応じる雑司刑事。
「いいですか、この鍵の取っ手には、すでに糸が通っています。そう思ってください」
メリーさんは、内側の鍵穴に鍵を差し込んだ。
そして、ギリギリ閂が出たか出ない位置に調整する。
「この柄の部分にフォークを噛ませるのです。フォークの柄には糸をしっかりと巻き付けて扉の上部と下部に広げ、廊下側へと垂らします。糸の先端には重りをつけておきます。別のフォークとかでいいでしょう。そっと扉を締めて下から糸を引っ張り鍵を回すのです。錠が閉まる音がしたら、上の糸で鍵が抜ける位置まで鍵の向きを戻します」
「それはまた細かいことを」と刑事さん。
「扉を開いた時に糸に印をつけておけば再現は楽なのです。そして、鍵につけるフォークは曲面を潰して平らにしておくのがポイントです。ここの敷居は長年の乾燥で縮んでいるので、下の隙間からフォークを外に引っ張り出すことが可能です」
確かにそれだけの隙間ができている。ひょっとしたら、扉を開けずにメッセージをやりとりするためかもしれない。
「でも、施錠に失敗したら?」
「何度でもやり直せばいいのです。最悪、変なフォークが床に落ちているだけになるのです」
「うむ。理論上は可能、というやつだな」
雑司刑事はしぶい顔だ。
「密室が完成したら、庭に出て垂らした糸を両方とも引っ張ります。長さがずれないよう慎重に。板とかに巻き取っていったのでしょう。こうすると、やがて鍵は抜け落ちて、あれ不思議、コートのポケットに吸い込まれてしまうのです。あとはわかりますね」
宇宙ちゃんの方を見る。
「動かなくなったら、一方の糸を切ってもう一方を巻き取っていく! これで糸は回収出来る! 糸は板ごと燃やす! 廊下に戻ってフォークを引き出せば密室が完成!」
興奮気味の宇宙ちゃんだ。
「そうなのでーす」
得意げなメリーさんだ。
雑司刑事はうなずいた。
「わかった。扉はきちんとチェックしよう。でも、遺言書のことはどう説明する。刺木康造氏の自筆の遺言書だった。私も、ご本人の自筆のメモや書き癖と比較している。指紋も検出できた。間違いなく自筆遺言証書だった」
「それは、ペンプロッターを使ったのです」
「ペンプロッター!?」
「ゾウシさん、政治家が支援者にお礼の手紙や季節の挨拶を書く時にはどうするか知っていますか? パソコンにつないだペンプロッターに代筆をさせるのです。自分の文章をワープロで打ち込んで、その通りに筆記させるのです。最近はAIの発達で、単純なゆらぎだけでなく、書いた時の精神状態や疲労を推測して筆圧を変えたりできるのです。あたしの知っている財団でも、重要な手紙を何百通も送る時にはペンプロッターを使っています。その方が、受け取った側の感激もひとしおだからでーす」
……あ、ウィンチェスター財団のことだ!
「そんな便利な物があるのか。……そうか。確かにあの遺言書には誤字が一つもなかった。大抵の人は、死ぬ前に遺言を残す時には何かしらミスを犯すものなんだが、あらかじめ書いていた物にサインと日付を記入したのだとばかり思い込んでいたよ」
「指紋に関しては、死体の手を押しつけることで簡単につけられます。遺言に必須のハンコはそこらにある物を適当に押せばいいのです。ペンプロッターを探せば、遺言書を書いた犯人が見つかるでしょう。というわけで、遺言の内容がとても重要になってくるのです。誰が有利になり、誰が不利なったか」
「……さすがにそればかりは家族以外の方には申し上げられない。勘弁してほしい」
頭をさげる雑司刑事。
宇宙ちゃんが静かに言った。
「それって、兄たちの犯罪についてですか。私への性的暴行の話」
一瞬、ぽかんとする刑事。
「え、ああ。君の言うとおりだ。お父様は相続人から二人を排除していた。そしてかなり激しい口調で非難なさっていた。二人には一切、遺産を残さない、と」
私は突然の告白に驚いた。
「えっ!? だから図書館に引き籠もっていたの?」
「ええ。いやな思い出があるので、本館には入りたくなかったんです。兄たちにされたことのトラウマが甦るので」
宇宙ちゃんは淡々とした口調だ。
「可哀想に。つらかったでしょう」
右原さんが宇宙ちゃんを抱きしめた。
けど。
私には違和感があった。
エロ話をする宇宙ちゃんは、目をキラキラと輝かせていた。普通の女子中学生のように。そんな過去があったとしたら、普通は男性の性機能の話とかは嫌がるんじゃないだろうか。
私は刑事さんにたずねてみた。
「その遺書に記された財産分与の仕方は、法律的にあっているんでしょうか。確か遺留分とかがあって……」
「遺書、というか遺言状だけでは遺留分までは奪えない。ただ、裁判によって相続人の廃除を決定することはある。もしそうなれば、二人のお兄さんは相続権を失う。裁判官がどう判断するかは僕にもわからない」
そして、わずかな間を置いてからつけ加えた。
「ただ、今回の場合、お兄さんたちは争うことはしないだろう。彼らの社会的なメンツを考えると、この件は絶対に外に出したくないだろうからね」
……まあ、無難な予測だ。
「遺言状で、その他に利益を得るところはあるの?」とメリーさん。
「ある。刺木氏が過去に行った地上げの被害者の人たちだ。すでに裁判で決着がついている事件なんだけどね。それと、日本食文化護持財団だ。ここは昔から刺木氏が支援している。あとは寺社にも少々」
「で。どうしてそイララギ氏は自殺したの? 自殺の動機は書いてなかった?」
「それは、書いてなかった」
雑司刑事は残念そうに答えたのだった。
警官達は、梯子を持ってくるとまず扉の上部をチェックした。
「糸の痕らしいものがあります!」
写真を撮っている。
続いて、バルコニーに出る扉――掃き出し窓のチェックもする。さらに手すりも。
「糸の痕らしいものがあります」
バシャバシャ写真をとる。
「ね、あたしが言ったとおりでしょ」
得意げなメリーさん。
警官達は、重そうなコートかけの底も調べはじめた。こちらは成果がなかったようだ。
執事の許可が出たということで、警官たちは書斎の扉のちょうつがいを充電式丸鋸で切り始めた。扉の底を見るのにはこれが一番手っ取り早い。
「確認出来ました。フォークのものと思われる傷跡が残っています!」
「そう。これで密室トリックの謎は明かされたのでーす」
上機嫌なメリーさんだ。
「これで、自殺の動機はなくてもよくなったのでーす」
そして、わざとらしく顎に人差し指を当てて小首をかしげる。
「次の問題は、犯人がどうしてこんな小細工をしたかなの。犯人は、朝になって秘書のタカムラさんに死体をみつけさせる必要があった。それは、犯人が疑いを向けられないようにするため。ということは、執事かメイドが犯人なの。……あるいは二人が共犯かな」
「そんな。タカムラさんも岩手さんも、代々刺木家に使えている信頼出来る人ですよ」
宇宙ちゃんが、全力で否定する。
「遺産分割にも彼らの名前はなかったです」と雑司刑事。
「でも、彼ら以外の誰かが屋敷に入って、こんな手のこんだ細工ができるとは思えないの」
「秘書のタカムラさんは? ペンプロッターなら東京の事務所にありそうじゃない」と私。
「いえ。この屋敷の出入りはモニターで記録されています。そのデータはオンラインで警備会社に記録されるので、昨日の夜にあなた方が出ていって以降、誰も出入りしていないことは確認済みです」
「ということは、執事とメイドが共犯で決まりね」とメリーさん。
「そんな。……えっと、隣りの塀から乗り越えてきたらわからないじゃない。そう、塀の上にセンサーはないんだから」
「ほほう、それはまたどうしてです?」
「猫がよくひっかかるので、切ってあるんです」
雑司刑事は、すぐさま部下を走らせて確認させる。
「あのー、さっきから全然無線を使ってない様子なんですけど、どうしてなんですか」
私の質問に、刑事さんはしぶい顔で答えた。
「無線は使いたくないんですよ。衆議院議員の事件ともなると、用心深くしておかないと」
メリーさんが手を挙げた。
「さっきからずっと気になっていたんだけど、あそこのミニワインセラー、いい設備なのー。見てもいい?」
「えっ!? ま、まあ見るだけなら」
しゃがみこんだメリーさんは、一生懸命ラベルを見ようとしている。
「高級ワインが動機、ですか?」
「うーん。それよりも気になるのが、下にあるキャビアなのー。めっちゃ高級品。そして、その横の隙間。ひょっとしてここには何かおつまみが入ってたんじゃないかな。さつき、何かにおう?」
パカッ。ワインセラーの扉を開けた。
「……味噌のにおいがする」
すぐに扉をしめる。雑司刑事は、勝手に触られていやな顔だ。
「ゾウシさん、厨房のゴミ袋は確認した?」
「もちろん」
「その中に刺木氏の死因となったオツマミがあるかもしれない。それも味噌系の」
「今、科捜研で検査中ですよ」
「その際、くれぐれも素手で触れないで。危険な感染症や毒物があるかもしれない」
「もちろん。細心の注意を払って取り扱います」
その時、制服警官が駆け込んできた。
「大変です。執事が死んでいます!」




