京大生はおことわり(3)
翌日の夕刻。
刺木邸の周囲には警察の車輌が何台もとまり、ものものしい雰囲気だった。
私と右原さんは、宇宙ちゃんの家庭教師だという説明をし、婦警さんによる身分証の確認と身体検査の後、ようやく中に通してもらった。
図書室に入って目に入ったのは、制服姿の婦人警官と、うなだれる宇宙ちゃんだった。
「何があったの」
「お父さんが、殺された」
宇宙ちゃんは、ぶっきら棒に告げた。
横についた婦警さんがたしなめる。
「滅多なことを言わないで。殺人事件ではないです」
「どうしてそういう安易な結論にとびつくの。仕事が面倒になるから?」
「内側から鍵か掛かっていて、その鍵はコートかけのコートにありました。状況から見て、自殺だと思いますよ」
おだやかになだめる婦警さん。
「そんなはずはない。刺木康造は、そんなにやわな人間じゃない。他殺に決まっている」
お前じゃ話にならん、と言いたげな口調だ。
「私に現場を見せて。他殺だと証明してみせる!」
「現場検証の最中なので、それは無理なんです」
困り顔の婦警さんだ。
図書室の外から聞き覚えのある声が聞こえた。
「家庭教師が来たって? 一応、話を聞いてみるか」
「雑司刑事!?」
その一言に、まだ若い婦警さんがピクリとする。若い家庭教師がベテラン刑事と知り合いだとは思っていなかったらしい。それは右原さんも同じだ。びっくりした表情で私を見る。
雑司刑事は、若い刑事と共に図書室に入ってきた。
「こんにちは。京都府警のゾウシと申します。二三、聞きたいことがありましてね」
警察手帳――もはや手帳部分はないからそう呼んでいいのかどうかはわからないが――を、私と右原さんに見せてくれた。
そして、私の顔にはっとする。
「えっと、君は確か……」
「今はお嬢さんの家庭教師をしています」
「あ、そうなんだ。色んなアルバイトをしていて大変だねえ」
「ははは。貧乏暇なしです」
刑事さんは「失礼」と言いつつ椅子に腰をおろした。
「メイド長の話によると、昨日は刺木康造氏と会食をしたそうだね」
「はい」
「他に人は?」
「私たち二人と……」
「あとは給仕のメイドさんと執事さんが一人ずつ、でした」
二人でうなずき合う。
「その時の刺木氏の様子はどうだったかな」
「上機嫌でした」
「ワインを召し上がって、京都の再開発計画を自慢されていました」
「その他には」
「宇宙ちゃんの教育がいい方向に進んでいるとお褒めいただきました」
「あとは大学時代の思い出話とか」
「うん、いろんな店でアルバイトした話とか」
「そうか。……何か気がかりなことは言ってなかったかな。落ち込んでいたとか、将来に不安を感じていたとか」
「いえ、全然」
「そんな気配は全くなかったです」
私たちの答えに、雑司刑事の顔は得心していなさそうだった。
「ほらね。お父さんは、殺されたんです。きちんと捜査して下さい」
あくまで強気の宇宙ちゃんだった。
「ご遺体の搬送の準備が整いました」
制服警官が報告に来た。
「死因は?」と私。
「被害者の娘である私としても、そのあたりは早く聞きたいです。近親者として聞く権利があるよね」
警官は、雑司刑事の顔をうかがうと、簡潔に答えた。
「おそらくは、服毒自殺です。吐血の痕がありました」
「赤ワインの可能性もあるよね。昨日の会食で飲んでいたから」
「えっと、それは鑑識に伝えておきます」
入れ替わりに別の制服警官が現れた。
「通訳の方が来られました」
「ああ、いますぐ行く」
雑司刑事が立ち上がった。
図書館の外にいたのは、日傘をさしたメリーさんだった。
「えー、あなたに来ていただいたのは、現場に残されていた書類が何語で書かれているかを判別していただくためです」
「そうなの。何語か判別するだけでいいの?」
「はい。内容については専門家が判断しますから」
「って、それって多分、結局あたしにお鉢が回ってくるやつよね」
ブーたれるメリーさんである。
「いいわ。とりあえず、見るだけ見てみる」
「ところで…… 君たち知り合いだったよね」
刑事は私とメリーさんの顔を交互に見る。
「ええ。お隣さんで親友です」
「そうなのー」
横では、右原さんが宇宙ちゃんを支えていた。メリーさんの視線から隠れて小さくなっているようだ。
逆に、強気なのが右原さんだ。
「私にも、父が亡くなった現場を見る権利はあると思います。立合わせて下さい」
「あ、ああ。……歩けるかね」
宇宙ちゃんは、震える足取りで図書館の外に一歩踏み出したのだった。
宇宙ちゃんを支えるには、私たち二人の力添えが必要だった。途中でトイレに寄ったり、階段を上がるのに苦労しつつ、私たちは三階の書斎へと到着した。
重厚な造りの明治建築。
その中ほどに刺木氏の書斎はあった。
広さは八畳くらい。
入り口の外開きの扉を抜けると、入口側の三方をスチール棚が覆っている。
そこには、たくさんの本やリングファイルが並んでいた。
真正面の大きなデスクの横では、メリーさんが淡々と書類の仕分けをしていた。
「うわっ、臭っ!」
宇宙ちゃんは、誰もが思っているであろう本音を吐露した。糞尿の臭いだ。汲み取り式便所の臭いと言ってもいいだろう。今は運ばれていった刺木氏の死体から出たものの臭いだ。
「これはフランス語、これはロシア語、これは…… ん!? これは西アフリカのアドラム文字ですね。これは珍しい。全部、外交関係の文書です。友好親善に関する物ばんりですね。おっと、これはブラフミー文字とカローシュティー文字の混成語です。少数民族が国連加盟国に救援を求めた手紙です。これはヤバいです」
横についた婦警さんが付箋に内容を書き付けて文書に添付している。
「本当に、すごい先生だったのですね」
右原さんがつぶやく。
私は、雑司刑事にたずねてみた。
「内側から鍵か掛かっていて、その鍵はコートかけのコートにあったって事実ですか」
「ええ、本当です。秘書のタカムラさんが迎えに来て呼びかけたのですが返事がなく、執事の岩手さんが外から開けるための鍵を取ってきて扉を開けました。そこで、議員が亡くなっていたのを発見したというわけです」
「コートかけというのは?」
「あそこのアレです」
刑事は、ベランダの窓際に立った、おそらくは鋳鉄製のコートかけを指さす。そこには、ウール地の重厚なコートがかかっていた。
「その胸ポケットに入っていました」
「鍵を見せて。私はここの鍵は見たことがないの」と宇宙ちゃん。
「今も元の場所にあります。取ってきましょう」
雑司刑事は、入り口付近に固まっている私たちのために鍵をもってきてくれた。これまた、小さな栓抜きのような重そうな鍵だった。おそらくは鍛造された品。トランプのクラブの形をした持ち手には、細かな透かし彫りが施されていて紫色の短い紐が結びつけられていた。
「この鍵は世界に一本だけだそうです。私も確認したのですが、刺木氏と執事が持っていた鍵の形はまったく違いました」
刑事さんは扉を半開きにして、内側と外側から閂の出し入れを実演してみせる。年代物の扉は、ちょうつがいがギシギシと音を立てている。
「執事の鍵では、開けることは出来ても閉めることはできません。回る方向が決まっているのです。そして、普段はダイヤル錠の金庫にしまってあるそうです。いわば、本当の緊急事態用ですな」
緊急事態用の鍵穴は、鍵穴飾り――エスカッションに隠されていた。閂はかなり長いようだ。
「昔の鍵だし、複製は、簡単そうね」と宇宙ちゃん。
「確かに、刺木氏の鍵を盗み出せば複製は可能だと思います。ただ、いつも身近に持っておられたとのことで盗み出すのは困難かと。……お嬢さんは、一度も見たことがないのですか」
「ええ。仕事を子供に邪魔されたくなかったのでしょう。今見た感じだと、図書室の鍵と似ています」
ということは、どちらも明治か大正頃の鍵ということか。
「とまあ、以上のことから、刺木氏は鍵をかけて書斎にこもり、遺書を書き上げて服毒自殺をなさったと判断しています」
「その遺書はどこにあるの?」と宇宙ちゃん。
「証拠物件として確保しています。遺産分割に関することが書かれているので、ご家族がそろってから読む方がいいと思いますよ」
宇宙ちゃんは、ちっ、と舌打ちをする。
殺人だと立証する、と息巻いていた割に、この状況では何も言えないのだった。
その時、メリーさんが静かに近くに来た。
「これが密室トリック!? ちゃんちゃらおかしいのです」
雑司警部の顔が歪む。
「扉の下はチェックした? バルコニーの扉の隙間は? これはごく古典的なトリックなのです」
腰に拳を当てている。
「古典的なトリック?」
「そう。針と糸とフォーク、なのです」




