京大生はおことわり(1)
京都広域大学の事務局は、わりと新しいオフィスビルの中にある。
月に一回くらいは顔を出す用事があるのだが、そこの廊下にある掲示板にはたまにアルバイトの募集が張り出されていたりする。
その日、私は今しも張り出されつつある求人に我が目を疑った。
「京大生不可。中学生女子の家庭教師(女子限定)」
これはかなりレアなケースだ。というか、異常事態だ。普通は、家庭教師というと京大生が第一希望なのだから。
「これは怪異の気配がしますね」
思わずメリーさんの口癖をつぶやいてしまった。
掲示板の前の事務員さんはそれを聞き逃さなかった。
「あなた、このアルバイトをしてみる気はない?」
張り紙を、ぐい、と突き出す。
「え、えっと」
「あなたにぴったりの仕事だと思うの」
にんまりする。
諸条件を見る。
家庭教師としては、標準的な報酬額だ。
場所は、下鴨。バスで行ける範囲で、そう遠くもない。
週二回、一回二時間。
「えっと、京大生不可、というのは?」
「そうなのよ。広域大生にぴったり。ほどほどの学力でほどほどのバイタリティーと強いメンタリティー。何より、オタクであること」
「は、はあ……」
「ね、行ってみてよ。二、三回行ってみて、無理だったらことわってくれたらいいんだから」
きけば、中二病まっさかりの引きこもり女子の家庭教師を募集しているのだとか。条件があまりに露骨な憲法十四条違反――社会的身分又は門地による差別――をしているため、ネットにはあげられなかったのだという。
「い、いいですよ。行ってみます」
「じゃ、あとは自分で電話してね」
事務員さんは私に張り紙を押しつけると、うきうきと自分の席へと戻っていったのだった。
面接の予定はすぐに決まった。おろしたての安いリクルートスーツを着て、バスに乗って現地に行く。
石垣と庭木に囲まれた古びた閑静な住宅街。その一角に「刺木」家はあった。現代アートの巨大な鉄の門扉が正面にある。見るからにお金持ちだ。
「イララギ…… って衆議院議員のイララギ氏?」
文部大臣や財務大臣も経験した政界のドンだ。ただ、地上げで財をなした、という悪い噂も流れている。まあ、政治家なんて完全な善人にはできない仕事なのだけどね。
通用門の横にカメラ付きインターフォンがあったので、ボタンを押す。
「家庭教師の面接に参りました。霧島彩月です」
「どうぞ、まっすぐにお進み下さい」
お手伝いさんだろうか。年配の女性の声だった。
あまり手入れされていない木立の間の道を、そのまま奥へと進む。
母屋の手前にあったのは、教会のような雰囲気のレンガ造りの建物。その前には掲示板が建っていて、「家庭教師面接会場」と書かれた画用紙が貼ってある。
その前には何人かの女子大生がすでにに来ていた。互いにキョロキョロと顔を見合わせる。知った顔はいない。
予告された時間を少しすぎた頃、建物の二階部分のバルコニーに、真っ黒なゴスロリを着た少女が姿を現した。
「はーっはっはっはっ、よく来たな愚民どもよ! 我に未知の知恵を与えようという傲慢な野望を抱いた者たち。だがしかし、その野望はすぐに打ち砕かれるぞ」
……え!? こんなアホな子って、本当にこの世に実在したの!?
面接をするのは驚くことに、このアニメから出てきたような引きこもりお嬢様ご本人なのだった。
メイドさんたちがスケッチブックとぶっといマーカーを皆に配った。
「さあ、愚民どもよ、我にその叡智のきらめきを見せるのだ。回答はそのスケッチブックに描いてかかげてみせるがよい。よいか、これは採用試験だということを忘れるでないぞ」
何とも偉そうなガキである。これで採用されても、満足に家庭教師ができるのだろうか。……不安しかない。
ゴスロリ少女は唐突に問題を告げた。
「第一問。我が好む花の名前を答えよ。ヒントは、今現在の貴様らの心境だ」
皆、適当な答えを書いている。「勿忘草」とか「あざみ」とか「その花の名前をまだ知らない」とか。
私はしばらく考えてから「櫻」と書いた。
お嬢様はまず、あざみに興味を持った。
「あざみ? その心は」
「あざみとは、『驚きあきれる、さげすむ、あなどる』という古語の『あざむ』から来ている花の名前です。それが私の心境です」
姫カットの、清楚系で切れ者っぽい感じの人だった。
「うむ。なかなか面白い答えだ。……そこの。サクラと書いたその心は?」
私は大きな声で答えた。
「二階の女が気にかかる!」
「おおっ、そう来たか。めずべしめずべし。よし、二人には花のワッペンを与えよう」
ちなみに、「二階の女が気にかかる」というのは、桜の旧漢字「櫻」を覚えるための語呂合わせだ。お婆ちゃんの知恵だ。
「では、第二問。黒ウサギと白ウサギが互いに相手を訴えました。嘘つきはどっち? 理由もつけるがよい」
これも簡単だ。
讒言という言葉がある。嘘をついて他人を陥れることだ。この「讒」の字は言偏に「クロヒ兔」と書く。私は「讒」の字を書いて横に黒ウサギの絵を描いた。
さっきのあざみの子と私だけがワッペンをもらった。
面接試験という名のクイズ大会の問題は、漢字クイズを皮切りに多岐にわたった。
「善悪二元論に基づく宗教思想といえば」
「グノーシス主義!」「ゾロアスター教!」
「ぐぬぬ。両方とも正解じゃ」
「『竹取物語』の元となった古典といえば」
「古事記!」「月上女経!」
「どちらも正解!」
「未解読の言語で書かれた中世ヨーロッパの文書と言えば」
「ヴォイニッチ手稿!」「レヒニッツコーデクス!」
「ぐぬぬ。ワッペンをあげよう」
「毒物同士で遅発作用が起きる組合せをあげよ」
「トリカブトとフグ!」「ストリキニーネとアルコール!」
「二人にワッペンを授けよう」
「一見すると矛盾した答えが正解になる数学の問題と言えば」
「モンティ・ホール問題!」「バートランドのパラドックス!」
「両者正解。……もうよかろう。そちらの二人を私の家庭教師として採用する」
お嬢様の宣告と共に、他の応募者はぞろぞろと帰っていくのだった。
「では、二人とも、中に入られよ」
メイドさんが建物の扉を開く。
そこは玄関になっていて、さらにもう一枚、扉があった。ステンドグラスがはめられていて、本当に教会のような感じだ。……もっとも、私が入ったことがあるのは大天使教の教会だけだが。
中扉を開くと、そこは図書館のような場所になっていた。鉄製の天井まである書架がずらりと並び、その中ほどに四畳半ほどの読書スペースがある。お菓子の箱が山盛りになっているところからすると、どうやら少女はこの空間を好きなように使っているようだ。見上げると読書スペースの上は吹き抜けになっていて、二階の回廊部分の外にも本棚が並んでいた。
「ようこそ、わが叡智の城へ。諸君の名は?」
「霧島彩月です」
「右原佳織よ」
右原さんは、なめられまいとあえてタメ語を使ったようだ。少女は眉をひそめた。
「この際はっきりと言っておこう。私はあなた方の雇い主だ。雇用しているのは、私の父でも母でもない。アルバイトを続けたければ、言葉遣いに気をつけるように」
「はい、気をつけます」
あざみの子は意外にも打たれ弱かった。この職を逃したくなかったのだろう。
「えっと、霧島さんは、京都広域大学……でOK?」
「はい。文学部二回生です」
「右原さんは…… どこだっけ」
「京都文化大学情報学部三回生。認知情報学専攻です」
「はぁ。そりゃまたなんとも難しそうな学科ね」
引きこもり中学生は、小バカにした表情をしている。
……出た! 京都人の皮肉だ! 最初に好きな花を「あざみ」と言われたことを根に持っているのかもしれない。
少女は、着席をすすめる。目の前のお菓子の山の間から顔をのぞきつつ。
「さて。私が教えてもらいたいのは、『因数分解』と『連立方程式』に関してだ。なんでこういうパズル的なものを覚えなくちゃいけないのか、てこと。あと、『四分位数』も謎だ。わずかなデータに適用することに何の意味があるのか。そしてデータ分布が均等であるという保証がされていないのに、この大雑把な考え方が何の役に立つのかっかということだ」
いきなり難問をつきつけられた。
「えっと、家庭教師の応募条件に『京大生不可』ってあったけど、こういうのって京大生の方が答えられるんじゃないのかな」と私。
右原さんもうなずく。
「そう思った時期もあった。けど、満足な回答が得られなかった。地に足がついていないっていうか、受験のテクニックとかばっかりで、世間に何の役に立つ、て展望がなくって、選考対象から外したの。OK?」
「私、『四分位数』についてなら答えられると思います」と右原さん。「世の中にはあまりにたくさんのデータがあって、えいやっ、で適当に予測をつけなくちゃいけない場合があると思うの。それの予行演習っていうか……」
今一自信がなさそうだ。なぜか私に視線を向ける。
「そうそう。人は一時に全てのことを正確に知れるわけじゃない。だけど、現実には時間とか色んな制約のせいで、えいやっ、が必要な時もある。その概念になれるための訓練じゃないかな」
少女はしばらく考えてから結論を出した。
「……公民の選挙についての回答が出たかもしれない。何で人は掲示板の写真と名前と政党だけで投票してしまうのか。えいやっ、で答えをだしていたんだ!」
少女は、にっこりと笑った。そしてようやく自らの名を名乗った。
「私は刺木ミソラ。宇宙と書いてミソラ。ファが抜けて残念なミソラ」
「それだと、ドとレとシの立場がない!」
初めて笑い声が広がったのだった。




