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憂鬱な水曜日(5・終)

 メリーさんは、とうとつに話題を変えた。

「ところで、犬彦先生はメイタツ出版とかかわりはありますか」

「あ、ああ。あそこの雑誌に毎月寄稿している。最近読んだ本の感想とか、軽いエッセーの類だよ」

 多分、本屋さんで無料配布しているアレだ。

「そこの編集者で、川端礼子という方はご存知ですか」

 メモ帳に字を書いて見せる。形はちゃんとしているが書き順がムチャクチャなのはご愛敬だ。

「えっと、君の知り合い?」

 いぶかしげな犬彦氏。

「いえ。実は三〇二号室に届いていた葉書に、川端さんからの挨拶状があったのです。メイタツ出版を今月で退職するのだそうです」

「はあ。そりゃまた奇遇だな。誤配かな?」

 要領を得ない、という顔つきだ。

「三〇二号室の入居者の名前はわかりますか」

「いや、全然」

「あたしが見た葉書では、宛名は中村君代となっていました。この名前に心当たりは?」

「さあ。全然知らない名前だね。名前から受ける印象だと高齢者っぽいが。というか、三〇二号室の人はもうとっくに亡くなっている」

 本当に、何の心当たりもなさそうだった。

「ここからは、あくまで推測の話になります。その中村君代さんは、生前、あなたのことを知っていたのではありませんか」

「はあ……」

「犬彦先生は、雑誌の対談で何度も顔を出しています。君代さんが特定するのはたやすいのです。一方、犬彦先生は、君代さんと会っても同業者だとはわからない。そこで、何らかのトラブルがきっかけとなり嫌がらせが始まったのではないでしょうか。そして、自動化されたいやがらせは、死後もずっと続いている」

「……そうだな。出版社に問い合わせてみよう」

 犬彦氏は、スマホをいじりはじめた。


 返信はすぐにきた。

「あちゃー。中村君代、ペンネームは幸殿(こうどの)アリス。ラノベ作家だ」

「え? ラノベ!?」

 お婆ちゃんが書くラノベ――ちょっと内容が想像出来ないんですけど。

「『ディオゲネスクラブの殺人』でデビューしたんだが、昔、その書評を書いたんだよ」と犬彦氏。

 メリーさんが目を輝かせる。

「ディオゲネスクラブというと、シャーロック・ホームズの兄のマイクロフト・ホームズが作った変人クラブなのですー」

「そうそう。内気な人や人間嫌いの男たちのためのクラブなんだ。が、そこがすっかり和気藹々の社交クラブとして描かれていた。そこのおしゃべりメイドが活躍するというひどい設定でね。まあ、ホームズ兄弟がドラキュラ伯爵や狼男と戦おうとそんなことはどうでもいい。でも、さすがに根本的な設定をぶち壊したらダメだろう。許しがたい冒涜じゃないか」

「うんうん。わかります」とメリーさん。

「というわけで、酷評した。原作へのリスペクトがない、トリックがぱくりだ、アリバイが設立しない、動機が意味不明、てね」

「めっちゃ嫌ってるじゃないですか」と私。

「で、さっきのメールで分かったんだが、幸殿アリスは度紋(どもん)ナヲの別名だった」

「ええーっ!?」

 驚いたのは私一人だった。メリーさんとケイメイちゃんはポカンとしている。

「度紋ナヲだよ。一世を風靡したハードボイルド作家の度紋ナヲ。『殺戮舞踏』とか『さらば愛しき天使』とか…… まさか女の人が作者だったなんて!」

「『さらば愛しき天使』の映画はよかったのー」

 ようやく理解者が現れた。

「血と暴力とエログロのハードボイルド小説が受けなくなって、ペンネームを変えて再起をはかったらしい。それに僕みたいな若手が喧嘩を売ったんだから、そりゃ恨まれるよなあ」

 頭を抱える犬彦氏である。

「でも、どうして水曜日の午前中だったんでしょう」とケイメイちゃん。

「あー、そのエッセーを書いた頃は、火曜日の夜はいつも飲み会に行ってたんだ。タクシーで帰ってくることも何回かあった。そこで嫌がらせをするのなら水曜日の午前中だと思ったんだろうな。けど、さすがは作家だ。いやがらせをカモフラージュするために、ずっと水曜日の午前中にこだわり続けた」

「あるいは、水曜日の午前中に外出するように仕向けたのかもー」とメリーさん。「定期的に外出させると、その間は安心して部屋に忍び込めるのですぅ」

「うちも鍵はディンプルキーだし、侵入は不可能だよ」

「ベランダの避難ハッチを使ったのです!」

「仮説としては面白い。だが、実際にできるかどうかは別だ。消防車も帰っていったようだし、そろそろマンションに戻るか」

 犬彦氏が、プラカップに残った最後のバナナジュースをぐいと飲み干すと立ち上がった。


 野次馬は消え、警察官と消防士はいなくなっていた。どうやらペコがもたらした火災は部屋の中で鎮火したようだ。

 が、玄関ロビーの奥には警察官が待ち構えていた。

「事件の捜査中なんです。失礼ですが、ここの住民の方ですか」

「ええ。二〇二号室の住人です」

 犬彦氏は、マイナカードを示す。警官は、その住所をしっかりと確認する。

「どうぞ」

 私たちは、ぞろぞろと階段を登る。

「三階を見に行こうか」と犬彦氏。

「やめておいた方がいいと思うの。まだ現場検証は済んでいないだろうし、またあとでいいと思うのー」

 私も同意する。「犯人は犯行現場に戻りたがる」――定石中の定石なのだ。

 犬彦氏の部屋に入る。

 メリーさんは、さっそくベランダに出た。

「ここです」

 床にあるステンレス製の正方形の蓋を軽く持ち上げる。

「ロックをはずして全開にするのです」

 そして、中にあるバーを踏む。

 折りたたみ式の避難梯子(ひなんばしご)がするすると降りていった。 

「こうやって下の階のベランダに出られるのです」

 ちょっとのぞいてから梯子(はしご)を降りはじめるメリーさん。

「ちょ、スカートの中が丸見えだよ!」

「だいじょーぶ、ドロワーズを履いているのです-」

 そこに見えない場所から声がかかった。

「ちょっと、何やってるんですか」

 自治会長の能勢さんだ。

「避難訓練なのでーす!」

 強気なメリーさん。

「そ、それは…… ご苦労様です」

「はいなー。そして戻る時は……」

 メリーさんが登ってくる。

「こうやって登り、ハンドルを回すと折りたたみ梯子が引き上げられるのです!」

 キリッ。

「でも、水曜日の午前中に避難梯子を降ろしていたら、道行く人に怪しまれないだろうか」と犬彦氏。

「それを言われると弱いのです」

「さらに言うと、ガラス戸には半月錠がかかっている。僕はかけ忘れたことはない」

「先が曲がった道具を使えば、上の隅にある換気口を使って開くことは可能なのです」

 確かに、ベランダのガラス戸には換気口がついている。吸盤などで外からでも開けられそうだ。ただ、それを実行するにはとんでもない集中力がいりそうだった。

「あのー、私思ったんですけど……」

 おずおずと切り出すケイメイちゃん。

「言ってみて」

「三〇二号室の人は中には入ってないんじゃないでしょうか。避難口からデスクの位置を確認して、その真上にスピーカーを設置したのだと思います」

「かもしれません。……いえ、たぶんそうだと思います。あたしの勇み足でした」

 面目なさそうなメリーさんだった。


 マンションの前に何台もの警察車輌が並び、にわかに騒がしくなった。

「どうやら死体が見つかったようね」

 興奮するメリーさん。

「あたしの推理が正しければ、四〇一号室の失踪した一家が被害者なのです」

「えっ!? そんな!」

「サツキが祓ってくれたふらり火が、ちょうど中学一年生くらいの女の子、あとの二匹が三〇代なかばくらいの感じだった。死体がみつかったことで彼らの供養もできます。これで三階のふらり火も現れなくなるのです-」

 まあ、それはそれでいいことではあるのだけど、肝心の犬彦先生を悩ましている問題は解決していない。

 と思ったら、メリーさんがその疑問にも答えてくれた。

「で。無人の部屋で火災が起きるとしたらその原因は? 普通は漏電だと考えるのです。三〇二号室は遺産相続でもめているとのことです。おそらくそれは、評価が難しい著作権がらみだと思うのです。今はわずかな印税しか入って来なくても、未発表作品が出版されれば大化けする可能性がある――それを漏電の危機から守るには?」

「電気の契約を切る!」

「ザッツ・ライト!」

「つまり、心配しなくてもほどなく三階からの音は聞こえなくなる、と言うのだね」と犬彦氏。

「さすが、先生は凄いのです。そこまで見越してペコちゃんを投入したのですね!」

 ケイメイちゃんは尊敬のまなざしだ。

「えっへん」

 鼻高々のメリーさんなのだった。


参考文献『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』角川ソフィア文庫

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