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憂鬱な水曜日(4)

 翌週もまた、犬彦氏の家にお邪魔した。

 今回は、コ・ケイメイちゃんが一緒だった。京都文化大学の院生で、とっても可愛い怪異だ。

 京都河原町駅で落ち合う。

 今日はアルミニウム製のカート型ペットケージを引いている。中にいるのは、油をひいたように毛がツヤツヤで真っ黒なムク犬だ。目をまん丸に見開いて舌を出し、興味深そうにあたりを見ている。

カト(・・)を飼っている、て聞いたから、連れてきてもらったの」

 カトというのは犬の品種らしい。確かに、見たことがないタイプだ。これで犬彦氏のご機嫌をとるつもりだろうか。確かに、姓からすると犬好きそうだが。

「でも、この子、めっちゃアホですよ。火を見たら見境なしにとびつくし、命令はきかないし、そこら中に(うんこ)はするし……」

「命令はきかない!?」

 ちょっと気色ばむメリーさんである。

「今出来るのは、ハウス、と待て、くらいなんですよ。煙とか見たら興奮してワンワン吠えまくりますし、なんならタバコを吸う人がいたらケージを飛び出して襲いかかったりします」

 過激な反喫煙派ワンコだ。

「ハウスは、できるんだよね」

「はい。こればかりは子犬の頃からしっかりしつけていますから、何があっても戻って来ます。戻ってこなければ、水をぶっかけます」

 ペットボトルの水を手にしてみせると、ワンコはキューンと情なさそうに鳴いている。

「ならだいじょーぶ。さあ、行きますか」

 女性専用車両に乗り込む。

 前回と同じルートで、日本橋駅駅から地上に出て犬彦氏のマンションにつく。

「やあ、待っていたよ。その子が秘密兵器? 名前は何て言うの?」

 犬彦氏はワンコと遊びたそうだった。

……よかった。犬彦先生は、やはり犬好きだ!

「ペコと言います。部屋に出すと、本当に迷惑をかけてしまうので、それはちょっと」とケイメイちゃん。

 やがて九時になり、憂鬱な演歌が鳴り始めたのだった。

「行っくよ-」

「はいっ!」

 メリーさんが、出撃を宣言して立ち上がり、ケイメイちゃんが後に続く。

 犬彦氏は私にこっそりたずねた。

「彼女は一体、何をする気なんだね」

「えっと、説明は難しいのですが、陰魔羅鬼(オンモラキ)を狩るみたいです」

「はあ? あんな小さな犬で?」

 あきれている。

 私と犬彦氏は、メリーさんたちにおくれて階段をのぼる。

 三階の廊下には、すでに真っ黒な鶴が舞い降りていた。というか、二羽が翼を広げて求愛のダンスを踊っている。

 階段の中ほどでは、ケイメイちゃんがペットケースの扉をいつ開こうかと待機中だ。

 スマホで動画を撮る犬彦氏。

……平和だった。

 ただダンスをするだけのつがいの真っ黒な鶴。

 ケージの中で吠えることのないペコ。

 メリーさんがふところからおもむろに短冊を取り出すと読み上げた。

「こほん。きみの名はー、オンモラキとぞ言うなれどー、わが朝にてはふらり()とこそ言えー」

 なんか、歌会始のようだ。犬彦先生もこれにはぽかんとしている。

 三遍繰り返す。

「コカー」「ケッ」

 陰魔羅鬼が、不審そうに鳴いた。

「お前たちは今から『ふらり火』なのです! 異論は認めません!」

 メリーさんが、びしりと指さした。

「ココカー!」「ケッケッ」

 二匹はその宣言に敵意を読み取ったようだ。口から火を吹いた。というか、垂らした。融けたアスファルトが燃えているような臭いがする。

「ガルルルル……」

 わんこがうなった。

「さあ、放って!」

「はいっ!」

 バン!

 ケースからワンコが飛び出した。ペコの全身からも黄色い炎が上がっていた。

『ふらり火』に飛びかかる。

 ガブリ、と黒い鶴に噛みつく。丁度、首の半ばあたりだ。

「さあ、その実力を見せるのです!」とメリーさん。

 全身から炎を放ったふらり火が宙に跳び上がった。食らいついているペコをもう一匹がくちばしでつつく。

 けど、ペコの俊敏な動きには勝てなかった。向きを変えるとつついてきた方の首にも牙を突き立てる。

 犬と鶴の三匹が絡み合う。

 その光景は、炎と煙がもつれあっているよう。もはや怪異同士の戦いだ。

 形勢不利と見たのか、一匹のふらり火が三〇一号室のドアポストへと飛び込んだ。もう一匹も炎と黒煙と化してペコから逃げようとする。ペコもまた、燃える煙の塊と化した。二匹はもつれあうと、三〇一号室のドアポストへと飛び込んで行った。

「呼び戻しますか?」

 泣きそうな顔のケイメイちゃん。

「だいじょーぶ。狙い通りなのです。さあ、私たちは二階に戻りますよ」

 メリーさんは、狐狸精である教え子の背中を押すと、階段を下ったのだった。


 しばらくすると火災報知器が鳴った。

「君たちは一体、何をしたのだね」

 犬彦氏が声をふるわせた。

「三〇一号室で火事を起こしたのです」とメリーさん。

「なぜ、そんなことを」

「どうしても三〇一号室に入らなくてはならなかったのです。けど、ピッキングでは鍵は開かない。なら、消防に鍵を壊してもらうしかないのです」

「でも、それならわざわざペコを使わなくても手はあるのでは」とケイメイちゃん。

「それは、中で暴れてもらうためなのです。火を吹くオンモラキ――もとい、ふらり火と戦えば、火は部屋中に広がる。そうすれば、消防も警察も、部屋の中をくまなく調べるはずなのです。それが狙い」

「でも、心配です」

「安心して。カトがふらり火ごときに負けることはないから。本来は獰猛な種族なんだから」

 ウー、カンカンカンカン……

 演歌をかき消すように消防車の音がした。それも何台も、だ。

「そろそろ頃合いなのです。呼び戻して!」

「はい!」

 ケイメイちゃんは玄関部に来るとケージの扉を開いた。

「ハウス!」

 かたん、とドアポストの動く音がした。

 煙と火の塊がケージの中に飛び込んだ。


 ガンガンガンガン

「誰かいませんか」

 消防士が三〇一号室の扉を叩いた。

 反応がないので、隣りに移ったようだ。

 ガンガンガンガン

「誰かいませんか」

 三〇二号室。相続関係のゴタゴタで、所有権が宙に浮いた部屋だ。

「誰かいませんか」

 ガンガンガンガン

 三〇三号室。ここは違法民泊で、宿泊客がいなければ空き室のはず。

 おそらくは、ベランダ側からの突入を考えたのだろう。その方が被害は少なくてすむ。

「エンジンカッター、持って来い!」

 叫び声が聞こえた。

 やがて、チュイーンという扉を切る音が聞こえる。

「大ごとになったなあ。うちのマンション、扉が鋼板入りなんだよ」と犬彦氏。

「今すぐ外に避難して下さい!」

 廊下をのぞいていた犬彦氏に、消防士さんが声をかけた。

 私たちは、ホースが蛇のようにのたうつ階段を一階へと向かう。もちろん、ケンメイちゃんは大切なペットの入ったケージを抱えて。

 マンションの前では住民と近所の人が遠巻きにして上を見上げていた。

 警官の誘導で少し離れた場所までしりぞく。マンションの前には何台もの消防車輌と、念のためだろう救急車も止まっている。

「これからが大変なことになるのです。おそらく死体がごろごろ出るのです」

「えっ!?」と私とケイメイちゃん。

「どこか静かな場所で説明してもらえないだろうか」

 犬彦氏がもっともな提案をした。


 私たちは、近くのホテルの一階にある喫茶スペースに入った。フードコートになった広い場所だ。開店直後の今の時間帯は、見るからに暇そうだ。

 私たちは、犬彦氏イチオシのバナナスムージーを買うと、一番奥のスペースに移動した。

「きっかけはオンモラキ――ふらり火だったの。あたしは確信した。三階に葬られていない死体があると。で、各部屋の電力消費量を調べてみたら三〇一号が異常に多かったの。そこで、数台の冷凍庫が稼働していると睨んだのです」

「ふむふむ」

「仮想通貨マイニングの可能性は?」と私。

「それだと、冷凍庫の数十から数百杯の電力消費量になるの」

……おそろしい。そんなことが起きるのか!

「そこで、鍵を開けて入ってみようとしたけど無理だった」

……やっぱりやってみたんだ!

「というわけでペコちゃんの投入を考えついたという次第です」

 ケージの中のワンコは、自分の名前が呼ばれと気づいて嬉しそうに尻尾を振っている。

「この子はみごとに役割を果たしてくれました。密室での原因不明の発火――となると、警察が動きます。そこで、冷凍された死体がみつかるというわけです。おそらくは」

 言葉の最後が弱い。

「先生、質問があるのですが」とケイメイちゃん。

「はい、どうぞ」

「あの和歌は何なのですか」

「あれはオンモラキをふらり火に変える呪術です。古来、日本では和歌に呪力が宿ると考えられてきました。えっと、実例を挙げると……」

 そこでフリーズする。

 犬彦氏が助け船を出した。

「猫を呼び戻す呪法の歌が有名だ。『立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む』在原業平。その他にも、雨乞い、蛇よけ、腹痛をおさめる和歌なんてのもある」

「そ、そうなのです。それを応用して、つよつよなオンモラキをよわよわな怪異に変えたのです」

 私もたずねてみた。

「カト、って何? 元々獰猛な怪異だって言ってたけど」

「それは、コさんから説明して」と生徒に振る。

「はい。中国南方の少数民族の怪異で、火災をもたらすとされているんです。実際、火を与えていれば、それだけで生きています。まあ、日本では石炭が手に入りにくいので、ガスコンロの火を与えているんですけどね」

 今風の怪異だ。

「で。謎の演歌との関係は何だったのかな?」と犬彦先生。

「それはまだわからないのですー」

 シュンとなるメリーさんだった。

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