憂鬱な水曜日(3)
「ところで、この後どうします?」
犬彦氏がたずねた。
「まだ謎は解けていないのー。あたしとしては、もう一度調査したいのだけど……」
私の方を見るメリーさん。
「今日は一日、オフにしたから大丈夫だよ」
「よっしゃ!」
メリーさんの目に堅い決意がやどる。探偵魂が燃えていた!
メイド喫茶から歩いてほんのわずかの距離。犬彦氏のマンションに戻る。
郵便配達の人が一生懸命、郵便物を押し込んでいた。
「ご苦労様です」
犬彦氏が声をかける。
「二〇二号室宛に何か届いてましたか」
「いえ、今日は特には」
見ると、二〇一、三〇一、四〇一宛の郵便物があふれている。
「えっと、二〇一と三〇一は空き家なんですけどね」
「そうですよね。でも、私どもは配達するのが仕事ですから……」
中年の配達員さんは苦笑している。
「四〇一も空き家なの?」とメリーさん。
「ええ。五月の連休頃から空き家みたいですよ。でも、転居届が出ていないと、配達せざるを得ないんですよ」
私は疑問を口にした。
「ドアポストには入れないんですか?」
「基本的には。ただ、重要そうな手紙で、配達のついでがある時にはこっそり持って行ったりもしています」
「いつもありがとうございます」と犬彦氏。
仕事を終えた配達員さんは、次の配達先に向かった。
ロビーに入る。
「郵便箱の中身を持って行ってドアポストに入れてあげることできないかな」とメリーさん。
「ダメだよ、そんなことしちゃ」
郵便物から何らかの情報を引き出すつもりなのだろう。
「中身がぱんぱんじゃない。たまに鍵がこわれて開いたりするかもー」
「あー、聞こえない-」
「僕も何も訊いていませんからね」
阿吽の呼吸で私と犬彦氏は二階へと行く。
そして、十数分後。
メリーさんが部屋に戻ってきた。
「何かみつかった?」
「何もなかったのー。ダイレクトメールとチラシばかり。四〇一号室の手越さんにはたくさんの督促状が来ていたので、全部ドアポストに入れておいてあげたのー。三〇一と二〇一には何もなし。三〇二には少しだけお葉書が届いていました。これは放置。他人に見られたと思ったら不快でしょうから。二〇三号室の浜田さんには音楽事務所からの分厚い封筒が来ていたので、ドアポストに入れておきましたー」
有能なおせっかいやきである。
「でも、不思議なのです。どこのポストにも、公共料金の明細票が入っていなかったのー」
「えっ!?」
そういえば、昔はよく見た「今月の使用量」という紙ペラを最近は見ない。お婆ちゃんは逐一ノートに貼っていたのだが。
犬彦氏が謎を解いてくれた。
「それはスマートメーターになったからだよ。ペーパーレス化が進んで、今ではネットで見ないと使用量がわからなくなった」
「「えー!」」
私とメリーさんがハモった。
「ということは、現在の使用量もわからないんですか」と私。
「いや、それはわかる、はずだ。管理人室の裏手に電気メーターが並んでいる。ガスメーターは各戸の外の箱の中にある」
「そういえば、ガスメーターは給湯器の下についてますよね」
「そうなのー。オール電化でも残っているのー」
「ああ。掃除用具入れや空き瓶入れになっているPS、つまりパイプスペースだ」
「パイプスペース!?」
「怪人が這い回るクロウスペイスのこと?」
何故かがっかりしている犬彦氏である。
「そうか、やっぱり一般の人にはピンとこないか。……実は昔、小説で死体の隠し場所を『パイプスペース』って書いたら編集さんに『一般の人にはわかりません!』って指摘されてね。何行か書き加えるはめになったんだ」
……作家さんも大変だぁ!
「そういえば、配達中に陰魔羅鬼は出ました?」と犬彦氏。
「それがさっぱり出なかったのですぅ。どうやら、あの演歌が流れている時だけに現れるみたい」
「そうだろうと思った。僕も、この建物に妖怪が出るという噂はきいたことがないんだ」
「ところで」とメリーさんが話題を変えた。
「トリヤマ・セキエンの妖怪画集って持ってます?」
「あ、ああ。文庫本ならあったと思う」
犬彦氏は、廊下の先にある部屋へと移動した。
私たちも釣られてついてい。
「ここが書庫になっているんだ。ちょっと待っていてくれ」
扉の向こうにちらりと見えたのは、まるでマンションの団地のようにスチールラックで一杯の部屋だった。電灯をつけても昼なお暗い書庫スペースだ。
私にはメリーさんの部屋でおなじみの風景だったけど、やはり作家とは凄い蔵書家でもあるんだなあ、と感心したのだった。
あまたある本の中から目的の本を探し出すのには時間がかかるということなので、私とメリーさんは一階の電気メーターを見に行くことにした。丁度、書庫の下のあたりだ。私の記憶にある電気メーターは、歯車がゆっくりと回っているイメージだったのだけど、今はもうデジタル表示になっていた。
「ネットの情報だと、三十分に一回、更新されるみたい」
「写真をとって、三十分後に比較するのです-」
「なるほど。それで人が暮しているかどうかがわかるのね」
「最近は、仮想通貨マイニングのサーバー室とかもあるので、一概にそうとも言えないのー」
……その発想はなかった!
そして、犬彦氏の部屋に戻って来た私たちは、さらなる難関に阻まれた。
「オートロックなのですー!」
チャイムを鳴らして中から開けてもらう。
「やあ、お帰り。オートロックのことをすっかり忘れていたよ。このマンションはセキュリティーが売り物なんだ。鍵も全戸ディンプルキーだったりする」
「そうだったのー」
残念そうなメリーさんである。
「ちょうど本が見つかったところだよ」と犬彦氏。
居間のテーブルには鳥山石燕の本が置かれていた。
ソファーにすわったメリーさんは、陰魔羅鬼に関する記述を読み始めた。
「絵が変テコなの-」
確かに。
竜のような顔をした怪鳥が、お寺サイズの鏧のふちに乗っている。サイズは犬くらいか。本文には「そのかたち鶴のごとくして……」などと書いてあるが、絵はどう見てもヒヨドリかムクドリだ。手前には笠かシンバルみたいなのが描いてあったりする。
「あたしが見たのは、本当に真っ黒な鶴みたいなヤツだったのー。眼が真っ赤に光っていて、一目で『ヤバっ』て思った」
「退治、しなかったの?」
「何も悪さをしてこなかったら、手は出さないよー。ひょっとしたら誰かが飼っている怪異かもしれないし」
ごもっとも。
てか、飼われている怪異もいるんだ……
石燕の画集に話を戻す。
「この手前に描いてあるのは何でしょう」
犬彦氏にたずねる。
「妙鉢だな。禅宗や密教系のお寺で使う楽器。……ということは、実は音楽がらみの妖怪なのかもしれないね」
鋭い推理だ。
「ここって荒れ寺でしょうか」
「そうだろうな。元々はお寺で出た妖怪らしいから」
「口から火を垂らしているのですー」とメリーさん。
「そうだね。隣りがのページが輪入道で……」
前後のページをぱらぱらとめくる犬彦氏。
「その前が火に関係する妖怪ばかりだから、オンモラキも火を吹いていると見て間違いないだろう」
「よく火事にならなかったのー」
妙なところにリアリティーを求めるメリーさんである。
私も本を手に取ってぱらぱらとめくる。
「この狸、猫じゃん」「この五徳猫、怖すぎでしょ」「長冠ってムーミンだよね」「これ、絶対乳鉢じゃない、さっきのシンバルなのー」「たぶん鐃鈸のことだな。昔はけっこう適当に漢字を当てていたんだよ」「鶴亀の燭台の鶴――これだよ、私が見たのは」などとわちゃわちゃしていると……
あるページに目がとまった。
「ふらり火、ってオンモラキに似てるよね」
「火の鳥なのです-」
「実は同じ妖怪だったりして」
ははは、と笑いあう。
「これでいい事を思いついたのです!」
メリーさんの目がキランと輝いたのだった。




