憂鬱な水曜日(2)
ノイローゼになるー、と騒ぐメリーさんにも、気分転換を兼ねてマンションを一回りしてもらった。
帰ってきたメリーさんは、生まれかわったように生き生きとしていた。
私は犬彦氏にたずねた。
「音楽の特定はできていないんですか」
「色んなソフトで試してみたのだけど、特定は出来ていない」
「というと、インディーズレーベルの曲なのかもー」とメリーさん。
「マンションの管理人にはこの音は聞いてもらったのですか」と私。
「ああ。でも、あの人は管理会社の雇われ管理人だから。……自治会長さんには話したんだけどね。実際の音は聴いてもらっていない」
「自治会長、というと?」
「マンションの管理組合の会長のことだよ。元々、このマンションの部屋を最初に買った一人で、六〇三号にお住まいだ。年金生活者なので、たぶん話はきけますよ」
「じゃあ、ここに呼んでこの状況を聴いてもらうのですー」
ごもっとも。
というわけで、六〇三号の能勢氏を呼び出してもらった。
「わざわざ申し訳ありません」
恐縮する犬彦氏である。
「いえいえ。……まだ解決していなかったんですね。警告の文書は全戸配布したのですが」と自治会長。
「それはいつのこと?」とメリーさん。
「今年の一月です」
「うひゃー」
問題の根の深さが思いやられる。
「その後、犬彦さんが何も言ってこられないので問題は解決した思っていたのです。ずっと我慢なさっていたのですね」
能勢氏は同情的かつ低姿勢だ。管理組合の仕事に熱心に取り組んでいるらしい。
「いえ、水曜日の午前中は図書館で過ごすことにしたんです。今日はたまたま、家にいる用事があったもので……」
私たちを手で示す。
「出版社の方?」
「みたいなものです」と私。いらないことは言わないのが生きる鉄則。
「作家にとって静かな環境は大切なのー。なんとしても犯人を見つけて、いやがらせをやめてもらいたいのです!」
拳を握りしめるメリーさんである。
犬彦氏がたずねた。
「能勢さん、本当に犯人の心当たりはありませんか。容疑者像は、公設市場関係の高齢者だと思うのですが」
「うーん、本当は住人関係のプライバシーに関しては明かせないのですが、誰もいないということは言っても問題ないでしょう。管理組合に届けられた住人名簿には、 公設市場関係にお勤めの方はいないです。過去の住人にもそういう人はいなかったですねえ。……確か二年前くらいからでしたっけ。その頃に市場に転職したという方もいないです」
「午前三時とか四時に出勤する方はいないですか」と私。
「いないですね。実は四月に自転車置き場で痴漢騒ぎがありまして、その時に警察官と一緒に防犯カメラの映像を確認したんです。午前様で帰ってくる人はいましたが、出勤する人は一人もいなかったです」
「全ての曜日で?」とメリーさん。
「ええ。全ての曜日をチェックしました」
うなずく能勢氏である。
「演歌を流し続けている人ですが、三〇二号室の人という可能性はないですか」
「それはないと思います。去年、亡くなられましたから。今は相続関係のゴタゴタで、宙に浮いた感じです」
一番の容疑者が消えた。
「お隣りの、二〇一号室は……」
「たまに帰って来られているみたいですね。今はフィリピンかインドネシアかに住んでいて、連絡先は大阪市内の会社になっています」
「三〇一号室は……」
「ここもほぼ空き家ですね。姫路か徳島の方だったかな。資産目的の保有でしょう」
方向としてはここが一番あり得るのだが、予測がはずれた。
「三〇三号室は?」
「ここはちょっと問題がありましてね。違法民泊が入り込んでいるんですよ。廊下にゴミを放置したり、あまり態度がよくないんですよね。四〇三もそんな感じです」
「四〇一号は?」
「ここは家族連れです。身元もしっかりして、いい方たちです。ほら、みっちゃんのお家ですよ」
ひとしきり地元の話題が続く。
「四〇二号は元の地主の一人で、『こんな縁起の悪い数字の部屋には入居者も入らないだろうから』って、率先して入られました。今は入院中です」
「ああ、佐野さんですね。最近お見かけしないなとは思っていたのですが」
……といった感じで、ほぼ全戸の情報が手に入った。
そのあとしばらく雑談が続いた。近隣の駐車場にまたしてもホテルが建つといった話。近所の古い喫茶店がエンタメカフェに変ってしまった話。近くにあった謎の政治団体が退去した話。などなど。
能勢さんが帰る頃には、謎の演歌は消えていた。
私は犬彦先生にたずねた。
「メモをとらなかったけど、大丈夫ですか」
「ICレコーダーにとってあるから。でも、大体のことは頭に入っているよ。清書するのでちょっと待っていて下さい」
犬彦氏は、コピー用紙に住民の情報を書き起こしていく。まるで人間レコーダーだ。
「すごい! 人間業じゃないのー」とメリーさん。
……いや、あんたもしっかり覚えているでしょうが。
人形の怪異の記憶力、おそるべし、なのだ。
住人のリストの最後に一〇一号室の真田、一〇三号室の遊佐、を書き込むと、表は完成した。この二人も地主で、真田さんは花屋、遊佐さんは輸入食品店をしている。どちらも管理組合の役員で、大音量の演歌を流していたら犬彦氏にはバレバレだろう。
「そろそろお昼の時間ですね。近くのメイド喫茶でも行きますか。もちろん、おごりますよ」
犬彦氏が提案した。
そう。大阪の日本橋といえばメイド喫茶の集うオタクの聖地。『名探偵アキバちゃん』の舞台が東京のアキハバラなのに妙に日本橋の香りがするという世間の評価も納得が行くというものだ。
「平日の水曜日の昼間にあいているんですか!?」
「ええ。いくつかありますよ。メシのうまいところが」
「そうなのー!?」
さすがにオタク文化の専門家でも地元の人の情報収集力には勝てない。
「日替わりが安くてうまいところ、定番のお絵かきオムライスとかのエンターテインメント系のところ、キワモノ系のところ、本格シェフがいるところ、どこがいいです?」
「たぶんそんなに選択肢はないのー」とメリーさん。
「えっ、あっ、そうか今日は水曜日だった。ごめんごめん、おじさん勘違いしちゃったよー」
ようやく笑いが広がったのだった。
というわけで、今回は本格シェフがいるところを選んだ。というか、他の店は定休日だったのだ。
デミグラスソースを使った煮込みハンバーグ定食。ここのメイドさんは、一切無駄口をきかない接客がウリだ。奥にはワインセラーもあって、まさに本格メイド喫茶という印象だ。
「こういうお屋敷カフェっていいよねー。落ち着いてすごせるし」と私。
「そうなのー。歌って踊るメイド喫茶は、解釈違いもはなはだしいのー」
などと通ぶった会話をしつつ、食後の紅茶を楽しむ。それをにこやかに見守る犬彦氏。
ここで推理の続きが始まった。
「メリーさんは、怪異とかは感じなかった?」
「う、うん。三階の廊下で真っ黒な鶴を見たのだけど…… あれは多分、オンモラキね」
「オンモラキ?」
メリーさんはナプキンに「陰魔羅鬼」という文字を書く。
「この文字配列ってヤバいよね」
三人の口から「げへへ」と下卑た笑いが出る。
「きちんと葬られていない死体から立ちのぼるケガレた気が妖怪になったもので、死霊の一種なのー。誰かにお祓いしてもらった方がいいかもー」
いつになく弱気なメリーさん。気のせいか、何かにとりつかれているようにも思える。
「シカバネの気、かあ。……ちょっとお祓いしよっか」
私は手で五芒星形の印を結ぶと目の前にかかげて呪文を唱えた。
「センチリ・モンジャ・シャリナラケン!」
「せんちりモンジャ、舎利奈良県!? その印は?」と犬彦氏。
「うちのお婆ちゃんが教えてくれたんです。簡単ですよ」
まず親指を交差させる。
人差し指の先を合わせて、折った中指の先を合わせる。
薬指と小指は中指の向こう側に隠す。
これで五芒星形印の完成だ。
「で、呪文がセンチリ・モンジャ・シャリナラケン、か。これはどこかで使わせてもらいたいなあ」
「いいですよ。特に秘法というわけでもないですし」
ふとメリーさんを見ると涙目でガクガクと震えている。
「あたしを、祓ったの-」
「いや、お友達は祓わないから。悪霊を祓っただけだから」
メリーさんの機嫌が直るのには、ケーキとパフェの追加が必要なのだった。




