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憂鬱な水曜日(1)

 ミステリー研に顔を出すと、珍しくメリーさんが先に来ていた。会長の前に、澪さんと背中をならべてすわっている。ちなみに今日は和ロリだ。

 ドアの音で三人が私に視線を向けた。

「こんにちはー」

 私は、雨でぐしょぐしょになった傘を傘立てに入れると、折りたたみ椅子を一つ引き出して少し離れた位置にすわった。

 話にもどる三人。

 耳をそばだてる。

 主に話しているのは会長で、澪さんは逐一メモをとっている。

「ブルートゥースが搭載されていない昭和のステレオでも、AUX入力やRCA端子を使えばスマートスピーカーから音楽を流すことは可能なんだ。『AUX ブルートゥースレシーバー』を使ってペアリングで音楽を飛ばす。音楽再生をルーチンとして設定すれば可能だと思う」

「そんな手があるのですね!」

「でも、廊下側で聴こえないのが謎なのー」

「スピーカーがある部屋に吸音シートが張り巡らしてあるか、音源が別の階にあるか、だな。マンションの場合、コンクリートの振動で斜め上の部屋やさらに上の部屋の音が真上のように聞こえる場合があるんだ。だから、上の部屋に怒鳴り込むのは時期尚早だ」

「なるほど! そう伝えておきます」

 澪さんがうなずいた。

「ご近所トラブルですか?」と私。

「そうなんよ。私のうちじゃないんだけど、マンションの二階に住んでいる人がいて……」


 澪さんが話した内容を要約するとこうだ。

 被害者の家はマンションの二階にある。ファミリー向けの広めの間取りだ。

 真下は管理人詰所と自転車置き場で、どちらもオートロックの内側にある。

 一階から六階までの間取りは同じ、各階三室。ただし、両脇の部屋は縦長。防音はしっかりしていて左右の部屋からの騒音は聞こえたことがないそうだ。なお、最上階の七階は、マンションのオーナー一家が暮す一戸だけとなっている。

 水曜日の午前九時になると毎回同じ演歌が流れて、それが二時間ほどリピートされる。

 被害者の仕事はフリーランスで、平日の午前中はほとんど自宅にいる。

 最初は「週一だから」「ご近所だから」と我慢していたが、段々耐えられなくなってきた。

 音源をつきとめようとエレベーターのある廊下側をうろついてみたが、音はまったく漏れていない。念のため四階もうろついてみたが結果は同じだ。

 管理会社に相談したが「大音量の音楽を流すのは迷惑行為です」という注意喚起が掲示されただけだった。

 奇妙だったのは、真上の部屋の廊下にある室外機にはカバーがされていて、部屋には誰も住んでない様子だったことだ。

 マンションの管理組合の総会のときに古参の住人にたずねてみると「あそこはお婆さんの一人暮らしで、そんな悪さをする人には見えない」とのことだった。

 ちなみに、このマンションでは表札に名前を書かない人が大半で、管理組合の会合への出席率もきわめて低い。そんな中でも総会が成立するのは「委任状」のおかげだ。区分所有権を持つオーナーに一戸一票の議決権があるので、住人がオーナーでない場合はオーナーに総会の通知が郵送される。遠隔地のオーナーはあまり真剣に考えていないので、毎年、管理費がだだ上がりだ。これには現住のオーナーからは強い批判が起きている。マンションの自治会長は、毎回修繕積立金が足りないと言っている。なお、かわって自治会長を引き受けようという勇者はいない。

「という状況です」

 澪さんが、律儀にメモを読み上げた。

彩月(さつき)君の意見はどうかな」とアマリ会長。

「えっと、たちの悪いポルターガイスト?」

「そうなのですー。これはきっとポルターガイスト――中国でいう『騒宅』が原因なのですー!」

……たぶん、冗談である。乗ってくれてありがとう。

「その被害者の方って、何か恨まれるようなことがあるとか、立地的に地上げ屋に狙われる要素があるとか、ありませんか」

「うーん、多分ないと思います。マンションの二階は不人気ですし。……実はその人、うちのゼミの聴講生で、ラノベ作家の方なんです。犬彦矢次郎、てご存知ありませんか?」

「えっ!? あの『名探偵アキバちゃん』シリーズの!?」

 結構有名な人だった。

 ラノベ系の新人賞を三つも同時受賞、しかもまるっきり違う作風で――という超天才作家だ。最近は、刑事ドラマの脚本にもかかわっている。

「そういう人にとっては、騒音問題は深刻だなあ」

 しんみりする会長。

「そうなんですよ。で、最近は水曜日の午前中は図書館で執筆されているそうです。でも、自宅にしかない資料も多いそうで苦労しているのだとか」

……作家、恐るべし。

 私は、おそるおそるたずねてみた。

「で、犬彦先生自身は、どう推理しているの?」

「公設市場関係の高齢者なんじゃないかって、言っておられました。ほら、市場って水曜が定休日じゃないですか。スピーカーの音が大きいのも老齢ゆえじゃないかって」

「はあ」

「そうなのー」

 私とメリーさんはピンと来ない。

 会長が説明する。

「飲食店は水曜定休の所が多い。これは、中央卸売市場の定休日が理由なんだ。その日に仕入れたいい品を提供したい、となるとどうしても水曜が定休日になる。他には『水は流れるから縁起が悪い』とか、『中日(なかび)だから来客数が少ない』なんて説もあるが、まあ、大体はそういう風に人の流れができているってことだ」

「水商売でもそんなこと言いますよね」と澪さん。

「ああ。元々は、冷蔵庫が普及していなかった時代に出来上がった習慣が、人の生活実態と合っているために今も息づいている、ということだろうね。……で、その犬彦氏はどこに住んでいるのかな」

「大阪の日本橋(日本橋)です」

 会長は眉をひそめる。

「水曜の午前九時か。実地調査に行くには、ちょっとつらいな」

 メリーさんが手を挙げた。

「はいはーい、あたしなら行けるの-」

 私も手を挙げた。

「私も行けます!」

 なんてったって、流行作家の自宅を見られるのは貴重な体験だ。

「澪君は……」

「私は水曜の午前中は授業があるので無理です。でも、明日の演習で会えると思うので、二人の紹介はできると思います」

「イントロダクトリー・ミーティング!? 明日は無理なの-」

「私もアルバイトがあるので、ははは」

 というわけで、澪さんは犬彦氏に見せるために私とメリーさんの写真を撮ったのでした。


 翌週の水曜日、私とメリーさんは阪急の河原町駅に向かった。

 淡路駅で乗り換えて近鉄日本橋駅で降りる。

 時間は一時間ちょい。何より、直通というのがありがたかった。

「なるほど。それで聴講生か……」

「京都と大阪は意外と近いのですー」

 ただ、女性専用車両でも激混みだったのはなんともはや。

 地上に出る。

 京都と大阪は空気感が違った。

 表通りに面した建物の雰囲気が違うのだ。京都が乙にすましたおかべ(・・・)だとすると、大阪は何か雑多な感じがするお好み焼きなのだ。

 黒門市場のアーケードをちらりと見ながらどんどん南下する。

 目標のピーナッツの看板を越えて位置を確認。大きなシティーホテルの角を横に折れて進んでいくと……

 その一角に犬彦氏が住むマンションがあった。


「やあ、申し訳ないね。わざわざ来てもらって」

 犬彦氏は、髪に白い物がちらほら混じった中年男性だった。上下は色の違うジャージ、というラフな格好だ。

 玄関のすぐ奥にある短い廊下を抜けると、セミオープンキッチンつきのリビングがあった。その奥の窓際に机があり、ノートパソコンとプリンターがある。横にはがっちりした本棚。カウンターの前にも本棚。本とバインダーがぎっしりと詰まっていた。

「いつもここで執筆しているんだ。水曜日以外は静かなもんだよ」

 壁に掛けられた時計は八時四十五分を示している。

「お隣りは、どういう人が住んでいるんです」

 私の質問に犬彦氏は首を横に振る。

「わからない。貿易業の社長をしている、という噂だが、本当なのかどうなんだか」

 机のある壁の反対側のふすまを示す。

「あちらは?」

「寝室だよ。独身のわびしい一人暮らしだ。見ても構わないよ」

 ふすまの向こうは六畳の和室になっていた。布団は折りたたんである。ここにも少しカラーボックスの本棚がある。窓側には祭壇があって、雑多な仏像が並んでいた。香炉と花台が並び、お香のにおいもした。

「呪われているといやなので、手当たり次第に拝んでいるんだ。僕も大学生の頃は無神論者だったんだが、年を取ると信心深くなってね」

「わかります!」とメリーさん。

「こちらのお隣さんは?」

「バンドマンが共同生活しているらしい。回覧板をまわす時にちらっと見えたんだが、玄関に楽器が置いてあった。よく『騒がしいでしょ』ときかれるんだが、実に静かなものだよ。なるべくトラブルは避けたいんだろうな」

 九時が近づいてくるに従って、犬彦氏は落ち着かなくなった。

「実は今年に入ってから水曜日は家をあけているんだ。市立図書館で作業をしている。だから、もう音はしないかもしれない」

 犬彦氏がそう言った瞬間、演歌が鳴り出した。

 どう聴いても天井から響いてくる。

 爆音、というわけではないが、メロディーははっきりとわかる。

 メリーさんが寝室に移動する。

「こちらでは聞こえないのー」

 断言した。

 私も、パソコンの横の壁に耳をつけてみた。

「こちら側からでもないですね」

 廊下に移動する。多少、音が多少、遠くなった。

「上の階に行ってみます」

 玄関で靴を履く。

「あたしはここで待機するのー」とメリーさん。

 こういう時、二人いると便利だ。

 階段をのぼる。

 三階の廊下側の室外機は二台あった。事前情報のとおり、ともに灰色のカバーがかけてあってビニール紐でしっかりと縛り付けてある。部屋の中からは何の音もしないし光も出ていない。留守というよりは空き家の漢字だ。

 四階、五階、六階と、階段で上がってみた。

 たまに洗濯機の音がするものの、謎の演歌は一切聞こえてこない。

 七階に登る階段には、鉄格子の扉とインターフォンがついていた。オーナー階には勝手に上がることは出来ない、というわけだ。

 私はエレベーターで一階に戻る。

 念のために管理人室と自転車置き場も見て回る。演歌の音はしない。

 二階の犬彦氏の部屋に戻る。

「全く何も聞こえなかったよ」

「こちらも、全然途切れないのー。これが二時間も続いたらノイローゼになっちゃうよー!」

 確かに、とてつもなく陰気な歌だった。

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