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幻術茶屋(4・終)

 十三階。そこは展望ラウンジでもなんでもなく、ただの会社のロビーだった。

 壁には大きな液晶モニターがともり、ベートーベンの交響曲第六番『田園』とともに自然の風景が流れている。

……『ソイレントグリーン』か!?

 会社名のプレートを見ると……

「国連嘱託機関 生存戦略研究所」と書いてあった。

「国連!?」

「わたしたち、間違えてませんよね」

 澪さんが不安げにふりかえってエレベーターの階数表示板を見る。

「確かに、十三階って言ってましたよ」と寧々さん。

 やがてBGMがフェードアウトして、モニターに灰色髪の女の子が映った。どうもCGっぽい。小道具として水晶玉や砂時計が配置されている。

……バーチャルアイドルか?

「やあ、諸君、よく来てくれた。私が幻術茶屋のオーナーのドクター・ミラ・フェッセンデンです」

 きれいな日本語だ。声も美しい。

「私は、ドクター・メリー・ウィンチェスター。幻術茶屋のシステムについて文句を言いに来たの。いきなり荒廃した未来にぶち込むなんてひどいんじゃない?」

 語気が強い。メリーさんが怒りをあらわにするのは珍しい。

「そもそもここのシステムって電磁気的に脳の中をいじくってるでしょ。危険すぎる!」

 メリーさんがどうしてそうわかったのは私には分からない。けど、言われてみればその可能性もなくはなかった。

 ミラさんは静かに答えた。

「幻術茶屋での経験は、映画の中に没入したのと同じです。現実に戻れば、それは夢幻(ゆめまぼろし)だったとわかり、そこでの経験は急速に減衰して過去の記憶になるのです。その経験はのちのちの行動を少しは変えるかもしれません。でも、それはその人の人格や思考パターンを変える程のことではないのです」

 そして、ミラさんは画面の向こうで短い英語で何か話した。それは「飲み物をお出しして」という言葉に聞えた。

 部屋の奥の扉がスライドしてロボットが出てきた。さっきの幻術で見た、海から上がってきたあの白いゴムで覆われたような単眼の生き物に似ている。その手にはトレイをささげ、そこにはロックグラスとワインが…… いや、高級なお茶として有名な「高島屋 宇治玉露ボトルティー」だ。澪さんと寧々さんが目をまん丸にしている。

「幻術のシステムについては話がやや長くなります。どうぞ、一息ついて下さい」とミラさん。

 私たちが喉を潤したところで話が続く。

「脳スキャンについては、CTやMRI、PETのような非侵襲的(ノン・インベイジブル)システムではなく、その瞬間の電磁気的素因の直接把握を使用しています」

「はっ!? ラプラスの悪魔じゃあるまいし、そんなこと!」

 思わずバカにした口調になるメリーさん。

「はい。私たちが開発したのは、そのラプラスの悪魔を再現したシステムです」

 それは、現代の理論物理学では不可能とされていることだった。「この宇宙のすべての原子の位置と運動量を完全に把握できる知的存在がいたら、未来を完全に予測できるだろうか」という十九世紀の数学者ラプラスが提唱した命題。その後、不確定性原理でその命題は否定されている、らしい。

 澪さんが、私の疑問を代弁してくれる。

「素粒子の位置と速度を同時に正確に知ることは不可能なんですよね」

「はい。そもそも素粒子自体が確率論的存在なのです。クオンタム――『一定の量』として観測・把握することは不可能なんです」

 うなずく澪さんとメリーさん、そして私。

「そこで私たちは、三次元やそこに時間軸を加えた四次元での量子理解を捨て、十二次元にいたる上位次元(じょういじげん)からの把握に方針を切り替えました。そして、ラプラスの悪魔の命題を縮小し、『限定した空間におけるすべての電磁気的な塊を完全に把握できるとしたら、その未来を完全に予測できるだろうか』という研究に切り替えました。そして完成したのがラプラスの小悪魔(こあくま)システムなのです」

 なんか可愛い名前だ。けど、ミラさんはいたって真面目だ。

「で、その小悪魔ちゃんがあたしたちの脳みそをこねくり回したというわけ?」とメリーさん。

「いいえ。こねくり回してはいません。ただ、脳――というか正確には自我への情報のインプットを偽装し、アウトプットされたフィードバックに合わせて仮想の物語を組み立てていっただけです。誓って言いますが、あなたたちの脳には一切の加工を加えていません」

 私はたずねてみた。

「ひょっとして、ラプラスの小悪魔が制御したのは、私たちの脳――自我へのインプットとアウトプットだけ?」

「まさにその通りです。最小限の処理能力で最大限の効果を上げるのには、それが最適解だったのです」

 澪さんがぼそりとつぶやいた。

「唯識哲学……」

 確か、唯識哲学では五感以外に自分の思いや自分の中に蓄えられた阿頼耶識からのインプットもあったはずだけど…… そこまで改変されたらそれこそ何も正しい判断ができなくなってしまう。捏造された記憶が自我にインプットされたら、対処しようがない! あっ、そういえばお婆ちゃんが現れたのも、私の記憶を読み取って、阿頼耶識からのインプットを改変しているからだよね。

 私も、何をされたのかが理解出来て腹が立ってきた。

 寧々さんがたずねた。

「私たちの間で終末世界での体験ができた人とできなかった人がいたのはどうしてかしら。澪さんや杏奈さんは、海に沈みかけた京都は体験していないんですよね」

 二人は首を縦に振る。二人にとっての幻術の体験は「会いたい人に会う」でおわっているのだ。

「それは……」

 ミラさんは一瞬言いよどんだ。が、メリーさんが左手首を叩いて見せると、回答が帰ってきた。

「それは、幻術茶屋の運営母体が生存戦略研究所だからです」


 生存戦略研究所。それは過剰人口による人類全体の衰亡を防ぐべく、国連が設置した超法規的機関だった。

 アイディアは一九六〇年代からすでにあった。

 過剰な生体人口を減らしてコンピューターの中に移住させ、環境破壊と資源の争奪戦を回避する。

 ただ、脳全体をスキャンし電子化してコンピューターの中に移すのには莫大なメモリー容量が必要になる。そして、写真のように一瞬で脳スキャンをすることは出来ない。当時はまだ、高次元から三次元の電磁気的な塊を瞬時にコピーする、といった発想はなかった。

「自我」という小さな電磁気的塊をメモリー内に送り、また現実に戻す――その技術は二一世紀の量子コンピューターと量子メモリーの開発、そしてAIの高度化によって現実となった。

「高次元からのスキャン!? そんなシステムが作れるの!?」とメリーさん。

「はい。高次元存在の力を借りることによって、ではありますが」

 杏奈ちゃんとかがみんはぽかんとするばかりだ。ミラさんは、それを説明不足だと感じたようだ。

「わかりやすいようたとえを使って説明しましょう。二次元に生きている生物がいるとします。彼らは、障害となる何かの向こうはわかりません。これを三次元から見ると、彼らの位置が写真のように把握出来ます。さらに時間軸がくわわった四次元――動画を使うと、彼らの文明や生態の観測が可能になります。通常、ことなる次元への干渉は出来ないのですが、情報のやりとりは可能です。たとえば、二次元の存在がモールス信号を通信手段として用いていたとします。三次元の存在がそれを解読したら、空間にゆがみを与えることによって情報を二次元の知性体とやりとりすることは可能です」

 メリーさんがたずねた。

「つまり高次元の知的生命体とその技術を借りることでその瞬間の自我をコピーし、仮想現実を実現している、ということ!?」

「はい。そして、高次元の存在は、はるか太古からこの実験を続けてきました。ある時は神託として、ある時は夢を通じて。白日夢や幻覚にも彼らの通信は入ってきます。それが低次パティクリと呼ばれる現象なのです」

……えっとそれって、ニーデマン教授が講演会で言っていたアレか!

 思わずメリーさんと目を合せる。

「そして、国連はパティクリパティクラに対する生存戦略を練っているのね」

「その通りです」

 その場でその用語が理解出来たのは私とメリーさんだけだ。

 沈黙が広がる。

 寧々さんがおそるおそるたずねた。

「あのー、私が聞きたかったのは『終末世界を体験した人の選定基準』だったんですけど」

 ミラさんは目をしばたかせた。

「あ、そうですね。ぶっちゃけ言いますと…… 実験に失敗してももめなさそうな人――非リア充を優先したんです。それに、参加者の間で体験に違いがあると、次もまた来たいと思うじゃないですか」

「確かに!」

 杏奈ちゃんは納得している。

 澪さんが不思議そうにたずねた。

「でも、どうして国連の嘱託機関がエンターテインメント産業なんかに参入しているの?」

「これもぶっちゃけ言いますが…… 予算不足です。上から『予算が足りないのなら自分たちで稼げ』と言われてまして」

 てへぺろ、と言いたげなミラさんなのだった。


 というわけで、私たちはドクター・ミラ・フェッセンデンとの会見を終えた。

 エレベーターで一階に向かい、外に出る。新京極の喧噪と、ビルの谷間を吹く夜風が心地よい。

「酔いがさめちゃったね」と私。

「そうなのですー。でも、さすがはラプラスの悪魔、なかなか面白い理論武装をしてくれました。思わず信じかけてしまいましたヨ」

「えっ!?」

「あの子はおそらく『ラプラスの悪魔』そのものなのです。哲学的思考の概念から生れて一人歩きする怪異。ほぼ完璧な予知能力を持つ存在。恐るべき相手なのです」

「というと、魔界探偵でも対処しようがない?」

「はい。『シュレーディンガーの猫』と並ぶ最強の相手。解放してくれただけでもラッキーだったと思うべきでしょう」

 寧々さんがたずねた。

「私たち、本当に解放されたんでしょうか。いまだに幻術の中に捕らわれているなんてことは……」

 その一言に、私は背筋がゾクッとするのを感じたのだった。

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