幻術茶屋(3)
廃墟と化した幻術茶屋だった。
寧々さんもかがみんもスマホのライトで周囲を照らす。
何百年の時が過ぎたのだろうか。天井には大きな穴があき、コンクリートの塊があたりを覆っている。その上には雑草や苔、蔦が繁茂して、出口だったあたりは竹の天下だ。
鼻腔をくすぐるのは潮風のにおい。明石あたりでよく嗅いだ香りだ。ひょっとして、地球温暖化で海が京都市内まで広がったというのだろうか。
立ち上がった私の袖をメリーさんが引っ張る。
「落ち着くのです。これは幻術の中。慌てて動くと怪我をするのです」
悠然と手酌をしている。
「って、あんた、それ!」
英勲の四合瓶の中身には藻が浮いていた。そのかけらがおちょこに落ちる。
「だいじょーぶ! あたしはこの程度のことでは酔っ払わないのでーす」
……いや、観点が違いすぎるでしょう。
寧々さんがおそるおそるたずねた。
「この場所に留まっていて大丈夫なんでしょうか」
かがみんも、「うんうん」とつぶやきつつ大きくうなずく。
「あたしの経験から言って、こういう場合は特異点を死守することが大切なのでーす」
メリーさんは、テーブルの上のつまみの皿に箸を伸ばした。が、さすがに躊躇する。
今しも周囲がうっすらとあかるくなってきた。その光に照し出されたのは、小鉢に盛り上がった色とりどりのカビ、そして、テーブルの上を這うムカデのような虫の姿だ。
「これはさすがに食べる気がしないのー」
箸置きに箸を置く。
かがみんが震え声で言った。
「あっちに出口があるみたいなんですけど。偵察してきてもいいですか?」
「外に出たら何かわかるかもしれないし、行く価値はあるかも」
私の意見に寧々さんも同意する。
「メリーさんは、どうする?」
「うーん。あたしはここを死守します。結果はあとで教えてね」
……いや、こいつベロンベロンに酔っ払ってるだけじゃね!?
私、寧々さん、かがみんは、光が差し込んでくるかまぼこがひしゃげたような形の開口部へと慎重に歩みを進めたのだった。
ぼろぼろの建物から外に出た私たちは、あたりの景色に愕然とした。
「えっ、これが京都!?」
「嘘やっ!」
「……」
小島のように廃墟が突き出した海中。そこを行き来する南洋のカラフルな魚。
「あっ、ウミヘビ!」
かがみんが、白黒の縞模様の生き物を指さした。
「何が起きたんやろ。うちら、終末の世界に飛ばされてしもたんやろか」
顔が引きつる寧々さん。
「落ち着いて! ここはまだ幻術の中だと思います。それこそ、何千年も私たちが生きてる方がおかしいじゃないですか」
とはいえ、リアルな日射しに海の香り、頬をなでる強めの風と波の音に、私にもここが幻想の世界だとは思えないのだった。
「あっ、人がいます!」
かがみんが遠くを指さした。その先には、何か白いヒトガタが海から上がってくる姿があった。おそらくは潜水服なのだろう、ゴムのようなのっぺりした素材で足元まで隠れている。
それも、一人ではなかった。何人も、だ。手には銛や網を持っている。どうやら魚を捕ってきたところらしい。
その生き物がこちらを振り向いた。
真ん中に大きな目がある。ゴーグルや丸窓ではない。ぎょろりとした目玉だ。時々まばたきしていることらすると、これは生体だ!
その一人が私たちの方を指さした。
腕の長さの比率からもわかる。彼らは人間ではない。
「ヤバい!」
私たちは建物の中に逃げ戻った。
一目散に元いた場所へと帰る。
……ごめん。彼らが追ってくるとかには考えが及ばなかった。
「くかー」
メリーさんはソファーに沈み込んでいぎたなく眠りこけている。
「武器を探さなくちゃ!」
得物に使えそうな物は四合瓶くらいなものだ。
あっ、二本ともメリーさんの前に集まっている!
メリーさんの前の酒瓶を手に取ろうとすると、がしっと手首を捕まれた。
「酒の一滴は血の一滴…… 何、どうしたの」
「武器が必要なの。メリーさん、何か武器を持ってない!? 変なのに追われている!」
かまぼこの形をした入り口からは、銛を手にした白いヒトガタがよたよたと入ってくるところだった。
メリーさんはまぶたを開いた。
「ふふん。ついに秘密兵器を使う時がきたようね!」
メリーさんは、右手で自分の左手首をねじった。
くるくるくる。
からん。
メリーさんの左手首がはずれた。それをテーブルに置く。
腕の先端からは機関銃の先にある消炎制退器が出てきた。
「来るなら来い、なのです!」
メリーさんは、白いヒトガタに銃口を向けた。
パパパン……
セミオート三連射が火を吹く。
けど、銛を持った生き物は止まろうとしない。
「仕方ないのです。今度はきちんと狙って……」
パパパパパ!
爆竹が鳴るような連射音とともに、ヒトガタがはじけ飛んだ。彼らの血は青かった。あっけない最後だった。
メリーさんの手首からは爆竹のにおいの煙が上がっていた。
「メリーさん、それって……」
「ちょっと改造してみたの。まあ、あとで熱いし弾の補給とか手間がかかるのであまり使いたくなかった奥の手なんだけど、今回は仕方ないよね」
そう言いつつメリーさんは私のスマホを見せるように言った。
「時間的に、まだもう一本くらいは空けられるのです。次は玉乃光を飲んでみるのですー」
「えっ!?」
思わぬ盲点だった。
もしここが幻術の中だったとしても、店員は注文には応えなくてはならないのだ。
スマホの操作は完了。無事に注文が通った。
……幻術、破れたり!
気がつくと私たちは元のボックス席にいて、目の前の小皿にも食べ残しが少しばかりあった。
私は寧々さんとかがみんの顔を見た。二人も信じられない物を見たという顔をしている。
杏奈ちゃんはお茶を飲み、澪さんは「桃の滴」の瓶をすぐそばに置いていた。たぶん、メリーさんに取られないように、だ。
「メリーさん、左手は大丈夫?」
「うん、大丈夫だよー」
いつもの、白魚のような手だった。継ぎ目も何もない。
けど、その手首に触れてみると、炎天下の自動車のボンネットなみに熱いのだった。
幻術茶屋の不思議な時間は夢か幻のように過ぎてしまった。
烏天狗の面をつけた店員さんが来て、出口へと案内する。飲食ゾーンの外にあるレジで会計をすませ、さらにエレベーターホールへと出る。そこでは、陰陽模様の化粧をした幻術師と天狗の面をつけた幻術師がお見送りに来ていた。
「お楽しみいただけたでしょうか」
もみ手をしてる。
メリーさんが皆を代表して答えた。
「とっても楽しかったのー。でも、最後のはちょっとやりすぎだと思う」
メリーさんは、左手の手首をポンポンと叩いて見せる。
「ははは。まことに恐れ入ります」
「恐縮のきわみでございます」
幻術師の声にはあきらかに緊張が感じられた。どうやら彼らもメリーさんの内蔵兵器を見ていたらしい。
「さすがにスキャンした脳に幻影を流し込む、てのは、普通の子たちにはきついと思うの。その点、安全性はどうなのかな」
「いやはや、全てお見通しでございましたか。さすがは、伝説の怪異、メリー様だけのことはあります」
「全く、亀の甲より年の功、とはよく言ったものでございます」
幻術師達はへこへこしている。
「ちょっとむかついて来たの。オーナーにクレームを入れてもいいかしら」
「きっとそうおっしゃるだろうとオーナーも申しておりました。この先のエレベーターで十三階に行っていただければ、オーナーとお話ができます。ご随意になさって下さいませ」
……え!? 十三階!
それは、京都市の高さ制限ではありえない高さだった。四条河原町のあたりで新しいビルだと十階建てか十一階建てが限界、地下を計算に入れたら建てられない高さではないが。……少なくとも京都学の授業ではそう習った。
「もちろん、うかがいますとも」
鼻息の荒いメリーさん、ふんす、と言いつつエレベーターの中のボタンを押す。そのボタンは「B3」から始まっていた。そして、最上階は十三階。
「行きますよー」
扉が閉まり、エレベーターが動きだした。




