幻術茶屋(1)
京都文化大学の最寄り駅は地下鉄だ。その近くに広がる地下街に文琳堂という小さな本屋がある。個人経営の書店だが、大学の教科書を取り扱っていたりするので、広域大生にはなじみの深い場所だ。地方小出版の本を取り寄せたり、ネットで発注した本をあずかってもらえるのもありがたい。
今日も、注文した本が入荷したというメッセージが届いたので引き取りに来た。
取り置きの本は、地下倉庫から小型のエレベーターで運ばれてくる。噂では、実店舗の何百倍もの倉庫があって、そこには大量の稀覯本が隠されているのだとか。
一度、学者らしい人が『宇内混同秘策』を注文しようとして、お店の人に「それ、在庫ありますよ」と言われてすぐに出されたのを見たことがある。定価二百八十円。さすがに申し訳ないと思ったのだろう、学者さんは二千八百円を置いて帰っていった。どちらも粋だなあ、と思った次第だ。
とまあ、お気に入りの本屋の一軒なわけだが、今日ここに立ち寄ったのには今一つお目当てがあった。『つれづれ京都』という季刊雑誌だ。この一見京都の観光案内っぽい雑誌、実は都市伝説の宝庫なのだ。曰く、にしん蕎麦の名店「やぐ羅」には、かつて鴨川に続く秘密の通路があった、とか、京銘菓阿闍梨餅の命名をしたのは旧制三高の名物教授だった中村直勝だった、とか。かと思うと、人気のスイーツショップや新しいお店の情報も載っている。これを買っておくとしばらくはミステリー研の話題の供給源となれるのだ。
というわけで、その最後の一冊に手を伸ばそうとしていると……
別の人の手とぶつかった。
「あっ!?」
お互いに顔を見あわせる。
そこそこ年のいったおじさんだった。小太りで恰幅もいい。
「あわわわ……」
「えっと、買います?」とおじさん。
「は、はい」
「えっと、僕も買うつもりなんですよ」
私は、泣きそうな顔になる。
「実は僕も創刊からずっと買っているんです。このお店で」
おじさんも困り顔だ。
そして、一つの提案をしてきた。
「どうでしょう。ここはひとつ、じゃんけんで決めるということで」
「はい」
「では、京都らしく、インジャンでホイ、で行きましょう!」
インジャンでホイ!
アイコでしょ!
インジャンでホイ!
アイコでしょ!
インジャンでホイ!
……
決着がついた。
おじさんの勝ちだった。いさぎよく負けを認めるしかない。
「これ、どうしても読みたいんですよね。じゃあ、うちのロビーで読んでもらっていいですよ。うち、この上の整体院なんです」
おじさんは、にっこりと笑うと財布から名刺を取り出した。
正像整体院、院長、正像皆得、と書いてある。
「ショウゾウ整体院、ショウゾウカイトク?」
「はい。正像整体院、正像皆得です」
確かに、地下街の広告で正像整体院の文字は見かけたことがあった。広告が打てるということは、そこそこ信用のあるお店ということだ。
おじさんはクレジットカードで支払いをすませると、どっしりした歩みで地上への階段を登った。
開店前の整体院は、うっすらとしたアロマの残り香でかえってリラックス出来た。
正像先生は、『つれづれ京都』の表紙にポン、と蔵書印を押すと、そのまま渡してくれた。
「ここで読んでいてね。読み終えたら本棚に入れておいて下さい」
そして、出勤してきたスタッフとの打ち合わせに入る。
やがて音楽がかかり、アロマと蒸気が加湿器から室内に広がった。
私は、借りた『つれづれ京都』をつまみ読みする。
今季号は……
正直言っていまいちでした。
とまあ、「八つ橋は元々堅焼きだった」とか「一銭洋食は元々は新聞紙に包んで売っていた」なんて誰でも知っていそうなネタの穴埋めエッセイを読み飛ばした私は、特集記事に目を奪われことになる。
京都に幻術茶屋ができる!
新京極にあった今はなき名所、忍者レストラン。その跡地のすぐ近くに新しく幻術茶屋ができるというのだ。
プロジェクトマッピングで再現された聚楽第。その春夏秋冬が約二時間で再現される。料理も凝った物になるのだとか。そして、幻術師のショー。忍者レストランでも上級忍者としてマジシャンが活躍していたが、その手法をまねしたようだ。記事には、スタッフの創意工夫でどんどん進化していく、と書かれていた。
……いやー、これは楽しみですよ。
そのうち整体院は開店時間を迎えた。いろんなお客さんが待つ中、私は一人待合室の片隅で雑誌を読みふける。予約制で、後から来た人がすっと入っていったり、フリで来てずっと順番待ちをしている人がいたり。一人くらい待ちぼうけのお客さんがいても誰も気にしない。
二時間後『つれづれ京都』を読み終えた私は、正像先生にお礼を言うと整体院を後にしたのだった。
ミステリー研の部室では、メリーさんがコピー用紙を相手にクッキーを通す、というトリックに苦戦していた。
「通らない、絶対に通らないよー」
五センチ角の正方形の穴に直径九センチのクッキー(に見立てたミニ銅鏡の文鎮)を通す、という難題だ。どうやら澪さんが持ち込んだミステリーらしい。
「こんにちは。お二人はクリア出来たんですか」
「ああ。僕は最初、理詰めで考えようとした。けど、どうもうまく思考がまとまらない。そこで紙とハサミで解決した」
「私は、ネットで動画を見つけて真似をしました。最初はAIによる偽動画を疑ったんですけど、会長からもっと簡単な方法があるって教えてもらってその通りにしたらできました」
長机ではメリーさんがハサミとコピー用紙を投げ出していた。
「降参でーす! 七センチ以上の物が通るわけがないのでーす」
確かに、五センチの一・四一四倍以上の物――しかも厚みのある物を通すのは不可能に思える。けど、会長は破れやごまかしを使って問題を解く人じゃない。となると、あとは直感での解決だ。
コピー用紙の真ん中を五センチ角の正方形にを書く。
次に、正方形の真ん中から四十五度ずつ端までの直線を引いて、ハサミで正方形を切り抜く。
放射状の線に添って山谷山谷と折っていく。
正方形の対角線にあたる部分を二ヶ所つまんで文鎮を入れて持ち上げると……
「できました! 通りました!」
パチパチパチ。
拍手が起きた。
「情けは人のためならず」という言葉がある。この続きが「めぐりめぐっておのがためなり」だ、とお婆ちゃんは言っていた。けど、これはどうも後世に付け足された句らしい。
それはさておき。
正像先生が親切にしてくれたおかげで、私は正像整体院の宣伝をするようになっていた。
と言っても、誰彼となく宣伝したわけではない。「いい整体院ないかなー」みたいな世間話の中で話しただけだ。
ちなみに、整骨院や接骨院は柔道整復師の資格を持った人しか看板に掲げることが出来ない。それに対して、整体院やリフレ、リラクゼーションといったお店は無資格でも開業できる。けど、柔道整復師の資格を持った人が整体院をひらくことはままある。自費診療中心の方が儲かるからだ。そして、世間には交通事故にあった人よりも肩こりを抱えた人の方が圧倒的に多くいて、整体の方が集客には便利なのだ。
……以上は、医者の卵の岩熊さん情報。
正像先生は鍼灸師の資格も持っているらしく、岩熊さんのふくらはぎの痛みを一回の治療でとってくれたという。
「鍼灸院は、何回も来させるために根治させない、なんて噂があったけど、あそこは良心的でした」と岩熊さん。
蓮見杏奈ちゃんからは、厨房のフライパン振りで前腕を痛めた同僚が痛みをとってもらったとのこと。名医だと褒めていたそうだ。
次に文琳堂に行った時、私は正像先生にお礼を言われた。
「君のおかげで大学生のお客さんが増えました。これは、そのお礼です」
差し出されたのは、『つれづれ京都』の長封筒だった。中を見ると、幻術茶屋の無料招待券が入っている。
「応募したら当ったんですよ。ただ、これが平日の夕方限定でね。僕は仕事中。これ一枚で六人まで入れるそうなんで、大学のお友達とぜひ行って下さい」
「あっ、ありがとうございます」
まさに「情けは人のためならず」なのでした。




