体育館に巣くうモノ(5)
反応はなかった。
メリーさんはさらに言いつのった。
「姿を現さないのなら、ここのスプレーを全て次亜塩素酸に変えさせます。いえ、その前に知り合いの狐狸精を呼びます! あなたなんてすぐに首根っこ噛まれてオダブツなんだからね!」
……あっ、コ・ケイメイちゃんのことだ! でもあの人、可愛いだけで戦力としては弱々なんだけどな。
メリーさんのおどしが効いたのか、お立ち台の上に赤いもやのようなものがわいた。
その中から現れたのは、オランウータンかマントヒヒのような奇っ怪な生き物だった。赤いざんばら髪にのっぺりとした茶色い顔、こわばったような笑顔をしている。
「そこまで言うか。我を何者か知ってのことか」
「ただのヒヒでしょ」
「我は猩々、この地に福をもたらす者よ。言葉をつつしめ」
「ただのヒヒオヤジじゃない。人の靴で酒飲むのが趣味のど変態!」
うっ。
猩々は言葉につまる。図星だったらしい。
「貴様、紅毛人のくせにやけに詳しいな」
「赤毛なのはあんたでしょ、この靴泥棒! どうせその他にも色々とため込んでいるんでしょ、女の子の下着とか靴下とか」
「ヒヒヒヒ」
猩々は、唇をまくり上げて目まで覆うと、下卑た笑い声をあげた。
「神というからにはもう少しまともかと思ったけど、すっかり頭がいかれたみたいね」
「なんなっとお好きに」
攻撃してくる気配はない。
私は気になっていたことをたずねた。
「猩々さん、一つ訊きたいんだけど。どうしてメリーさんの靴だけ返したの? 人間の犯行に見せかけたかったのかなぁ」
「けっ。ババアの靴は臭くて酒杯にはできんわ」
余計なことを聞いてしまった。
メリーさんは「ムキー」となっている。
「もう頭きた。ケビイシ呼んでとっつかまえてもらう! 三条の河原で釜ゆでよ!」
「さーて、そううまく行くかな。我は七福神の一人、にもなりかけたほどの霊格の高い神。それに、酔ってなしたことは罪一等を減ずるのがこの国の法、すぐに釈放じゃろうて」
猿のくせに、知恵は回るようだ。そして、ただの変態泥棒に釜ゆでは厳しすぎる。
「メリーさん、言い争っていても仕方ないし、ケイメイちゃんを呼ぶ?」
「う、うん。……あまり学生に迷惑はかけたくないんだけど」
といって、他に猩々に勝てそうな相手も思いつかない。
杏奈ちゃんが口を開いた。
「あなたは自分では福の神と言っているけど、どうしてこの体育館は寂れているの?」
「それは、我がこの体育館の床下に封じ込められたからじゃ。あのいまいましいくくりザルの置物で鎮圧されておった。人面瘡にしてもそうじゃ。あんな呪物を置かれては、いかなる者も力がふるえぬわい」
……そうか。楠部彦弥という人は、嘘つきだったけどすごい霊力の持ち主だったんだ。
「じゃあ、くくりザルの置物がなくなった今、どうして来館者が増えないの?」
観光学科の学生としては、切実な疑問だろう。
「我も努力はした。アイディアは出した。けど、そなたらが受け入れん」
「どんなアイディア?」
「フードコートに酒を置け、と何度も目安箱に投書したわい。アテのメニューもつけてな。けど、それに対しては返事すら張り出されない。そなたたちが自助努力を怠っておるのが原因よ」
……はっ、体育館で酒!? そりゃ無理でしょう。
私の心の声が聞こえたのか、猩々は酒飲みの正論で返す。
「オリンピック村でも、外から酒を持ち込むことは許されておる。それに、スポーツの打ち上げには酒がつきものじゃ。酒は世界を救う」
「あーっ、毎回同じ提案をしてきたの、あんただったのかー。変な利用者がいるなーっていつも話題になってたんよ」
「じゃあ、もっと猩々にふさわしい飲み屋街に移ればいいんじゃない。ここにこだわる必要はないでしょ」
私の提案にメリーさんもうなずく。
「そうなのー。日本の球界では活躍出来なくても、アメリカの大リーグで活躍する人はたくさんいるのー」
……いやまあ、そういう取り方もあるか。
「さびれている飲み屋街を盛り立てたら、きっと福の神としての株もあがるよ! なんだったら七福神に加われるかも」
「日本全国、引く手あまたですね!」
杏奈ちゃんもよいしょに加わる。
「そ、そうか。七福神か。我が力を必要とする場所が他にあるか。ぐふふっ」
猩々はぶるりと身をふるわせると立ち上がった。
たちまち全身の毛が真っ赤なジャージへとかわり、髭面のおっさんへと変貌する。いかにも場末のスナックにいそうな感じだ。
「決めた! 我は旅に出る。酒杯のコレクションはそなたたちに譲ってやる。いざさらばじゃ!」
猩々は、ぴょん、とお立ち台を飛び降りると、そこから先はオランウータンのようながに股歩き方で館外へと去った。その姿は、どこからどう見てもただの酔っ払いだった。
お立ち台がグシャっとくずれた。中にあった物の重さに耐えかねたように。
ホールに異臭が漂いだした。
「くっさ!」
「何これ!?」
遠目にうかがうと、たくさんのスニーカー、下着、タオル、水着、そして空っぽになった消毒薬と酒瓶の山があふれ出していたのだった。
「なんじゃこりゃー!」
かけつけた警備員さんが、頭を抱えて硬直している。
「もう行った方がよさそうね」
メリーさんが、ご自慢のエナメルの靴を履いた。
私と杏奈ちゃんも、それぞれのスニーカーを履いてバッグを肩にかけたのだった。
体育館の外に出ると、空には夕方の月が出ていた。
「今、一つの時代がおわった……」
メリーさんが感慨深げにつぶやいたのだった。




