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体育館に巣くうモノ(2)

 マットルーム。そこは体操競技に特化した広い部屋だった。

 入り口で靴をぬぎ、靴下か競技用の柔らかいシューズで中に入る。

 中では、レオタード姿の女子が何人か、膝を抱えてうめいていた。あたりにはリボンバトンが散らばっている。

「何、これ」

……全員が床で身を丸めていた。

「医学部の学生です。入りますよ」

 柔道着のいかついお兄さんが、横をすり抜けていく。

「いや! やめて! 男の人はダメ!」

「入っちゃ、だめ! 男子禁制!」

 予想外の抗議が起きた。柔道君は困惑して立ち止まる。

 ふだんは館内をレオタードにパーカーで闊歩している彼女たちがかたくななのは謎だった。土俵に女が上がってはいけない、的なタブーだろうか。

「私が、見て来ます。患部だけ写真に撮ってきます」

 医学部生がうなずき、私が奥に向かう。

 近づくと惨状だった。

 膝がパックリと割れている。

 その割に血はあまり出ていない。むしろリンパ液のようなぬめっとしたものが、マットになった床に飛び散っている。傷口からは骨の破片らしき物まで見えていた。

「傷口だけですからね」

 当人に許可をとってからスマホで写真を撮る。

 なんとも不気味な傷口だった。

 骨に見えたのは、黄ばんだ乱杭歯のような代物だった。複雑骨折――表皮を突き破った骨折という感じではない。

 膝頭は、へしゃげた顔のように見える。パレイドリア現象? シミュラクラ現象? というだけでは説明がつかない。患部が本当に人の顔をしているのだ。まるで昔の記録映画で見るような、しわくちゃのお年寄りの顔をしている。

「人面疽」という言葉が脳裏に浮かんだ。

「これって……人面疽、だよね」

「普通の怪我とか病気ではないと思います」と女の子の一人が言う。

 膝に浮き出た顔は、か細い声で何かを訴えようとしていた。私はその様子を動画にして撮る。何にせよ、分析は必要だ。あとでメリーさんに見せよう。

「大丈夫ですか?」

 後ろから声をかけてきたのは杏奈ちゃんだった。手には救急箱を持っている。

 場所をあけて見てもらう。

「うっ、」

 杏奈ちゃんは変な声をもらす。そして気を取り直したように言う。

「とりあえず、消毒しますね」

「それは?」

「エタノールです。ちょっとしみますけど、我慢して下さいね」

 消毒薬をスプレーする。

「はううっ」

 人面疽の持ち主が一瞬うめき声をあげた。けどそれも一瞬だった。

 人面疽の顔つきが穏やかになる。

「効いてる!」

「もう少しかけてみようよ!」

「はい」

 何を思ったのか、杏奈ちゃんはスプレーの噴出ノズルをはずすと人面疽の口にたらりとエタノールを垂らした。

 しわくちゃの顔がとろんと緩む。

 歯ともいえない骨片が抜け落ち、お年寄りの顔が平板な皮膚へとかわった。

「多分、この人は大丈夫です。他の部位に人面疽は残ってないですね」

 念のため、全身(ただしレオタードが出ている部分だけ)を確認する。

「看護学科の学生です。何か手伝えることはありますか」

 後ろから声がかかった。心強い援軍だ。

「医務室からあるだけの消毒薬とガーゼ、それにテープをとってきて下さい。消毒薬はエタノール限定でお願いします。それで皆さんの患部を消毒してあげて下さい」

「はい、わかりました」

 杏奈ちゃんは、エタノールが隠してある薬品庫の場所を伝える。

……てか、大学の実習生に薬品庫の管理までまかせるって、どれだけ人手不足なの!? この体育館、大丈夫か!?

 杏奈ちゃんは「念のため」と言いつつ背後のジャージ姿の二人に傷跡をぬぐって包帯をするよう伝える。そのあとは床の清拭だ。

 次の患者は……

 新体操の先生だった。

 うめき声がひどい。

「男、男がほしい……」

 譫妄状態!?

 違った。内腿に浮き出た人面疽がうめいているのだ。その顔はシワはなくおかめの面のようにぷっくりと盛り上がっている。

 人面疽はもっと過激なことも口走っている。寄生された当人は、真っ赤だ。

 追加のエタノールが到着した。

 何人かで内股を広げさせて、人面疽にエタノールを注入する。おかめの面もまた、穏やかな表情になると消え去った。

「こんな感じで皆さんの応急処置をお願いします」

 杏奈ちゃんの指示で看護学生が動く。同じようにしてアルコールを注入し、私は、手足をおさえたりあたりをぬぐったりの補助作業にかかる。

 人面疽の要求は食にも及んだ。

「お腹すいた」

「おいしいものが食べたい」

 もごもごと主張している。

 けど、構わずエタノールを突っ込む。アルコール除霊だ。

 その影響は本体にも及ぶらしい。

 あたりには、アルコールが回った酔っ払い女子の一団が出来上がった。

 処置が終ると、人面疽が垂らした唾液や血液のエタノールを使った清掃にかかった。

 杏奈ちゃんの的確な指示に完敗(かんぱい)だった――アルコールだけに。

 そういえば、とふと気がつく。

 被害者の女子たちは痩せ型の子が大半だ。ダイエットで抑えられていた欲望が一気に吹き出したのだろう。先生の場合はちょっと違ったが。

 杏奈ちゃんは、皆を集めて注意する。

「これは本当に応急措置です。自宅に帰ったら食べたいものを食べて横になって下さい。その他、我慢していたことは全て取りやめて下さい。これは、ストレスが原因のジンメンソウです。もし再発したら、その口にお酒とおはぎか何かを突っ込んで下さい。一時的な痛み止めにはなります。しばらくしたら埋もれている歯が全て抜け落ちて楽になると思います」

 何から何までわかっている感じだ。

 酔っ払い女子たちは、杏奈ちゃんの先導でふらふらと女子更衣室へ向かう。

 その途中で、マットルームの外で待機していた医学部生に挨拶する。

「時間をとっていただいてありがとうございます。倒れたのは、ただの栄養失調だと思います。傷口を消毒して、今日は家に帰ってもらいます」

「あ、ああ。……大したことなくてよかった」

 熊のような体躯の医者の卵は、出番がなかったことへの不満ももらさずに、静かにその場を去ったのだった。


「……ということがあったのよ」

 私の話にメリーさんはぽかんとしている。メリーさんの部屋にはまた書架とマンガが増えていた。

「ジンメンソウ? ……って、スナップドラゴン?」

 首をかしげている。

「うん。人面はあってる。ソウは、傷とか膿んでる場所という意味の漢字。ヤマイダレにクラって書く字だよ。ジンメンソという言い方の方が一般的かな。こっちはヤマイダレにカツと書く」

 紙に書く。「瘡」と「疽」。人面疽以外では見たことのない文字だ。あっ、炭疽菌はあるか。

「あたし、日本の怪異にはそんなに詳しくないの」

 しょんぼりするメリーさん。

 スマホで撮影した動画を見せる。患部だけなのでプライバシーの問題はないはずだ。

 メリーさんがうなった。

「ウープス! カーバンクル!」

「えっ!?」

「カーバンクル。このまま育つとやがて大きなルビーを吐き出すの。でも、宿主は体力が衰えて最悪亡くなってしまう。かつては奴隷やネコ科の動物に感染させて採取していたとも言われている」

 なんかゲームのキャラとは違ってえらくぶっそうなカーバンクルの話になった。

「中でも青白い光を放つ宝石は高価で、過去には戦争の引き金になったとも言われているの」

「はあ……」

……でも、出てきたのはただの骨片だったんだけどなー

 私は、別の心あたりにたずねてみることにした。


「それなら『伽婢子(おとぎぼうこ)』に載ってますよ。江戸時代に浅井了意が書いた怪談集です。アニメやマンガの元ネタは大体これです。その中に確か特効薬が書いてあったはず。ちょっと調べてみて」

 スマホで調べる。どんぴしゃり。山城の国小椋(おぐら)――巨椋池の話だった。

貝母(ばいも)ってのが効くって書いてあります。アミガサユリ、だそうです」

「そう、それ。球根みたいな部分を粉末にして吹き込むらしいのだけど、それでは治らなかった、ていう話もあったはず」

「調べてみます」

……確かに、ネットにもそう出ていた。

「つまり、貝母が効いたのはたまたまその人が貝母が死ぬほど嫌いだった、てことなんじゃないかな」

「かもしれませんね」

 謎は深まるばかりだ。

 とりあえず、貝母――アミガサユリの原産地は中国で、日本での生産地だった奈良では二〇〇〇年頃に栽培を終了したことがわかった。

「こりゃ、漢方薬屋に発注するしかないか」

 私は、内側がイモ貝の外側のような模様をした薄気味の悪いユリの花の写真を見ながら独りごちたのだった。

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