体育館に巣くうモノ(1)
京都広域大学には教職課程がある。
私は、「教育実習の先生」を一度はやってみたかったので、教職課程向けの単位をとっていた。
憲法、外国語コミュニケーション、情報機器操作、といったあたりは座学で楽勝だと思っていたが、体育の二単位は難関だった。実技が必修だったからだ。
大学での体育なんて、ぼやぼやーと遊んでいればいい、と思われるかもしれない。実際、授業自体は厳しくない。けど、運動をする場所に出向かなくてはならない。それが面倒なのだ。
そして、種目選びが難しい。
テニスは人気で倍率が高すぎ。アーチェリーやカヌーといった種目まであるが、これは会場が京都から離れていて通いづらい。
というわけで、熟慮と抽選の末、私の実習科目はバドミントンにおさまった。
会場は向島駅から徒歩十分。わりと最近できた巨椋池総合体育館だ。実はこの反対方向に「0の通り」という知る人ぞ知る都市伝説的な地名があるのだが、それはさておき。
田んぼの真ん中にそびえ立つ総合体育館は、そろそろ京都に国民体育大会、改め国民スポーツ大会が来るんじゃないか、という希望的観測から建築されたのだとか。リゾート温泉的な設計で、学生にはうれしい施設となっている。
ただ問題なのはガラガラすぎることだ。
京都駅から普通列車で十五分。駅から徒歩十分という立地は悪くないと思う。
なのに、なぜか人が来ない。
フードコートは早々と廃墟化、学生の命綱は駅前のコンビニ。たまに文化大学の学生が実習に入っているが、「新しい名物料理を作ろう」なんてコンセプトで創作料理を出すので当り外れが大きい。
というわけで、今日もバトミントンの授業でくたくたになった私は、廃墟フードコートの片隅で勇者に倒されたスライム状態になっていた。
「大丈夫ですか?」
声をかけてきたのは、「実習」の名札をつけた女の子だった。
「あ、ごめん。寝てた。こんな汗だくで、本当にごめんなさい」
「あっ、いえ。それは構わないんですけど、体調が悪いのかと思ったものですから」
本当に心配そうだ。
「うっ、ちょっと休んだから大丈夫」
そう言いつつ立ち上がろうとした私は、視界がすっと上にスライドアウトして暗黒の世界におちいったのだった。
気がつくと私は、白いシーツと柔らかい掛け布団、酒石酸(?)の匂い、そして微量の獣臭いにおいに包まれていた。
目の前に見える景色は……
さっきの女の子だった。ずっとそばについていてくれたようだ。
「気がつきました?」
人なつっこい笑顔を浮かべている。
「ありがとうございます。お仕事は、大丈夫?」
「ええ。どうせ暇ですし」
そして、女の子はこそっとナプキンを取り出す。
「いります?」
「う、うん。そろそろ来そうだから」
こういう時、女子がついてくれるのはうれしい。小学校の時、保健委員だから、と男子がついて来たときの苦い思い出がよみがえる。
「そういえば、ここはまで運んでくれたのって……」
「柔道場にいた男子に頼みました。こころよくてつだってくれましたよ」
……あっ、それがこの獣っぽい残り香なのか。
「あとで様子見に来ますね。かなり顔色が悪いので、勝手に帰っちゃダメですよ」
とても親切な子だった。
彼女は名を蓮見杏奈といった。
京都文化大学観光学科三回生。意外にも私よりも年上だった。巨椋池総合体育館の実習は、「ホスピタリティマネジメント」の単位をとるためだという。
「でもねえ、こんなに暇だと、閑古鳥のお世話くらいしか学べないんですよねー」
ははは、と笑っている。
今いるのは、近鉄向島駅のプラットホームだ。心地よい風を受けつつ電車を待つ。
「どちらまで?」と私。
「丹波橋。霧島さんは?」
「丹波橋乗り換えで四条まで」
「わーっ、いいなあ。京都市内なんだ」
「え? 丹波橋って宇治市なの!?」
「ううん。一応京都市。まあ、伏見区だし」
……「京都学」の講義で聞いたことがある。伏見区は元々伏見市で、わずか七百日で京都市に編入されたのだとか。京都市民が伏見区と山科区は京都扱いしない、というけど、伏見区民の側も「京都市じゃないよ!」意識があるらしい。
「ちなみに、向島も伏見区なんだよ。元々は向島村だったんだけどね」
「へーえ」
それは初耳だった。
お腹が鳴った。思えば、今日はお昼は食欲がなくてパスしたんだった。
「ねえ、どっかでご飯、食べてく?」
「うん。どこかおすすめのお店とかある?」
「そだねー。伏見桃山の大手筋商店街ならおいしい店がたくさんあるよ」
「そこ行ってみたい! ローカル駅なのにすごくたくさんの人が来るって商店街なんだよね」
「えへへ」
杏奈さんは、我がことのようにうれしそうだ。
「そういえば、向島駅って全然駅前商店街がないよね」
「うん。ちょっとくらい商店街あってもいいのにね。あ、『0の通り』って知ってるかな。絶対に迷うと言われている魔界への入り口」
「知ってる! でも、そこって元々向島駅を作るための大通りだったんだよね。駅の位置がずれたから、仕方なく『0の通り』にしたっていう」
「そう。あそこならおいしいフレンチの店があるよ。あと、この近くにもイタリアンの店はある。どちらも駅遠だけど」
ちなみに魔界への入り口説は、種を明かせば都市計画がまだなかった時代に、家屋があった場所に適当に番地を振っていったらぐちゃぐちゃになってしまった、というのが原因だ。魔界に悩まされるのは郵便配達員か地図メーカーくらいだろう。
各駅停車の列車がやってきた。
私たちはそれに乗って京都方面に向かう。
桃山御陵前駅で降りる。古そうな駅舎だ。
高架下で直交する道に出る。
「ここが大手筋。桃山城の大手門につづく通りだったんだ。ここだけで五、六軒のお好み焼き屋があるんだよ」
京阪電車の踏切を越えて、人の多いアーケード街に入る。
少し歩いて、私たちは杏奈ちゃんおすすめのお好み焼き屋に入ったのだった。
豚玉モダンでエネルギーチャージしたあと、私は京阪線の各駅停車で祇園四条駅に向かった。
各駅停車は席に坐れるのがありがたい。そして、混み方もさほどではないので風邪を拾うリスクも少ない。
家に帰り着いた私は、バタンのQでベッドにダイブしたのだった。
ポンポンペインの憂鬱な一週間を過ごしたあと、私はまた体育の時間をこなすために巨椋池総合体育館へと向かった。
授業を終えてフードコートに向かう。今回は「新しい名物料理を作ろう」の日だった。海鮮とタケノコが入ったお好み焼き、なんてのを提供している。頼んでいる学生も割といる。この間食べたおいしい豚玉モダンを思い出しつつ、食券を買ってみる。
杏奈ちゃんが運んできてくれた。
「やっほー、今日は元気そうやねー」
「うん。おかげさまで」
ホスピタリティー精神にあふれた子だ。
「私、今から休憩なんだけど、ご一緒していい?」
「もちろん!」
杏奈ちゃんは急いで厨房に向かうと、すでに取り置きしてあったであろう新作お好み焼きをトレイに載せて戻って来た。
「これ、私も開発にかかわったんだよ。伏見甘長使ってるんだ」
「何、それ?」
「トウガラシの一種。でも、全然辛くないでしょ!」
「あっ、タケノコに気をとられて気づいてなかった」
「ははは。そうなるよねー」
などとのんきな会話をしていると……
ジャージ姿の女の子たちがばたばたと走り込んできた。
「すみません、誰かスタッフの方はいませんか!?」
「医務室に行ったんですけど、誰もいなくて……」
杏奈ちゃんが立ち上がった。
「ここ、普段は常駐の医師はいないんです。まず、状況を教えて下さい。怪我ですか、病気ですか」
「それが…… 多分、事故です。四階のマットルームです」
「新体操の授業で何人かが一斉に倒れてしまって。原因が分からないんです。膝を壊したみたいで、痛い痛いって苦しんでいるんです」
「指導の先生が真っ先にひっくり返ったんです。私たちでは対処の仕方がわからなくて」
「わかりました。館内放送で医者とか医学部生を集めます。そこで対処法を考えて救急搬送をするかどうかを決めましょう」
「ありがとうございます」
杏奈ちゃんが厨房に戻る。おそらくは裏動線で放送室に向かうのだろう。
やがて、館内にサイレンが響き渡った。
「来館者の皆様にお願いです。急患が出ました。この中にお医者様、もしくは医学部生、看護師など医療従事者がおられましたら、至急、四階のマットルームまでお集まり下さい。繰り返します……」
私も、何か手伝えることはないかとジャージ姿の女の子たちに続いたのだった。




