かぐや姫の犯罪(5)
けど、それも一瞬だった。
大型楽器売り場をぬけて、少し開けた場所に出る。その向こうは、パーテッションの壁で区切られている。……えっと、原語の発音はパティションだっけ。
鼓堂さんは、躊躇なくパーテッションを開いた。
その向こうには、堂々たるハマーシュタインのピアノが鎮座していた。優雅なカーブに漆黒の筐体。背景は、きれいな花柄の壁紙が貼られた建物の壁。菫川あやひさんの動画で見た光景そのままだ。少し離れたところには、レコードタイプのジュークボックスと、人の背丈ほどもあるハープが置かれている。ここが動画配信のスタジオだったのだ!
「調律はしてあります。どうぞ、弾いてみてください。お気に召すと思いますよ」
メリーさんは、ゆっくりとピアノに近づいて鍵盤の蓋を開く。そして、赤いベルベットが張られた円形の椅子に坐る。
「では、失礼して……」
弾き出したのは『エリーゼのために』だった。まずは腕ならし、といったところか。
続いて……
静かな出だし、からの五月雨のように広がっていく音程。
サン=サーンス の「死の舞踏」を弾きやがりました。
音域が広くて、かなりのプロでも弾くのをためらう超難曲。
その技巧に誰もが息を呑んだ。
演奏が終ると、しばしの間、皆が呆然とした。そして、その場にいた誰もが拍手した。
「おみごとです。ブラボー!」
とりわけ拍手の大きい鼓堂さんだ。が、それは、商人としての打算を超えた心からの賞賛だった。
けど、それに対してメリーさんは冷ややかな声でかえした。
「あなたから買うことはできないのです。このピアノは、スミレガワアヤヒの持ち物なのです」
鼓堂さんは口をぱくぱくしていた。
いい言い訳が思いつかないようだ。
「茜さん、あなたがあやひさんを殺したのですか。私には信じられないです」
澪さんが強い口調で言った。
会長が、現実を突きつける。
「ここに来ることは警察には話してあります。捜査令状がとれたら、彼らもすぐにかけつけますよ」
その言葉にが駄目押しとなって、鼓堂さんは観念したようだった。
「殺してないです。あれは事故でした。あやちゃんが、グランドピアノと壁に挟まれたんです」
ピアノの鍵盤のあたりを指さす。
「挟まれた?」と私。
「ええ。ちょうどそこの壁に。朝、発見したときには、もう冷たくなっていました」
そこにあったのは、何の痕跡もない壁。おそらく圧迫死というよりは心臓麻痺だったのだろう。
「ピアノが彼女をおしつぶしたとでも言うのかね」と会長。
「ええ、本当に押しつぶされていたんです。私もこれが現実だと信じられなかったです。でも、本当なんです。私、何が起きたかさっぱりわからなくて。この建物に住んでいるのは私とあやちゃんだけです。疑われるのは私です。そこでパニックして……」
「自殺扉を開いて、あやひさんの遺体を投げ下ろした?」
メリーさんが、少し離れた場所にむき出しになっている灰色の扉を指さした。
「はい。それは認めます」
「そのあと、ドローン気球を使って彼女の死体を鴨川デルタまで運んで投棄した?」
「え、ええ」
「あうなた一人で?」
「は、はい」
「おかしいですね。コドウさん。あなたにドローン気球の行き先を設定することはできますか。水素ガス発生器の操作をしたりできますか」
あわあわする鼓堂さん。助けを求めるようにあちこちを見ている。
「あたしの推理はこうです。あやひさんには彼氏がいた。あなたもよく知る人物が。その人は夷川家具協同組合の関係者でもある。彼女の変死が見つかったら、組合とこのビルの評判に傷がつく。そこで、二人であやひさんの死体を処理した。そうなんじゃないですか?」
「……」
黙秘が返ってきた。
「えっと、じゃあ、あやひさんを殺したのは……」
私の質問に、メリーさんはピアノに向けてびしりと人差し指をつきつけた。
「こいつです」
バン!
鍵盤の蓋が突然閉まった。
心臓が喉から飛び出すかと思った。
「あがいても無駄なのです。あなたの犯行だということは、すっかりお見通しです。それとも、このままあたしたちを全員殺す気?」
ガン!
グランドピアノの蓋が落ちる。かんしゃくを起こしたかのように。
背後では、ジュークボックスが鳴りだした。「葬送行進曲」だ。
誰がそんなものをジュークボックスに入れたの!?
ハープがズリズリと間合いを詰めてきた。押しつぶされたらただでは済まなそうだ。
パーテッションも距離をつめる。
照明が不安定に明滅した。
「ふっ、愚かです。人を殺した怪異がどうなるのか、聞いたことはありませんか?」
そう言いつつメリーさんはスマホの画面を見せる。
「はい、こちら検非違使庁。何がありました?」
「殺人犯の通報です。このピアノが人を殺しました。おそらく、こいつらも共犯です」
ジュークボックスとハープとパーテッションにカメラを向ける。
「はい、ちょと待ってくださいね。担当にかわりますので」
「ガッデーム! こちらは緊急事態なのー。早く来てー!」
メリーさんが珍しくあせっている。
ピアノが動き出した。ラスボス感が強い。その背後はパーティション軍団がかためている。
自殺扉が開いた。「お帰りはこちらですよ」と言いたげに。
会長が動いた。パーテッションに体当たりしたのだ。
……非力だった。相手はびくともしない。背後には、他の家具たちもついているのかもしれない。
「やむを得ません。ここは、建物の外に出るしかないのです!」とメリーさん。
「って、飛び降りろってこと!?」
「はい。あたしを信じて!」
……メリーさんがそう言うのなら仕方がない。
率先して飛び降りるメリーさん。
「南無三!」
私は、 逢魔が刻の暗闇へと飛び込んだ。
最初の感覚は「ぷにゅ」だった。
はずむ感じではない。何か巨大なお餅のような物が私のお尻を包むように受け止めたのだ。そこからずるりとすべり落ちる。
「みんなも早く!」
私の声に、会長、澪さん、胡堂さんが続く。
「何、これ!?」
「アドバルーンなのです。あやひさんが倉庫の隅から救い出した子。彼女の死を悼んでいる子。この建物の評判を上げこそすれ落としたくないと思っている子です」
「それは、どういうことなのでしょう」
謎の物体から滑り降りてきた澪さんがたずねた。
私たちは、建物から離れて敷地のヘリに集まった。家具たちは、建物を出てくることは出来ないのだ。
「怪異といっても一枚岩ではないのです。あやひさんによって命を吹き込まれた者もいれば、奪われた者もいます。アカネさん。あやひさんが何をしたのか、最初から話してもらえますか」
胡堂さんは、こくりとうなずいた。
「そもそもは、リストラ策だったんです」
菫川あやひ、こと 光吉あやの父は婿養子で、会社の倒産とともに母と離婚、逃げるように東京へ去った。
夷川通りの古い町家に残されたのは、先妻の子のあやとは仲の悪い継母と、すでに働いている姉。あやも、ことあるごとに早くいい人を見つけて家を出なさいと言われていた。穀潰しを養う余裕はないというわけだ。
あやには幼なじみの彼氏がいた。昼は美容師、夜はバーテンダー、趣味がバンドでおまけに貧乏寺のあととりのアルバイト坊主――三Bを越えた四Bだ。親に隠れて付き合ってはいたあやだが、寺嫁の苦労を知っていたので彼氏との縁は切りたがっていた。
そんなあやがかわったのは、動画配信の世界に触れたのがきっかけだった。それも彼氏のおかげと言えばそうなのだが、家での配信など家族が許してくれるはずもない。そこで、夷川家具協同組合展示場の片隅を借りて配信をすることにした。親戚達がこっそりとかばってくれたのだ。電気やガス、水道もただで使わせてもらっていた。けど、あやは肩身の狭い思いをしていた。
ある時、あやは四階の片隅でホコリをかぶっている婚礼家具に何の価値もないことに気づいた。半世紀以上前に作られた一流の家具。だが、今や新築の家には和室がなく、フローリングの床にワードローブを置く時代。婚礼で立派な家具をそろえてこれ見よがしに輿入れする時代でもない。
「和箪笥を廃棄して、展示場の構成を変えましょう」
協同組合の理事会で、あやは怖れ知らずにも在庫のリストラを主張した。
三階の会議スペースで話し合っていた老人達は、その言葉に渋い顔をした。けど、出てきた言葉は予想外だった。
「そやなぁ、売れん在庫を抱えていても、しゃあないしなあ」
「いずれ伝統工芸に日が当たる時が来る、とか夢みたいなこと言うてたけど、そろそろ潮時かもしれんなあ」
「ああ。あやちゃんをリストラ部長に任命や。いらん思うた家具はどんどん捨てて。わてらは愛着があるさけよう見とれへんけど、鼓堂さんなら大丈夫やろ。サポートについたって」
「アルバイトも適宜募集してええで。リストラ、勝手に進めてや」
その日から自殺扉が開いて、連日、売れるあてのない古い家具やインテリアが放逐されることになった。
あやの怖いところは家具を壊すことに何のためらいもないことだった。
ブルーシートを敷いてその上に家具を落とす。
それをアルバイトの若者たちがチェーンソーでぶった切る。
適度な量がたまったら、シートごとクレーンでつり上げて産廃業者のトラックに乗せる。彼らはそれを大阪の巨大焼却場に運び込む。
さすがに朝早くから夜遅くまで、というわけにはいかなかったが、日のある内が粉砕の時間となった。
作業を終えた若者達は、展示場の配管済みのバスルームで汗を流す。
そのあとがお楽しみタイムとなった。
あやは、お嬢様時代の貞淑さをかなぐり捨てて、男達を思いのままにむぼった。四B彼氏は、そのあまりの奔放さにあきれて姿を現さなくなった。
あやは、夜はネット配信者として世間の男達を熱狂させつつ、次の手を打った。それが、ハマーシュタイン事件だ。
ネットオークションを通じて夷川家具協同組合に多大な利益をもたらす――今までの待ちの姿勢のの経営では誰もなし得なかった偉業だった。
それは、一種の詐欺とも言えた。税務署が見つけたら大変なことになっていたかもしれない。けど、そのからくりは巧妙だった。あやの元には高価な品物が届き、プレゼントした人は配信でそれを確認する。そして、あやは売り上げに比例したボーナスを組合からもらう。
一方で、屋上ではアドバルーン復興計画が進められた。
アルバイトの大学生が中心となって古いゴム製のアドバルーンを復活させた。それは鯨の形をした変形バルーンで、かつて光吉家具の広告を空高くかかげた洛北の名物だった。
ただ、問題が二つあった。一つは京都市の広告規制条例、もう一つは消防による水素バルーンの禁止だ。
中秋の名月事件と前後して、あやはプライベートで空中飛行を計画した。
自転車ほどの速度で飛行する夜の旅。
五人の若者を代わり代わりに同乗させての夜の空中散歩は、あやの虚栄心を満足させた。
「そして、あやさんが殺されるという事件が起きたのですね」
「はい。私は、五人の誰かが犯人だと思いました。そこで、あやさんの昔の彼氏に連絡をして来てもらったのです」
「例のお坊さんですね」とメリーさん。
「ええ。彼は、一目見て真っ青になりました。そして、読経をしてから『自分には祓いきれない』と言い出しました。神仏の手にゆだねるしかないとか妙なことを言い出したんです」
「そこで、神聖な場所に送ろうとした」
「はい。そのあとのことはニュースに出ている通りです」
ふぅ、と溜息をつくメリーさんだ。
向こうでは、謎の人影が外の螺旋階段を登っているのが見えた。その足音がガタガタと聞える。狩衣に烏帽子だろうか。
「あの階段は危険なのに……」
「安心して。彼らは神の使いだから」
メリーさんが微笑む。
彼らは五階の非常口を開くと、どかどかち中に入っていった。
やがて、五階で開いている自殺扉からグランドピアノが押し出された。
ガシャーンという音と共に落下し、複数の弦が立てる不協和音が夜の闇に響いた。
続いてジュークボックスとハープも落ちてきた。
あまたのパーテッションもまとめて落とされた。その光景は、あやひさんが行った断固たるリストラを彷彿とさせるものだった。
そして、当然ながら、彼らを受け止める地面には黒い鯨のバルーンはいなかった。
「なぜ、鴨川デルタだったんだ」
会長がつぶやいた。
「あそこは、再生の場なの。罪を犯した女の人が、外見も内面も美しくなって生れ変れますように、って祈る場所だった。……ってあたしは聞いてる」
塀の外に自動車がとまった。
ビルのチャイムを鳴らしているようだ。
ベニヤ板を叩いたりしている。
「京都府警です。夜分、失礼します。どなたかおられませんか」
雑司刑事の声だった。
「さあ、アカネさん、貴方の出番ですよ」
メリーさんが、鼓堂さんをやさしくうながした。
「私、どうすればいいんでしょう?」
「流れのままに普通に。怪異は私たちで対処しました。あとは、人界の問題です。私たちはこれで失礼します」
メリーさんは、トタン塀の一角に向かうと、そこにある扉を開いた。その向こうには、寂れた隣りの駐車場が広がっているのだった。




