八十九夜 三者三様
――「ヴィーラ殿下と家臣による戦闘訓練」
その報告を晩餐会場で聞いた、ウダカの有力者たちに戦慄が走る。
特にマナスルで謁見の間に参画し、殿下に拝謁がかなう由緒ある上流貴族であればその驚愕は凄まじかった。
「王宮の戦闘訓練では100名の兵士が炎の蛇に焼かれ……呑み砕かれて絶命し、黄泉の国で死神の歌声を聴いたとっ」
「例え訓練と言えど……敵対する行為は許さんと、そう御考えなのでは?」
「いっいくら殿下であっても、それでは話の通じない魔獣……っいえ失敬」
「本当に噂と言い切れるのか? 閣下もご覧になられただろう、殿下が魔獣の仔をその身に使役されておられたではないか」
少しでも不敬を働いたなら、殿下の炎が我らに向かうのでは――。
誰のか分からないほどの鼓動と、背後より迫る魔獣の気配。
「――っうう! どうも腹の様子が思わしくない、残念だが退席させてください」
「かっ閣下……あっいやそういえば私も、持病のシャクがイタタタタ――失礼」
「まっ待ってくれ! わっ儂を置いて行かないでくれ――~っ!!」
有力者はそろって「重要な仕事」を思い出し、騎馬に群がり中には走って逃……殿下のお邪魔をすべきではないと、ウダカ城から退出していく。
かつて見たこともないほどの狼狽に、残された貴族も我先にと城門に殺到した。
後にウマー伯爵の馬車もその中にあったと噂が広まったのだが、領主は最後まで中庭におられたと噂が重ねられる。
「中庭におられたのは9名と聞く。件の殿下と対戦者の家臣……貴族の方々4名と亜人2名で計8名、ならば後1人はウマー伯爵である!」
他に観戦していた者はおらず、真相は闇の中となった。
例え領主が不在であったとしても、命令は守らねばならない。
兵士の詰所には重い空気が沈んでいた。
本来なら駐屯地に帰るか帰宅している時間であったが、殿下の護衛にと城勤めの衛兵はほぼ全員が残されたのだ。
「あの御方に……護衛が必要だろうか?」
そんな疑問が少数の手で押えられ、大多数の目で賛同される。
若い衛兵の中には戦闘訓練に興味を持つ者もいた。後に話だけでも聞きたいと、魔獣との戦闘経験がある先輩に観戦を勧める。
しかし普段は鬼みたいに怖い先輩の誰もが、目も合わせず小さく肩をすくめ……額に汗を滲ませ首を振るのだ。
「魔獣がいる訳でもない、単なる戦闘訓練になにを怖がってんだよ!」
「普段はいつでも命を張れるとか、偉そうなこと言ってるくせに情けねえ……」
「盗賊討伐の話も嘘っぽいよな、命懸けで戦ったこともないんじゃねえの?」
若い衛兵の幾人かは先輩衛兵に落胆し、聞こえよがしに嫌味すら発した。
「若いな……気がつきすらしないのだろう、城に流れる空気を」
「はあ? なんの話だよ」
それは老兵と揶揄される、最古参の衛兵だった。
「辺りの様子が分からんか、まとわりつく犬も騒ぐ家畜も姿が見えんだろう?」
いつからだと思うね――問われて若い衛兵は顔を見合わせる、そういえば物影でカサカサと煩い害虫の姿すらない。
「殿下が、城にお見えになってからだ!」
若い衛兵の鼓動が早まった、中庭から忍び寄り足元に絡みつく得体のしれぬ闇。
いつもと違う城の異常さを、今やっと察したのだ。
先輩衛兵が頷き、それすらはばかられると膝に視線を落とす。
「この恐ろしいまでの気配、魔獣のごとき覇気すら理解できぬとは……若いな」
いずれ分かる日もこよう、老兵まで死なずにおればだが――。
若い衛兵は部屋の隅で肩を寄せ合い、戦闘訓練が終わるまで震えていた。
☆
――突如ヴィーラ殿下が、アユムと戦うと宣言する。
主君の下知を止められようはずもないが、観戦者は額をくっつけ知恵を絞った。
「殿下は無論のこと、アユムとて唯一無二の存在です」
三角帽子を被った魔女が、どこかの狼と似た主張をする。
召喚に立ち会った当時なら批判もあったろう。だがこの半年に何があったのか、見違えるほどの覇気をまとっていた。
『カルマ』を啓いた影響か、こちらの世界に馴染むほどに異様さが増す……。
短い間ながら接した因果伯の誰もが理解している。
「アユムの博識さと、異質なまでの『カルマ』の巨大さは、他に類を見ない宝」
ヴィーラ王国の因果伯が、そろって深く頷いた。
そんな国の要に堂々と交ざり、他国の王太子が苦笑交じりに評す。
「俺もM属性だと聞いていたのに、O属性ではと疑ったくらいだ」
本人はどうやら理解していないようだ。佩刀してるのに気がついて貰えないと、愚痴をこぼしていたからな。
理由は分かっていたが、久々に殿下にお会いしてハッキリした。
「アユムの覇気は強く、王族に比肩する深さも秘めている。それゆえ無意識に瞳に引きつけられてしまうのさ、良きにしろ悪しきにしろな」
中途半端に地位のある奴が、自尊心でアユムの頭を押さえようとする――。
殿下の婿候補にこともなく告げられ、因果伯たちはどう対処すべきか戸惑った。
主君とあおぐ方に比肩する……認めたくなくとも否定できるだけの根拠もない。
そして他国の内情をさらりと語る、この男こそ底知れぬのではないのかと。
「兄様のライバルとなる方が料理人なんて……でも殿下がお招きしたんですもの、アユムだって十分婿候補といえます! 応援するから立派に戦ってねっ!!」
「あ……っうん」
姪は周囲の雰囲気も感じず、叔父の両手を固く握り励ました。
アユムがこの場にいたら、暴走して手遅れになる前に全力で否定しただろう。
「……状況を整理する。危惧すべきはこの戦いによって両者に確執が生まれれば、ヴィーラ王国にとって計り知れない損失に繋がる点だ」
寡黙な執事が、話が妙な方向に進む前に重要さを告げる。両者が結果に納得し、ケガもしこりも残さない――理想の展開を模索すべきと。
恋愛妄想から帰って来ない姪以外は、改めて強く頷いた。
ついにヴィーラ殿下とアユムが中庭の中央に進み出る。
観戦者は精一杯頭を抱え込んだが、都合のいい案は……出なかったのだ。
こういった思案に長けているアユムが、なぜかいつにも増してやる気になっていたからである。
「あの野菜……「米」とは、そんなにも美味しいのでしょうカ?」
「えっ美味しいの? ヨーギ食べた――い!」
山羊の角を持つ少年が呟き、馬の四肢を持つ少女が飛び跳ねて騒ぐ。
誰もが米の味を想像して喉を鳴らしつつ、これではイカンと頭を振った。そんな苦労も知らず、アユムが戦闘訓練を前に「思い出し笑い」を始める。
この状況を招き蒼白とならねばならない少年が、唯一楽しそうにしていたのだ。
観戦者全員が尻を蹴り上げたくなっただろう。戦う2人の心情は知り得ないが、周囲は戦々恐々と事態を見守るしかなかった。
「あの緊迫感のなさと妙に腰の低い立ち振る舞いは、アラヤシキの流儀なのかね」
城砦の通路で、盗賊が1人苦笑する。
そんな戦闘訓練が、アユムが眠ったか失神によってなし崩しに終了となった。
観戦していた観客にとっては、手を叩き喜びたいほどの僥倖である。
胸に一撃を受けた殿下が終了に納得いかず、アユムを叩き起こそうとビンタしていたので……表面的には誰も喜びはしなかったが。
アユムの身体を検めるも呼吸は整い、頬が腫れた以外に大きなケガはない。
落ちつけば大丈夫と息を吐くが、中庭は焼け崩れた攻城戦後……ここに単身残すよりはと、見知ったローカァ伯爵家に運ぶ手筈となった。
安堵の空気が漂う中、殿下の安否に飛び出したはずの黒猫がやっと我に返る。
遅まきながら異変に気がつき、因果伯に「風舌」が飛ぶ。
『兵士の詰所に集まらず、異質な行動を取る啓いた者がいる――』
☆
――城砦の三階、中庭に面した通路に漆黒の塊がある。
衛兵の何人かは詰所に向かう際目にしていたのだが、「気にならなず」見逃す。
塊を目撃したことすら、不明瞭な記憶となっていた。
漆黒の塊が微かに揺れる、中庭に現れた2人をとらえ喉で笑ったのだ。
「くっくっくっあの小姓……奇妙な少年は、アマゾネスでも見た!」
S属性と名高い、ヴィーラ王国の小娘との訓練……おそらく同じS属性だろう。
「運が向いてきたゾ!」
「カァ――ッ!」
肩に止まるズキンガラスに目を細め頷く。
因果伯と思しき者の素性を探し当てたのだ、これを手土産にすれば堂々と主君へ報告に帰れるではないか。
この傷ともおさらばだゾ――思わず声を立てて笑い、引きつった痛みに呻く。
フードを目深に被る「女」の顔には、十字に包帯が横断している。アマゾネスでなぜか河に落ち、手酷い傷を負ったのだ。
記憶が曖昧だった……硬い鈍器で殴られたら、こんな風になるのかもしれない。
体が動かず流され死を覚悟するも、相棒のズキンガラスが助けを呼んでくれた。
運良く通りかかった船に助けられ、喜んでたら運悪く海賊。奴隷に売られる所を「綺人」で操り、海賊の首領と擦り込みことなきを得る。
因果伯としての立場と命令による管理から一転、しばし隠遁生活を楽しんだ。
しかし海賊稼業は、けっして楽ではない。
獲物はなかなか見つからない……小型ガレー船は船尾に舵がなく人力が必須で、操船技術も悪くほとんど逃げられた。
手下どもは漁をし畑を作り、質素だが暖かいメシを運んでくる。
「ズキンの姉御ぉ、次は上手いことやりましょうや!」
屈託のない顔で酒を呷り前向きに大笑いする、あんたらなんで海賊やってんの?
「裕福ではないが一攫千金を狙う、こんな人生もいいなあ」
「カァ――~…」
海に沈みゆく夕日を見ながら思ったりもした。
しかしいつまでもこうしてはいられない、下手をすれば追っ手がかかる。
なにより治療もできず顔の傷が疼く、早く「妄水」か「按手」が欲しかった。
手下を引き連れ一番近い港、ウダカに寄港させ自首させる。
「あんたたちには命を助けて貰い仲良くもなったけど、海賊だし仕方がないよな」
「へいっ! ズキンの姉御ぉ!!」
衛兵を前に叫ばれ、ほうほうのていで逃げ延びた。
「失敗した! 海賊捕縛の報奨を当てにしていたのに……っ!」
河に落ちた時に全財産を失っていたのだ。
通りには果物や食べ物の屋台が並び、手が伸びるのを歯を食いしばり耐える。
曲がりなりにも因果伯の矜持が、姑息な「泥棒」を許さなかった。相棒が狩ったなにか分からない卵やカニを食べ、空腹と惨めさに涙を呑む。
海賊の首領を探す巡回の衛兵、さらにワーウルフまで目の敵にして追い迫る。
大銀貨13枚で済むと思うなってなんの話だ!?
「もう嫌だ、好きにしろっ! 国へ帰る――~っ!!」
「カアア――~…」
「カーカー煩いゾ役立たずっ! 肉が食べたい、ワインが呑みた――~い!!」
唯一残った駄カラスに吼えると、岩山のごときウダカ城が夕日に映えていた。
「……そうだっ! ここの領主から強奪すれば、ヴィーラ王国へ与える打撃でありけっして泥棒ではないゾ!?」
「カァ――ッ!」
大切な相棒のズキンガラスが、その通りですと頭を下げる。
領主はかなりの収集家と聞く、ならば一つ二つ……いや三つはいただいてやれ!
天啓である、展望が見えた、希望の光だ。
ウキウキと内側の城門までは問題なく通ったが、城を前に唸る。
戦時中でもないのに衛兵の数がやたらと多く、騎馬の往来も激しかったのだ。
「これでは……誰かに気がつかれてしまうゾ」
気配を完全に消すことはできないが、道の隅にいる小虫――「気にならない」程度には薄めることができた。
単なる「流し見」なら意識に上がらず、記憶にすら残さない印象操作。
しかし「監視」が目的である兵士には効かず、多ければ発見される確率も高い。
「ウダカにも因果伯がいよう、できる限り『カルマ』の使用は控えたい……」
アマゾネスとは違い、これだけ大きい街ならいつの間にか啓いてる職人がいる。
「門」が小さくほとんど返還できないが――「風舌」使いでも、自らの意志で啓いている者との違いは分かりにくい。
「力」さえ使わなければ、ごまかせるのだ。
相棒に空から騒ぎを起こさせ、献上品が積まれてた馬車にしがみつき、苦労してウダカ城に潜り込む。
漆黒の塊となり、やたら美味しそうな匂いに愚痴をこぼしていた矢先だった。
小娘と少年が中庭の中央に進み出る。
「始まるゾ!」
見つからないよう気配を押さえ、中庭を凝視しつつ忍び寄った。
属性を調べ弱点を見つけ、私の屈辱を倍に……いや三倍にして返してやるゾ!
暗い情念が燃えたが、一瞬のうちに霧散する。
「――ッジャ!!」
どこからともなく発せられた緑の覇気により、全身が硬直し石化した。
「綺人」と見紛う威嚇の振動音が轟き、身体が恐怖に支配されたのだ。
「違うっ……「綺人」なら知っている! なんだこれは――!?」
「綺人」は相手を知れば知るほど、近ければ近いほど効果がある。
今私は「気にならない」はずだゾ、視認できる距離にもそれらしい奴はいない。
「なにより断言できる、私は……命令を受けた覚えはないっ!!」
街中のしかも城の中で、魔獣による無意識化の統制とは考えもつかないだろう。
『誰もそばに寄ることは許さん!』
そんな「イメージ」が脳に伝わっていたのだ。
言葉の通じない魔獣の眼前に無防備で立ち、生殺与奪を握られた感覚――。
「いっ一刻も早く……この場から、立ち去らねば……っ!」
震える体を鼓舞し、石畳の通路に汗を落として這いずった。
しかし因果伯としての経験も告げている。
「アマゾネスで盗賊は「何か」に支配されていた、異質な存在……「綺人」と見紛う今の覇気は、あの少年が発したのではないか!?」
ならば戦闘訓練とはいえ、あの奇妙な少年はO属性!?
疑問が沸くも中庭から蛇の咆哮が轟き、熱波に焼かれ暴風に翻弄され転げ回る。
「わっ私がなにか悪いことをしたか!? こんなにも真面目に生きてるのにぃ!」
半泣きで神に抗議した。
願いが届いた訳ではないだろうが、支配が突然消え体が自由になる。半ば痺れる体に鞭打ち、脱兎の勢いで駆けだす。
また「緑の覇気」によって支配される恐怖。
己の精神を狂わされる悪夢を振り切るのに必死だった。
「ガァガァ――ッ!」
「――っ!?」
その時「女」の肩に止まっていたズキンガラスが、威嚇の声を上げ飛び上がる。
「女」は即座に横転して交わす、見えない危機が空気を切り裂き頭上を通過した。
その危険な挨拶に応じるべく気配を探り視線が飛ぶ。中庭を望む三階の手摺に、危なげなく男が立って肩をすくめている。
「黒猫の気配察知は素晴らしいのだが、思考が一筋では範囲が限定されますね」
あの御方専属だし、それでいいのか――やたら曖昧なセリフと一緒に息を吐く。
「私はチャンドラ……短いつき合いでしょうけど、御見知りおきを」
手摺から音もなく降り、人の良さそうな笑みを浮かべた。
到底兵士には見えない、行商人の出で立ちだからではなく……醸し出す雰囲気が犯罪者に近かったのである。
「盗賊」風の男と、漆黒のマントをまとった「密偵」風の女が向かい合った。
もし衛兵が駆けつけていたら、どちらを捕らえるべきか迷ったことだろう。




