八十八夜 アユム
「アユム――っ!!」
いつの間にかそばまで来ていたジャーラフが叫ぶ。怒ったような、悲しいような顔で立ち尽くしていた。
足元に漂う消えかけた霧が、幻想的な舞台を演出する。
現実に思えなかったのは、ジャーラフがぼくの名を先に呼んだからだ。
彼女なら真っ先に殿下の安否を気遣うと思った。安心させなきゃと、殿下の胸元から無造作に剣先を離す。
ジャーラフが引きつった顔で目を背けるが、血は溢れず剣幅の痕が残るだけ。
それは謁見の間で殿下に下賜された、半ばから溶け砕けた剣。
ぼくに相応しいと思い、打ち直しもせずそのまま持っていたのだ。
戦う覚悟が持てないだけと、避難されても反論はできそうにないけど……。
笑おうとして、笑えただろうか。力が抜け膝を折る、意識が保てそうにない。
「…――っ!? ――!!」
誰か叫んでいて、ぼくを起こそうと胸倉をつかみ頭を揺すられる。視界がぼやけ不敬にもヴィーラ殿下の顔が歪んで見えた。
無茶な『カルマ』の開放に、精神の限界が訪れたのだろうか。
殿下の全力を受け容れる――これほどに骨の折れる、そして達成感を感じる遣り甲斐は他にないだろう。
ただ、殿下の覚悟を見誤った。
ご無事だろうかと案ずる気持ちと、さすがですと誇る気持ち。
ぼくは最後に、いつか言ってみたかった3大セリフをどうにか絞り出す。
「試合に……負けて、勝負に勝った!」
あるいは……本望であったかもしれない。
ふふ、まるで主人公が選択した最善の策。
ぼくの意識は、闇に落ちる……。
消え入る光に重なり、誰かの声が微かに届いた。
「――寝て、おります」
女の子が泣いている。
大きく口を開け、眉を歪め、大粒の涙がこぼれていた。
その子が泣くと、心が締めつけられる。
なぜこんなにも悲しいのだろう……。
半身が消えてしまう、とても辛い喪失感。
女の子が泣いている。
大きな影が振り向き、ぼくに手を伸ばす。
避けるように、ぼくは女の子に手を伸ばした。
抱きしめて、頬をくっつける。
いつもそうしていた。
花が咲くみたいに、笑ってくれるから。
痛いまでの力と温かさを、ぼくは知っていたから。
女の子が泣いている。
闇に落ちるぼくの手は、間に合わなかった。
光の中で、女の子が泣いている。
☆
霧が薄くなり目が覚めた。
「えっ……と?」
爽快とはとても言えないけど、意識は覚醒している。
深呼吸し闇の中で目を動かし辺りを観察。調度品から宿泊させていただいてる、ローカァ伯爵家の客間だと判明した。
寝たまま顔を覆い、息を整え脳を働かせる。
新王都へ向け内外の都市部を探索し、ワーウルフに絡まれ逃げ、シャンティ卿に計画を提案し、ヴィーラ殿下に突如拝謁がかない翌日の準備に奔走し、ウダカ城で磁器の平皿に歓喜し、神経を擦り減らしてパンの製作に勤しみ、殿下とアレを巡り『カルマ』の異常使用――。
「そうだ殿下と戦闘訓練! あ痛っ……した、んだよね?」
上半身だけ飛び起き、なぜか頬に激痛が走り恍惚とする。
「懐かしい記憶が甦ったのはこのせいか、でもこんな所に攻撃受けたかなあ」
半泣きで頬を押さえ体を折る、痛みがあっても半信半疑は拭えない。
我がことながら濃過ぎる1日、倒れない方がおかしいのだ。
「ならば、どこからが夢? どこまでが夢?」
明り取り用の窓すら暗く、ベッドを出ると少し肌寒かった。しかし澄んだ空気と放射冷却で、明け方前なのは分かる。
子供の頃から毎朝の掃除や食事作りが日課で、幸い朝寝坊とは縁がない。
恐々と伸びをする、全身の筋肉痛に骨の鳴る音が重なった。窓を開けると巨大な西洋菩提樹が座している。
貴族を象徴する芝生が植えられた庭が、朝日を待ち今まさに萌えんばかりだ。
「まるで全てが、夢だったみたいにも感じる」
「シ――~?」
部屋に備えつけの長持ちの上に、カレシーがちんまりと座っていた。
「あっおはよう、シーちゃん」
なぜベッドにいなかったのか少し不思議だったけど、挨拶しようとそばに行く。
二重三重に巻きついた体に……茶色い布?
カレシーは小さな袋を、大事そうに抱え込んでいた。
「カ、カレシ――~…ちゃん!? それっ!!」
口にくわえぼくに差し出す。
昨夜のお願いを、ずっと守ってくれてたのだ。
「ありがとう! シーちゃんっ!!」
「シ――~!」
カレシーを抱きしめる、軟固い感触がさらに意識を鮮明にさせる。
夢では、なかった――。
「はっ!? だとしたら……殿下!!」
「おいアユム」
「わあっ!?」
部屋から駆け出そうとし、振り返った正面にジャーラフの顔。
ぶつかりそうなところを避けられ、まだ本調子ではなく腰が砕けた。
「ジャ、ジャーラフ――~いるならいると……いや、それよりっ!」
立ち上がろうとして膝が震え、手を借してとあおぎ見る。
その青い瞳が、困惑に沈んでいた。
「お前、アユムだよな?」
「え? ――うっうん、そう……だけど?」
平静ではなかったけど、改めて問われ戸惑う。
見ればジャーラフの尻尾が身体に巻きついていた、警戒しているのだ。
「ぼくだよほら、ちょっとだけ不格好にはなってるけど」
昨夜の試合で破けた左袖はそのまま、汗をかいたのに着替えもしていない。
別に潔癖症ではないけど、数日タオルで拭くだけではやはり違和感があった。
「それより殿下はご無事なのか!? 体調が悪くなったりケガとか――ごめんな、危害を及ぼすつもりはないって言っておきながら!」
「……奇天烈な服も訳の分からん言動もいつも通りか。そうだ殿下がお前などに、遅れを取るはずがない!」
そうだそうだと繰り返し、安堵の不機嫌な顔に戻る。
今はジャーラフの言葉を信じたかったけど――。
「ご本人に御聞きしろ」
扉の横で片膝を立て跪く、申し合わせたかのように扉が開いた。
「寝ぼけおって、外にまでくだらん声が響いているぞ」
手に持った燭台に灯る蝋燭が、白い肌が若干透ける薄いコットを浮かばせる。
少々ラフな夜着とはいえ、その美貌は目減りもせず――。
「主より安眠する権利があると思うてか!」
ぼくが跪き、忠誠を誓うたった1人の暴君が現れた。
「でっ殿下――~っ!!」
押し迫って頬を挟み持つ。
覇気がこもった双方の瞳はそのまま、オーブが舞う黄金色の髪にも変化はない。
「殿下っおケガはございませんか!? 限界を越えたり、痛い所などは!?」
返事を待たずに腕や腰や太ももを軽く叩く、ケガをした形跡はない。
胸元を引っ張り、職人が丹精をこめて磨き上げた白い肌が見――。
「え"だっ!」
頭頂部に、頬と同様の激痛が走った。
「きっ貴様はっ! 女の衣服をまくる趣味でもあるのか!?」
「それは誤解です! 私は御身の無事を検めようと――~っ」
頬を上気させ耳朶まで真っ赤にし、拳を握りしめて詰め寄られる。昨夜の続きが始まる勢い、今の体調だと速攻でなぶられそうだなあ。
しかし反面心では、このまま踏んでいただくのも一興だと期待が高鳴った。
「失礼ながら殿下、こ奴は誰に対しても気軽に触れます」
ごく自然に燭台を受け取り、呆れ顔でジャーラフが諭す。
殺気も混ざって見えるのは気のせいではないだろう。
「……っ確かに、そういった報告があったな。アラヤシキは変態の巣窟か!!」
美しき方に踏みしめられ、罵倒される喜びは皆持っていますけど。
向こうの世界への誹謗になる前に、説明すべきなのかなあ。
「すまぬなジャーラフ……こんな無礼者の、目付役など任せてしまって」
「いっいえ、とんでもございません! プラーナ様のお役に立てるなら喜んで!」
殿下が若干だが瞳を伏せ、ジャーラフの後頭部を撫で謝罪とした。ジャーラフが顔を輝かせ、照れて尻尾を真上に立て振るわせる。
2人の見たこともない表情に、ほころぶより驚いてしまった。
「シ――~?」
カレシーがぼくのお腹の上で、世の騒がしさに首を傾げる。その仕草には追撃の姿勢を取っていた、ヴィーラ殿下でも迫り淀む。
蹴りを見舞われなかったのは、喜ぶべきか嘆くべきか。
「ふぅ――…まあ、いい」
殿下がぼくの頬を挟み持つ、暖かな淡い光が宿った。
次いでカレシーを問答無用でひったくると、下目使いで命令。
「汗を流したい、あのお湯が冷めない妙な風呂の準備をせよ!」
「――はっ!」
腫れた頬が、跡形もなく治っていた。
領民のほとんどは日が昇ってからが活動時間となる。
蝋燭はむろん、松明であっても贅沢品なのだ。
貴族や聖職者とてそれは変わらず、通常6~7時頃に起床していた。整髪し服を整え、執事からスケジュールが伝えられる。
ミサを行い評議会を開いて、所領の高官らと会合。
以降も会談や集会――出迎えるに適した服や部屋へ移り、問題の報告から事件の聴取まで絶え間なく面談を行った。
ほとんどの時間を、会話や指示に費やしていたのだ。
即時伝達が可能な電話はなく書簡のやり取りも限界がある。「人に会う」ことが最も重要な仕事だと言えよう。
人となりを知り人脈を深めるのは、どの時代でも確かな影響力をもたらす。
「殿下が端的に意思表示されるのも、貴族的には意味があるのだろうな……」
短い交流で後の人生すら決定しかねない、口下手などもっての外。
「何故ウダカにもアラヤシキを用意しておかん、我の髪が痛むではないか!」
……単に無茶振りを、押し通しているだけかもしれないけど。
「気に入っていただけたなら嬉しいのですが、ぼくが来たのは一昨日だからです」
喉まで出かかった反論を、ジャーラフの睨みを前に飲み込んだ。
「なんなりと、お申しつけください」
ローカァ伯爵家の執事さんと数人の使用人さんが、にこやかな挨拶と共に手伝いを申し出てくれる。
まだ夜が明けきらぬ内から、ありがたくも厨房に火が起こされていた。
何より今はヴィーラ殿下が御滞在である。例え夜半だろうと些事も起こさぬと、気を張って仕えていたのだ。
通常窯の火入れは、最適温度の250度まで約2時間かかる。
殿下をお待たせしては……そして大人しく待つとも思えず、組み立て式簡易五徳と焚火でなんとかするしかないと思っていた。
なんとも頼もしい援軍である。
「ありがとうございます、では一緒にお風呂の準備をお願いします」
「昨日アユム卿が依頼されて届いた、桶でございますね。手順は聞いております」
窯に石を入れ焼き、その間に桶に水を満たす。
大きな桶には小さく仕切りがあり、格子状の柵で繋げてあった。水を溜めたら、真っ赤になるまで焼いた石を仕切り部分に投入。
触れた水が一瞬で気化する、水蒸気の音が心地よい。
石の熱で沸かすブータンの伝統――「石焼き風呂」である。
入浴剤として入れたカレンデュラオイルの香りが、優しく周囲に漂う。
この時代のお風呂は貴族であろうと、木桶にお湯を溜めるだけ。薪を使い入浴分のお湯を溜めるのは、費用や労力が格段にかかった。
石焼き風呂なら窯に石を敷き、料理などの薪を兼用できて無駄がない。
焼けた石の遠赤外線によって体を内部から温め、温浴効果の持続も期待できる。
公衆浴場ほど広い浴槽は無理だけど、ユニットバス程度なら十分暖め可能。
ぼくの見立てでは内側の都市部に、アラヤシキを建てるのは難しい。
「殿下に妙ななんて言われてしまったけど、ローカァ伯爵家へ宿泊のお礼として、製作を依頼しておいてよかった」
「ふむ……昨夜入浴した際も、いつもと肌の質感が違うとは思ったが」
ヴィーラ殿下が湯に浸かりながら桶の縁に頭を乗せ、ぼくに髪を流させる。
毎日お手入れなさっておられるのだろう……王妃似と聞く自慢の黄金色の髪が、暁にあって煌びやかな光をまとう。
気持ちよさそうに目を閉じておられるのを見ると、ぼくまで嬉しい。
「遠赤外線の熱エネルギーは人体への吸収がよく、健康の促進にも役立ちますね」
「ならば詳しい製法を記し、王宮にも備えつけるがよい。野趣溢れるだけでなく、有用な効果が認められるなら許可する――「衛生」とやらの躍如にもなろう」
「……御意に、ござります」
覚えていてくださっただけで胸が詰まり、頭を下げて感謝を述べた。
国王陛下はご病気だそうだ。温熱治療は医療でも確立された分野であり、改善の一助になるかもしれない。
殿下の御体はいかがかと改めてチェックする。
女性の肌をじっと見たことはなく判断しがたいが、危害は感じられなかった。
「気のせい、だったのかなあ」
しかし髪を洗うため上向いた胸元には、ぼくがつけた剣幅の痣。
あの勢いでぶつかれば、剣先の有無に関係なく無事で済むはずがない。肉体強化を過信し過ぎていたのではないか。
無言となったぼくを不審に思い、殿下が目を開け質疑の視線を送ってくる。
「その大変申し上げにくいのですが、胸の痣を早く治療してはいただけないかと」
腫れた頬を癒していただいたS属性の「按手」なら、痣程度は瞬時に治るはず。
殿下の玉の肌に傷があり、むしろぼくの胸が痛み凹んでしまった。
「我への一番槍になにを落ち込む必要がある、存分に誇れ!」
記念に残しておくかな――皮肉な笑みに、反論すらできずうな垂れる。
桶の中を快適に泳いでいたカレシーが、不思議そうに見ていた。
「シ――~?」
「しかしこの姿を見られたら……「ヴィーラ殿下のローブをまくった変態坊主」の誤解が、広まってしまわないだろうか」
準備が整いお呼びすると、髪を洗えと宣言される。石焼き風呂に洗い場はない、本来はゆっくりと入浴して温まるためのお風呂。
ウダカにはまだ側溝がなく、常にお湯を流し溢れさせる設備は困難でもあった。
「また無茶をおっしゃるなあ」
苦笑しながらも他の桶にもお湯を用意する。
護衛を兼ねての要望かと思ったけど……そもそも桶は西洋母体樹を望む庭の一角に設置しただけで、小屋としての区切りすらない。
屋敷に隣接しシーツで目隠しこそされているが、いささか心もとなさはある。
ブータンでは川原に穴を掘り浴槽とする、外の方が本物っぽいと思ったのだ。
昨夜も身支度前に入浴されておられたが、その際はビハーラ嬢とシャンティ卿が周囲に目を光らせつき添っていた。
女性1人での入浴――不安は当然であり、配慮が足りなかったと反省。ぼくへの誤解が広まる程度なら、許容すべきか。
だけど服をまくられるのは激怒し、お風呂へは当然みたいに追従させる。
「TPOも、時代によって変わるんだなあ……」
平民は家族そろって裸で寝るか、精々肌着程度。スーリヤ様もそうだったけど、この辺の心理は未だによく分からない。
殿下も頬を染めておられるし、ぼくだから平気という訳ではないのだろうけど。
「少しは恥じらいを持った方が……とは、言わんのか?」
心を見透かされ、桶のお湯が跳ねた。
「お前の行動はどうにも奇天烈だな。各地で言い寄られても生真面目なほど浮名を流さない、そうかと思えば裸を覗こうとする」
アラヤシキの心理は未だに――「分からない」ため、口を閉ざし眉根を寄せる。
「皆珍しいと寄ってくるだけ、特定の方に好意を寄せられたことはございません」
「謙遜せずとも好い、我が家臣がそうまでモテるのは鼻が高い!」
ヴィーラ殿下が声を上げて笑われた。
捨て石だと主命を下しながら、英雄と広める。英雄を利用しながら、影を望む。
「お互い、矛盾だらけですねえ」
7世紀もの隔たり……育った環境の常識は、簡単に覆せはしない。
それでも殿下と心が通じている気がして、ぼくは嬉しかった。
☆
「――では同じ『カルマ』は、世に存在しないのですか?」
戦闘訓練時、観戦してた皆は驚きのあまり石化していた。因果伯は『カルマ』を知るからこそ、時に驚愕と混乱を起こしてしまう。
まあその思考の隙を突いて、「初見殺し」を狙ったのだけど。
しかしヴィーラ殿下はぼくの「力」を前に、瞬時に自分を取り戻された。それは培った知識の差、なのだと……。
「そうだ……ゆえにお前の肉体強化のごとき『奇妙な力』であろうと、その性質的には特殊とはいえん」
驚きはしたがな――認めるのは癪だと、左の眉が少しだけ上がった。
「ならば意識を切り替え、対応するのはさして難しくはない。経験の問題だな」
経験とこともなげに話す少女は、どれほどの場数をくぐり抜けてきたのか。
己の主君として誇らしく、同じ年齢として悲しくもあった。
「我らが啓く『カルマ』は偶然の産物ではない、その者が内包する魂の容だ」
「魂の……容」
なにを感じ、なにを果たし、なにを欲したのか。
「双子とて全く同じ人生は送れない、同様に全く同じ「力」を発するに及ばない。我の「炎の鞭」も、幼き日の記憶が引き金となっている」
カレシーを腕に巻き、鞭に見立てて捧げ持つ。
「アラヤシキ育ちであろうとこの法則からは逃れられん。おそらくは啓いた際に、認識を容作る要素があったはずだ――」
ぼくは本を読むのが好きだった。M属性――「闇癡」は驚くほどすんなり大切な「力」となって、精神に息づいている。
ぼく独自の『カルマ』ですら……己の影からしか行使できないと、誰に教わるでもなくいつの間にか認識していた。
見目麗しい容姿に長い犬歯、最礼装である燕尾服、料理で人々を魅了する。
「飛翔」はウールド――「狼」の言葉から着想を得た。
始めて飛んだ時は――「ドラキュラ」のあだ名を思い出す。
姿を隠すためになぜ――「霧」を選択したのか。
「本来なら、バジリスクにより死んだはずが……蘇った」
全てが偶然などではなく、『カルマ』を容作る要素――幾重にも絡まる符丁に、まさかと思いつつも連想してしまう。
「ヴァンパイア……」
「バン……なんだと?」
無論のこと殿下がご存じであるはずがない。その名称が世界に記載されるのは、18世紀である。
しかしそれ以前にも吸血鬼――血を求める悪鬼羅刹の伝承は世界各地にあった。
古代から血液は「生命」の根源として、認識されていた所以である。
「未来に読まれる側になるかもしれない、なんて思ったりもしたけど……これにはブラム・ストーカーもびっくりだね」
19世紀末に出版され、後の創作物に多大な影響をもたらした古典のホラー小説「吸血鬼ドラキュラ」の作者である。
「思い当たる節があるのなら、今後も影響を受けお前の「力」となってくれよう。そして使い込むほど所持者に呼応し、より適した能力や付加価値を得る」
サーガラの騎士学校で、因果伯の皆は独自の術を会得していた。あの「力」が、姿こそが彼らの歴史。
人の何気ない行為が「原因」となり、他者に多大な「結果」を与える。
ぼくを屈服させたがった「彼」が「力」となる……なんとも奇妙ではないか。
「原因と結果から生じる絶対的な法則を「因果」――運命と呼ぶ」
「世界のあらゆる現象は……因果という見えない力に拘束されている」
思わずヴィーラ殿下の言葉を拾う。
殿下は一瞬キョトンとした表情を見せ、次いで喉が鈴を転がす。
「そうか、お前もスーリヤに学んだのだったな」
湯気の中で葉っぱがついた指示棒が舞う。
同じ教師に学んだ生徒が、同じ笑顔を想い描いていた。
「運命に、拘束に抗うため『カルマ』を欲した。なのにまたもや法則に縛られる、人の歩みなど……世の理にあってはこうまで無力なのか」
「前世や過去の行いが返還される法則を、因果応報と――「宿命」と申します」
此処ではない何処かに……いつからか内包していた魂。殿下の未来と触れた時、ぼくの輪廻転生がかなったのではないか。
雫に濡れた瞳が、ごく普通の少女の瞳が瞬く。
「朝の来ない夜はないのです。例え世の理にとり私たちの行いが無力であろうと、いつの日か必ず暁光を拝めましょう」
夜明け前となり、ターダ山の陰影が浮かび上がってきた。
ふいに視線をそらし、少女が眩しそうに目を細める。
「……アラヤシキのことわざか? お前が話した物語から察するに、こちらと大して違いはなさそうだな」
「御慧眼恐れ入ります、両方を見聞きして私もそう思いました」
「明けぬ夜か……魔獣に想い人の名をつけるほど、酔狂な世ではないがな」
妙な名をつけられてしまったなと、カレシーの顎を撫でた。
「――我の全名はプラーナ・アミターユのみだった、王位の推定相続人となった際「ヴィーラ」と外交称号をつけ足された」
「この国を継承せよと、願われたのでしょうか?」
「さてな、我には逃れられぬ呪いがこもっている気がしたが。プラーナは「息吹」といった意味がある、お前の名は?」
「……向こうの世界では、「夢を歩く」と書きます」
「夢を歩く、上手く名付けたものだ」
日が昇り、2人は光に包まれる。
「アユム――」
「はっ!」
「昨夜の喧嘩、楽しかったな!」
「殿下のお陰をもちまして」
「……ふんっ! 口の減らん奴め」
無礼者、貴様、お前――名を呼ばれたのは、たぶん初めてではないか。
ヴィーラ殿下に抱きしめられたカレシーが、小さくあくびをする。
芝生が緑に染まり、生命の息吹が匂い始めた。




