八十七夜 非確認飛行物体
――欧州で稲作が広まったのは、大航海時代の15世紀。
しかしそれ以前にも欧州の料理レシピには「米」が記録されている。驚くことに13世紀頃の修道院で、米の栽培にも着手していた。
むろんごく一部の地域であり、ぼくが諦めたように当時は貴重な輸入品。
珍しい添え物として奇妙な食材として、王侯貴族に珍重される。美食として求められたのではなく、薬や香辛料として少量だけ扱われたのだ。
だが後には生産性の高さから、大規模な水田まで作られた。
小麦の代わりに飢えをしのぐ食品として広まり、チーズを詰めたライスコロッケ――「アランチーニ」などの郷土料理も生れる。
「修道僧が栽培したと記録にある、この米の話ではないだろう。だけど稲作の成功を暗示して思えるし、そうなにより……っ」
ぼくが召喚した訳ではなく、流通商品として正しく海を渡り流れてきた。なので「因果が乱れる」ことはない!
希望が生れ、心に日が射す。
時期的には赤米や紫黒米などの「古代米」だろうけど構わない、ぼくにとっては千載一遇のチャンス。
「ササニシキやコシヒカリが食べたいなど贅沢は言わ……思うかもしれないけど、けっして言わないっ!」
食の魅力には抗えず、かつてないほど心がはやっていた。
「米だ――――っ!!!」
種もみの入った袋を椅子の上に置く。
そっと触れるとザラザラとした感触……うん、現実だ。
「いいかいシーちゃん、これは本当にとっても大切なんだっ! ぼく以外けっして絶対誰にも、指一本触れさせちゃいけないよ?」
「シ――~ッ!!」
ぼくのお願いに、カレシーは袋に二重三重と巻きつき頼もしく震えた。
目を合わせ頷き合い、男の約束とばかりに拳と額を合わせる。
「……そういえばカレシーは、オスメスどっちなんだろう?」
オス……かな、なんとなく。
「ヴィーラ殿下と家臣による戦闘訓練」
かがり火がウダカの城壁を照らし、一種異様な空気が漂っていた。
非公開であり中庭に存在が確認できるのは9名のみ。当事者である殿下とぼく、ラクシュと両国の因果伯が5名、そしてカレシー。
まあどこかで、ジャーラフも観ていると思うけど。城の屋根を見渡してみるが、この闇夜では確認できるはずもない。
「殿下と相対するんだ、尻尾を膨らませて怒ってるんじゃないかなあ」
想像したらなんだか笑え、観客に驚愕の視線を送られたので咳払いでごまかす。
魔獣との戦闘経験がある兵士も観戦を許可されたのだが、誰一人来なかった。
どうやら兵士間で、殿下の訓練が怪談話で伝わっているみたいだ。
曰く――「100名の兵士が炎の蛇に焼き尽くされた」「鎧ごと両断され黄泉の国で女神が微笑んだ」「死んだほうがマシな歌声を聴かされる」等々。
最後のだけ明らかに違う気もする……けれど無表情だった衛兵に半泣きと謝罪で拒否されると、さすがにそれ以上は勧められない。
ウマー伯爵も領主として許可されたが、集ったウダカの有力者を見送りせねばと慌てて走り去った。以後姿を見ていない。
「珍しい物がお好きなようだし、残念だったろうなあ」
身分も性別も違うが同世代であり、雰囲気は似た2人が中庭の中央に進み出た。
サーガラの騎士学校に比べ広さは3分の1、一辺50メートルもなさそうだ。
さらに高い壁に囲まれ、檻に閉じ込められた圧迫感を否が応にも受けてしまう。
それ以上の緊張感を、目の前の少女がもたらしてはいたけど。
「素手で猛獣と戦う方が、まだマシに思えるなあ」
けれどこの狭さだからこそ、やりようはある――。
不敬にも軽口を叩くのは、心臓が躍り息が詰まるから。向き直り視線が合う……すでにヴィーラ殿下の体から、淡い光が揺れていた。
S属性がしめす肉体強化の光。
優美な革の鞘から騎馬鞭を引き抜くと、先端には赤い鉱石が埋め込まれている。
一つ打ち振るうと空気が膜を張って、殿下の声だけが耳に届く。
「手加減を感じたなら、灰とする」
微笑と共にされた死の宣告。
ぼくは静かに、両手の手袋を外す。時間をかけて丁寧にポケットに納め、殿下に下賜された剣を納刀したまま頷く。
「抜かないのか?」と殿下が目で訴える。
「まだ必要ではありません」と目で返しニコリと笑う。
その態度が不敵に見えたのだろう。肉体強化の淡い光に重なって、数万の羽虫が飛び交う音すら響いた。
怖わああああァ――――~…っ。
ウールドは意識するよりも、やる気になったら発していると言ってたっけ。
殿下は任意に行えるのか、同じく感情の高まりによるのか。
「どうやら……後者が本命っぽいね」
不穏な想像が聞こえた者はいただろうか。例え虚勢だろうと、この方の前で剣を抜く自信はない。
殿下の覇気が増し、見開いた双方の瞳に恒星が発現していたのだ。
対峙する2人の時空は帯電し、歪みが感じ取れた。
「――ッジャ!!」
椅子に陣取ったカレシーが、突如威嚇の振動音を鳴らす。どこかで見ていた者がいたのか、その激しさに観客の体が跳ねた。
当事者2人はそれを合図に、弾かれて距離を取る。
ヴィーラ殿下は「ポケット」に手袋を収めるぼくを怪しんでいた。脚衣にある、奇妙な切込みはなんだと。
ぼくが「妙な物を作る」と聴いていたのだろう、対応するため跳び退いたのだ。
「正解です、殿下!」
胸に当てた右手の影から白い煙が発生し、ぼくの周囲を覆っていく。
「奇妙な、に関してはですが……っ『凝縮』!」
殿下が疑惑を持ち距離を取る、その予測に合わせて『カルマ』を啓く。空気を、水蒸気を大量にふくんだ飽和状態に返還したのだ――「濃霧」である。
霧はぼくを中心に広がり続け、瞬く間に足首を満たし大地を白く染めた。
騎士学校より狭い中庭だからこそ、短時間で視界を覆い尽くさん勢いだ。
「こ、これは「木口」……いえ、違いまス! 今度はどんなカラクリヲ!?」
ルタが小さな手で胸を押さえ、小さな体で飛び上がる。
驚かせちゃったね、お詫びに好きだと話してたアラヤシキクレープを作るから。
殿下も想定外だったのか、膝まで迫る霧に身構え渾身の力で鞭を振るう。干した布団を叩くには大きすぎる破裂音が鳴り響いた。
白い湖面が割れ数舜の間地面は見えたが、溢れる霧ですぐに覆われる。
「だが有毒……ではない!」
舞い上がった霧を薄く嗅ぎ、口を押さえていた左手を放す。
まずは毒を警戒する、さすがです殿下。判断も早く地面を蹴って、すでに腰まで霧に覆われているぼくの左側に回り込む。
盾を所持していない剣士には、右回りで対応するのが定石。
抜刀していない相手でも、微塵も油断せず勝負を挑まれておられる――。
「のだっ!?」
繰り出された一撃を、半ば霧に隠れて転がり避ける。
悲鳴を上げる間もないとはこのことか。
「ふぅ……一発退場では、集った観客からブーイングが起こりますよ?」
軽口を叩きながらも距離を取り、ベストの胸を開けた。
肉体強化された殿下の瞬発力は、ジャーラフに比肩している。ほとんど瞬間移動する華奢な少女を、通常なら目で追えるはずもない。
しかし今は霧で舗装されており、巻き上がる白い飛沫が場所を知らせてくれた。
「視界が霧に包まれるのを待つほど、隙がある方とは思ってません……っ!」
鉄線を爪弾く音に重なり、振りかぶられた騎馬鞭が空を切る。
再び霧に円弧が描かれるのを、ぼくは上空から見た。
『飛翔』――っ!
夜空を抱き、居待月の光が全身を包む。
長めに入れたサイドタック風の切込みから暴風が吹き、殿下の頭上を飛び越す。
城壁の間近に、若干よろけながらも着地。
「跳ん……いやっ飛んだ!?」
さすがのヴィーラ殿下も首をめぐらして驚き、落ちるぼくを呆然と見ていた。
ぼくは左右の袖からも噴出し、殿下を中庭の中心に据え丸く滑り走る。
「あの速さって、肉体強化!? アユムはS属性だったの……っ!?」
「いっいいえ! いいえ召喚の間では確かにM属性だと、これはいったい!」
ビハーラ嬢が口を開け、ソーマ卿が公言しないよう苦言した件を叫ぶ。
『カルマ』を知るからこそ、湧き上がる驚愕と混乱。だが瞬時に立ち直ったのは、やはり炎の瞳を持つ少女だった。
『炎生』!
殿下の前方に「カーン」に酷似した文様が浮かび、淡く発光する。
騎馬鞭に埋め込まれた、赤い鉱石が呼応し脈打った。文様に向かいひと振りする間もあらば、通過する鞭から炎が生まれ伸びてゆく。
「炎の蛇……」
殿下の代名詞である。
見るのは二度目だけど、その美しさには感嘆してしまう。
「ふふっジャーラフが、お前がなにやら理解不能な術を使ったと報告してたな……本当に色々とやるものだ、だが……っ!」
赤いワンピースドレスが舞い広がり、顕現した恒星に太陽風が吹き出す。後手に回ったのをただすためか、全身をしならせ虚空に一撃を放った。
だが――読み違えたのは貴様も同様。
大気が炎で焼きくすぶり、残炎が空中で爆ぜ霧と絡み合う。城内の狭い中庭は、どこにいても炎の鞭の距離。
「霧のごときカラクリに肉体強化、それでこそだ! 心置きなく全てを披露しろ、我が名において命ずるっ!!」
冷笑が、尾を引いて瞬く。
「嗚呼……素晴らしきかな、ヴィーラ殿下!」
受ければただでは済まない炎が頬をかすめ、熱波が髪を焦がす。
数舜前に駆け抜けた地面が、炎の鞭によって焼き抉られる。ヴィーラ殿下がぼくを討ち取らんと鞭を振るい、衝撃波が耳元で弾けた。
しかしいくら殿下とて、爆風による高速移動をとらえるのは困難。
ぼくも動きの読みにくい鞭を、見て避けている訳ではない――。
「確かに鞭の軌跡を教えてくれる霧はあるけど、それでこうも避けられる!?」
「M属性の予感――いやっ予測か!」
シャンティ卿の疑問にラクシュが応じる、ご明察ですお二方。
だけど頼りの濃霧も、時間と共に吹き散らされていく。もう一度「凝縮」で啓き直したいけど、今「飛翔」をとくのは自殺行為。
互いに『カルマ』をどれだけ維持できるかの持久戦となる。
「霧が散るまでのリミットがある分、ぼくが不利か……っ」
殿下が速度に慣れる前に、決定的一手を打たなければジリ貧とな――にっ!?
「うわわっ!!」
行く手に城壁の石垣が音を立てて降ってきた。
殿下を中心に周っていた軌道を読まれ、先手を打たれたのだ。
さすがです殿下――賞賛する余裕もなく、止めとばかりに鞭を振り上げられる。
ぼくは急停止せず城壁を蹴りつけ、もう一度殿下の頭上を越す勢いで跳ぶ。
「ふっ……それは先ほど、見た!」
ぼくが通るであろう放物線上の交点に、殿下が炎の鞭を打ち合わせた。
空中では避けようがない、追い詰められ敵の武器が届きうる場で跳ぶなど無謀。
「そう、思わせるっ!」
ぼくは左腕を頭上に掲げ、爆風により空中で無理矢理軌道を変える。
――戦いに適してないM属性が、S属性やO属性と敵対した場合どうすべきか?
サーガラでの自問に、ぼくは一つの答えを出していた。
「逃走の一手、とてもじゃないが対処はできない」
身を護っての退避が最優先となるだろう。しかし因果伯の「力」を見るにつけ、それすら選択できない場合も十分に考えられる。
「ならば「属性の秘匿」を逆手に取り、S属性ではと思わせれないだろうか?」
S属性がしめす肉体強化は常人に不可能な筋力を、怪力や速力を発揮できた。
ぼくの代名詞となりつつある「飛翔」を駆使すれば、似た印象を与えれるのだ。
誤認情報で惑わせ、思考の誘導を誘う。実際は純正の肉体強化に比べ、なんともお粗末な「力」だけど……。
「ただ一点、空中機動のアドバンテージ!」
跳べば「落ちる」しかない、肉体強化では有り得ない動き。
炎の蛇がうなりを上げ、前方を蛇行していった。
「殿下、御覚悟をっ!!」
無慈悲だが実戦において、「初見殺し」ほど有用な手段はない。
落下スピードに押され殿下の真後ろに滑り込んで着地し、右手で剣を――。
「「えっ!?」」
2人の疑問形が重なる。
ヴィーラ殿下は突如角度が変わり、勢いすら増し落下したのに驚き。
ぼくはシャツの左袖が吹き飛んで驚いた。
バランスが崩れ数度横転し、白い波が丸く舞う。鞭が当たっていたか? 爆風に耐え切れなかったか!?
左袖を見るも疑問には答えてくれず、苦痛をごまかし半ばよろけて立ち上がる。
「……実戦って、色々起こるなあ」
「もらったっ!!」
殿下が振り返って、勝機とばかり無慈悲に鞭を叩き込む。炎の蛇が鎌首を上げ、真っ赤な咢が敵を屠らんと迫りくる。
実際には肉体強化をしていない生身の体、まともに受ければ抉り焼かれ――。
ぼくは右に、一歩だけ避けた。
左腰に納刀したままの剣が炙られるほど、ごく近くを炎が通過してゆく。
「なっ……に!?」
必倒ではないにしろ、当たる予感はしていたのだろう。殿下が本日幾度目かの、衝撃を受ける。
「それは先ほど、視ました!」
予測、使い慣れた武器や手順は「型」になりやすい。ぼくは複雑な鞭の軌跡を、無意識に切り取っていた。
「やはり」と、確信が確定に変わったのを実感する。
やはり余力を持ってお相手できるほど、ヴィーラ殿下の「持論」は甘くない。
若干うつ向いていた顔を上げる。ぼくの前に30センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。
識者ならば梵字の「マン」に酷似していたと指摘しただろう。
ぼくは「闇癡」を啓き、殿下の行動を脳内に完全記憶する。
そして祈るように向い合わせていた手の平をかざす。正確には双方に影が生まれるよう、数センチの間を開けていた。
両手の平には10センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。
識者ならば梵字の「キリーク」に酷似していたと指摘しただろう。
顔の前と、両手の平と、背中――常時4つの『門を啓きし者』を開放。
「殿下申し訳ございません、全身全霊で潰してこその忠誠心でした」
嗚呼せめて霧が晴れるまでは、ヴィーラ殿下と戯れていたかった……。
じわじわとなぶられ、追い詰められ、冷笑と怒りの鞭を受けたかった……。
だがやると決めたなら、徹底的にお相手しないでどうする。あえて受けるなんて不敬ではないか。
汗を落としながら、唇の端を上げる。
身体から急激に力が吸い上げられていく。
この状態ではいつ限界がきて、『カルマ』の維持が不可能となるか分からない。
ハスター伯爵やプリンスなど、複数の門を啓く者はいた。O属性やM属性はその性質上、開放し続ける必要がある。
しかし4つの門を常時開放し続けるなど、どれほどの力量を必要とするのか。
ヴィーラ殿下はもとより、観客のほぼ全員が『カルマ』を啓く者たちだ。ぼくの「異常な行為」に目を見張り、言葉すら出ず立ち尽くしていた。
「忘れておった……貴様はすでに歴戦と呼ぶべき、戦果を挙げていたのだったな」
武者震いか、殿下の体が微かに震え頬が高揚して見えた。嗚呼……このぼくに、興奮しておられるのだ。
殿下……あなたが悪いのです、いつもぼくの心を狂わす。
「さあ、存分に興じましょう!!」
我ら2人だけの、宴でございます――。
☆
「ヴィーラ殿下の「力」それ自体を、無効化させる方法はある――しかし!」
スタンガンや催涙スプレー、果てはスタングレネード。召喚した未知なる武器で「なにをされたか分からず」倒しても、それは勝利だろうか?
ヴィーラ殿下の主命に答える、それは家臣としての務め。
殿下の命令を忠実にこなし、殿下の全力を完璧に受け容れ、殿下の矜持を完膚なきまで叩き折っての「反論」である。
「なにより……嗚呼なによりそれでは、鞭打って貰えないではないかっ!!」
ぼくは背と両手の平からの爆風で中庭を飛び回った。
時に主塔の壁を走り、時に接触するほど駆け抜け、時に縦横無尽に影を描く。
城壁そばの松明が掻き消え、観客からクレームがきそうだ。ウダカ城の屋根瓦が飛んでいく、後でウマー伯爵に謝罪しなくては……。
空気を返還した「暴風」――最大瞬間風速は50メートルで自動車が吹き飛び、大木が捻じ切れ倒れる速度。
世界記録は100メートル/秒を越え、鉄筋家屋が倒壊して飛散する。
風力を調整し3ヵ所でコントロールすれば、肉体強化の速度を遥かに凌駕した。
時速360キロは新幹線より、ずっと速い――なぜ単位が新幹線なのかと笑う。
「くっ……この……っ!」
ヴィーラ殿下が暴風に煽られ、振動と衝撃を受けたたらを踏む。その程度で済むのは肉体強化ゆえか、構わず鞭をすくい上げすかさず叩き打つ。
壁際を飛ぶぼくの進行方向と、退路をほぼ同時に炎の鞭が襲う。
「おお、その連撃は初視――お見事です!」
避けた弾みで城壁に当り、半ば擦りつけて飛び痛そうな音が響いた。
一手間違えれば体を焼き裂く「力」が、ギリギリをかすめていく。その緊張感がなんとも心を震わす。
「下らん世辞を――『炎生』っ!!」
「っ――2度の開放!?」
殿下の『カルマ』が吼え、「炎の蛇」が一層激しく瞬き「炎の大蛇」となる。
ぼくを炎の牙にかけるべく、城内で荒れ狂いのたうちだす。
歴史ある人工の岩山が削られ瓦礫と化し……謝罪では、済みそうになくなった。
「そのまま上空に居座っておれ、叩き落としてやる!!」
鞭は中距離攻撃が可能だが、いかな殿下とて飛び回る相手は経験がないだろう。
さらに一度「視た」攻撃なら易々と避けるぼくに、歯ぎしりすら聞こえる。
ぼくを鞭打とうと必死に想いを馳せ、渾身の力を募り、焼き尽くす未来を描く。
「嗚呼、なんて愛おしい瞬間……」
頬が高揚しているのが分かる、高鳴る心臓が脳内で重低音を響かせる。
マナスルでシェヘラザードとなり、殿下とひと晩語り明かした思い出は、とても楽しいひと時だった。
それに勝るとも劣らず……戦いとはこんなにも、濃密な語らいであったのか。
ぼくだけを感じて攻撃し、殿下だけを感じて避ける。
今ぼくだけが、炎の瞳を独占しているのだ――。
「アユム……この、魔獣めっ!」
酷いなあラクシュ、ぼくはごく普通の少年です。
王太子の叫びが耳に届き、思わず心で突っ込みを入れてしまう。
ライオンのたてがみを震わせたその顔は、なぜか歓喜と悲哀に歪んで見えた。
ヨーギがラクシュの前で構え『カルマ』を啓く。
前脚の蹄に梵字の「カーン」に酷似した文様が2つ浮かび、淡く発光する。
まだ「力」を放ってはいないけど、誰が見てるか分からないし気をつけないと。
普段と違い有事に備える姿は、まさしく因果伯だった。
「殿下以外にもまだ……これが、人の戦いとは……っ」
チャンドラが城砦の通路で風に煽られている、来ていたんですね。
物理法則にすら束縛されず、凌駕するほどの力をしめすのが『カルマ』である。
「力」を啓いた因果伯とて、全ては想像できない。
「バジリスク……」
主塔の三角錐の屋根で、ジャーラフが呟く。
気配を消しているのに、はっきりとその存在が確認できた。
まったく、ヴィーラ殿下も困った方だよねえ。
城壁に囲まれた中庭は、一種の閉鎖空間である。
爆風と炎の鞭が奏でる異様な音が城壁に乱反射し、魔獣の咆哮を思わせた。
城内に残っている兵士は、状況が分からず混乱してるのではないか。非公開なので確認もできず、恐怖に耳を押さえながら……。
ウダカ城を望む市民は、遠目にも異常な事態を察していた。
崖の上にそびえ立つ城は、暗闇に包まれた岩山。今まさに火山の噴火口と化し、炎の大蛇が溶岩のごとく吹き出している。
黒い背のベストとパンツが残像を起こし、黒き大蛇が追従していた。
炎の大蛇が、黒い風を断ち切る。
黒き大蛇が、赤い炎を吹き飛ばす。
ウダカ城に二匹の巨大な魔獣が出現しているのだ。家に引きこもり妻子を抱き、脅威が通り過ぎるのを祈る他ない。
その時ウダカの街角から、人影が消えた――。
なぜか全てが、俯瞰視点で見通せた。夢だと認識して夢を見るように……。
街灯がなく星空だけの世界で、暗闇の中万能感が沸き上がる。
『吸血鬼がいる! ドラキュラだ、みんな逃げろ――!』
ふと「彼」が現れてはやし立てた。
なんだか嬉しくなって、それが当然とばかりに夜空を駆ける。闇夜の中であれば『カルマ』の開放が、こんなにも楽に行えるから。
「せめてヴァンパイアと呼びなよ――」
笑い声が聞こえる。しばらくの間、それが自分の声だとは気がつかなかった。
それは歓喜だった、面白かったのだ。
「奇天烈な奴め、子供みたいにはしゃぐな!!」
ヴィーラ殿下の叱責、その瞳が笑っておられた。
半年……ほんの半年見ぬ間に、これほどの成長を遂げる。不滅の世界、まさしく「アラヤシキの少年」だったか。
それは歓喜だった、面白かったのだ。
互いを食い破らんとする絡みつく大蛇。
あるいは仲のいい男女が、ダンスを踊っているようにも見えた。
そんな幸せも始まりがあれば必ず終わりがある。
2度の開放に幾度か啓き直し、炎の大蛇の勢いが衰えだしたのだ。
ぼくとて流れる汗に揺れる視界に……「力」を使うだけの精神が、維持できなくなりつつあるのは同じ。
2人の視線が、一瞬だけ交差した。
「勝負――っ!!」
意思疎通が果たされ、互いに決定打となるべき距離と力を図り――。
「――っ!?」
ヴィーラ殿下が突如つまずき、膝を折りかける。
「殿下っ『カルマ』の啓き過ぎです! 御身体に限界が……っ!!」
ビハーラ嬢が口を押え叫ぶ、誰もがそう思っただろう。
だが殿下の白い足首に、いずこからか現れた「紐」が巻きついていたのだ。
「間に合った!!」
霧はすでにかすれるほど薄く、土埃に変わっていた。
孫子の兵法「兵は詭道なり」――勝負の本質は、虚実の駆け引きにある。
濃霧を発生させても「ボーラ」を作る隙が、ヴィーラ殿下にあるとは思えない。
先に準備しておいても、殿下の素早さだと避けられてしまう。そこでザイロンのリストバンドをほどき、すぐ縛れるよう両端に輪を作っておく。
「もやい結び」である。
試合が始まる前、殿下に見せつけながら両手の手袋を外す。警戒心を持っていただけるよう隠しながら手袋に紐をかけ、ポケットに納めた。
「凝縮」で濃霧を発生させ腰まで届いたら、手袋を放り出し漂わせたのだ。
手袋の厚みと風で紐は若干浮く、後は霧が晴れるまでの駆け引き……殿下が上空に気を取られ罠にかかるのを待った。
漂わせただけの紐は、完全に殿下の足に絡んでいる訳ではない。
冷静になれば単なる紐、払うだけでとけてしまう。しかし疑問に精神が乱され、数舜混乱している間に……炎の大蛇は消えている。
その隙を見逃すほど、ぼくの「反論」は甘くない。
「「偸金」を過信し過ぎです! 鉱石の「力」は、すでにございません!」
「……くっ!」
騎馬鞭のフラップには、痕跡しか残っていなかった。
城壁そばを飛び回ったのは、計略もあるがもう一点。返還に使用されぬように、松明を暴風で消す意図もあったのだ。
すでに半ばが消え、影に包まれその所在は明らかではない。
残った松明も奪われぬよう、威嚇して暴風圏内に押し止める。
「先読みや心理戦……それがぼくが用いれる、唯一の全力です!!」
中庭にたたずむ殿下を目掛け、剣の柄を握り一本の黒き槍となって突進――。
ふいに殿下が上空を見上げ、再びぼくと視線が合う。上気した頬に汗を落としながらも容作る、満面の笑み。
殿下は一歩も引かず持論を発展させ、より洗練された手段を講じた。
『――紅炎』!!!
大気を切り裂き雷鳴が轟く。白と黒に転じた世界が、時が止まったかと錯覚する静けさが押し包んだ。
ヴィーラ殿下の前方に見慣れない文様が浮かび、虹色に一層激しく発光する。
それは通常と異なり、梵字の「アン」に酷似していた。
赤い鉱石はすでになく、殿下の体が呼応して脈打つ。太陽から赤き蛇が突出し、紅蓮の炎が鎌首をもたげ弧を描く。
それだけで足首に絡んだ「紐」が、千切れて舞う――。
ザイロンは防弾チョッキや補強材に使用される、最高レベルの有機線維。
耐熱性においても650度を誇る糸を束ねた紐を、易々と断ち切ったのだ。
鎧ごと両断されたとの兵士の噂。
金属を一瞬で切断可能とするには、アークプラズマとの高エネルギー密度を利用した約2万度――「プラズマ切断」以上が必要である。
現代の最先端技術を凌駕する「力」が、目の前で展開していたのだ。
殿下はゆっくりと騎馬鞭を構え狙いを定めた。
「もう返還はできないと、誤認情報で判断……思考が誘導された!?」
――常識の違い。
向こうの世界で育ったぼくとは違う、一度の敗北が死に直結する時代。
戦いにおいて逡巡はない、我が主君は常にそこまでの覚悟をお持ちなのだ。
「しまった! ヴィーラ殿下――っ!!」
「――いけません! 殿下っ!!」
シャンティ卿が顔色を変えて叫ぶ。
打ち振るわれた炎の鞭……だがヴィーラ殿下の動きが一瞬止まり、掻き消える。
ぼくは止まれず、炎の直撃を避けるべく軌道を変えていた。
殿下の前方に落下し、地面に鞘を突き立て無理矢理方向転換。支点にした鞘から勢いのまま剣を引き抜き吹き飛んだ。
岩を穿つ鈍い音を残して、2人が交差する。
肉体強化によって殿下は数歩下がっただけ、だが――。
剣の切っ先が、ヴィーラ殿下の胸元に消えていた。




