八十五夜 厨房の静止する日
ヴィーラ殿下をお迎えしての饗宴。
領主より突如言い渡された指令に、ウダカ城の料理長は殺気すら浮かべた。
「殿下の御来訪を先触れもなく受け、あろうことか……本日の晩餐に御招待!?」
高位の貴族を接待する場合。臨時に数百の厨房スタッフを雇い、7~10日かけ準備を行って3日前から仕込みに入る。
さらに燃料に荷車千台分の薪、倉庫一杯の石炭を必要とした記録もあった。
他の貴族や聖職者ならここまで憤ることもなかったろう。城には伯爵や大臣格もよく列席されているし、常に備えもしていたのだ。
だが先様は、あのヴィーラ殿下である。
魔獣すら炎に焼かれ、その瞳は心の臓を止め、子のお伽話として語られる恐怖。
魔獣暴走における数々の逸話は、たった4年前。少しでも不敬と思われたなら、この身はどうなるのか……。
「ここに剣があれば、ウマー伯爵と刺し違えて果てるのも辞さず!」
料理長に不穏な影が重なり、給仕は止めるべきか恐々と見守るしかなかった。
「……食材を厳選してメニューを見直すぞ! お前ら――後がないと思えっ!!」
「「おっ……おおお――――~っっ!!!」」
ギリギリで踏みとどまった料理長が、プロの意地とばかりに吼える。
厨房に男たちの悲痛な叫びが木霊した――。
「パンの材料を下準備し、こねてひと塊にするまでが約10分」
一次発酵に約30分。
ガス抜きをして再形成し、生地を約15分休ませる。
二次発酵に約30分。
「石窯のオーブンで約30分焼き、粗熱を取って完成……か」
城の厨房に向かいながら改めて計算したが、パンは必要工程だけで約2時間。
晩餐会は通常2時間が目安となっており、終了間際の駆け込みになるだろう。
むろん食事をした後なので、最上のソース「空腹」は期待できない。
焦る気を落ちつかせようと、お腹をさすり――思い出して苦笑する。
「こんなに早く、カレシーのありがたみが実感できるとは」
「シ――~?」
ヴィーラ殿下の胸で、カレシーが首を傾げている気がした。
城の厨房は2階、晩餐会用ホールのそばにある。
貴族の屋敷もそうだが、通常1階は食料などの保管庫。2階以上がホールや家人など従者の部屋となり、最上階が主人の寝屋となった。
これは運搬の理由もあるだろうけど「天に近いほど尊く格式も上」と、この時代の価値観にも由来している――。
「邪魔だっっ!!!」
奇妙な服を着た少年と、銀に光るチェインメイルの衛兵。厨房に現れた場違いな集団に、料理長の怒鳴り声が響く。
その気迫に、剣を佩く衛兵すらたたらを踏んだ。
衛兵……まさしくぼくへの監視役だな、無表情でなに一つ会話をして貰えない。
「ウールドも最初はぼくを監視していたそうだし、よっぽど変に見えるのかなあ」
白無地イカ胸シャツ、背が黒で表が灰色のベスト、白の蝶ネクタイ――確かに、この時代にはそぐわない姿ではあるけど。
「まあ磁器の平皿を軽々に持ち上げてしまったせいも、あるんだろうなあ」
「――親方、仕上げをお願いします!」
「牛パテはそろってるな!? よし、ウナギに取り掛かってくれ!」
「ええいこんな不揃いのブーダンがあるか! やり直せっ!!」
「下ごしらえにいつまでかかってる! さっさとローストへ回さんか!」
「木炭が足りん、すぐに運んでこい――っっ!!」
会食の準備に厨房の職人は息つく間もなく、部外者に批判の殺気を放ってくる。
「失礼ですが何用ですかな、ご覧の通り大変立て込んでおります」
食堂執事さんの口調は丁寧だが、暗に「出ていけ」と告げにきた。
衛兵がなにやら説明すると胡散臭そうな視線を向けられ、部屋の隅にある生地を練る調理机を顎で差される。
……うん状況も分かるし紛れ込ませてください、ご面倒おかけします。
案内された製パン室は、城内だけあって厚い石壁に囲まれている。少し肌寒く、体感で約15度……冬にいたマナスルとさして変わらない。
サーガラ同様海に面してる分湿気はあるけど、潮風がありむしろ涼しかった。
欧州は夏に湿度が低くカラッとしていて、冬に湿度が高い。こういった気候だからこそ、カビを気にせず発酵食品が豊富だったのだろう。
「これなら窯の輻射熱さえ防げれば、十分パンの製作に取り掛かれる!」
夏のこの時季、気をつけなければならないのが過発酵である。冷蔵庫もクーラーもない時代、気温が高いと酵母が活発になりやすいのだ。
そうなると全過程がやり直し、失敗は許されない。
「パイ生地も1~2時間は寝かせる必要がある、時間との勝負になるな」
ぼくの荷と、頼んでおいた「乙女の水道」の冷水が部屋に運び込まれた。
使い慣れた長方形のパン型とレーズン酵母、手袋を外し袖をまくって深呼吸。
「さって……勝負です、殿下!」
発酵状態を見て微調整しながら、生地につきっ切りの工程となるだろう。
フィンガーテスト――生地の弾力を確かめる人差し指に、気合を込める。
「ブオォ――――ン」
食事開始の角笛が鳴らされ、厨房に一層の緊張感が張り巡った。
この時代の貴族は、イダム卿宅で体験した「果てしなく量が多い」料理が基本。
ウダカ城の厨房は、まさしく戦場となる。
白パンに細かく磨り潰したチーズとタマネギが添えられ、木板に乗せられた。
子牛の大ぶり塩漬け肉がドンと場を支配し、ワインで煮込んだウナギのスープが深皿に注がれていく。
切り分けた豚肉に香辛料のソース、香味液浸けの鹿肉に小麦粥のつけ合わせ。
野兎を一匹丸ごと串に刺し回転させて焙り焼く――ローストが調理机に運ばれ、塩が振りかけられる。
肉中心の料理が所狭しと並べられ、胃袋に納まる出番を待つ。
皿を入れ替える角笛が鳴らされると、勢い給仕が端から運んで行った。晩餐ではテーブルの隅まで料理で埋め尽くすのが、最大の「サービス」なのだ。
盛りつけ方も奇をてらってはいたが、なによりも尽きせぬ料理の山が重要。
結果テーブル上には冷めて硬くなった肉、塩は浮き油は濁って固まり、濫用した香辛料だけが舌を刺激する料理で埋まる。
味や食感は元より見た目も悪く、その惨状をさらに酷くした。
「身分秩序をしめす、権力や富の誇示には……成功しているのかもしれないけど」
手もつけられず放置され、破棄される料理の山。どうしてももったいない気持ちが沸き上がってしまう……。
宮廷料理の頂点、フォアグラのソテーが窯で極上の香りを発している。
焼き上がったモモ、ナシ、イチジク等の果実と魚のパイ包みが仕上げ運ばれた。
料理長が慎重な面持ちで丁寧に仕上げているのは、ヴィーラ殿下用だろうか。
ならばおそらくは鳩か鴨のミートパイ、これはかなり高級な品で――…。
「いや板の上に飾られた、特徴ある一枚羽根――まさか孔雀のパイ!?」
白鳥や孔雀のパイは支配層ですら食せるのはまれと、珍重されている。
「殿下の御来訪は突然のこと、自分用だったとしても……凄いな、ウマー伯爵!」
磁器の平皿に続き次々と現れる豪華な食材、改めてその収集欲に驚かされた。
「天に近いほど尊く格式も上」――それは料理に関しても同じである。
鳥は空を飛ぶので地位が高い、果樹は木に生るので次に、豚などの家畜は地面をはいずるので低く、地に生る野菜は最低ランクであった。
肉料理の中でも、鶏肉は特別な意味があったのだ。
平民が普段食すのは野菜が中心の料理であり、鶏の唐揚げが鉄板人気となるのは美味しさだけが理由ではない……。
身分差や秩序をしめすため、上流階級の者ほど皿の内容に差をつけた。
自分のテーブルに野菜料理があっただけで、「身分が低いと侮られた」と気分を害する貴族もいるほど。
そのため貴族主催の会食などで、野菜料理はほとんど出ない。
「思えばイダム卿の会食では同じ料理を勧められた。本当にぼくをもてなそうと、呼んでくれたのだな」
同年代の領主は、元気にしておられるだろうか。
――現代で貴族の食事と聞けば、思いつくのはコース料理。
前菜から始まりスープ、本来ならその後にパンを食べる。
魚料理、シャーベット、肉料理と続き、甘い菓子、カフェ・プティフール――で締めくくり。
これらの順番は、幾多の試行錯誤と時を重ねた結果統一された。
前菜は塩分や酸味をベースとし、胃腸を整える。
スープで体を温め、食欲を促進させる。
魚料理は消化がいいので、メインディッシュの前に出る。
シャーベットで、口内の油やソースを一旦リセットさせる。
肉料理をメインディッシュとし、味つけにも工夫と演出を凝らせる。
甘い菓子は満足感をもたらし、胃腸の流れを助ける。
カフェ・プティフールは脂肪を燃焼させ、リラックス効果を生む特長がある。
来客の進行に配慮して料理を振る舞う――「サービス」される形式となるのは、18世紀以降である。
各地で料理を任されたぼくは、コース料理の手法をマネしてみた。
料理の持続時間は品にもよるが、思うほど長くはない。適切な量だけを調理し、一品ずつ丁寧に配膳したのだ。
見知った料理であっても「適したタイミング」でのサービスは、空腹に勝るとも劣らぬほど重要な価値を持つ。
誰もが首を傾げてはいたけど、運ばれてくる料理の美味しさに目の色が変わる。
「奇妙な配膳、どうにもマナーがなっていない、キミこの肉をもう少し――疑問や批判の目が料理に釘づけとなる、あれも得がたい賞賛だったなあ」
☆
「殿下のご様子はいかがか? 料理にご不満を持っては、おられまいか……!?」
食堂執事さんが無言で、しかし真摯な眼差しを細める。
「「おお……っはああああ――――~…」」
ウダカ城の厨房に、盛大とも言える安堵のため息がもれた。
晩餐会も終了間近となり、求められるのはワインなどの飲み物が中心。どうやら「炎の蛇」は現れず、料理長の腰が半ば砕けている。
「生き残った」実感に男たちはへたり込み、あるいは虚空を見上げていた。
なにやらバタバタと作業する奇妙な少年を、ただ呆然と視界に映す。最初は同席を拒んだが、危害を加える訳じゃなさそうだしと放置する。
だが調理が進むにつれ、なぜか意識がそらせなくなっていたのだ。
ぼくはパン専用の窯にへばりつき、生地が焼ける音に香りに全神経を集中した。
そこへぼくの監視に倍するだろう衛兵が、厨房へ雪崩れ込んでくる。執事さんが「コレクション部屋」にあった、磁器の平皿を両手に携えて……。
「なっ――今度は、何事ですか!?」
「それ以上近づくなっ! 領主の御意向である、控えいっっ!!」
料理人は貴族に雇用されていても独立色が強く、管理を受けない者も多かった。
食堂執事さんが己のテリトリーに踏み込む執事に問いただし、念を押されたのかガードしていた衛兵が牙をむいて威嚇する。
まさに一触即発の空気が厨房を満たす。
周囲の混乱が聞こえているのかいないのか、執事さんは静かに氷の上を歩む。
うやうやしく、捧げながら調理机の上に……磁器の平皿を音もさせず置いた。
「はあっ……あ――~…」
たぶん一番被害を被っている執事さんが、震えて膝をつき体で安堵を表す。
こればかりは他者に任せれないと、自身で請け負ったのだろう。
「なにかお詫びを、した方がいいなあ」
横目で感謝しつつ、これで全てがそろったと今一度気合を入れる。
汗が滴り落ちるのも気にせず……その、一瞬を見計らう。
「――今っ!!」
ぼくは窯から、パンを取り出した。
厨房に職人誰もが知りえない香りが漂う。その香りは先ほどから、違和感として感じてはいたのだ。
「パンの焼ける匂い……しかしこれは、本当にパンの匂いか!?」
それは料理に携わる者だからこそ、一層感じた重大な感覚かもしれない。
自分たちのいる場所に影が射し、時の歩みが止まっている。光を失った世界で、奇妙な少年だけが色を発しているのだと。
「まずはよしっ!」
ぼくは小麦の風味、生地の色、やわらかな食感を確かめ頷く。パンは焼きたてが一番と思われがちだが、実は少し時間を置いた方がいい。
窯の中から外気に触れ、内部のバランスが落ちつき馴染むのに時を要するのだ。
種類によっても違うけど、大体3時間前後。ライ麦パンなどは1日置いた方が、美味しくなるほどである。
「ふかふかと暖かい、焼きたての魅力はあるんだけどね」
粗熱を取るだけの時間は欲しいのだけど……厨房の様子からも、ノンビリしていられそうもなかった。
「準備ができたと、給仕長に伝えていただけますか――?」
「……っは! ああ、ええ分かりました」
パンに見とれていた食堂執事さんが弾かれ、慌てて厨房を後にする。
ひと息ついてパンをスライスし、端っこの部分は見栄えが美しくないので除く。
発酵の合間に作っておいた、プラムのジャムをつけてひと口。
「行儀悪いけど、もったいないし」
苦しい言い訳かなあ、ぼくは端っこのカリカリが結構好きだった。
「うん上手くいった……久々の、向こうの世界の味だ!」
マグロの缶詰やパスタに通じる、旨味を追求できる時代の料理。正確にはプラム――すもものジャムは食べたことがない。
しかしこのパンは、それが気にならないほど特別な製法を行っている。
「では……主命を忠実にこなしつつ、反論させていただきましょう!」




