八十三夜 ヴィーラ王国の花嫁
「いや、さすがはヴィーラ殿下! まさか魔獣をも服従させてしまうとは!!」
ローカァ伯爵家の――昨夜とは違う20畳程度の「小さい客間」に、ウマー伯爵の上機嫌な賛辞が響いていた。
当時の農家は約30平米なので、この部屋にすっぽりと収まってしまう。
高位の者が貧富の差に気がつくことがあるのか。出されたワインが喉を滑って、瞬く間に汗となり落ちている。
応対するローカァ伯爵に話すことで、状況を整理していたのだ。
「――馬上におられるのは、まさか殿下? いやいやっ先触れによる事前連絡は、受けておらん!」
往来でウマー伯爵は混乱の極みだった。
目当てのアユム卿と馬に乗る行商人、貴族と従者であろう亜人、領主と執事。
この三者の中で、領主である自分が一番知名度が高いはず。
「ええいっ殿下がここにおられる訳がない! 名を騙る不届き者め、私が成敗してくれる! あっそこへなおれ――~っ!!」
殿下への忠誠心を市民にしめし、領主の偉大さを広める一石二鳥の案が浮かぶ。
だがウダカでも有数の、由緒ある上流貴族であるローカァ伯爵令嬢。声も発せず影のごとくつき従い、氷の瞳を突き刺すソーマ伯爵。
ウダカに滞在する因果伯の2人が、馬上の少女に膝を折ったのだ。
妄想を振り払い周囲の目も気にせず、ウマー伯爵も即座に跪く。膝をお腹に叩きつけて内心のたうち回っていたが……。
「右に倣え」が、彼の処世術であった。
殿下がローカァ伯爵家に参ると知り、追いついた衛兵と大名行列で恭順する。
「私など顔を合わせただけで腰を抜かすでしょうなあ! いや殿下に対して安否の気遣いなど不遜とも言えます、これは失礼いたしました!!」
なにが面白いのか繰り返し大笑いする、これが平静の装い方なのだろう。
ローカァ伯爵は、静かに相槌を打っていた――。
「殿下の御来訪に際し、不手際があり大変申し訳ございません。せめてもの償いと我が領地を上げ饗宴を執り行いますゆえ、どうかご足労願えますよう!!」
どうかどうか、伏してお願いいたします――。
ウマー伯爵がヴィーラ殿下を、ウダカ城の晩餐会へお招きしたいと願い出る。
対応が決まれば瞬時に行動する、領主ならではの素早さだった。
「おそらくウダカ領の有力者が城に集い、我先にと殿下に拝謁を願うでしょうね」
炎の瞳が一瞬輝きぼくを睨むが、ウマー伯爵の骨折りを無下にすべきではないと気づかぬふりをする。
「……分かった、よきに計らえ」
「はは――――~っ! ありがたき幸せっっ!!」
殿下の躊躇にぼくは思い当たる節があった。貴族の騒ぎもそうだけど、ウダカに「絶品3食」の屋台はないのだ。
「レーズン酵母のパンは、まだ伝わっていないのではないか?」
たぶん晩餐会に出るのは普通の白パン……新王都で自家製酵母パンを食べ慣れてしまった殿下は、不満に感じるかもしれない。
「それがお嫌ならせめて馬車に乗るなどして姿を隠し、お忍びに相応しい恰好をなさるべきでしたね」
指摘が喉まで出かかるのを、必死に抑え込んだ。
幸い殿下もラクシュも服装にそこまで頓着はなく、ぼくの心配は杞憂で終わる。
しかし晩餐会に出席ともなれば話は違う。
殿下の身支度にビハーラ嬢とシャンティ卿がつき添い、部屋の前にはソーマ卿が張りつき、姿は見えないけどジャーラフが周囲を監視しているはず。
ローカァ伯爵家は、ウダカで一番安全な場所となる。
だが主君が身支度を整えている間、家臣はただ待っておればいい訳ではない。
ぼくは挨拶もそこそこに、各所を飛び回った。驚きはしたけど、この地で殿下にお会いできたのは僥倖といえよう。
殿下の護衛はお任せし、お伝えせねばならぬ報告と改善案を脳内整理しながら、事前準備に奔走していたのだ。
「殿下のことだ、どうせ無理難題をおおせつけるに決まってるんだから!」
無茶な命令を想定し、不備に備え反論を用意する――。
正直食事に関してだけでも、明日まで半日の猶予が得られたのはありがたい。
なにしろ数日だけの宿のつもりでいたから……ローカァ伯爵家の厨房に、深くは立ち入ってないのだ。
デザートの手際が認められたのか、料理長にお願いすると調理を許可された。
「あっああ構わんよ……分かったから、あまり近寄らないでくれ」
「なんだか恐々と胸元を見られたけどなんだろう、まあ今はこちらが優先」
調理器具を確認し、追加や足りない食材を脳内メモし、発注の手続きを取る。
「これなら、どうにか間に合うかな!」
安堵のため息に少しだけ愚痴がふくまれ、主君に対し不遜だなと苦笑した。
まあそれでこそ殿下なのだけど、困った方だからなあ――。
「……アユム、なんか楽しそう」
「えっ!? そっそう? 考えることが多くて、今日は本当に忙しいなあ――~」
街へ補充に出る際、ヨーギがついてくると袖を引く。
「届けて貰うのではなく自前で持って帰れるなら、その方がありがたいけど……」
「行こ――!」
上半身だけ見れば少女だが、抗えぬ羽交い絞めで玄関に向かわされる。
「外側で絡まれた件を報告したし、もしかしたら心配をかけてしまったかな」
すでに日は落ち、松明を手に数十の衛兵が屋敷を取り囲んでいた。
領主であるウマー伯爵に厳重な忠告を受けているのだろう、ピリピリと神経質な視線を注がれ思わず背をただす。
「殿下がおわすのだ、あたら手抜きの警護などできないんだろう」
会釈しながら、ローカァ伯爵家の――なぜか壊れ立て掛けられた鉄柵門を潜る。
遠く聞こえるのは、小波か草木のざわめきか。
「あれアユム、今から外出するのか――…えっ? おいヨーギ!?」
ヨーギの耳がくるりと周り、その場で小さく飛び上がった。
門前で呼び止められ、ラクシュが手を振り出てきたのだ。珍しく身を整え貴族の服装をしており……申し訳ないが違和感しか湧かない。
ヴィーラ殿下の手前、おそらくはルタに着させられたのだと想像がつく。
「はい、今度は内側だけにしておきますね。そうそうヨーギがお手伝いしてくれるそうなのですが――ヨーギ?」
見ればヨーギは、ぼくの横で不満気に目をそらしていた。
耳を後ろにしぼり頬を膨らましている。
「……もしかして、叱られたのかな?」
ヨーギは王太子の護衛をおおせつかった因果伯。こうもぼくを追いかけてたら、立場的に問題となっても不思議はない。
「ああ――~…軽率でした、確認を怠ってたぼくのミスです」
片手を挙げて謝罪をすると、ラクシュが大きなため息をつく。なにかあったのかラクシュの方が沈痛な面持ちをしていた。
しかし整えた髪を掻き上げると、ライオンのたてがみが雄々しく震え広がる。
吹っ切れた表情に、覇気が蘇っていた。
髪を整えたルタが見たら、沈痛な面持ちになるかもしれないけど。
「いやそうだな、ヨーギが望むならそれでいい……よし! しっかりとアユムを、お守りするんだぞ!」
「――うんっ!」
ヨーギがぱっと顔を輝かせ、大きく首を振る。
ケンタウロスの少女が四肢を弾ませ喜び、王太子が馬の背を叩き発破をかける。
傍若無人な妹に振り回されるも、放ってはおけない兄の姿。
兄妹の喧騒にほころんでいたら、ラクシュがあらぬ方向に声をかけた。
「さて――そこにおられる方、なにか御用ですか?」
見れば道に沿い並木が均等に並んでいるだけ……ぼくが首を傾げ、周囲の衛兵も何事かと顔を見合わせる。
数舜後、並木の一つから男性が姿を現した。
「これは失礼しました、潮風に旅の疲れを癒していたものですから」
にこやかに一礼し、光の中に進み出る。
ヴィーラ殿下の供を拝命したチャンドラ卿、おそらくは17人の因果伯の1人。
正式に紹介されてはいないが、その佇まいから啓いた者であるのは推測できた。
20代半ばだろうか、赤茶色の巻き毛を低い位置のポニーテールで軽くまとめ。殿下と同じく行商人の出で立ちで佩刀はせず、長めのブーツで軽やかに歩み寄る。
人の良さそうな笑みを浮かべてはいるが、精巧にできた仮面を予感させた。
失礼ながらぼくの第一印象は――「盗賊」である。
「殿下はまだ身支度中の様子、ならば私もアユム卿の護衛をいたしましょうか?」
なにしろ貴重なお方ですから――手を広げ、武器はないとの意思表示。
右手の中指と左手の薬指のリングが光る。
「そうだなウチのも護衛につかせる、彼は自身の貴重さを分かっていないのでね」
さり気なくぼくの前に出たラクシュが、小さな釘を刺す。
共に貴族の駆け引きを演じて見せた。
「ぼくのことはアユムと呼んでください、不肖な身ゆえ感謝いたします」
「では私はチャンドラとお呼びください、同じ主君をあおぐ同志ですので」
松明に炙られた3人が談笑し、衛兵も現れた男は知人かと意識を放す。
だが笑顔の下で、ラクシュが用心するようにと目配せをする。
ぼくとしても殿下が認めた因果伯を無暗に疑いたくはないけど……本心で語っているとは思えず、笑いながらも緊張を隠せなかった。
「んん――~…?」
だが腹の読み合いが通じないヨーギが、目一杯疑りの目でチャンドラを睨む。
素直な感情は時に計算を凌駕する。効果があったのか、チャンドラが目をそらし咳払いをしていた。
☆
人が起きてる気配はあるけどガラス窓がない。街を照らす外灯もない都市部は、心細くなるほど闇に包まれる。
ランタンをお借りし、星明りを頼りに昼間物色していた内側の商店に向かう。
アーケード街を見つけては個人商店に飛び込み、戸締りをしている最中目当ての食材を購入してヨーギの背に乗せ早足で駆け周った。
幸い内側都市部は貴族の専門店がほとんど。蝋燭やランタンを灯して、使用人と思しき方に対応している店がまだある。
「外側の街頭商人が開く屋台は……望み薄だったろうな」
職人に出勤時刻や退勤時刻はない。
基本的には日が昇ってから沈むまでだが、年の三分の一がイベントやお祭り等で休息日となっているのだ。
適度に休憩を取り、1日の収入が得られたら昼間っからお酒を飲む者もいる。
「時間を決め、規則通りに働くべき――」
これは18世紀の産業革命により、資本主義経済が起きてからの感覚。
仕事に向き合う空気は、現代と比較にならないほどゆっくりと流れていた。
「動植物相手の職人や農家だと、また別種の忙しさはあるだろうけどね」
大量の塩がふくまれたバターを手に独り言ちる。
「店仕舞い中に申し訳ありません、鍛冶屋と蝋燭職人――それとバターかチーズを作る職人をご存じではありませんか!?」
足りない製品や食材を求め、職人宅の戸を叩き、質問と相談を繰り返し、お願いして無理を聞いて貰う。
チャンドラは幾度かウダカを訪れており、場所を尋ねただけで案内してくれた。
込み入った街並み……地図もなく「視て」もいない現状、大変ありがたい。
「ヨーギ、チャンドラ、ありがとうございました!」
一部翌日となった品もあるけど、なんとか最低限の目安にひと息つく。
「乙女の水道」――勝手に命名した水汲み場に手を浸す。地面に残った熱波で汗が噴き出ており、冷たさが心地よい。
そんな中、ヨーギはかさばる木箱を二つも馬の背に抱えてまだ余裕がある。
むしろこれでいいのかと傾いでいた。
「十分です、まだナイショですけど……明日はきっと驚きますよ」
「デザート!? プラム――!?」
体当たり気味に抱きつかれ、息が詰まるもなんとか受け止める。気持ちは嬉しいのだけど、前足でお腹に痣ができてるだろうなあ。
カレシーの不在が幸いだったと独り言ちた。
「チャンドラも、せっかく因果伯の皆と会う機会でしたのに」
因果伯は通常別行動をとる。心許せる者――『カルマ』を啓いた者でなければ、分かり合えない話もあるだろう。
マナスルでもサーガラでも、因果伯がひと所に集まっていたのを思い出す。
「とんでもございません、お役に立てたなら光栄です」
さして汗もかかずに軽く会釈して流される。つかみ所のない返答に苦笑を反す、残念だけどやはり精神に壁と危機感を感じた。
剣の間合いに入ったら、即座に斬りつけられるような――。
「――っ!?」
ぼくの考えを読んだ訳ではないだろうけど、チャンドラが飛びずさる。
「待った待った馬のお嬢ちゃん! アユム、頼むから止めてくれよ!」
見ればなにかを察したのか、ヨーギが鼻息も荒く興奮して、今にも飛び掛からんばかりに後ろ足を蹴っていた。
「こいつ、嫌――~いっ!」
「わわっ!? 大丈夫だよヨーギ、ケンカしてる訳じゃないからね!」
笑いかけると不満気に引いてくれた、完全に敵と認識してるなあ。
「ふぅ……勘弁しろよ、俺は人見知りが激しいんだからな!」
ヨーギのお蔭か仮面が外れ、皮肉な笑みが表れる。ぼくは冗談を言ったのかと、意外な呟きに呆然としてしまった。
バツが悪かったのか、チャンドラは顔を背けて鼻を掻く。
「さっきも話したが、俺らはヴィーラ殿下をあおぐ同志だ。だが仲間じゃない」
ため息と共に落とした言葉には、たぶん本音がふくまれていたのだろう。
そうだっチャンドラは、ローカァ伯爵家の外にいたのだ。屋敷周辺の監視かとも思ったけど、それならば今現場を離れるはずがない。
「国の要となる因果伯といえど、一枚岩ではないのか」
思えば17人いると聞いた因果伯の、すでに15人目まで会っていた。
仲良くなった方、話の合う方、よく分からない方……だがそれはぼく個人のつき合いであり、横の関係はあずかり知らない。
望んで因果伯となった者たちはどれだけいたのだろう。そのなり立ちを思えば、けっして豊かで幸福な事情ばかりではないのだ。
仮面はチャンドラにとって、必要な様相なのかもしれない。
「――ご心配なく、私はヴィーラ殿下の忠実な家臣ですので」
ぼくの心を読んだのか、再び笑顔の仮面が表れる。
「アユムの召喚に始まり、因果伯を各領地に滞在させ、魔獣の出現……この急激な変化が「悪あがき」の一端だとすれば、なんとも心躍る示現じゃないか」
そんな囁きが、潮風に紛れ微かに届いた。
ローカァ伯爵家の門前に、4頭立ての豪華な貴族用馬車が数台停まっている。
ウマー伯爵がヴィーラ殿下の送迎に用意されたのだろう。
荷を持ち玄関に向かうと、今まさに身支度を終えられた「主役」が現れた。
――カレンデュラが、微かに香る。
黄金色の髪が松明の光を反射して瞬き、オーブが舞う。赤いワンピースドレスが潮風にひるがえり、スカートが美しい形に広がって大輪の赤バラを咲かせた。
「おお――――~…」
周囲の衛兵まで立場を忘れ、ため息と歓声がもれている。
思えば殿下は謁見の間でも、裾の広がるフレアのワンピースを着ておられた。
時代的にはコタルディに代表される、体にピタリとしたシルエットが主流。
裾の広がったスカートが流行するのは16世紀、全盛期を迎える頃には宮廷など社会階級で義務づけられるほど。
鳥かご――「パニエ」が登場するのは、18世紀である。
「さすがはヴィーラ殿下、流行を何世紀も先どっておられるなあ」
向こうの世界でも、一緒に育った娘がフレアスカートを好んで着ていたっけ。
すでに懐かしいとさえ思える記憶。
ラクシュがいささか緊張した面持ちで、殿下のそばに立っていた。
いつもの服装なら貴族の従者に見えたろうけど、今は髪型以外は王太子である。
数年前、世直しと称した諸国漫遊中に殿下とお会いする。それから幾度か親書でやり取りがあったらしい。
王族の婚礼はそのほとんどが、国王が有識者と協議し決定する政略結婚である。
本人の意思は関係なく、当日まで会うことがないのも通例。外交問題と諸外国の意向が全てであった。
政略結婚が悪いとは思わないけど、御2人の仲がいいのがなにより喜ばしい。
「それにしてもラクシュ……巡回ならせめて自国領内にすべきでしょう。昔っからウロウロする、困った癖があったんですね」
ジャーラフに突っ込みを受けそうだったので、こっそりと呟く。
ヴィーラ殿下がそっと手を差し出し、ラクシュが恭しく手を取る。黄金色の髪の少女が、ライオンのたてがみの男性と重なり歩み出した。
共に覇気を秘めた瞳が輝き、ぼくの心に教会の玄関前が浮かび広がる。
「嗚呼なんと、お似合いなカップルだろう……っ!」
以前ラクシュに感じた予感――親友か、宿敵か。
漠然とした不安が掻き消えるほど、松明に照らされた男女は一枚の絵画だった。
誰もがヴィーラ王国の、新たな門出に触れた気がした――。
「シ――~?」
2人の仲を引き裂くように、赤いドレスの胸元からカレシーが顔を覗かせる。
どうやらヴィーラ殿下から離れず、支度中もそばにつきっ切りだったらしい。
微笑んで顎を撫でる殿下と対照的に、ラクシュの頬が震え目が泳いでいる。
カレシーが無暗に咬んだりしないと知ってるぼく以外は、殿下の手前引きつった笑みでこの場をごまかすしかなかった……。
「なんだかラクシュに、申し訳ないことをしてしまったなあ」




