八十二夜 第三種接近遭遇
「魔獣か……」
その声は詰問ではなく、推測でもなく、ただ事実だけを語っていた。
カレシーは脱皮後検めて測ると、体長は約1.5メートルに成長。
頭部には目を引く王冠に似た突起。お気に入りの赤いマントが、体の動きに合わせて優雅に揺れる。
だがそれだけならまだ変わった蛇だと言い訳もできよう。
『カルマ』を啓いてから、明らかな変化が訪れる。瞳の強さが日増しに高まり……「蛇の王」の風格を、如実に語り始めていた。
カレシーの表情は読めない、だが怒っている訳ではなさそうだ。
ぼくの襟から伸びて、微動だにせず少女を見据えている。魔獣としての本質が、ただならぬ気配を察したのかもしれない。
ヴィーラ殿下が音もなく下馬し、跪くぼくとカレシーに相対した。
腰には謁見の間で見た優美な革の鞘。騎馬鞭が閃き、炎の蛇が尾を引き舞ったのを昨日のように思い出せる。
我が主君の一挙手一投足に視線が集中するなか――。
「……どうした、こい」
殿下が腕を伸ばし、あてやかな指が滑らかに動きカレシーを誘う。
カレシーが肩越しに一度ぼくを見て、再び少女に視線を移す。
無言の数秒に空気は重く、波の音さえも掻き消えて感じた。なにか意思の疎通があったのか、カレシーはふいに差し出された手を滑る。
そのまま二の腕に移り、胸元に流れ、首を撒いて正面から殿下を見据えた。
「――っ!」
殿下の細くたおやかな首に傷がつかないか。それでなくともカレシーの力なら、容易に締め落せてしまう事実に喉が詰まる。
炎に輝く瞳と静かな緑の瞳が、無造作に交差していた。
「ふむ……確かカレシーと呼んでいるそうだな。我は今まで、こんなに人に慣れた魔獣は見たことがない」
だが本質はそこにはない――欲しいと言われるのかと思って、少々焦る。
「さすがは国家存亡危機と伝承される魔獣の仔だ。纏う『カルマ』の底が知れん、なんとも美しく見事な危うさよ」
ヴィーラ殿下が微かに微笑み、賞賛ともとれる言葉を落とす。
合わせてカレシーが、瞳を閉じ微かに頭を下げた。ぼくにしか見せない、撫でて欲しい時にする仕草――。
身を任せたカレシーの顎を殿下が撫でる。
「はぁ……ああああ――――~…」
横でシャンティ卿が、安堵のため息を盛大にもらしていた。
殿下はぼくが獣者を連れ旅しているのを、当然のごとく知っていた。
ゆえに叱責の御言葉をいただけなかったのは、喜ぶべきか嘆くべきか……。
この時代領主や貴族など、支配者による領地の巡回は広く行われている。
狩猟で立ち寄り、戦で軍隊を引き連れ、食糧や宿営地の費用を捻出させた。
ほとんど「強奪」と言えるほどの接待を強要していたのだ。謀反の監視といった側面もあるが、租税を「現物支給」させていたのである。
ゆえに先触れによる事前連絡が、とても重要になるのだ。
突然訪れられては準備が滞って、両者ともに困る事態となるのだから。この半ば以上義務化した接待は、貨幣の支払いに切り替わる15世紀まで続いた。
サンガ伯爵が所領を飛び回っていたのは、領主として極めて正しいのである。
スーリヤ様みたいに「自領に閉じこもってる領主」の方が遥かに珍しく、徴税官の苦労が偲ばれる事例であろう。
「公衆浴場や石鹸の公共事業に、声が弾むのも頷けるなあ」
そして当然だが領主だけでなく、場合によっては何百と従者も引き連れた。
その様相は小都市の移住に近い。
しかし見れば屋敷の門前、所在気にたたずむ乗馬した影が一つ。どうも殿下は、御供を1人だけ連れ新王都からあらせられたらしい。
「近いと言っても2日の旅に、御供1人……」
ぼくの感覚としては「殿下」の立場的に、いかがな所業だろうと額を押さえる。
シャンティ卿も同じだったのか苦笑交じりにため息をつく。主君に対しいささか不敬な対応だが、察したのだろう殿下の方が視線をそらす。
先代から因果伯として仕える彼女に、一定の敬意をしめしているのだ。
「ご来訪いただくのはまことに幸甚の至り。ですが殿下の玉体をお守りするに私の屋敷では十分とは申せません、せめてローカァ伯爵家に玉歩あそばされますよう」
「我には其方らの護衛があればいい」
問答を断ち切り、視線がチラリと屋敷の屋根を映す。ぼくには見えないし感じれないけど、おそらくジャーラフがいるのではないか。
知れば知るほど理解できる、月の瞳を持つ彼女の存在がどれほど貴重か。
ですが――。
「愚考ではございますが――殿下のおみ足に触れる奇天烈な者も世にはおります」
シャンティ卿の言葉にあの時を思い出したのか、少女の眉が一瞬歪む。
意外な説得に、ぼくは吹き出す一歩手前で辛うじて耐えた。震える頬に、魔女が頭を下げながら「ごめんね」とウィンクを返す。
『いえいえ殿下の安全のためなら、ネタにして貰うのすら重畳』
いつ何時不測の事態が起こるか分からない、守備はできるだけほどこすに限る。
即ち、因果伯がそろう場所。
跪き下げた後頭部に、殿下の熱い視線を感じ胸が躍った。
「――案内せよっ!」
☆
「おおお――――~っ!」
「これ、道を塞いじゃいけないよ!」
「どこの上流貴族様だろう……」
ヴィーラ殿下は白に近い簡素な貫頭衣に、帽子とケープを被り長靴下を履く。
一見すれば典型的な行商人ではある。
だが光のオーブが舞う黄金色の髪がほとんど隠れておらず、なにより覇気を秘めた瞳が視線を素通りさせてはくれなかった。
道すがら市民が凝視し、慌てふためき道を開け、通り過ぎるのを呆然と見送る。
路地に幾度かワーウルフの姿もあったが、飛び上がって尻尾を巻く。紅海を割るモーセもかくや、混雑する大通りに石畳の広い通路が現れた。
「この方ほど「お忍び」が難しい、王族もいないだろうなあ――…あっ!」
ぼくの胸中の叫びに、殿下の引き馬をするシャンティ卿が首を傾げる。
『ローカァ伯爵家には、ラクシュがお忍びで滞在してるんだった!』
気安い態度で失念するけど隣国の王太子、ましてやヴィーラ殿下の婿候補。
両者ともに平民服でお会いしていいのだろうか、下手をすれば国家の威信問題に発展しやしないか――いやそれより。
「殿下は年頃の女性として、見栄えを気にはなさらないだろうか!?」
気がつけばすでに内側の城門を潜っていた。
門衛は身分の提示を求めず、敬礼のち直立不動でこの異様な集団を見送る。
行商人風の姿で乗馬する少女が何者かを看破したのは……兵士としての本能か、生物としてのそれか。
内側は空気が一変し、道を歩く者の衣服一つとっても外側とは質が違う。
個人商店や地元商店が軒を連ねる内側都市部を探索したおり、貴族の服を専門に商う同職組合しかなかったのを思い出す。
貴族とて自宅に呼びつけ、仕立てるか直しをせねば手に入らなかったのだ。
平民はお古を使いまわすか、古着を買うか、一から裁縫するしかない。追い剥ぎとは比喩でなく、本当に身ぐるみ盗まれるほど服は贅沢品だった。
服屋が登場するのは、産業革命により大量生産が可能となった18世紀である。
「っ殿下、火急ゆえ失礼いたします! 実は件のローカァ伯爵家には――」
やはり一度引き返し、身を改めた方が得策ではないのか。
振り向いてヴィーラ殿下に選定をうかがおうとした矢先、破壊音が木霊した。
「アユムいた――っ!!」
ヨーギがぼくを捜し、再びローカァ伯爵家から回転襲歩で駆け寄ってきたのだ。
暴力的な加速がリズムを奏で、石畳を割り舞わせる。
「ヨ――ギィ!?」
突進経路にヴィーラ殿下が重ならないよう、即座にサイドステップ。
昨夜吹っ飛ばされた記憶がよみがえる……この勢い、無事で済むだろうか。
「ねえねえアユ――ムっ!?」
なんらかの気配を察したのか、直前で四肢を踏ん張り火花を上げ急停止する。
石煙のなか、殿下に視線が釘づけとなっていた。
「ああヨーギ! 詳しくは後で説明するから、今は――」
「ほうケンタウロスの娘か、興味深い」
それは単に亜人だからではなく、ヨーギが啓いているのを看破した声色。
真っ直ぐにヨーギを視界に納め、それだけで空気が帯電する。ヨーギが雰囲気を感じ取ったのか、ぼくの袖を引き後ろに隠れた。
「ちょっヨーギ?」
隠しきれない馬体をさらし、隙間からコッソリと殿下を覗き見ている。
その仕草は子供を連想させ、虚を突かれた殿下とぼくの視線が合う。
「ええ――~…と、知り合いでございま――いえ、立場ある方の家臣でして」
「……その無礼な亜人がか」
いえその――としどろもどろになりながら、「パシュチマ連合王国」の因果伯だと説明してもいいものか手が泳ぐ。
見れば逆光ながら、殿下の胸が震えている気がした。
ヤバイっ! こんな往来で「炎の蛇」が舞っては、市民に被害が出る!
啓くのはどうか、2人だけの時にしていただきたい――っ。
「我の思惑を絶妙に外してくる……っお前は本当に、不気味な奴だ!」
突如殿下が、声を上げて笑う。
よほど面白かったのか、天を見上げ肩がお腹が全身が震える爆笑。
「……これは、お褒めいただいているのだろうか?」
ぼくの混乱以上に、シャンティ卿が笑う主君を呆然と見上げていた。
「ヨーギっ! 大人しくしていろとジャーラフさん……ニ――~!?」
「これは……っこれはヴィーラ殿下では、ございませんか!」
ヴィーラ殿下の様子に戸惑う場に、軽い足音に似合わぬ素早さでルタが現れる。
少し遅れてラクシュも追い駆けてきた。
「あっアユム――ジャーラフと一緒じゃなかっ……た――~!?」
「っ殿下!」
ジャーラフがヨーギを連れて屋敷に現れたと知り、ビハーラ嬢まで好奇心で飛び出しソーマ卿が渋い顔で追従している。
さらに商店街の大通りから、4頭立ての豪華な貴族用馬車が駆けてきた。
こちらの集団を見とめると急停車し、中から領主のウマー伯爵が転がり出る。
「そこにおられるのはアユム卿ではござらんか、いやこれは偶……然――~!?」
これは後に聞いた話だが、ローカァ伯爵がウダカ城に参仕した際にウマー伯爵と面談する機会を持てた。
そこで談笑しつつ情報交換を行っていたのだが、つい口が滑りぼくの滞在を明かしてしまったのだと謝罪される。
ウマー伯爵は目を見開き、数秒の沈黙の後、鼻から大きく長い息を吐く。
なぜか覚悟を決めた顔で、衛兵もそこそこに執事と城から躍り出たそうだ。
内側の城門前で、異質な三つ巴が形成されていた。
度重なる状況の変化にぼくの思考も追いつかず、口を開け閉めするのが精一杯。
集った二者は、ぼく以上の混乱だったろう。視線が強制的に黄金色の髪の少女に集中し、驚愕と疑問が時間を停止させる。
それぞれの心情が織りなす、混沌としたモザイク模様。
行動の自由を奪われた世界に、さらなる混乱がたたみかけられた。
「シ――~?」
カレシーがヴィーラ殿下の襟から出て、周囲を見渡したのだ。
ごまかせない、小さいながらも魔獣の登場。周囲の空気が小波を打って広がり、動揺が大波を起こす。
ジャーラフの時みたいに、ヴィーラ殿下を守ってとお願いした訳ではない。
ずいぶんと殿下を気に入り、ぼくとの間を行ったり来たりしていたのだ。
「少し、焼けるなあ……」
そう思っていたけど、やはり止めておくべきだった。
馬上で黄金色の髪と小さな王冠が、水面に消えかかる夕日を反射して煌めく。
世界に影が訪れ、街がオレンジに染まる狭間。
主君であり、ヴィーラ王国の王女殿下であり、陛下となる王太女であり――。
「フフ……どうだカレシー、人の世はいささか騒がしいだろう」
魔獣と戯れ笑う少女に、年相応の表情が表れていた。




