八十一夜 第二種接近遭遇
「――どこへ行った!?」
「この辺に追い込んだはずだ! いきなり消えやがった!」
「いや……匂いは残ってる、そこらの家に隠れやがったか?」
「舐めやがって絶対逃がさねえ、探せっ!!」
縄張りを侵されたワーウルフの集団が、遠吠えと共に四方へ散る。
数人はスタンガンの一撃を受けていたが持続力は低い。むしろ只人に反撃されたことに怒りを燃やし、手当たり次第ドアを叩き路地に鼻を寄せた。
いきり立つ群の中に、犬の耳を後ろに寝かし怯えた表情が2人。
「アレと、まだやるのか?」
『皆殺しにするぞっ!!』
今まで感じたことのない覇気、絶対的な死の告知。
自らの呟きに驚愕し、騒ぎから距離を取ると……2人は速攻で尻尾を巻いた。
真下で物騒な叫びが上がっている。
ぼくは3階建ての屋根にあお向けでへばりつき、大きな青空に息を吐く。
「変だなあ、たった3階分をっ飛んだだけなのに……」
焦ってたせいだろうか、心臓が高鳴り動悸が収まらない。
ジャーラフは慣れているのか、屋根に立ち上がって気配を探っていた。
「奴らの意識が散漫になった、見かけは憤っているが――」
「このまま諦めてくれれば、いいんだけどね」
ジャーラフの言葉を拾う。
犬は嗅覚>聴覚>視覚の順で優れている。今さらだが身を潜めて凌ぎ切るのは、困難だったなと苦笑した。
狼の狩猟成功率は低いとも言われており、この際信じたいデータである。
「なにはともあれ、ジャーラフのお蔭で助かったよ」
声をかけたが意識を集中してるのか、後ろを向いたまま尻尾を立て震えていた。
ジャーラフが瞳を閉じ意識を集中すれば『カルマ』の揺らぎを、気配を広範囲で「視る」ことができる。
邪魔をしては悪いと、ピクピク動く猫の耳を温かい目で見守った。
「……こっちを見るな」
「え? なにジャーラ――」
「ニタニタとしまらないうす笑いなんかうかべるなっ!!」
バーカバーカと怒鳴られ、なんだか分からないけど屋根を這って距離を取る。
ジャーラフなら独りでも屋根に上がれただろう。速攻で身を隠さなきゃと抱きかかえたけど、プライドを刺激しちゃったかなあ。
「――ヨーギが、こちらに走ってきてる」
「ええっ!? なんだってヨーギが?」
怒りによってか頬を若干赤くし、ジャーラフが振り向いて宣言した。
想定外すぎる報告に戸惑い疑問形になったけど、事実に相違ない。
「はっきりと場所は定まっていないのだろう、時に立ち止まり右往左往している。だが意識が周囲に分散し、誰かを探しているようだ」
「へえ、誰を探してるんだろうねえ――~」
殺気がちらつく瞳にとぼけて返す。
「迷子になっているのかもしれん、ここから誘導して……時間がかかり過ぎるか。荒れた奴らがいるし放ってもおけん、まったく手間のかかる――『風舌』!」
ジャーラフの前方に「タラーク」に酷似した文様が浮かび、淡く発光する。
「いつ見ても、見事だなあ」
ヨーギは『カルマ』を啓いた因果伯、しかもS属性。例えどれほどの相手でも、同じく啓いた者でもなければ相手取るのは困難だろう。
しかし非がなくとも、因果伯が他国の領民を害すれば個人の問題では済まない。
火種は飛び火し、国家間の諍いへと発展しかねないのだ。国家の要たる因果伯、その振る舞いは容易に大火へと結びつく。
「苛立ってはいるけど、見捨てないのがジャーラフの優しさだなあ」
「あそこに見えるでっかい木は貴族の庭園で、危ない輩は来ない。話は伝えたからお前は身を隠し、大人しくしてろ。いいか、大、人、し、く、してろっ!」
はだけた胸に指を突きつけ、区切るごとに爪を打ち込む。
視線に誘導されると、街外れに丘とも思える巨木が白い花を咲かせていた。
感嘆し息がもれるのは爪が気持ちがいいからだけではない。ただ闇雲に逃走していたのではなく、避難地を目指していたのか。
「お前が動くと本当に厄介な状況になる! 少しは――大きく、自覚しろ!!」
はい、すみません。
「人を疫病神みたいに……」
心で謝罪しつつも口を尖らせ反論する、ジャーラフには甘えっぱなしだなあ。
カレシーが頬を寄せ、慰めるみたいに擦りつけてくれる。
「……なんとか病だっけ、気分はよくなったか?」
ジャーラフがぼくの前に座り、少し長くなった前髪を払って顔を覗く。
気配を読んだのか顔色か、気を遣わせていたようだ。だが一旦背をただしたかと思うと、オレンジの瓦を砕く勢いで頭を下げた。
「ごめんっ! 気がかりがあって、目を離してた!!」
「えっ……気がかり?」
突然の告白に驚き、内容が頭に入ってこない。
うつむくジャーラフの表情は見えなかったが、態度から切実さが伝わる。
「――今回はだぞ!? 奴らに絡まれるまで放っておいたのは、護衛であるボクの判断ミスだ。調子に乗んなバカ!!」
「ああ、うん……はい」
謝ってるのか怒ってるのか、胸倉をつかみ覆い被さり詰め寄る。ぼくはそこまで気を回してたのかと、むしろ感謝しか浮かばない。
ジャーラフは荒げた息をため息と一緒に吐き、表情に影を落とす。
「なんかまた難しいことを考えてるようだけどさ。アマゾネスの救助に遅れたのを気に病んでるんなら、お前はちゃんと間に合った」
胸につっかえている想い。
言葉で表せない想いがジャーラフによって容を得る。まるで傷口を塞ぐように、はだけたベストのボタンを留めていく。
ぼくはただ、されるがままになっていた。
「国を磨け――いくら殿下とのお約束でも、国の盗賊全て退治するなんて無茶だ。だけどアマゾネスが守れたのは、アユムが避難訓練を指導してたから。事前に対策していたから対応できた、皆感謝してるんだ」
だから必要以上に思い悩むな――ボタンを全部留めると、一つ胸を叩く。
ジャーラフと視線が合う、真っ直ぐに見返してくる青い瞳。
「お前が頑張ってるのは誰よりボクが知ってる。胸を張れ、もっと自信持てっ!」
猫の耳が尻尾が立つ、牙を光らせ心を蹴り上げて笑った。
大人しくしとけよ――立ち上がり、無造作に3階の屋根から身を躍らす。思わず耳をそばだてたが、微かな落下音すらさせずに消える。
ぼくは少しばかり余韻を味わっていた。
ジャーラフが笑う、なんだかそれだけで嬉しかった。
「怒らせてばっかりだからなあ……」
☆
恐々と屋根を伝い渡って、でっかい木が座す庭園に降りる。
「ああ……遠目に白く見えたけど、こちらも西洋菩提樹だったのか」
確か6~8月が開花の時期、ローカァ伯爵家にも植えられてたけど遥かに巨大。
虫に強く幹が軽くて扱いやすい。家具や楽器の製作に適しており、欧州において長く親しまれた歴史を紡いでいる。
養蜂の許可を貰っているのか、藁で編んだバスケットが数個置かれていた。
街中ではあるが、西洋菩提樹の花には微香があって蜜源に適している。
立派な石垣の塀に囲まれた、コの字を描く3階建ての屋敷。家畜小屋に鳥小屋、放し飼いの豚が寝そべり、鶏が我が物顔で歩いていた。
小さいながらも菜園まで広がり、遠く何事かを話す笑い声――。
まるで一つの世界を現した、西洋菩提樹を中心とする気持ちのいい庭園。
「外側の都市部に貴族の屋敷があるのは変だと思ったけど……後に移り住んだ者は必然的に、空いている外側都市部へと広がるしかないか」
マナスル同様、城郭内が「限定空間」であるのに変わりない。
通常であれば城郭都市の周囲に村を構え、有事の際は城郭内に避難する。しかし国境に面しており、サーガラの様に城壁の外に住むのは抵抗があるのだ。
暗い路地と悪意から解放されたせいか、傾きつつある日の光すら輝いて映った。
「さて話を伝えたとされる貴族は、どこにおられるだろう」
不法侵入で衛兵に追われても困る、早々に連絡を取りたい。
「それにしても便利な「力」だな。スーリヤ様も目視の距離なら使えるそうだし、ぼくにも可能性はあるだろうか……」
スーリヤ様にお願いすれば、いずれは――長寿であるエルフに師事する?
自問自答に苦笑が混じった。
「風舌」――同時通話はできなくとも、この時代において貴重さは計り知れない。
無い物ねだりしていたらちょうど菜園から帰るのか、鍬を抱えた数人の使用人が通りかかったので会釈する。
「突然の訪問失礼します、こちらにお住まいの貴族にお会い……したいのですが」
彼らが思ったより、いや思った以上に若いことに驚き言葉が濁る。
どうみても10歳前、小学校低学年から中学年ほどに見えた。使用人が我が子を連れてきたのだろうか、にしては振る舞いが堂に入ってる。
「あっご、御主人様はお屋敷におられます。ぼくは……私はクラトゥと申します、ご案内いたしましょうか?」
「よろしければお願いします、ありがとうございます」
一番年上と思える子がかしこまって対応してくれた、それでも10歳ほど。
「御主人様だって――シャンティ様が知ったら悲しむぞ――~」
「言ってやろ、言ってやろ――~」
「おい止めろお客様の前だぞ、シャンティ様が笑われるんだぞ!」
使用人の無調法は主人の恥。
ピタリとお囃しが止まる、話し方から察するによほど慕われた方なのだろう。
「このお兄ちゃん、お客さま?」
「そうだよ。お客様をホールへご案内するから、皆は先に片づけを済ませてくれ」
クラトゥが手の平を指して先に立ち、屋敷の玄関へと導いてくれる。
他の子もぼくに会釈すると、鍬を抱え直し歩き出す。先ほどの失態を繕う気か、足をそろえ緊張する仕草に頬が震えた。
後ろをついていく一番小さい子が、不思議そうに問う。
「ねえお兄ちゃんのお客さま、どこから入ってきたの?」
「――っあ"」
我ながら間抜けな声。
鉄柵門は遠く庭園の反対側で、門番小屋もあり通常なら門番に到着を知らせる。
門番が使用人に来客を告げ、使用人がさらに屋敷内の使用人に告げ――といった手順を経ないと、主人には取り次げない。
客が単独で「ずかずか」と入るなど、貴族の屋敷では有り得ないのだ。
子供たちが全員振り向いて塀を見上げ、対応してくれたクラトゥも気がついた。
ここは石垣の塀を乗り越え降り立たねば、不自然な場所――。
その場に、不穏な空気が流れる。
ここは大人として気の利いた言い訳を……いや、子供に嘘はつきたくない。そも嘘を重ねるのは情操教育的によくない。
正直に塀を乗り越えたと……不審者決定だな。
子供たちが顔を見合わせジリジリと下がり始める、やばい完全に不法侵入者。
「お――い、片づけにいつまでかかってんだ」
かけられた声に、ぼくをふくめ全員が体を震わせる。
屋敷の角から、黄色に先っぽが黒の耳――ワータイガーの子供が顔を出した。
「あっ……昨日の!」
知った顔に思わず安堵するが、思えば通りかかっただけで会話もしていない。
ワータイガーの子供も、誰だと不審な表情を浮かべる。
「なっなんだよ、カゥムの知り合いか?」
クラトゥが若干だが緊張をといた表情を浮かべた。
しかしカゥムと呼ばれたワータイガーの子供は、眉を寄せ首を振る。
「ほらヨーギ……ケンタウロスの荷物を珍しそうに見てたよね? 打ち抜き井戸の工具なんだよ、そうだ興味があるなら今度――」
少しでも良い印象を持ってもらわねばと、どうやら余計な説明をしてしまった。
話を聴きながらカゥムの表情が驚きから不安へ、そして恐怖へと変わっていく。
「……オレは――ってない!」
「触ってない? ああ危ないからね、ケガをしてないんならよかった」
「盗ってないっ! オレじゃない!!」
話が繋がっていなくて戸惑う、どうしたらその返答になるんだろう。
思考している間もなく、カゥムがその場から走り出す。
「待って、えっとカゥム? なにか誤解が――っ!」
追い駆けようとして、他の子供たちの疑惑が大きくなっているのに気がつく。
この場を放置して駆け出したら、もう言い訳すら通じないのでは……クラトゥが小さな子を背に隠し、守るように後ずさる。
今にも鍬がぼくに向けられそうな雰囲気。
「おっ落ちついて! そうだまずは、お話をしよう――!」
危害は与えないと手を挙げたら、佩刀していた剣が高らかに鳴った。
心に悲鳴が木霊し、ぼくも子供たちも蒼白となる。重なる鼓動と張り詰めた空気が破裂する前に、ざわめきが届く。
カゥムの戸惑う声が近づいてきて、今度は女性に肩を押され顔を出した。
「違う違うっ! オレは盗ってない、シャンティ様オレじゃないよ!!」
「ハイ、アユム。話は聴いたわ」
「シャンティ様気をつけてっ! 剣を持った暴か……え?」
女性がぼくを見て手を振るので、子供たちが鍬を構え盾となるも唖然とする。
ジャーラフがぼくの名前も伝えてくれてたのか――ほっと胸を撫でおろす。
クラトゥが鍬を下げ、戸惑った表情で女性を見上げていた。
「シャンティ様の、お知り合いですか?」
「知り合い……んまあそうね、カゥムも落ちつきなさい。少なくともこの少年は、無暗に疑ったりはしませんよ」
カゥムが疑惑をふくめた目でぼくを見るので、できるだけにこやかに笑う。
改めて背をただし、貴族と思しき女性に丁寧に会釈し挨拶。
「アユム・カベウラ卿です。初めてお会いする方に誤解を招く登場をしてしまい、大変申し訳ありませんでした」
「はあん?」
シャンティ卿は首を傾げてなにか思い立ち、喉で笑ってからつけ足した。
「説明されなかったみたいね、じゃあこの方が早いか――あっ! ヴィーラ殿下のローブをまくった変態坊主っ!」
大声で叫んで、面白そうにニヤリと笑う。
先ほどからの妙な違和感、名前は聴いたにしても「無暗に疑ったりしない」などとぼくを知っているかの口調。
ウダカに派遣されている、3人目の――。
「変態!? やっぱり犯罪者だ、シャンティ様を守れ――っ!!」
クラトゥが雄叫びを上げ、鍬を構えた子供たちが殺到する。
なんだか今日は、追われてばっかりだなあ……。
子供に囲まれ笑うのはシャンティ伯爵、17人の因果伯の1人である。
大きな鍔つきの三角帽子を被り、黒のコタルディをまとう。ほとんど魔女の出で立ちそのものだが、高位の聖職者を表す見事な権杖が微妙にズレていた。
なんだかこの方が持つと、失礼ながら鈍器に思えてしまうのだ。
見た目は10代半ばほどなのに、先代から因果伯として仕えている。
「ハスター伯爵と同じく、肉体強化によって若さを維持されてるんですか?」
つい不思議に思って訪ねてしまい、無言でにこやかに流された……。
背後の影が襲ってきそうなのは、属性を訊いたせいか年齢を訊いたせいか。
「先ほども思いましたが、内側都市部とはまた違った幻想的な屋敷ですねえ……」
見ればカゥムに限らず、子供たちには亜人の子も多く混ざっている。興味が湧き庭園の探索を希望すると、シャンティ卿手ずから案内してくれた。
高い外側城壁の圧迫感はあるけど、敷地内は多様な種が混然と生活する世界。
「あら噂に語られる、アラヤシキの方がよっぽどではない?」
首を傾げて返され、価値観の違いでしょうかと笑い合う。
巨木の西洋菩提樹を間近で見上げ、養蜂を手掛けた話をする。
「ああハーブ……タイムも育ててるんですね、これはいい」
タイムは蜜蜂の大好物であり、養蜂する上で適していると聞いたそうだ。
アマゾネスでも巣箱の近くに植えていたほどの重要なハーブ。
「おい、早く小屋に入れよ――!」
日が傾き鳥小屋を眺めていると、放し飼いの豚が追い立てられてきた。
「豚とはいっても、ぼくから見ればイノシシに近いな」
立派な牙と剛毛を蓄えており、現在に見る品種改良後とは明らかに異なる姿。
豚は遊び足りないのか足を引き、妙に暴れるので係の子が罵倒してる。なにかに怯えている風にも見えるけど。
「いうこと聞けよ! こいつめ、動けって!」
都市で飼われる豚はゴミや汚物処理係を兼任したため、「卑しく不浄な動物」と忌み嫌われていた。
冬には市民の胃をも満たす大切な存在なのに、処置や対応はかなり乱暴。
「せめて、感謝して育てようよ」
言葉にしてしまい思わず口を押える、ぼくが文化摩擦を起こしてどうする。
幸い誰にも聞こえておらず、ほっと胸を撫でおろす。
子供たちはシャンティ卿を見るや、背をただし挨拶してたのだ。その眼差しには尊敬と憧れが宿り、けっして無頼な感覚をしている訳ではない。
いつ頃からか芽生え、社会に蔓延する「常識」に沿っているだけ……。
――常識とは、真理ではない。
「他者を害してはならない」
そんな誰もが当然だと頷くことすら、戦争で、教義で、状況次第で軽視された。
異なる価値観や習慣が、正義の名の下迫害された歴史をぼくは知っている。
「向こうの世界の方がよっぽど……か」
ワーウルフの子がぼくを見上げ、視線が合うと年上の子の背に逃げた。
「先ほどのカゥムも、ぼくに対してではなく只人を恐れているように感じました」
「亜人の状況はアユムが街中で知った通りよ。虐げられた者はそのはけ口を探す、結果力の弱い女と子供が割を食う」
亜人というだけで、この子たちは無実の罪を着せられ処罰を受ける――。
威嚇してきたワーウルフが、種全体の資質ではないだろう。港では商人風の姿を見ており、立派に地位を確立している者もいた。
だけど騙され疑われた者は、諦めと怒りの澱を積もらせていく。
苦しみに心が支配され、癒されぬ痛みが生む連鎖。
「港で睨まれたのも、ぼく個人ではなく只人に向けられていたのか」
おそらく多くの亜人が、カゥムやこの子と同じ目で只人を見ているのだろう。
膝を折り視線をワーウルフの子に合わせる、困惑する瞳が……いっそ悲い。
『――亜人全員が嫌ってる訳じゃないからな!』
青い瞳を思い出し、笑みがこぼれる。
その言葉だけで、少しでも救われた気がするから。
「本当に、ジャーラフには甘えっぱなしだ」
「私はパシュチマ連合王国の出身でね、亜人の友達はごく普通にいたのよ」
『カルマ』を啓いた者が他国に移る、当時は結構もめたけどね――。
軽く話されてるけど、大層な問題となったのではないか。
「向こうでも縄張りに馴染めない子や逃げ出した子、捨てられた子を保護して養育する施設があって……まあ真似事ね、放ってもおけず屋敷を開放してるわけ」
児童養護施設だろうか、教会の扉前に捨てられた逸話は数多くある。
「それではその……亜人をかばって迫害を受けたり、偽善だと意趣返しされたりといった問題は?」
「最初はあったわね。でも奴らにはタップリと教育してあげたから、いくら物忘れが激しくてもここには近寄らないわ」
安心してジャーラフを待ってればいい――笑う横顔に剣呑な空気をまとう。
この方も褐色の領主と同じく、『カルマ』を啓いた方なんだと実感できた。
「私1人が手を差し伸べても、大したことはできないけどね」
「そうでもありません、ハチドリのひとしずく……ですよ」
彼女にも歴史があるのだろう、遠くを見る瞳がぼくに向き直り小首をかしげる。
「――ある日森が火事になり、多くの動物は我先にと逃げ出しました」
しかし一羽のハチドリだけが、小さなクチバシで水滴を運び消火活動をします。
そんなことをして一体なんになる、他の動物は意味がないと笑いました。
「ハチドリは言います、自分にできることをしてるだけ――」
諦めは世を停滞させるだけ。誰かのひとしずくの勇気が、歴史を創っている。
「私はそのハチドリほど、立派じゃないわよ」
シャンティ卿が意味を理解し、少しばかり照れて三角帽子の鍔で顔を隠す。
ウダカに残る、ハチドリが守りし園――。
僭越ながらぼくにもなにかお手伝いできないかと、敷地内を見渡す。幸い多くを自給自足でまかない、因果伯の俸給だけでも十分やっていけてるそうだ。
ぼくは騎士として、大企業の課長クラスの高級取り。
公衆浴場や側溝の施工は領地の経済活動として、マナスルでもサーガラでも領主から先行投資をしていただけた。
参入してた石鹸製造も、すでに国家事業に組み込まれ安定供給が取られている。
その上マナスルの徴税官にお任せした特許使用料など――資金繰りに困ったり、収益の算出に頭を悩ませたりはなかった。
工具類や試作品以外で、支出することがほとんどないのだ。
「思えばずいぶんと楽させていただいてる、ヴィーラ殿下に感謝だなあ」
13世紀の金融機関では、すでに貸借の際一定利率の対価――「利息・利子」の徴収は通例として行われている。
貴族が平民や職人に高い利付きの貸出を行い、奴隷へ売却し地上げを行う。
「高利貸し」による強制徴収の悲劇は、枚挙に暇がない……。
借金はないそうだけど、資金援助だけでは焼け石に水……有効活用すべきかな。
「そうだ生きた先行投資、皆の手に職をつける!」
例えば陶器による平皿の生産。
向こうの世界の歴史通り15世紀に普及するのであれば、ひと足早く貴族や諸侯が入手を競うかもしれない。
高額の需要が見込める供給、衛生を広めるための躍進にもなるし一石二鳥。
「こちらに平皿を――陶器を、焼く窯はありますか?」
「離れに職人が引退して使わなくなった鍛冶場はあるけど、陶器の窯はないわね」
陶器のヒラ皿? と不思議そうに返される。
ならば当初の予定通り、陶器職人に平皿の試作を焼かせてもらおう。希望する子の徒弟入りをお願いし、腕を磨き独立する際に新たな窯を建てる。
生産ラインが組めれば、職人として生計が立てられるのではないか。
鍛冶場があるなら鉄の食器……スプーンの製作はできないだろうか。鍛冶職人を招き指導して貰いながら研鑽を積む。
陶器と鉄食器の教練場として安定供給に繋げ、適額での交易が見込めれば――。
「う~ん……鍛冶職人の徒弟になれるのはいいけど、皆が適してる訳じゃないわ。特に暑さや力の弱い子、上手く心を表せない子もいるし」
只人の弟子になって、やっていけるかな――。
結局は只人と亜人の確執問題に辿りつくのか。
少なくとも最初は只人の下につかなくてはならない。それに技術職にはセンスも求められるし、設計や開発に携わるなら読み書きできた方が都合はいい。
「まずは職業訓練へと至る、土壌が必要となって――…あっ!」
シャンティ卿がべそをかくワーウルフの子あやし、腰に手を当て発破をかける。
優しさだけではなく強さとたくましさをもち接してるのを見て、剣闘士競技会での構想を思い出し喉を鳴らす。
「基本となる、土台を忘れてた!」
頭を抱えて苦笑しながら、シャンティ卿に必要性と計画の提案を熱く伝えた。
興味深く聴いて貰えていたが、ふいに眉をひそめられる。
「それが噂の、獣者……ね」
カレシーが、ぼくの襟から顔を覗かせていた。
「シーちゃん……どっどうしたの?」
リアルに彩色された石像のごとく固まり、しかし緑の瞳は強く輝く。
状況からよほどのことだと分かったけど、声をかけずにはおれない。ぼくを守るかのように、傾く太陽に陰る鉄柵門を凝視している。
精神が緊張し汗が流れた、確実になにかが迫っているのだ。
「ぼくを追って、ワーウルフが襲撃にきた!?」
「さっきも話したけど奴らは十分教育してある、獲物を取り逃がした程度で逆上するとは思えないけど……」
カレシーの様子が疑惑を加速させ、シャンティ卿も異常事態を察した。
「皆っ――作業は一時中断! 急ぎ屋敷に入りなさい!」
周囲に呼び掛けると、子供たちは疑問を持ちつつ小さい子の手を引き移動する。
ふいに騒めきに割って入り、馬の蹄が木霊した。
「えっヨーギも、誘導されてきた?」
空気が変わるかと安堵したが、鉄柵門に映る影はケンタウロスではない。
逆光に影をまとう一頭が、なんの遠慮もなく門を開き「ずかずか」と入る。
ここは貴族の、まして因果伯の屋敷。例え上流貴族であっても先触れも出さず、門番の取り次ぎすら無視する態度はとれまい。
たった1人を除いては――。
「そうだジャーラフが気がかりとすることなんて、一つしかないじゃないか!」
ぼくは遅まきながら理解した。
昨日から様子が変だった。こちらにお忍びで訪れるのを知り、ぼくに伝えるべきか迷っていたんだ。
影が乗馬する主の輪郭を形作る。
そうしてシャンティ卿も理解し、片膝を立てて跪いた。離れていた子供たちは、主人の行動にすら気がつかず魅入っている。
周囲の時が止まって感じ、存在するのはぼくとカレシーだけ。
黄金色の髪が逆光を跳ねのけ、光のオーブを惜しげもなく巻き散らす。炎を思わせる双方の瞳が輝いた。
ぼくが忠誠を誓い、礎となるべき存在が馬上から雷鳴を轟かす。
「――お前は、本当に意外な処に出現するな」
それは割とぼくのセリフではないのか、反論を思い浮かべるも跪く。
ヴィーラ殿下が、まさしく突如顕現される。




