八十夜 第一種接近遭遇
「あっラクシュ、アユム卿を見かけませんでしタ?」
王太子と姉がチェス盤を囲む部屋にノックがした。
ルタが顔を覗かせ、ローカァ伯爵夫人の姿を認めペコリと頭を下げる。昼食時に顔を見せなかったアユムを探していたのだ。
「買い物に出かけたよ、なにやら欲しい物があるそうだ。夕食が楽しみだな」
「ああそうでしたか……それはいいですけど、外側へ出る際の忠告はしましタ?」
無言でコマをつかみ眺めるラクシュに、ルタが呆れて頭を振った。
「――ラクシュ!?」
「落ちつけよルタ、ジャーラフがついてるめったなことにはならないさ。それより俺は見たいんだ、アユムがどうするかってな」
大都市になれば、それだけ暗部も拡大する。
亜人の多いウダカの外側周辺には貧困層が密集し、只人に対する暴行や誘拐……犯罪行為が多発する無法地帯と化していた。
「将を射んと欲すればだ。ヴィーラ殿下の婿にと名乗りを上げている俺にすれば、アユムを手懐けておく材料を増やすのは定石とも言え――…」
「憎まれ口を演じるのは、初対面の方だけにしておいてくださイ」
山羊の角を持つ少年が深くため息をつき、言葉を遮る。
長いつき合いとなる家臣に釘を刺され、主君は思わず頭をかく。幾分真面目に、そして覇気が漂う言葉が場に漂った。
「ルタも見ただろう……ワータイガーの子が大切な荷に触ろうとしても、とっさに子供の安否を気遣う。ウチの国ですら、そんな只人がどれほどいる?」
「だからってなぜわざわざ試すマネをするんですカ。アユム卿の人となりをご存じだからこそ、臣下に招きたいのでしょウ?」
「だからこそ、試したいんだ!」
亜人の悪意に晒され、危害を加えられてなお――己を律するのか。あるいはその類い稀な英知を持って、全てを無に帰すのか。
ライオンのたてがみが震え、皮肉な笑みが浮かぶ。
「アユムには城門だけじゃない、この国を……この世界をぶっ壊してもらう!!」
それは王太子が口にしていいセリフではなかった。
場合によっては流言飛語が重なり、見限った上流貴族が結託して国王に廃位すら迫りかねない暴言である。
己を亡ぼすとのたまう王族に、尽くす義理はない。
ルタは思わず窓とドアが閉まっているのを確認し、小さな背に汗をにじませた。
「戯言はお止めください、リグ公爵閣下……っ」
「おいおい、その爵位は出すな」
ラクシュが苦笑しかけ、大切な仲間の真摯な瞳に気圧され軽口が止まる。
ルタはうつむいて、アユムに返し忘れていた小銀貨を握った。1枚の願いは……再びこの地を訪れる。
「アユム卿は……ウダカの市民が触れ合える催しがしたいと、申してましたヨ」
只人から繰り返し受ける、揶揄と差別の瞳。
あの方のまったく濁りのない微笑みに、どれほど心が震えたか。
「なんだよルタ、お前も浮気か?」
「っ――そうではありませン! アユム卿を探してきまスっ!!」
拒絶するかのごとく扉が閉められ、反響がしばらくの間木霊する。
「あらあら、仲のいいこと」
一部始終を静観し、蜂蜜酒を口にした姉が弟をからかう。
ラクシュは幾分不満そうに頭を掻き、アユムに貰ったコーヒーを飲んだ。砂糖を入れたはずなのに、口内に苦い味が広がり息を吐く。
「それで、向こうを放って出てきてもよかったのですか?」
「俺がいなくっても平気だろう、むしろ厄介払いできたと――」
「ラクシュミー……」
姉の悲しい口調に、さすがのラクシュも憎まれ口を止める。
「いや俺としても、国を考えないでいる方が気楽なんです」
口の中で言い訳を呟き、分かりやすくチェス盤に視線を移す。意味もなくキングをつまんでは元に位置に戻していた。
歳の離れた姉は乳母代わりでもあり、全て見透かされている瞳に座りが悪い。
裏表なく王太子に語りかけてくれる存在が、嬉しくもあったが。
「ささくれ立ってる理由は他にもあるようですね、旅の間に誰か心変わりでも?」
「ははっ……姉上まで、先ほどの冗談を真に受けないでいただきたい」
「あなたは子供の頃からそう。ケガをしたら塩を擦り込みさらに痛い思いをする、その方がケガしたのを忘れない――なんて憎まれ口叩きながらね」
ルタに対し妙に突き離す対応、自分をさらに追い込む癖……姉は弟の心を開く。
ラクシュは伏し目がちに「ホットサンド」をかじる。
トーストした大麦パンにチーズとベーコン、玉子などを挟んだ軽いランチ料理。
小麦よりも大麦の方が水分を多く保ち、パサつかず翌日でも美味しい。アユムが昼食用に準備しており、皆で奪い合いとなった。
「……アユムの発想には本当に驚かされますね。焼き上がったパンをスライスし、もう一度焼こうなんて考えたこともなかった」
それがこんなにも美味しいんですから――。
カリッとした歯応えと、独特の香ばしさが鼻を通り抜ける。
「私は――俺はヨーギとルタのことを、なにも分かっていなかったのです」
姉上は亜人の休眠状態、なる特性をご存じか?
低体温、変温動物といった種がいることは?
大麦パンを見つめ思い出す、旅の間ヨーギが何度お腹が空いたと訴えていたか。
「愚かな俺は、話を聴こうともしなかった……」
――「パシュチマ連合王国」はラクシュの父が治める「パシュチマ王国」を含む4つの国が、政治制度を維持したまま独立的に存在している。
その一つが亜人の国――「カイラーサ公国」であった。
歴史的因縁はあろうとも対等な連合関係を結び、国家の交流は200年に至る。
王太子であるラクシュの周囲には、生まれながらに亜人がいた。
師として学び、仲間として競い合い、友として笑う。王族である彼のそばにいる亜人は選別され、何代にも渡り只人と共に暮らす。
生活習慣が、只人向けに改められていたのだ。
幼くして『カルマ』を啓いたヨーギは、まだ体質が整えられていなかった。亜人特有の習性を知らなかったとしても、誰がラクシュを責められるのか。
ラクシュを許せないのは、ラクシュ本人である。
「亜人の冷遇に憤りながら……そんな発想すら思い至らなかった。アユムと比べ、なんと無知だと思い知らされるっ」
乗り合わせた商船で起きた不祥事。
只人全員でしめし合わせた、亜人への迫害だと思っていた。犯人だった船員長の顔に自分が重なる。
「他者を責める資格はない! 俺も只人の先入観に、囚われていたんだ!」
姉が見ていなければ己を殴打したのではないか。強く握りしめられた拳が震え、チェスのコマが呼応し盤から転がり落ちた。
キングが小さく瞬き、王族としての矜持を揺さぶる。
「このチェスの新たなシステムを考案されたのも、彼の少年だそうですね」
ローカァ伯爵夫人がコマを拾い盤に戻す。
遠く潮騒が鳴って、それが幻ではないと潮風が部屋にそよぐ。
「アユム卿、あの方こそが――」
囁きに弟が視線だけ向けると、姉は横を向き窓の外を眺めていた。
生まれ育ったパシュチマ王国に望郷の念が湧かないとは言えない、だが子を産みすでに見慣れたウダカの景色。
悵然する弟にかける言葉と想いがめぐる。
「私は他国に嫁いだ身、あなたとはもう姉弟でありません。ヴィーラ王国の内情を伝えるのは……ヴィーラ殿下を裏切る行為」
蜂蜜酒をひと口ふくみ、舌を湿らす。
「ですから、世間話にかまけて世迷言を申します」
「は? いやお立場的に、それはいかがなものかと」
「あらなんです? 自分は散々愚痴をこぼしておいて、姉にはつき合えないと?」
先ほどもう姉弟ではないとおっしゃったのでは――。
淑女然としながらも、とぼけたセリフで正面からラクシュに相対し微笑む。
静かにたたずむ姉の瞳に、いつの間にか覇気が纏っていた。
「……この方には、勝てない」
ラクシュは姉がまさしく王族だったのを思い出し、珍しくも髪がしな垂れる。
「ローカァ卿から、謁見の間でのアユム卿の大立ち回りをうかがいました」
あろうことか殿下に反論する――最初は物事を知らない少年、殿下の「存在」が分からない少年かとも思えた。
しかし開き直って歓呼する貴族の中で、幾人かは気がついていたそうです。
排除対象とされたにも関わらず、笑顔すら浮かべる少年。アユム卿の背にとても人には見えない……アリエナイ影が重なる。
ローカァ卿の瞳は畏怖に濁り、汗を落とし震えておられました。
昨夜の会食で、私もその片鱗を感じております。同じ姿をし、同じ言葉で会話をしているのに、全く違う世界を映す瞳。
礼儀正しく、聡明で、優しい――理解を越えた存在。
今はヴィーラ殿下に忠誠を誓っておいでです。ですがもし、あの方が「破壊」を望んだならどうなるか。
あれほどの見識を持つ方が、世界を俯瞰できる方が一度牙を剥けばどうなるか。
魔獣に、只人と亜人の区別などありません。
「この国を磨け……あるいは殿下は、あの方に口輪をおつけなさったのでは」
アユム卿、あの方こそが――「真の魔獣」ではないのか。
「塩を擦り込んだ傷跡はいずれ追憶となる、ですがラクシュミー」
姉は聴き入っている弟に、最後の言葉だけは伏した。
それはあまりにも配慮に欠け、あまりにも本質に迫っていたから。弟の望みが、かなえられてしまうから。
「取り返しのつかない傷は精神に「定着」し、心を切り刻み続けます」
「「妄水」でも、治せず……か」
「彼の少年を師とあおぐのはいいでしょう……とはいえ比べる必要はありません。アユム卿は、私たちとは違うのです」
姉の思わぬ断定に、ラクシュは以前感じた予感を思い出し頭を振った。
「だが俺は――アユムを探し出し、見つけたのだ!」
それは大切な仲間をも巻き込む選択、ヨーギとルタの姿が浮かぶ。矛盾をはらむ心に、ラクシュは我知らず汗を落とす。
「ラクシュ!? ここにヨーギは――~…いなイっ!」
「ヨーギがどうかしたか? しばらく姿は見ていないが」
軽くはあるが慌てた足音が響き、ノックもせずルタが部屋に飛び込んだ。
あまりの慌てぶりに先ほどの対応も忘れ、何事かと問う。
「どうも屋敷を飛び出したようでス! おそらくは、アユム卿を追っテ!!」
一拍置き、ラクシュが天をあおぎ顔を覆った。
「ああ……本当に俺は、なにも分かってねえなあ」
チェス盤の上で猪突猛進の戦車が瞬く。
何者かにぶっ壊された屋敷の鉄柵門が、悲し気に鳴いて倒れた。
☆
「ラクシュの言いようではないけど、領主にお会いすると些事が増えるかなあ」
ぼくは内側の商店を物色しながら考えを巡らす。
内外どちらの路肩も「塊」が重なり、悪臭を放っていた。まずは大都市を磨き、中都市から村まで側溝とお風呂を順次広めていきたい。
ウダカの領主ウマー伯爵に、側溝の設置だけでも先に頼みたかったのだ。
お会いしてインフラの重要性をお話し、許可を貰って……腕を組み呻る。
「どうしたって、週単位のスパンが必要だよねえ」
それも、すんなりと受け入れて貰える前提で。
「8月中には新王都へ辿りつきたい、それから再度ウダカへ戻って設備を――」
……なんだか、二度手間の気がする。
しかもそのつど、馬車の手配と日数調整が必要となるのだ。
職人ギルドで御者の手配を頼むも、定期便では荷が多すぎて難しいと断られた。
馬車持ちの行商人を探して貰うことになり、連絡待ちとなる。
「自分用の馬車を購入するなり、移動手段の構築を本気で考えるべきか」
それほど時間はない――ため息に気がついて、無理矢理深呼吸に変えた。
マナスルで側溝を掘り、アマゾネスでは小都市おこし。
「急がば回れの精神を、忘れちゃいけないな!」
マナスル城でお風呂に使用したよりもひと回り大きい桶を購入。設計図を携え、紹介して貰った大工職人に改造をお願いする。
「仕上がりましたら、ローカァ伯爵家へ届けて貰えますか?」
「へいっ! 腕によりをかけて作りまさあ!」
貴族の依頼か料金がよかったのか、職人がはりきって引き受けてくれた。
宿のお礼に相応しいかはともかく、喜んでは貰えるだろう。一つ問題が片づき、ヴィーラ殿下に下賜された腰の剣を一つ叩く。
「まあ全部上手くいくさ、そんな予感がする!」
日中の照りつける太陽を手で覆い、熱中症に気をつけながら内側の城門を潜る。
外側の都市部へと出て、喧騒の中屋台を見て周った。
「それくらい気楽に考えていた方が、ぼくの場合いいのかも」
「オイオイ、ガキが一匹群れから離れてるぜ!」
「場違いに気づきもしねえ、いかにも貴族の使用人らしい」
「気味悪い服だが仕立てはいい、払いはいいんじゃねえの?」
「オイ只人のガキ、聞こえねえ振りすんじゃねえ!」
「てめえだよ――奇妙な服着たガキっ!!」
……まさかとは思うけど、ぼく?
振り向いた視線が胸に当り、呆気に取られて天をあおぐ。
ぼくより頭一つ以上背が高い、ワーウルフ10数人に取り囲まれていた。
顔の区別はつかない、犬とは違う真正面を向いた耳。灰色の体毛と発達した筋肉に包まれた腕や胸に、刀傷の痕が幾重も残っている。
微かな血と油の匂い、脇やベルトの後ろが不自然に膨らむ。
ウールドを野生化した出で立ちは、真っ当な仕事についてるとは思えなかった。
思考の海に沈み、気がつけば大通りを離れ建物に囲まれた狭い路地。少ない過客は我関せずと道を変えるか、離れて野次馬となっている。
ワーウルフの縄張り――辺りの空気が、即座に一つの単語を知らせた。
「申し訳ありません、立ち入るつもりはありませんでした……すぐに退去します」
謝罪し大通りへ戻ろうとするが、回り込み立ち塞がれる。
丁寧な物腰は、ワーウルフたちを逆に刺激してしまう。
「そう慌てるな、お前の価値を御主人様が教えてくれるぜ?」
「この手の顔が整った使用人は、他の仕事だってあるそうだ」
「只人の貴族は愛玩動物を飼ってるのか、笑えるな!」
鋭く立ち並んだ牙の隙間から赤い舌が見え隠れし、喉から下卑た音をもらす。
こういった輩がいるのは想像できた、騒ぎにはしたくない。いつものことだけど佩刀には気づかず、因果伯のハッタリは使えそうもなかった。
「いや今は貴族ではなく、使用人と思われていた方が無難だろうか?」
ワーウルフたちのセリフから、只人の貴族に対して恨みと確執がうかがえる。
抵抗すべきか迷い息を呑む――目当ての品がなく焦り気味だったのは否めない、火中に飛び込んだぼくのミス。
狭い通りで催涙スプレーを使えば周囲を巻き込むだろう。
なんとかスタンガンで威嚇に徹し、隙を突いて穏便に切り抜けられないか。
「オイ、連れてけ」
ぼくの倍はあろう腕が四方から迫る。
ヤバイっ警棒を抜くのが一手遅れた!
『合図をする、左後ろにある路地に駆け込め!』
「風舌」――ジャーラフ!
「あらあら、ごめんなさいねえお兄さん方~連れが迷子になってしまって」
フードは被らず猫の耳を立て、妙に色っぽいワーキャットが人垣から現れた。
何事かを囁きながら、するりとワーウルフにしな垂れる。
「あら~こちらのお兄さん、お会いしたことがあったかしら?」
「あん? なんでえネェちゃん」
「いやぁだこんないい男なら、忘れやしませんよ~ねえ? 只人のオスなんて髭もなきゃ度胸もない、刺激が足りないったらないのさ」
思わず二度見し――ジャーラフ!?
ぼくの知ってる姿とも、ビハーラ嬢の想像した姿とも重ならない。
ワーウルフたちも褒められてまんざらでもないのか。取り囲んだ数人はすでに、誰が口説くのかで威嚇しあっている。
「表情と仕草だけで、こうまで別人だと思わせる……女性は化けるとはいうけど」
「猫又」なる失礼な単語が脳裏をよぎった。
「このバカ、お兄さん方に迷惑かけんじゃないよ! 早いとこ用事済ませないと、門が閉まってまた御主人様にお仕置きされるじゃないか!」
「はっはい! ごめんなさい――」
怒鳴られた勢いでよろけ、自然と左後ろにある路地へ追い詰められる。
リズミカルに目を引く動き、聴き入ってしまう情報が流れる声。ワーウルフたちの興味は、すでにジャーラフにだけ向けられていた。
「なんて見事なんだろう」
気配を読み意識を自然と操る……文様を啓かず、無意識の行動ですらこれだ。
O属性が「王の属性」と称えられる所以であった。
「へっへっ俺についてくりゃあ、忘れられない刺激をくれてやるぜ」
「どうだい見ろよ俺の髭、誰よりも立派だろ」
「おっおい待て、門が閉まる……ネェちゃんの主人は、内側の貴族なのか?」
「ええ、そうでございますよお兄さん。ウチのバカが本当にご迷惑をおかけして~そうだお詫びといっては、なんですけどぉ」
慣れた手つきで煽り、マントから硬貨の音を鳴らす小さな袋を取り出す。
ぼくの意識まで思わず袋に移りそうになるが、ジャーラフの尻尾がワーウルフに見えない位置でゆっくりと円を描いている。
幸い二又ではない。
尻尾が止まり、ピッと左後ろの路地を指す。合図――ぼくは路地に飛び込んで、後ろも見ずに駆け出した。
「きゃっ!」
ジャーラフの悲鳴と、袋を手落として硬貨がばら撒かれる音が同時。
一つ目の角を曲がる頃には、ジャーラフはぼくに追いつき苦虫を噛み潰す。
「なんですぐウロウロする、大人しくしてられんのか! ――そこを右っ!!」
ぼくの後ろを走り、気配を読みながら誘導してくれる。
「新王都への、出立の準備を、早く、しないとって――~っ!」
「それでよりによってこっちかっ! 本当、M属性は……」
よりによって?
ぼくの言い訳に妙な返答が返り、走りながらジャーラフを窺う。
「お前のことだ、できれば奴らにケガをさせず――なんて考えてただろう!?」
逆に指摘され、ギクリと心臓が高鳴る。
「だが断っておく、あの時点では「戦う」選択しかないぞ!」
取り囲まれ、逃げることはできなかった。
捕まえられてはあの筋力と数、抗うのは難しい。装備を剥ぎ取られ、人気のない場所に連れ込まれ……即座に選択しなければ、事態は刻一刻と悪化する。
ぼくとて彼らに話が通じるとは思っていない、ならば逡巡してはいけなかった。
ジャーラフが「逃げる」選択を、与えてくれたのだ。
「ありがとう、ジャーラフ!」
一緒に火の粉を被ってくれて。
「大銀貨13枚――バカの値段だ! 肝に銘じておけっ!!」
アラヤシキ計算で約4万円、反省に見合った金額なのだろうか。
ぼくらが消えたのに気がつき、拾うな追えと後ろで遠吠えがした。
「これだけ亜人ばかりだと、まるで話に聞く亜人の街だな」
「そっそれは一度訪ねてみたいね、この物騒な歓迎会は遠慮したいけど……っ」
ワーウルフの脚力がどれほどだろうと、気配が読めるジャーラフには無力だ。
何度も角を曲がり、時には戻って追っ手を危なげなくかわす。荒れてガラクタが散乱し、影が多く狭い路地は逃走を容易にさせる。
だが数に任せ要所を押さえられており、包囲の網が打ち破れそうになかった。
――狼は社会を形成し、群れで行動する。
犬よりも聴力があり、遠吠えで連絡し合い長時間の追跡を得意とする狩猟方法。
ぼくはこの街を「視て」はいない、地の利は確実に向こうにあるのだ。少しずつ外側城壁が近づき、街外れに追い詰められていくのが分かる。
「最悪の事態は回避できたけど、いつまで体力が持つか……」
繰り返されるダッシュ&ストップのアジリティートレーニング。
ぼくの心肺が、悲鳴を上げつつあった。
「ギャンッ!」
ナイフをかざすワーウルフに、スタンガンの一閃。
受けた腕を抱えて座り込む、追撃はせず逃走に戻った。追いつかれはじめて幾度か火の粉を払う、緊張感と闘争で息が荒い。
「相変わらず凄いなそれ、小さなカミナリみたいだ……」
怖そうに例えるジャーラフが可愛く、汗を落としながらも思わずほころぶ。
ワーウルフたちは着崩してるが、一般的な平民服である。チェインメイルなどを装備しておらず、どこに触れても効果があった。
「威嚇にしか使えないと思ってたけど、バッテリーは問題ないしいけるね!」
催涙スプレーを使えば無力化して数を減らせるだろう。でも狭い通路を行ったり来たりするので、下手をすれば自分たちが被害を受ける。
ぼくが走れなくなったらそれまでだし、けして楽観視はしていない……。
それでも若干とはいえ、高揚を感じている自分に驚いた。イダム卿の町で盗賊を相手取った時は、初陣であり必死すぎて記憶も曖昧。
だけど今度はボクの身だけであり、カレシーもジャーラフもいてくれる。
頼もしさに気が大きくなっているのかもしれない。
「でもどこかにひそみ、やりすごすべきか」
脚が止まり、ジリ貧になる前に――。
「っジャーラフ!!」
投擲された石がジャーラフに迫り、マントをつかみ無理矢理引っ張った。
間一髪猫の耳をかすめ壁に当たり、拳大の石が四散する。たたらを踏みよろけ、もつれ合って倒れた先に細かな破片が舞う。
「嘘だろ……あれが、頭に当たったら」
想像し青ざめる、ワーウルフの筋力は見かけではない。
「チッ……惜しい!」
「おいネェちゃんはもったいねえ、当てんなよ!」
逆光でよく見えないが、ワーウルフ2人が舌なめずりして追いすがる。
「一度牙にかけた獲物は逃がさねえ、只人狩りだ!!」
鋭い風切り音と共に再び石が投げ込まれた。ジャーラフが地に一転してかわし、猫の爪――「バグ・ナウ」を鈍く光らせる。
対応の速さは覚悟の違い。
「っ……アユム!? おい、マントを離せ!」
ごめんケガをすると思って、力一杯握りしめてた。
離そうとして地面が揺れる……まずい、こんな時に下船病!?
「アユムっ!?」
心臓が、息が、思考が止まる。
今気がつくのが遅れたら、ジャーラフに万一があったら。
相手は命を狙ってる、いつまで向こうの世界にいるつもりだ。犠牲を出さないと気がつかないのか!
誰かが叫び、視界が白く染まり、後頭部が熱く膨張する。
ぼくはまた、間に合わないのか――。
『皆殺しにするぞっ!!』
聞き覚えのある声が、地の底から響いた。
「……――ッ!? シ――――ッ!!」
「…――ユム!? おいアユム、しっかりしろっ!!」
カレシーが胸元から出て震え、ジャーラフが肩をつかみ耳元で叫ぶ。
ぼくはいつの間にか立ち上がり、壁にもたれていた。声が出ない、ひりつく咽を無理矢理こじ開ける。
「っだ、大丈夫! 大丈夫ちょっと、息が上がっただけ」
ワーウルフ2人が、尻尾を巻いて震え壁際でへたり込んでいた。
1人が悲鳴を上げ駆け出すと、もう1人も四つん這いで追いすがる。
「しかし驚いたな、お前でも怒ったりするんだ」
ジャーラフが苦笑し、逃げ出すワーウルフを見ながら行くぞと肩を叩く。
ぼくは今……「何」を、やろうとした!?
硬く握りしめていた剣の柄を、指を引き剥がし離す。落ちつけと己に言い聞かせ頭を振る、鼓動が耳に痛いほど激しく鳴っていた。
「シ――~…」
カレシーが心配気に見つめ震える。
「怖がらせちゃったかなあ、ごめんね」
「……魔獣相手になに言ってんだお前は」
そうだ……相手は魔獣でも盗賊団でもない、大した武器も持っていない。まずは逃げることだけを考えよう。
包囲の叫び声が轟く、立ち止まっていて囲まれたか。
ジャーラフだけなら、気配を消して突破することは容易だろう。
「こんな時ぼくはお荷物……に?」
同じセリフを、ノルブリンカの背でもしたっけ。
ああ本当に……自分のバカさ加減には呆れる。建物の影に居て忘れていたんだ、見上げれば――小さな青空があるのに。
今度こそ、即座の選択。
胸をはだけ、カレシーと言い争ってるジャーラフを抱きしめた。
「にゃっ!?」
『飛翔』――っ!!




