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M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第三章 新王都アムリタ
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七十九夜 ローカァ伯爵

「あっアユム!」

「なに? ジャーラフ」

「――いや、なんでもない」

「……?」

「なんでも、ないっ!!」

「う、うん」




 ウダカに井戸はない。

 代わりに崖に面し、三叉路が交差する広場に半円形の巨大な水汲み場があった。

 左右に石造りの女神像が設えてあり、魚を模した空想動物の蛇口から水が絶え間なく湧き出ている。

「これは……これは見事な、乙女の水道ですね!」

「乙女の水道、ですカ?」

「トレビの泉――ぼくの国に、似た噴水があるんです!」

 向こうの世界(アラヤシキ)では古代ローマ時代に設置され、改修を経て現在も賑わっている。

 異世界(こちら)で原型は製作されたのだろうか。

 桶に汲むと冷蔵庫ほどではないが、夏の日ざしに反し痺れるほど冷たい。

「これならデザートを冷やすには、十分ですね!」

 それだけで嬉しくなり、案内をしてくれたルタと笑顔を交わす。

 アマゾネスでもそうだったが、原水――地下水などの湧き水は地層でろ過され、良好な水質を保っている場合がある。

 しかし飲用に足るかは別で、安全のためろ過と沸騰消毒は欠かせない。

 日に輝く澄んだ水に、直接口にできないのが残念だった。


 岩の間からの湧き水を利用しているのだろう、水路は豊富な水量を湛えている。

 井戸の設置を見合わせたのではなく、この清水を以って「ウダカ」を造る計画としたのではないか。

 苔と掘りが浅くなった彫刻が、時代の経過を匂わせた。

「だけどいずれアラヤシキを建てるにしても、ここの水汲み場は……使えないな」

 周囲には使用人が桶を抱えて続き、生活用水として活用している。そこへ手押しポンプを導入し、お風呂用に大量の水を使用しては問題だろう。

 水は全ての生命線、場合によっては死活問題にまで発展しかねない。

 打ち抜き井戸を掘るにしても、ウダカは崖に面していた。通常よりもかなり深い穴を掘らねばならず設置は困難。

 幸い外側の都市部には海に流れ込む川があって、平民はそちらを利用している。

内側(こちら)は水汲み場から側溝を伸ばすだけにし、アラヤシキは外側(そちら)に建てるべきか」

 給水が容易ではなく、薪ボイラーは設置がしにくい。ならばどうする――虚空にかつて見た習慣と技術を想い描く。

 しかしマナスルでもサーガラでも、貴族たちは公衆浴場に詰め掛けていた。

 ウダカでは入浴するため、いちいち内側城門を越えなくてはいけなくなる。

「身分の隔たりが仇となる、皮肉な予感だなあ……」


 ふと思い立ち、プラムを購入した時に返金された小銀貨を2枚取り出す。

 水汲み場に背を向け、右手の硬貨を左肩越しに放った。小さな水滴の音がして、無事着水した硬貨を確かめ喜ぶ。

「あのアユム卿、それも(まじな)い……いえお国の風習なのですカ?」

「後ろ向きで硬貨を投げ入れると願いがかなう、まあ古い言い伝えです」

 ――いやこの時代では、新しいのだろうか?

 独白に思わず笑ってしまう。もったいなくはあるけれど、小銀貨はかさんで旅に不向きだし……いや苦しい言い訳だな。

 トレビの泉を連想し、単にやってみたかったのだ。

 小銀貨を投げて喜ぶ、奇……異国の服装をした少年と亜人。怪しむ観客の中には貴族もいて、奇妙な行動に立ち止まり魅入っていた。

「1枚で再びこの地を訪れる、2枚で大切な方と一緒にいられる、3枚で配偶者と別れられる――」

 3枚目だけ少し妙だけど、教義に離婚を禁止していた名残りと言われている。

 周囲に聞こえるよう指折り数えながら説明し、ルタに硬貨を3枚渡す。

 山羊の角が揺れ、ぼくと受け取った硬貨を交互に見て戸惑う。しばし悩んだ後、後ろを向いてやはり2枚を投じた。

 1枚が水汲み場の縁に当たったが無事着水し、安堵のため息と笑いが起きる。

「アユム卿の国には、面白い習わしがあるのですねエ」

「記念日が好きな面はありますね。特別な日を皆でお祝いしたり盛り上げたりと、日常に張りと彩りを与える感じでしょうか」

「なるほど……ただ漫然と日々を過ごすのではなく、常に目標と達成ですネ!」

 ルタが小さい腕を組み呻った。

 外見は子供なのだが観察眼が鋭く考察力も高い。2人で会話をしていると禅問答みたいになって、ラクシュなどそそくさと消えてしまう。

 時に鋭く返答され、ぼくの「実情」をどこまで話してよいのか戸惑うばかりだ。

 他にも花見や記念日などの話をしながら、桶を持ち水汲み場を後にする。

「ウダカでも、市民が触れ合える催しができるといいですね」

 剣闘士競技会は、ぼくにはちょっと過激すぎたなと思い出す。

 苦笑するぼくの顔を、ルタが不思議そうに見上げていた。


 貴族が興味を引いたのか……硬貨を投げ入れる笑い声が、遠く風に乗り届く。



 ☆



「んん――~…!? なにこれ、甘酸っぱくて美味しいっ!」

 ビハーラ嬢が頬に手を当て叫ぶ。

 今夜の宿にと紹介いただいた、豪邸と呼ぶに相応しいローカァ伯爵家。

 豪華な晩餐ホールに招かれたのだが、「客」は全員が複雑な立場にある。

 大事にしない方がいいだろうと、20畳程度の「小さい客間」に関係者の2人とラクシュの姉上――ローカァ伯爵夫人だけが同席された。

 王太子の姉に相応しい、落ちついた物腰の優しそうな笑顔。娘であるビハーラ嬢が喜び立ち上がるのを、隣でたしなめていた。

 あまりラクシュとは似ていない、彼の国でも貴族間での属性婚は常識だそうだ。

 弟姉妹は多いが、ほとんどが異母兄弟。

「これ本当にプラム!? サックリつるんって歯応えで……あっ果肉のジューシーさはそれっぽいかも! 暑くて食欲なかったんだけど、最っ高――っ!!」

「なっ? いい土産だったろう」

 なぜかラクシュが胸を張る……まあヨーギとルタへのお礼なのでいいですけど。

 件のヨーギとルタも夢中で食べており、期待には応えられたかなとほころぶ。

 全員の挨拶と会食が済み、「プラムのコンポート」を振舞ったのだ。

 リンゴやナシ等の果物を砂糖と水と白ワインで軽く煮る。タルトにも流用する、シンプルで飽きのこないデザート。

 試供品のフォークをお配りし、ぼくの国(・・・・)の風習ですと勧めた。聞いた言い回しにラクシュが苦笑する。

 慣れぬ食器に手こずりつつ、喜んでいただけたなら幸いだ。

「申し訳ありませんが、厨房にお邪魔させてください」

「それは構わんが……貴族の従者が、料理人のマネ事をするとはなあ」

 客が厨房を占領するのはさすがに失礼だけど、お土産ですからと窯をお借りしてデザートを製作させてもらう。

 立派な調理室には、多くの厨房スタッフがそろっていた。

 肉・魚・卵・酒・デザートにはそれぞれ専門の職人が集い、食堂執事に給仕――厨房使用人がキビキビと働く。

 特に主食であるパンには大小専用の窯とパイ窯、生地をこねる部屋まである。

 元王都マナスル城の厨房に匹敵する規模であった。

 どうやらローカァ伯爵家は、通常であれば侯爵にも準ずる由緒ある旧家。あたら無下にできない他国の公爵令嬢を迎えるに、十分な格式なのだろう。


「おおこれはリグ公、ようこそお越しくださいました」

「お久しぶりです、また遠慮もなく押しかけてしまいました」

「はっはっはっ我が家と思って、どうぞおくつろぎください」

 残念だけどローカァ伯爵は同席していない。

 先触れも出さず訪れたラクシュを拘りなく招き入れる懐の広さ。背はさほど高くはないが恰幅はよく、またその表情は穏やかで人柄が偲ばれた。

 上流貴族の血が欲望や願望を取り払うのか、伯爵夫人同様落ちつきのある物腰。

「由緒ある貴族とは、まとう空気も違うのだなあ」

 ラクシュの後ろに控え、感心していると目が合う。

 挨拶に進み出ると伯爵の目と口が徐々に開き、呻き声を上げ落ちつきが消えた。

 ……あまり相応しくない姿に、声をかけ辛い。

「アっアラヤ――いっいえ! いえどうか、失言をお許しください! アユム卿におかれましてはご挨拶が遅れ、大変! 大変失礼いたしましたっ!」

 実はローカァ伯爵とは、話はしていないが面識があった。

 マナスルでの謁見の間――あの場(・・・)に、ウマー伯爵と共に来ておられたのだ。

 あれを面識と言っていいのかは微妙だけど……そういえばヴィーラ殿下の無茶に驚かれていた、思い出させてしまったかな。

「いえ、むしろ奇――…えっ? あっそうですね驚きました! ええっ!」

「ヴィーラ殿下も、困った方ですよね」

 眼差しに同情をこめると、よほど怖かったのか視線をそらして汗を拭っている。

 残念ながら「重要な仕事」があるそうで、繰り返し謝罪して自室にこもられた。

 それ以降一度として顔を見ていない。

「お忙しいのだな、伯爵ともなればさもあらん……」

 サンガ伯爵も会議に領民の声を聴くのにと、飛び回っていたのを思い出す。

 あるいはと、フォークを振りながらデザート遍歴を話すラクシュを見る。

 息子ほども年齢の離れた――しかも他国の王太子相手に、どう接すればいいのか分からないのかもしれない。

「ローカァ伯爵、その気持ち凄く分かります!」

 気がつき腑に落ちて頷く、ぼくとてラクシュの気安さには戸惑うのだ。

 後ほどデザートでも、差し入れに行こうかなあ。



「ラズベリーパイ? それもアユムが作ったのですか!? ラクシュミー兄様だけズル――~イ、私も食べたいっ!!」

 ラクシュに詰め寄るビハーラ嬢は、17人の因果伯の1人である。

 ローカァ伯爵令嬢でもあり、ラクシュとは姪の続柄であった。けれど年齢も近く「王太子の妹」の方がカッコイイと力説し、勝手に兄様と呼んでいる。

 認めるラクシュもどうかとは思うけど、彼女を止める術がないのも理解できた。

「アユムっ! あなたの知る「デザート」を、今全て作って!」

 どこかで聞いた言い回しを、当然とばかりに宣言される。

 押しが強く、おそらくは「力」も強い……挨拶もそこそこに無茶を要求をされ、なんだかとても気持ちがよかった。

「季節の果物もあって全ては無理ですが、ラズベリーはまだ手に入ります。宿泊のお礼もありますし、出立までにはお作りしますね」

「ヤッタ――! 約束ですからね、楽しみが増えたわ! さすがはヴィーラ殿下が向こう(・・・)から招いた料理人、なんて素晴らしい!!」


「……ビハーラ嬢、その件(・・・)はあまり公言しないように」

 厳格に苦言を弄するのはソーマ伯爵、17人の因果伯の1人である。

 30歳前後だろうか、鋭い眼光を隠したストレートの銀髪を肩まで垂らす。暑くないのか汗もかかず、黒のプールポワンをガッチリと着込む。細身の剣を佩刀しており、身分ある立場なのは物腰でも判断できた。

 同じ因果伯であるビハーラ嬢に影のごとく控える姿は、忠実な執事にも見える。

 ジャーラフとは別の意味で気配が薄く、寡黙を体現させていた。

 挨拶にも会釈で返されただけで会話を交わしておらず、同席に気づかず用意したデザートの数を間違えたかと思ってしまうほど……。

 お説教に口を尖らすビハーラ嬢に根負けし、自分の深皿に残ったプラムを未練がましく差し出した。



「ラズベリーパイ!? ヨーギも、ヨーギも――っ!」

「うぐっ!」

 ビハーラ嬢のラズベリーパイ発言に、ヨーギの耳が立つ。

 蹄の音高く体当たりされて吹っ飛び、隣にいたラクシュが支えてくれる。

「ヨーギ、お前なあ……」

「ぼっぼくは大丈夫です。うんヨーギの分も、ちゃんと用意しますからね」

 頭を振って微笑むと、ラクシュは叱るタイミングが外れ息を吐いていた。

「力」に対して行動と判断がともなっていないのだ、そこも子供っぽいのだけど。

 我ながら甘いと自覚しつつ、無邪気な笑顔につい許してしまう。

「そうだヨーギの夜食用に、プラムのジャムを作っておいたんです」

「プラムの……ジャム?」

 首を傾げるヨーギに、どうぞとバスケットから木製コップを差し出す。

 蝋燭(ろうそく)の光が、果肉を少し残したプラムジャムを紅色に輝かせる。

「わあ……凄いキレイ! 美味しそう――――~!」

 購入したプラムの一部は完熟しており、形が崩れてコンポートに向かなかった。

 もったいないので蜂蜜で煮込んで裏ごしし、ジャムにしたのだ。本当は一晩寝かせて味を調えたいのだが、冷蔵庫がないので痛むのが怖い。

 季節的に保存は考えず、早々に食べてしまうのが得策だろう。

「これがジャム? ジャムは知ってるけど、でも城の晩餐で食べたのとは……」

 香りも見た目も、全然違う――ビハーラ嬢が呆然と口を開けた。

 ――果物を蜂蜜で煮込んだ「ジャム」の原型は、旧石器時代にも存在する。

 欧州で甘味の中心は、蜂蜜だった。しかし13世紀に十字軍が砂糖を持ち帰り、王侯貴族だけがその恩恵に預かれている。

「蜂の力を借りず、葦から採れる蜜がある」

 さとうきびは貴重な薬として、高級品として、世に知られ始めていく。

 それまでのデザートは基本、生のままかじるか長時間煮込んだり串で焼くだけ。

 他には果汁や蜂蜜を小麦に混ぜ焼き上げる、「焼き菓子」を指していた。

 16世紀になりようやく海外から安い砂糖が輸入される。家庭でもジャム作りが盛んになり、果物の甘味が楽しめる冬の保存食として親しまれていった。

 砂糖が知られた時代――ジャム作りの伝統は、今から始まっていくのだ。

「厨房で大麦のパンも焼いて貰いました、このジャムを塗って食べてくださいね」

 パン窯の火を落とす前、大麦を持ち込み職人にお願いする。

 小麦でもライ麦でもない生地に苦労していたが、この時代は日頃から職人の経験と勘が全てであり見事に焼き上がった。

「さすがプロだ。ちがうなあ……。」

 大麦パンは硬く、ほのかな苦みに麦茶を思い出す。

 向こうの世界(アラヤシキ)では大麦やエン麦が馬の餌とされており、ヨーギが食べても問題は少ないのではないか。

「バターを挟んだパイやクリームを食べていたし、考えすぎとも思うけど」


「アユム、私もプラムのジャムが食べたい! 私のジャムはないの!?」

 プラムのコンポートを食べ終え、ビハーラ嬢がヨーギのマネをして食い下がる。

「量が少ないので今夜はヨーギにお譲りください。それに夕食を結構召し上がっておられたし、お腹が一杯ではないですか?」

「んん――~…まあ、明日でいいわ。ちゃんと作ってよ!」

 思わず軽い反論をしてしまったが、お腹を押さえて納得したのか頬を膨らませるだけに留まった。

「ああそこは強引に持論を展開させ、ぼくを悪し様に罵倒……っイカンイカン!」

 思わず「征服欲を強要」してしまう所だったと、自分をたしなめる。

 新王都に辿りつき、各地の報告と称せば殿下への拝謁も望める……細かく不備を指摘し持論に反論すれば、踏んでいただける機会も訪れよう。

 ほくそ笑んで頷く視界に、ヨーギがジャムのコップを持ち立ち尽くしていた。

「ヨーギ……?」

「アユム好き――――っ!!」

 突然感極まって叫び、ぼくにベアハッグを極める。

 嬉しいですけど少し手加減を、と擦りつける頭で背骨が弓なりに軋み訴えた。

「あっはは、あっりがとうございますヨーギ。ご、ご機嫌ですねえ」

「キャ――――ッ! 種族を越えた愛、ステキ――っ!!」

 ビハーラ嬢が真っ赤になって両手を口に当て、誤解を受けそうなセリフを叫ぶ。

 あれ……そういえばヨーギの顔も、ちょっと赤い?

 白ワインのアルコールは飛ばしたけど、もしかしたら少し酔ってるのだろうか。

 エールやビールの原料は大麦で、好きになる馬も多い。ワインやウイスキーなどアルコール全般が好きになるそうだ。

 しかも馬の肝臓は人とは違い、アルコールを脱水素酵素に――炭水化物に変えてエネルギーにすることができる。

「酔って朦朧(もうろう)としている訳では、ないだろうけど……」

 いずれ酒豪のアマゾネス兵士みたいに、ヨーギもお酒好きになるのかなあ。

「シ――~…」

 お腹でカレシーの、苦しそうな声がしていた……。


「すてきなパ~ンでパンパカパンパンパン」

 今はまだ食欲とばかり、ヨーギが厨房の大麦パン目当てに駆け出す。

 蹄が遠くなるのを聞きながら、ぼくは背骨と息を整える。

「おいアユム、因果伯の引き抜きはよしてくれよ」

「いやだあラクシュミー兄様、愛に国境も城壁もありませんよ!」

 2人がそろってからかいの対象にするので、勘弁してくださいと呟く。

 しかしこの手(・・・)の話なのにと、少し違和感も感じていた……。

「――まああれでいて、結構頼りになるのだがな」

 ヨーギの株が下がらないよう苦笑し補足する。甘やかさないでくれと困りつつ、大切な仲間をごく自然に守っていた。

 ラクシュの懐の広さと優しさなのだ、頷いて気がついた点だけは告げておく。

「ヨーギはよくお腹が減ったと言ってます、食事は4回に別けた方がいいですね」

「え……?」

 意外な説明が始まり、ラクシュが疑問の狭間で揺れ動く。

「馬は草食性の単胃動物です。栄養を吸収する胃が小さくて、一度に多くの食物を受けつけません。ケンタウロスとどれほど似通っているか分かりませんが、お腹が空くのなら現状を整えた方が最善でしょうね」

 ましてや荷運びに常時肉体強化しているのだ、お腹が減ったとへたり込んでいたウールドやノルブリンカを思い出す。

 ラクシュが、ビハーラ嬢が、黙っていたソーマ卿まで驚いてぼくを凝視する。

「……お話に聞いていた通り、素晴らしい見識ですわね」

 なりゆきを静かに見守っていたローカァ伯爵夫人が、瞳を細め囁いた。



 ☆



 ――13~14世紀の欧州では、食器のほとんどが木製である。

 金銀のナイフやゴブレット等は貴族ですら鍵つきの部屋に保管し、特別な晩餐会でもなければ使用しないほどの貴重品だった。

 異世界(こちら)でも同様か分からないけど、向こうの世界(アラヤシキ)では16世紀に「新大陸」から銀が運ばれるまで、慢性的な銀不足に悩まされている。

 平民にとって銀製品は一つでいいから手にしたい憧れの品、貴重な財産だった。

「銀の匙をもって生まれた子は幸福になれる」

 銀食器をもてる家の子……これは、身分や貧富の差を表した言い回しである。

 陶器はせいぜいコップや水差し、保存用の壺程度。

 宿屋や職人などは見栄えもあったが、重く運搬にも気を遣い「割れる」陶器は、日常での使用を歓迎されていなかった。

 紋章など複雑な図柄を描いた陶器もあったが実用性に低く、貴族の目を喜ばせる華やかな飾りの意味合いに近い。

 しかし木製の深皿でも食器があればいい方で、平皿が普及するのは15世紀。

 それまでは木の板に直接料理を盛りつけ、平たく硬いパン(トランショワール)を取り皿にしていた。

 調理器具として木製の大さじはあったが、スプーンの登場はこちらも15世紀。

 それも王侯貴族の貴重品扱いで、食器として普及するのは17世紀である。

 スープは直接口にするか、パンを浸し軟らかくして「食べる」料理だった。

「食器」自体が、まだ黎明期の時代と言える。

 古代ローマでは平皿を使用していた記録がある……それが後の世では一旦消え、数百年経たねば再び現れない。

 つくづく歴史とは、不可逆ではないのだと思い知るエピソードだ。


 翌日ぼくは大麦パンを使った、昼食のレシピを伝えに厨房を訪れる。

 ついでに食器を探索させてもらうが、やはり陶器の皿はなかった。

「由緒ある旧家でこれなら、他での期待は望み薄だなあ」

 プラムのコンポートは、本来なら陶器の深皿でお出ししたかったのだ。

 コーヒーなどは熱伝導率の低い木製でも、保温性に優れている。だけど季節的に冷えていた方がより美味しいデザートには、陶器が適していた。

 他国との海上貿易を行っている都市ならばと期待していたが、サーガラ同様まだ外洋航路が盛んとはいえないのだろう。

「フォークが徐々にでも広まれば、次は陶器の食器とスプーンかな」

 磁器とまで言わないけど、トーストは陶器の平皿に盛りつけたいし、デザートや料理によってスプーンはかかせない。

 今回検めて必要性を認識した、共に準備しておいてもいいだろう。

 向こうの世界(アラヤシキ)ではなにも考えず使用してたのに、無くなって分かるありがたみ。

「陶器の平皿は試作を焼こう、スプーンは鍛冶場の状況次第で――…っと」

 セツとバンダに尋ねようとして見渡し、思わず苦笑する。

 サーガラでは2人に、本当にお世話になった。知識があろうと技術がなければ、誰もが机上の空論としか思わなかっただろう。

「得がたきは旅の仲間か、為せば成すほど独りでは無力だと思い知らされるな」

「シ――~?」

「――ひっ!?」

 カレシーが胸から出て小首をかしげる。すでにお眠の時間だけど、慣れない場所ではぼくから決して離れない。

 周囲から上がる悲鳴も……まあ、ある意味慣れた。

 こちらの屋敷でも害虫の姿は消え、体の揺れはまだ感じるがお蔭で「下船病」を気にせず眠れる。

 カレシーがいなくなったら、ありがたみが実感できるかもしれない……。

「シーちゃんも大切な仲間だよ、いつもありがとう」

 せめてものお礼と頬を撫でる、嬉しそうに目を閉じた。

 見れば厨房スタッフの手が完全に止まり、カレシーを凝視し汗を落としている。

 昼食の準備を邪魔しては悪い、何事もなかったように会釈して退出。

「新王都へ出立するには、まず職人ギルドで御者と馬車の手配をしなくっちゃね」

 街で食器と果物の探索もしたい、滞在の日数調整と宿泊のお礼もふくめて――。

 外出の準備をして屋敷の玄関を目指す、今後のスケジュールを脳内整理。

「そして……できればもう一点!」

 ヴィーラ殿下はなんとおっしゃるか、独り笑いながら想像する。


「…――ム! アユムっ!!」

「……はい?」

 叫び声に思考が途切れた。しかし周りには誰も……離れた柱の陰に、ビハーラ嬢が恐々と立っている。

それ(・・)、本当に大丈夫なの? 咬まれたら冗談で済みそうにないんだけど……」

 指差された先で、カレシーが不満気に睨んでいた。

「ああ、シーちゃんはこう見えて賢いんです。無暗に咬んだりしないので、怖がらなくても大丈夫ですよ」

「こっ怖い訳ないでしょ! ただ有事に備えるのが因果伯なのっ!! 第一魔獣を()者にするなんて、本っ当奇天烈な料理人なんだから!!」

 完全に料理人にされていた、まあいいですけど。腰に手を当て胸を張り、しかし遠くで叫ばれても説得力ありませんよ。

 昨夜の会食で紹介したのだが、もう少しで刃傷沙汰に発展する大騒ぎとなる。

「ここにいてとか戻ってとか、簡単な意思疎通はできます。むしろ言葉が届かない方たちより……よほど心が通じてますから」

 小さくあくびをするカレシーを撫で、安全をアピール。

 言語が同じなのに会話が成立しない、それは精神がもたらす恐怖。残念ながら、衣食が足りない世においては多く存在していた。

 イダム卿の町で、アマゾネスで――。

因果伯(みんな)は従わせたのでしょう!? だったら私だって恭順させてやるわっ!」

 魔獣がなによ――っと大股で近寄り、カレシーを撫でようと手を伸ばす。

 態度が嫌だったのか雰囲気か、首を引いて交わしそのまま服の中に潜り込んだ。

「う……っ」

 避けられた形となって、ビハーラ嬢が咽を詰まらせ石化する……。

 かける言葉がない。


「えっと……少し出てきます、昼食は適当に取って夕方前には戻ると思いますが」

「お独りで出かけられるのか?」

 ソーマ卿が疑問と詰問の口調で尋ねてきた、初会話だ。ビハーラ嬢の横に控え、なにがあっても危機を回避させる護衛の目配り。

 外出の姿を見て、声をかけてくれたのだ。

「独り……ではないですね。シーちゃんと、どこかにジャーラフがいるはずです」

「えっ!? ジャーラフがいるの?」

 ビハーラ嬢がガバリと顔を上げ、キョロキョロと見渡す。

「私あの娘と話したことないの。口数も少ないしいつもフードで顔を隠してるし、半年前の集結でもいつの間にか消えてたのよね。ジャーラフ? いるならちょっとお喋りしない――~?」

 ウールドもよく分からないと言ってたっけ、今ならフードの理由が分かる……。

 虚空に叫ぶも数舜の静寂、一切返事がない。本当にいるのかと、ビハーラ嬢から疑いの眼差しを向けられた。

「ジャーラフはぼくの護衛と言ってましたから、必ず気配が視える(・・・)位置にいます。ただ、声が聴こえる距離ではないのでしょう」

 ここには因果伯が計4名いる、ぼくは安全と判断したのだろう。

 昨夜の会食でヨーギが叫んで抱きついた時、殺気(・・)を感じなかったのだ……。

 苦笑しつつ、そういえばウダカについてから様子が変だったと思い出す。昨夜もなにか言いたそうに、妙にソワソワしていたっけ。

「残念ね、ワーキャットなんでしょ? 孤高で神秘的なのが素敵だわ、周囲に迎合しないのが猫っぽくてカッコイイ!」

「ぼくの知ってるジャーラフは、お尻を蹴り上げ牙を光らせて怒鳴りますよ」

 最初は会話もままならなかった、でも今の方がずっと嬉しい。

「……それ、本当にジャーラフ? なんだか全然別人の気がするんだけど」

「マナスルからずっと一緒ですので、本人に間違いないかと」

 笑いをこらえて説明する。この感情を真っ直ぐにぶつけてくる性格、打ちとければ結構気が合うのではないだろうか。

 只人と亜人の確執。

 常識なんてコロコロ変わると王太子が話していた、そうあって欲しいと願う。

「ジャーラフが護衛についているなら大事ないだろうが、あなたはヴィーラ殿下が御招きした大切な方だ。自身がどれほど貴重か理解しておきなさい」

「そうよそこ大切! でもソーマが言うと全部お説教になるからヤダ!」

 ビハーラ嬢が一方的に話し、ソーマ卿が黙って聴く。

 どうもこの2人はそれがデフォルトらしい、両者の年齢差を思いながら笑う。


「お気遣いありがとうございます。では、いってきます――」

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