七十七夜 一路順風
船倉から出ると、甲板上には気持ちのいい風が吹いている。
日が昇り凪の後ともあって、船員が慌ただしく立ち働いていた。風と共に沈んだ空気も吹き払われて見えるのは、気のせいではないだろう。
「もういいのか――~?」
振り向けばラクシュが手を振っている。
船員となにやら話をしていたみたいで、ヨーギとルタも揃ってついてきた。
「2人だけに任せた方が、いいでしょうから」
船員はウダカに向かうよう、キラナ船員長から指示を受けてたそうだ。自分にはその資格がないと。
船員には今回の発端、その経緯を隠さず伝えるようお願いされている。
ウダカにつくまではこれ以上の混乱を避けた方がいいと薦めたのだが、船員長は首を縦に振らなかったのだ。
「あっこまで頑なだと、真面目と言うより頑固だな。まあ嫌いじゃないが」
呆れた口調で頭を振るが、その表情は明るい。
だが手遅れじゃなかったな――名役者の王太子は、船員長の内情を察して笑う。
信頼あるキラナ船員長の暴挙……乗り合わせたぼくら船客と違い、船員たちには複雑な思いが渦巻いているだろう。
働いて気を紛らわす者、心の処理に戸惑い落ちつかぬ者、下船の決心をする者。
操船のかたわら、船員はあちらこちらでそれぞれの表情をしていた。今後どうするのか、誰もが分岐点を迎えている。
しかし船員長に立腹し、罵倒する船員は1人としていなかった。
亜人との格差は誰もが感じており、手をかけたのは自分かもしれない。その思いが追及を拒んだのだろう、当事者とならなかったことに……安堵して。
亜人と只人、船長と船員長、被害者と加害者、長い間ともにある身。
他者にはあずかり知らぬ妥協と葛藤、そして喜びもあったはず。
今2人は世界の縮図のように、船倉で向かい合い静かに語り合っていた。
「ヨーギとルタにも大変お世話になりました、重ねてお礼いたします」
他国の因果伯に「力」を借りる――立場の重要性は認識していたつもりだけど、それはぼくが思うより大きな事案ではなかったか。
「デザート――!」
「はいまずはお約束通り、プラムのコンポートを作りましょう。9月の収穫時期になったら、リンゴと蜂蜜のガトーインビジブルもご賞味くださいね」
せめてものお礼に、色々とレシピを思い出しておいた。
飛び跳ねて喜ぶヨーギに、それでいいのかなとむしろ困惑してしまったけど。
「おいアユム、あまり甘やかさないでくれ」
珍しくラクシュが本気で困った顔をしたので、謝罪しながらも笑えた。
ぼくはヨーギに、カター船長へ「按手」をお願いしたのだ。
マーラさんがバンダに行っていた、肉体強化の『カルマ』を他者の『カルマ』に呼応させる治療法である。
ヨーギの異様とも思える膂力に、S属性だとあたりはついていた。
肉体強化は土に含む構成元素を返還し、体内の血液に鉄を含ませ、筋肉の肥大、耐久力の増加、肺機能の向上、スタミナの上昇――新陳代謝の促進まで行う。
鉄は血液中の赤血球に含まれる、ヘモグロビンの重要な栄養素。
どれほど貧血、増血対策に繋がっていたか。
「しかし今にして思えば、不躾な行動としか言えないなあ……」
カター船長の生存を微かながら確認し、ぼくは動揺しながらも思考する。
「船長は存命です! 犯人は今の内に自首し、罪を軽くしてください!」
上手くいけば早期解決となっただろう。
だが船員が揃っている場で、犯人が潜む場で伝えるべきか? 船長の生存が知れた場合、犯人がもう一度命を狙う可能性は考えられないか?
凪が何日続くか分からない、その間重体の船長を守りきれる保証はない。
さらにヨーギの『カルマ』を、船員に見られてしまうかもしれないのだ。他国民ではあろうと、いやだからこそ因果伯の存在は隠すべきと心得ていた。
アマゾネスへの襲撃で、その重要性を十分に理解したのだから……。
想定と予測の末、船長は亡くなっていたことにする。
幸いにもラクシュがぼくを因果伯と呼んだため、立ち入り禁止を告げた船倉には誰一人近寄ってこなかった。
秘密が守られ事件が無事解決したことに、遅まきながら胸を撫でおろす。
「俺がしっかりと確かめた、船長は胸を突かれ死んでた!」
「ってことは、因果伯様が生き返らせて……」
「おいや止してくれ! やっぱり俺らが関わっちゃならねえ御方なんだ!!」
船医が方々で袖を引かれ、その都度同じ説明をする。
因果伯が船長を生き返らせたと、畏怖の対象となり遠巻きにされる以外は……。
「コーティが無実だと分かってるのに~って言ってたろう? 船員長の犯行だと、いつ気がついたんだ?」
風に吹かれる甲板の船縁に腰を預け、ラクシュが面白そうな表情をした。
本当によく聴いてますね。
実はジャーラフに見張り台で気配を絶ち、コーティに悟られず待っていてくれと頼んだ際にも同じ質問を受ける。
「――分かった。あの若い船員は見ておくが、犯人は船員長だろ?」
当然とばかり、こともなげに言い放たれて絶句した。
「アユムの意識は常に船員長に向けられていたからな、いつ気がついたんだ?」
ジャーラフには負けるなと、天をあおいだっけ。
「……まだ普及はしていませんが、ガラスが誕生したからレンズが作られ、そしてメガネを経て海戦に便利な望遠鏡へと至ります」
「ボーエン……キョウ?」
「物事には必ず、関連性があるんですよ」
「最初から違和感はありました、なぜ「殺人」だと断定したのか……と」
船員長はぼくらを起こしに来た時「殺された」と叫んだ。
しかし巨漢の船長はうつ伏せで倒れており、血は飛んでいましたが甲板に降ろし船医が調べるまで、詳しい状況は誰にも分からなかったはずです。
ぼくは首元の血から、自殺だと思ったほどですから。
先に見張り台に上がって確かめたのかと思いましたが、船員長は否定しました。
犯人の心理として、犯行現場には行っていないことにしたかったのでしょう。
ですがそのせいで矛盾が生まれたんです。
ならばいつどこで、確かめたのか……と。あの時点で「殺された」――殺人だと判断できるのは、犯人だけ。
「ね、ちょっとした違和感です」
結果論と言われればそれまで、これもM属性の予感だったのかなと独り言ちた。
「しかし勘違いや言い間違えはあるだろう、船員が叫んだからそう判断したとか。気をつけてなければ、俺も普段からやってそうだが……」
ラクシュが納得しつつも疑問を投げかける、決め手にはならないだろうと。
「可能性はありますね、ですから確信を持てるだけの証拠が必要となりました」
ぼくはポケットから、羊皮紙のトランプを出す。
汚れヨレている羊皮紙に、細い黒線で構成された複雑な文様。指先の皮膚にある隆起により形作られた――「指紋」である。
「木炭を触ってたでしょう? 全員の指紋が、クッキリと残っていましたよ」
現代であれば犯罪捜査に欠かせない重要な要素。
例え一卵性双生児の双子であろうと、同じ指紋は存在しないのだから。
「シモン……へえよく見れば指先に丸い線がある、これ1人1人違うんだ!」
ラクシュが手袋を外し、自分の指とトランプを繰り返し見て感心した。
「これは凄い発見ですねエ! どれどれオイラのはあるかナ……」
「ヨーギの――! ヨーギのも――!」
ルタとヨーギが自分の指紋はどれだと、トランプの取り合いを始める。
そしてこれがと、騒ぎをよそにラクシュにもう1枚トランプを差し出す。
「犯行時、船員長が見張り台にいたとされる証拠です」
トランプの裏側に薄くではあるが、赤黒い線で構成された指紋が浮かんでいた。
船長の血によって、床が赤黒く染まった見張り台。
コグ船に使われたオーク材は耐水性に優れている。雨の後による犯行で血の輪郭が滲み困難だったが、縁や床に残る複数の指紋。
識別にたえる指紋をトランプに「撮影」――転写し、検出することができた。
後はカードマジックで、主要人物の指紋を「視て」照合させてもらう。
一致したのはただ1人――船員長の指紋。ナムダたちが見張り台に上がった時、すでに血は半ば乾いていたのだ。
しかし指紋による個人特定が言及できるのは、19世紀以降である。
例えどれほど訴えても、この時代の裁判で認めて貰えるかは不明。
「ゆえに自供に繋げるため、容疑者の疑惑を一つずつ消す必要があったのです」
「なるほどな、全てが答えへと繋がる……関連性か」
ラクシュが腑に落ちたのか、頭をかいて苦笑した。
「按手」を受けても、船長が助かるかどうかは実のところ賭け。
もし助からなかった場合は真犯人を特定しておかないと、状況的に最も疑わしいコーティが犯人とされてしまう。
船を降りてしまえば、指紋などの状況証拠が意味をなさなくなる場合もある。
この時代、殺人は斬首刑。
傷害致死でも、6ヵ月の禁固刑と約8千万円の罰金。無実のコーティが犯罪者に――次の「犠牲者」になるのを見過ごせなかった。
風が吹けば翌日にはウダカにつく、事件の解決は日が昇るまでがデッド。
物的証拠が乏しく、自白に頼らざる得ない状況。実際大立ち回りをせねばならないほど、ギリギリだったのだ。
「まあ犯人が特定できなかったら、おそらく自殺説で落ちついただろうな」
ラクシュが起きたであろう裁判を思い浮かべる。
「船員長の主張が認められる訳ですね。ですが今後も疑われ続けるコーティの心情を思えば、僭越ながら探偵のマネごとでもしないと――」
「タン、テイ? どうもさっきから聞き覚えのない名称が続くが、これはアユムの関連性に繋がってるのかな?」
思わず出た呼称に反応し、ラクシュがふくみ笑いに近い表情をした。
内心焦りつつも、それはまた後でとごまかしておく。
「いやそれ以上に、被害者がカター船長……亜人ってとこさ」
ラクシュはトランプを取り合っているヨーギとルタ、彼の大切な仲間を見る。
少しばかり意味が分からず、その横顔に顔を傾けた。
「ウダカで亜人の立場を見れば分かるよ、まともな裁判など行われるはずがない」
カター船長は船主船長ではなく、賃金を対価とする雇われ船長だそうだ。
おそらく船の持ち主、多くの商人は問題に関わるのを避けただろう。大して調べもせず自殺と断定され、殺人事件が闇へと消える……。
「この国ではまともに買い物もできない、侮られ数倍の値段を吹っ掛けられる……「亜人」の立場は、その程度だ」
子供の頃から当然のようにそばにいた存在が、無下に扱われる。
自国を出てヴィーラ王国を旅をしてきた彼だからこそ、その言葉は重かった。
ジャーラフは只人が多くいる場所では、マントをはおるか気配を消す。ヨーギもルタも、サーガラではフードを深く被っていた。
それは、亜人であるのを隠すため――。
「ぼくを疑っていなかったのは、それが理由ですか」
探るような問いに、船縁に肘をつき顎を乗せていたラクシュがニヤリと笑う。
ぼくも習い、王太子の横に並び海を眺める。そう望まれてるとはいえ、我ながら不遜な態度だと苦笑した。
「まあな、この国で「亜人」を奇異な目で見ないのは、お前だけだったし」
「ぼくとしてはむしろ、亜人に相応しい世界だと思うんですけどねえ……」
領主のスーリヤ様も因果伯であるジャーラフも、ぼくを特別視したりしない。
誰もが恐怖する魔獣に――カレシーに、精神的ふくめ何度も助けられている。
多種多様な種族や生物が混然と存在する、それが異世界の常識ではないのか。
お腹を優しく撫でるぼくを見て、ラクシュが咽で忍び笑った。
「世界ねえ……俺がアユムを口説いてそばに置きたいのは、そういうとこだよ」
「えっと、常識知らずってとこですか?」
マジメに訊いたのだが、破顔して大笑いされる。
トム・ソーヤーの冒険――子供の頃と、社会を知ってからでは印象が変わった。
「インジャン」は蔑称である。
当時の社会性や時代背景を無視し、作品を貶めたり矛を向けるべきではない。
過去は批判するために紡がれるのではなく、改善のために在るべきだと思う。
これもまた、人類が歩んだ歴史ではないか。
「常識は時代によって変貌していく。向こうの世界でも、大して違いはないんだ」
「そうだ、常識なんてコロコロ変わってく。亜人の冷遇だってかならず改善する、俺はそこまで悲観してないぞ」
ラクシュがぼくの心を読んだのか、気楽に未来を語る。この方がヴィーラ殿下の婿となれば、それも遠い話ではないと思えた。
ライオンのたてがみを彷彿とさせる茶色の髪が、風を受けはためく。
「マーク・トウェインさん、ぼくの悩みも、取り越し苦労で済みそうです」
「アユムのせいで、今じゃ風呂に入れないと体がかゆくてしかたないんだ」
分かりやすく体をかき、ほらまた一つ変わったと歯を見せる。
「ラクシュ、人前ではしたないですヨ!」
ルタが眉根を寄せ、執事よろしく苦言を呈す。
「ヨーギお腹減った――~!」
ヨーギがマイペースに自己主張。
「風呂」と聞いて、ジャーラフは逃げの体勢を取ったのではないか……。
泳げないぼくにとって、海は昔から鬼門だった。
水面を爽やかな風が切り、はためくマストに心地いい笑い声が重なる。嵐が過ぎさあ前へ進み出そうと。
「先入観――プラセボ効果が、効いたのかなあ」
「ウダカが見えたぞ――っ!!」
見張り台でコーティが叫び、周囲からは安堵の歓声が響く。船員たちにしても、長い航海に感じたのかもしれない。
海を望む崖の上、木々に囲まれた城が見えた。
ヴィーラ王国においての三大都市、人口2万人と言われる港湾都市ウダカ。
コグ船は波を別け、緩やかに入港していく。




