七十六夜 人生行路
――出航中、キラナ船員長は予想外となる嵐の発生を予見する。
そこで夜になる前、カター船長が自室にこもる前に告げた。
「今夜嵐が止んだ後、守護聖人様が来られるかもしれません」
「っ守護聖人様が!?」
バックギャモンを前に、サイコロを持ったリザードマンの手が止まる。
それは船乗りにとって、いや……船長にとって魅力的な言葉だった。夜間自室にこもる船長は、セントエルモの火を見たことがなかったのだ。
「お会いして初めて船乗りと認められる」
船員の間で実しやかに語られる存在に、船長はどれほど心惹かれたか……。
ふいに風が強まり天候が崩れ、今度は予想通り嵐となる。キラナ船員長と船員の信頼は厚く、無事時化を乗り切ったと言えよう。
秘めた思いを隠し、船員長としての責務を全うしたのだ。
嵐が峠を過ぎ、雨の中当直を残して交代要員を休ませる。自分も船室に下がり、軽食を取るかたわらナイフを捜すつもりだった。
それは誰にとっての幸運か、予定が狂う。
チャテーが調理室にこもり仮眠してたので、入手できなかったのだ。カレシーが船の害虫を全て排除していたなど、想像もつかないだろう。
これから成す狂気を思えば、誰かに姿を見られるのはためらわれる。
武器庫は船長室にあり今は手出しができない。ナイフはあきらめる他なかった、時間がなかったのだ。
雨が降っている間に、コーティと交代しなければならない。
マントをはおり、フードを目深に被っても不自然ではない状況……他の船員とはひと目で異なる洋装、青色のプールポワンを隠す必要があった。
さっさと寝入った船員を横目に、急いで見張り台へ向かう。
まだ若いコーティは疲労で集中力を欠き、通常より早い交代に気がつかない。
さして注意も引かずに入れ替われた。ほどなくして雨が上がり、キラナ船員長は独り見張り台で風に耐える。
やがて軋みを上げる船体が徐々に落ちつきを取り戻してゆく。
空気が乾燥して、微細な塵や水滴が摩擦を生み静電気を帯電。コロナ放電が――セントエルモの火が、現れてしまう。
キラナ船員長は己の予想が当たった件をどう思ったのか、胸中は語らなかった。
船長と船員長だけが所持を許されている短剣を握り、その時を待つ。あるいは、訪れないかもしれない時を……。
それは一種の願いではなかったか。
予定外の天候、予定外の行動、予定外の船客。いくら天候が読めても、想定外はいかようにも発生するのだから。
それは長い船員生活で学び、熟知していたはずだった。
しかしキラナ船員長を信頼しているカター船長は、甲板に出てしまう。船乗りとなって、船長と呼ばれてなお憧れた存在を見るために。
はたしてマストの先端で、守護聖人様が燈り揺れていた。
それはどれほどの感動であったか……想像にかたくない。もっと間近で見たいとシュラウドに取りつく。
見張り台に現れたカター船長に、キラナ船員長は短剣を抜く――。
甲板や部屋では船長の巨体は脅威となる、一撃で致命傷を与える必要があった。
そのため狭い見張り台の上、守護聖人様を見上げ動きが止まる時を狙ったのだ。
実行後、またしても想定外が生じる。1人では船長の巨体を、見張り台から動かすこともできなかったのだ。
そうしてこの奇妙な状況が作り上げられてしまった。
だが悩んでいる間もない、本当の交代要員が来てしまう。急いで船長の腰袋から鍵束を取り、見張り台から降りて船室へと走る。
焦っていたのだろう、その音を奇天烈な少年が耳にし目覚めるほど……。
運良く他の誰にも見られなかったが、周囲を気にもできない心理状態。手にいつまでも残る……衝撃と感触。
寝入る船員に囲まれ、独り祈るように手を組んで震える体を抑え込む。
しかし交代しに向かった当直から、船長が殺されたとの騒ぎが一向に起きない。
その時見張り台の交代要員ナムダは、奇天烈な少年とトランプをしていたのだ。
予定よりかなり遅く、早朝日が昇るまで……。
キラナ船員長は海賊と遭遇した経験がない。初めて人を刺し、それが発覚もせずに時間だけが過ぎる。
「なぜ騒ぎが起きない? 刺したのは1度、まだ息があったのか? 船室の外には船員が待ち構えているのでは!?」
疑心暗鬼に震えるキラナ船員長にとって、どれほど長く感じる時間だったろう。
憔悴し疲労が積もって、混然としてしまうほどに――。
☆
「これを……」
キラナ船員長が腰袋から鍵を取り出す、おそらくは鍵束から外した武器棚の鍵。
鍵束は船長室を検めている時、ぼくらに見つかる場所へコッソリと置いたのだ。
「武器は船を護るための要、因果伯様のおっしゃる通りです。カター船長は巨漢の俺が持っていた方が安全だと、常に身につけておられました」
確かにどこかへ隠すより、船長が持っていた方が確実といえよう。
「私は船長が行方不明になる前に鍵を受け取っていたと、後任を任せられたのだと思いますと裁判で証言し……全てを、終わらせるつもりでした」
因果伯様には見破られておりましたが、と鍵を差し出しす。
鍵は船長の体格――なんて匂わせる発言をしておきながら、ぼくはその可能性を完全に失念していた。
ラクシュに言われたけど確かに抜けてたな。
なんとも微妙な心情となり、黙って「船を守る鍵」を受け取る。
「カター船長は守護聖人様を見るため、見張り台に上がったのですか」
崩れていないバックギャモン……部屋から主が消えたのは、凪の前かその直前。
それ以外船長の行動がどうしても分からなかった。無事甲板に降り、船員長から事件のあらましを知る。
ぼくは幕引きを迎え、深く息を吐く。
しかしキラナ船員長、コーティ、騒ぎに飛び出してきたラクシュ。皆は否応なく出演させられた劇の終演より、その前の派手な喧噪に心ここにあらずだった。
「その顔を十字裂きにして、海に叩き込むぞっ!!」
ジャーラフが烈火のごとく怒ったのだ。
「ボクはお前の言葉を信じて見張り台に行ってやったんだ! あれほど危険な状況にはならないと説明しておいて――なんだあれはっ!!」
「大丈夫だよ、このベストもシャツも防刃布仕立て……あっはい、ごめんなさい」
今にも襲い掛からんとする怒りの形相に、正座をして頭を下げ続ける。
防刃布はアイスピックなど突き刺しに効果は薄く、圧力や衝撃も無視できない。
なによりもあの高さから落下すれば、防犯グッズではなす術がなかった。せめてザイロンを使い、命綱にすべきだったと後悔するも後の祭り。
自分の命を的にする――とても最善の策とは言えず、軽率すぎたと猛省。
それなのにぼくを気遣い、怒ってくれるのが嬉しくてにやけてしまうのだ。牙を光らせ震えるジャーラフが、こんなにも愛おしい。
「聞いてんのか! この……っバーカバーカ!!」
「あっいえ、はい……申し訳ありません」
亜人が只人を怒鳴りつける、それも彼らからすれば「因果伯」を。ヴィーラ王国の領民にとって、それはかなり異質な状況だったのだろう。
ぼくが怒りもせず謝罪するので、ジャーラフを止めるべきか戸惑っていた。
唖然と見ていた他国出身であるラクシュだけが、別の意見だったようだ。
「……こいつ、無茶するのか?」
「するっ! 恐れ知らずでなんにでも首を突っ込みやがる!!」
そこまで言わなくとも……。
「無茶をする理由があったんだよ、このままウダカにつけばコーティの犯行にされた可能性が高い。無実だと分かってるのに、放っておく訳にもいかないだろう?」
「だから文句だけで済ませてやってんだ! それ以上御託並べやがったら縛り上げて船倉に叩き込むぞっ!!」
口を尖らせつつ若干反論してみるも、怒りの収まらないジャーラフの尻尾がこれ以上ないほど太く逆立つ。
黒のレザーに酷似した紐を両手で引き、鞭の雷鳴をうならせた。
「嗚呼、それは願ってもない――~!」
希望と願望が入り混じった感想が頭をよぎったが、無理矢理口を閉じる。征服欲を強要はできない、ヴィーラ殿下意外に求めてはいけないのだ。
ぼくは頬の発汗をごまかし、幾度も頭と肩を下げた。
「シ――~?」
頬に擦り寄ってきたカレシーが、不思議そうに首を傾げる。
「コーティすまなかった、裁判でできる限りの擁護はするつもりだったが……」
キラナ船員長にとっての予定外。
突然の惨劇に船員の混乱が爆発し、見張り台の当直であるコーティが疑われるだけではなく、船客をも巻き込んでしまう。
その船客は因果伯であり、船の内部で収まる話ではなくなったのだ。
当初は誰が犯人か分からず、自殺で収めるつもりだったのかもしれない。しかし犯人を捜さなければ、パニックを拡大させる事態となる。
誰かを、差し出さねばならなくなったのだ。
「キラナ船員長、ぼくにはカター船長に確執を持っているとは思えませんでした。なぜ突然、こんな暴挙を行ったのですか?」
ぼくの問いにラクシュは不満そうに頭を掻き、ジャーラフが不機嫌に横を向く。
分かっていないのは、ぼくだけ……?
「許せ、なかったのです……」
私は他の船員と違い、亜人に偏見を持ってはいません。
仕事を全うする上で種族は関係ない。世に流布される先入観に縛られず、只人と同じに接するべきだ。
「そうあるべきと船員にも説いてきました、私たちは航海のプロなのですから!」
キラナ船員長の吐き出した吐露は、次第に大きくうねり出す。
亜人への対応で注意を受けていたコーティが、複雑な表情で船員長を見る。
「亜人だからと特別視した事などありません。だからこそ日が落ちれば嵐であっても部屋にこもる、カター船長が許せなかった!」
食事などは船員に話を聴き改善され、けっして融通の利かない方ではないのだ。
それなのに夜の自由な振る舞いだけは、一向に改めていただけない。船の状況は刻一刻と変わる、船員の模範となるべき船長がそれでは困る。
亜人だからではない、航海のプロとして許せなかった。
「私は、賭けたのです……己の感情を優先するならば、この手でと」
夜半は船員に一任する、それが船長の定めるルールならば従いましょう。
ならば守護聖人様が来られても、ルールは守って欲しいと。
「カター船長の資質に疑いはないのです、だからこそ許せなかった……っ!」
船員長が本気で船長を殺めるつもりなら、陸でナイフを入手していたはず。
そうであれば犯人の特定には、もっと時間を必要としただろう。計画的ではなく「条件が整った」ゆえの行動ではなかったか。
不安から発生する、突発的なパニック。
その時が訪れなければ、実行しなかったのでは――。
キラナ船員長は真面目な性格だと誰もが認めている。
真面目に職務を全うし、真面目に船長に接し……理性からこぼれ落ちる感情が、オリのように積み重なっていく。
虚偽を続けるのも限界だったのだろう。
うなだれた船員長は犯行の露見に……それでも、安堵して見えた。
「申し訳ありません、なにを言おうともう手遅れなのは分かっています。この手でカター船長の命を、絶ってしまったのですから」
言い訳にしかなりませんと、拳を握り甲板に押しつけた。
キラナ船員長の罪が消える訳ではない。
だけどぼくの右手は覚えている。見張り台から落ちるぼくを、彼は同じその手で救おうとしてくれたのだから。
「本当に真面目な奴だなあ、船長に訊いてみればよかったのに」
なんだかとても軽く、ラクシュがため息交じりに告げた。
「何度も話しました! お願いし諭して、改めるべきと――ですが、それも」
「いや、手遅れかは分からん」
「……え!?」
「因果伯がおっしゃったろう? カター船長の心に直接訊くのです――と」
胸を張り、手の平でぼくを指した。
自分のセリフを思い出し、思わず頬を掻く。
☆
格子状の明り取りから、船倉に夜空の星が揺れている。
通路に立つルタが道を開け、巨体の横に控えていたヨーギが立ち上がった。
あお向けに寝ていたリザードマンの目が微かに開き、意識の光を放つ。
「ああ……」
船倉に入ってきたキラナ船員長の姿を認め、全てを察して細く低い息がもれる。
あの時見張り台にいた者はフードを目深に被っていて、誰かは分からなかった。
船長にとっては、分からないままの方がよかったのかもしれないけど……。
「カター船長――…」
長いつき合いとなる船員長の動揺した声を聴き、船長は目を細める。
「まだ予断は許せませんが、緊急事態は脱しました」
抉れた傷跡は残るものの、左胸の創傷には早くも肉が盛り上がっていた。
だが大量出血による重度の貧血は、増血剤がない時代ではどうしようもない。
輸血は血液型や血液の凝固、感染症など多くの問題が発生する。成功例がしめされるのは19世紀以降であり、万が一以外は回避したかった。
食事療法により、時間をかけて改善を測る他ないだろう。
むしろ昨日の重体の状況から、よくぞここまで治療できたと感心する。
自然の摂理を超越するとも思える「力」……眠そうにしているヨーギとルタに、最大限の感謝を送った。
「しっしかし……船医は確かに、死んだ……と」
「見知った船長が受けた当然の惨劇、動揺による誤診もいたし方ないと思います」
ぼくは内心で謝罪しつつ、どうにか形だけは整える。
申し訳ないけどこの時代の医術は未だ未開。星図の描かれた暦やホロスコープを元に診察するよう、法的に定められていたり。
感染症の知識も皆無であった。
「短剣での突きは、胸を縦に抉っていました」
幸いにも鉈に見紛う大振りの刃は、肋骨に阻まれ臓器には達しなかったのです。
さらに船長の巨体、鍛えられた筋肉によって致命傷を免れる。
「しかし胸からの出血のため、急激に体温が下がり冬眠に似た休眠状態に陥った」
「休眠状態!? その……獣が、冬に行う?」
意外な説明に、ラクシュが目をしばたかせながら問う。
「そうです類似する行為は、気温変化の激しい地域で複数の生物が行います」
生命活動の維持に必要なエネルギーを減少させる、有効な手段の一つ。
呼吸や心拍数が著しく低下し、まるで死んでいるかのように――。
「死後硬直を確かめるため首元を検めた際、船長の脈は微かですがあったのです」
「カター船長、あなたはおそらく低体温ですね。だから夜半、特に雨が降っている嵐だからこそ外に出たくなかったのでは?」
トカゲは変温動物である。
気温の低下により、体の代謝と体力が著しく低下する。体温調節や活動に必要な熱エネルギーを、日光など外部から取り入れなければならないのだ。
船長はリザードマンであり進化の過程は分からないが、食事同様トカゲに類似した生態をしていても不思議ではない。
雨が止んでいても、寒さ避けにマントをはおって部屋から出るほど。
船長室から甲板へは直通、目撃者が少なくて当然だ。しかしもしその姿を船員に見られていても、特徴ある青色のプールポワンが隠れ船長だと気がつきにくい。
船長は夜働かない――思い込みが、意識を縛っていたのもあるだろう。
「そして船長は豪雨後の気温低下により、動きが鈍ってしまう。事件後には出血のショックで気を失ってしまうほど」
だが船員長は、動かなくなった船長を殺したと判断し止めを刺さなかった。
複数の幸運が重なった結果、命は繋ぎ止められたのだ……。
「カター船長にも、夜半外に出れない理由があったのですよ」
キラナ船員長が驚き目を見張る。
何年も一緒に船に乗っていたのに、そんなことすら知らなかったと。
「なぜそうだと言ってくれなかったんですか! でしたら私は……っ私、は?」
声が詰まる、自分は知ろうとしなかったのかと。
職務さえ全うしていれば種族など関係ないと言いながら、只人の習慣だけを押しつけてきたのではないか。
意思疎通を行わず、先入観に縛られていたのは自分ではなかったか。
口を覆った船員長に、カター船長が目を向ける。司教を思わせる太く重い声で、小さく答えた。
「すまんな……見栄を、張っていたのだ」
俺は亜人だ、船長として只人の上に立つ以上は弱みを見せれない。
自負心を持って、意地を張らねばならなかったのだ。だが俺も皆と同じように、守護聖人様を見たかった。
胸を張って、俺は船乗りだと叫びたい。
この自由にならない体のことは忘れて、只人と同じように――。
「見栄……」
キラナ船員長が船長とそろいの、青色のプールポワンを見返す。見栄で着てると苦笑した服。
只人と亜人、心にどれほどの違いがあるだろうか。
「カター船長……申し訳、ありませんでした……っ」
謝罪ができる、それもまた幸運と言えよう。
「皆さんには大変迷惑をおかけした。黙っていた俺が悪いのだ……どうか、あまり責めないでやってくれ」
カター船長がよろける体を気力で支えながら、ぼくたちに向き直る。
騎士を思わせる体躯に、船長としての威厳が戻っていた。
「いえ、全て私の不徳が招いたこと! 裁判を受け、いかような罰も受けます!」
キラナ船員長が毅然とした態度でこうべを垂れる。
「真面目だからなお前は、そう自分を責めるな」
もし十分に話せたなら、カター船長はそう言って笑ったのではないか。
頑なに己を責める船員長と苦笑する船長を、夜空の光が優しく包む。
「――それはちょっと、困ったな」
ラクシュが興味もなさそうに頭を掻き、ため息をついた。
「俺みたいな他国民が、ここの領主の前で裁判だの証言だの、ヴィーラ王国の内情に触れたくはないんだが」
「もっもちろん船長を救っていただいた方を貶めたり、吹聴したりは……」
「って訳で因果伯どの、これ以上一介の商船に関わるのは願い下げだ。席を外させてもらうから、後はお好きに――~」
唖然とする船長と船員長の前を、まともに取り合わず横切り出て行ってしまう。
その後ろをヨーギとルタも従う。
憎まれ口を演じる態度や姿が堂に入っていて、思わず吹き出しかけた。御自分の立場もあるだろうけど、ぼくに全て任せると言ってくれたのだ。
気がつけばジャーラフの姿もない。
彼女の場合は、気配を消しているだけかもしれないけど。
「これからも航海しよう、なにより天候の読めるお前がいてくれないと困るのだ」
大陸には珍しい食器や野菜などの商品があるそうだ、行ってみたくないか?
未開の地もいいな、宝を探したり海の魔獣と戦ったり。俺は子供の頃から冒険者に憧れて、ついには船乗りになったんだ。
目の前に広がる大海原には、果てのない未来が――。
「それにしても天候なんて神の御業を読めるのに、お前は賭けが下手だなあ。今度俺が仕込んでやろう」
立ち並んだ鋭い歯が笑みに光った。
虚を突かれたのだろう、真面目な船員長が意味を理解して苦笑する。
ウロコが覆った亜人の腕と、見慣れた只人の腕が、鍵を手に重なっていた。




