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M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第一章 城郭都市マナスル
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八夜 ウールド

「――そして犬、猿、(きじ)をお供にし、鬼ヶ島に向かった訳です」

「お前そりゃいくらなんでも、まずメシじゃなくって傭兵雇えるだけの金だろ!」

「そこが面白いところで、動物の特殊能力とは仲間の長所と呼べるんですよ」


「――へえ海賊の陰謀に戦いか、どっこもやってるこたあ同じだねえ」

「そこで間一髪ウェンディを救出し、フック船長とのラストバトルに突入です!」

「空を自由に飛ぶ、便利だな。属性で言えばなんの――ああいや、ナンデモナイ」


「――じゃあ曹操(ソウソウ)は殺しちまったのか? 能力ある者は引き立てるんだろ!?」

「そこは諸説ありますね、肯定も否定も同じだけ説得力はあると思います」

「しっかしその呂布(リョフ)? って奴とは戦ってみたか――ええい、お前ら黙れ!」

 話を聞いていた男が子供にまとわりつかれ、思わず叫ぶ。

 怒鳴り声に驚いた小さな女の子が、兄にしがみつき泣きそうな顔をした。慌てて取り繕ってる……。



 石畳を崩し溝を掘ってたら、暇そうな男が長椅子で寝ながらこっちを見ていた。

 なんだろうと思いつつも、蝋板に印をつけた方向に向けてバールを振るう。

「明日は、筋肉痛かなあ……」

 普段使わない筋肉が刺激されて気持ち良い。思わず笑ってたら、男がたまらなくなったのか訊いてきた。

「それは――いったいなにをしてんだ?」

 訪ねておきながら「しまった!」と呟いてる……妙な方だ。

「あ――…俺は、ウールド」

 なにかを放棄したように頭をかいて挨拶する。

 ぼくより頭1つ以上は高い。おそらく190近い長身だが、引き締まった筋肉と敏捷そうなイメージからそうは感じさせなかった。短く刈った髪の両サイドは染めているのか灰色である。黒に近いグレーの上下と太い革ベルト、腰裏には同系色の短剣を2本差していた。寒くないのか、剥き出しの両腕には刀傷が重なっている。

 印象的なのは左頬に喉まで続く、一文字の深い古傷。

 双眸の鋭さから、吹雪に吼える「餓狼」を連想させた。

「ガキ大将がそのまんま大きくなっただけ、にも見えるけど」


 挨拶のあとは開きなおったのか、なんだかんだと訊いてくる。

 ぼくも意識をそらした方が身体の疲労が溜まらないかなと、適当に答えていた。

「――まるで、狼王ロボの牙ですね」

「餓狼」のイメージに引っ張られたのか、2本の短剣を例えたのが発端。

「シートン動物記? なんだそれ面白そうだな、暇だったんだ聴かせてくれよ!」

「以前誕生日プレゼントで貰ったお気に入りの本なんです。挿絵がまるでその場に居合わせたと思えるほど素晴らしく、2人の知恵を絞った戦いに心を奪われ――」

 狼に喰いつかれて妙に嬉しくなり、吟遊詩人よろしく戯曲風に話をしてたら……子供たちが集まってきたのだ。

 この時代は子供にも仕事があった。

 農業や家畜用の水汲みで、女性の仕事でもあり大層な重労働だ。人用には数ヵ月の保存が利く、エールなどを修道院から購入する。

 アルコール度数が低く、子供の頃から当たり前に常飲した。

「川の水から生成した蒸留水を飲むのを見て、使用人さんが驚いてたからなあ」

 淀み汚れた水は、飲料としてみなされていなかったのだ。

 そして今一つが、下の子の子守りである。

 兄が小さな女の子の手を握り、小学校低学年ほどの子が乳児をおんぶした。

 どれも大切な仕事とはいえ好奇心が勝る子供。ぼくらの会話を遠巻きに耳にし、段々と近寄ってきたのだ。

 義務教育制度がある現代からは、想像もつかない識字率の低さ。

 文字を習おうと「本」を捜したけど、城内でもほとんど目にしない。貴族ですらこうなのだ、平民にあっては推して知るべし。

 吟遊詩人の話聞かせが一般的な教養であり、待ち望む娯楽なのだろう。

「部屋にこもって本を読んでいたのが、異世界(こちら)で役に立つとはね」

 ぼくは赤毛の少女ほど想像力豊かに話せない、助かったなと苦笑しひと息つく。

 汗が流れ石畳に落ち、いつの間にか肩で息をしていた――腰痛っ。

「半日掘って1……マケて2メートルくらいは、進んだろうか?」

 先の長さを想像して立ち眩みがする。土に食いこんだ石を剥す手間もあるけど、砂利が多く刃が噛んでしまう。

 何百年にもわたって踏み固められてきた石畳は、想像以上の固さを誇っていた。

「いちいち持ちなおすのは面倒で、(クワ)とバールをくっ付けたんだけど……ちょっとぼくには重すぎたなあ。

 なんでこんなの思いついちゃったんだろう。

 こんな調子だと時間がかかり過ぎて、ヴィーラ殿下の命令を反故にしてしまう。再考すべきか……痛っ!?」

 首を捻りながらもバールを持ち――鈍い痛みが走って、思わず手の平を見る。

 マメが、潰れていた。

「うっわあ、カッコイイ――…っ!」

 勉強にスポーツ……大して学びも練習もせず人並み以上にできてしまうぼくは、こんなに夢中になって事を推し進めた記憶はない。

「毎日バットを振ってた野球部のクラスメイトが、こんな手をしてたっけ……」

 夕日を受けて輝く、目標を見据えたまっすぐな瞳。

 思わず感嘆してしまったけど、ウールドに変な目で見られてしまう。

「でも放置して化膿でもしたら、行動に支障をきたす。軟膏として製作しておいたカレンデュラオイルを塗って――バールがすっぽ抜けるかな?」


「肝心のこと忘れてた、んで結局その溝はいったい何なんだ?」

 ぐずってる子供をあやしながら、狼が首を傾げる。

「ウールドが石畳に座らず、わざわざ長椅子を用意した理由を解決するんです」

 ぼくは手近にあった木版に、革袋の水筒から水を垂らす。

 ただ――流れた。

 次にバールで斜めに引っかき傷をつけ、水を垂らす。

 水は傷にそって――斜めに流れた。

「……うん」

 ウールドが「それで?」と疑問顔で答えを求めてくる。

「『側溝』と言います、これら(・・・)を流す道です」

「空気が違う」――召喚の間でも感じた違和感。

 城を出て都市部に向かうと、濁った空気の違いが鼻を(・・)直撃した。残念にも根雪で完全に覆い隠してくれない塊。

 足元や壁際に高く詰まれた、汚物の塊に視線を向けながら笑う。

 向こうの世界(アラヤシキ)でも汚物は路上にそのまま捨てた、古代ローマ時代からの伝統。

 しかし以降に作られた、下水道までは受け継がれなかった。

 今はまだ寒く害虫も少ない。匂いも立ちこめるほどではないけど、夏場は想像もしたくない惨状になるだろう。

 それが当然の世界にとっては、「それで?」となるだろう。

 だけどこの原因(・・)が最悪の結果(・・)をまねく未来を、ぼくは知っている。ならばこそ、そんな運命には抗ってやるのだ。


「ソッコウ……ね、聞いたことねえ設備だな」

 ウールドが「塊」を蹴って、ぼくが掘った溝に落とす。

 馬の背の上部にある貴族区ではあるけど、ゆるやかな下り坂程度で転がっていくわけもなし、そのまま鎮座した。

「やりたいこたあ分かるが、ここで詰まって固まるだけだぞ。邪魔なら穴を掘って捨てた方が早いんじゃねえの?」

 苦笑に近い、理解と疑問のあわさった表情で頭をかく。

「まあ、でしょうね」

 目の端にぼくの屋敷を見る、まだ報告は受けてない……。

「でもこの細い側溝が、この国を切り開く大きな流れになるかもしれませんよ」

 そうだこれは食事と同じく、なんとしても進めねばならない改革なんだ。

 決意も新たにバールを持ちなおし――マメどころではない、ゴツゴツした獣皮を思わせるぶ厚い手がわしづかむ。

「ふんっ国を切り開くねえ……やっぱり妙なガキだ、ちょいと貸しな」

「いっいやウールド、それ鉄無垢だよ?」

 十分すぎるほど重かったのに、割り箸でも取る感じで軽く奪われた。

 見上げる高い背が間近に迫り、気圧されたのは威圧感だけではないだろう。

「今いち分からんが、お前さんにはなにか確信があんだな」

 片手で軽々とバールを振り、ピタリと止めると空気が割れる。

 風切り音が遅れて聞こえ、地面に伝わった圧が服を舞わせた。どれほどの膂力があれば鉄の棒でこんなことができるのか。

「うっ……はぁ」

 呆気にとられ、思わず口を開け眺める。

 次いでウールドは両手で持つと、石畳の上(・・・・)から事もなげに溝を掘り始めた。

「鉄工所に行けば、こんな音が響いてるんじゃないだろうか……」

 重い破壊音と金属が跳ねる音、ひと掘りでぼくと同じ深さまで達する。

 そして「バールのようなもの」が、まるで彼にあつらえたよう(・・・・・・・・・)に。違和感がなく手に馴染んで見えた。

「すべすべの柔らかい手ェしやがって。(クワ)なんか持ったこともねえんだろ、ええっ貴族の坊ちゃんよォ」

「あっはい……」

 嫌味っぽく睨まれるが、混乱が勝って生返事をしてしまう。

 ウールドは当てが外れたのか、眉を歪めて視線をそらす。

「ちっ……おいカケラが飛んで危ねえだろ、もっと離れろっ! そんでお前さんはガキどもに話をしてやんな、俺にも聞こえるようにな――!」

「それくらいでしたら喜んで、でもウ―ル――…」

 若干矛盾した言い回しだけど、手伝ってくれるのはありがたい。

 お礼をしなきゃと目線を上げたら気がついた。ウールドの体の内(・・・)から、淡い光がうっすら立ちのぼっているのを。

 汗にしては……まさか蒸気? いやどこかで、似た気配を……。

「汗水たらしてやってんだ。奇跡のひと言ですまされっちまうのも、良し悪しか」

 思考がまとまらないぼくに、ウールドの皮肉気な呟き。

 そう言いながらも無造作に掘り進む、その圧倒的な力。分かりましたとばかりに会釈し、子供たちに急かされ離れて話をした。

 しかし頭の片隅で記憶を探る。

 そうだこの光(・・・)は何度か見たのだ、召喚の間で謁見の間で――。

「見慣れない文様が発する、淡い光……」


 などと回想に浸っている暇はない。

 次々と溝が掘られて土と石が横に積みあがり、いきなり忙しくなった。

 屋敷の工事をしてる職人に手押し車を借り、(クワ)とスコップで積んでゴール付近の緩い坂道まで運ぶ。

 ありがたくも13世紀には、工事で必要な工具類の基本はすでに登場している。

 ――紀元前3千年のメソポタミアでは、石器の鍬を使用していた。人類の農業を根本から支えた農具といえよう。

「刃床部が鉄製に変わったくらいか。約5000年用途が変わらない道具なんて、鍬くらいだろうなあ」

 子供らも拙いながら手伝ってくれる。土を運んだ帰りは幼子を手押し車に乗せ、乳母車代わりに歩きながらお話をした。

 ウールドの力は凄いのひと言。

 だけど「これ」は無茶苦茶腹が減るのだと、笑いながらバールを振るい続ける。

「おい城に行って、貴族どもからパンとワインを盗ってこい!」

「……どこまでがネタなのか本気なのか、判断が難しい」

 ぼくはお礼とばかりに、お昼に用意しておいた自分用のお弁当を贈呈した。

 見る間にぼくの掘った距離を超えて行った彼に、ぜひ食べて欲しかったのだ。

「本当にありがとうございます、よかったらどうぞ」

 城内では品種改良された鶏が、食肉用に飼われている。

 城郭内の土地は「限定空間」とならざるを得ない。少しの隙間でもあれば庭園や家畜小屋が造られ、豚など放し飼いの動物が生活空間を歩く。

 都市部は集合住宅となり、人は上へと重なる傾向にあった。

「今はもう裕福な市民は新王都に移住してしまった。従者も引き連れて行くので、櫛の歯欠け状態となってはいるけどね」

 卵を確保して塩とレモンにオリーブオイル、そしておろしにんにく。

 乳化が安定するマスタードまであり手を叩く。

 当時は卵黄に塩とオリーブオイルのみだったなど諸説あるが、18世紀に普及した世界に愛されるソース――「マヨネーズ」である。

 丸いパンを上下に切り分け、マスタードとバターを塗りバンズとした。

 鶏むね肉を焼き、長ネギ(リーキ)とキャベツをマヨネーズで挟んだこってり味。ささみにマヨネーズを塗り、パン粉をつけて揚げるガーリックフライ。えんどう豆、人参、タマネギ、スライスハムをマヨネーズで和えてサラダ風味。

 冷蔵庫がないのでこの時期しか作れない、卵尽くしの()バーガー。

 ウールドは見慣れぬ食べ物に首を傾げつつひと口――。

「ええっ手に持ってたのに、消えちまったぞ! もうないのかあ――~っ!?」

 一瞬で3個全てを平らげ、悲しい顔を隠しもせずに披露した。

 気に入っていただけたのなら、幸いだ。


 ――ハンバーグも同じく、18世紀初期の料理である。

 ひき肉と玉ねぎ、パン粉を基本材料とするので製作できない訳でもないけど……まずミートミンサーがなく、ひき肉にするだけで大変。

 そしてなにより、適した「ソース」がない。

 胡椒や生姜、シナモン等の香辛料をふんだんに使った味つけが主流で、リンゴやラズベリーの果物ソースはあったが酸味をともなう。

 それでもあるだけマシ、平民にはソースの概念さえない。

 塩漬けや燻製など、腐敗防止に加工した肉を茹で塩を抜くだけ。「食べる」ことが最優先で味は二の次、おいしさまで求める余裕はなかったのだ。

 正直いって現代食で口の肥えたぼくにはかなり辛い。

 しかし自分の食事にだけグレイビーソースを作るのは……なにをしてるのか覗く厨房スタッフや、期待をこめた使用人さんの手前気が引ける。

 とてもではないが、手間のかかり過ぎるハンバーグは製作できなかった。

 本来は牛肉を使用しパンに挟む料理が、鶏肉なので「半バーガー」と命名。まあうん、ダジャレだけど。

「図書室の返却棚にあった手作り料理の本、読んどいてよかったなあ」



 ☆



 ――マナスル城の王族専用執務室。

 ガラスの入った格子状の窓に、蝋燭(ろうそく)の光が反射して鈍く輝く。

 外はすでに真の闇が覆っていた。内衛兵のかがり火だけが塔を、城壁を部分的に浮かび上がらせる。

 季節はまだ冬だが、かがり火に誘われた虫が小さな命を瞬く。

「ヴィーラ殿下」と呼ばれる少女は、未だ机に向かっていた。

 厚く重なった書類を、右から左へ移し替える作業をしているのだ。むろん指示を書き足し、サインと印章を押す通過儀礼も怠らない。

 摂政としての職務代行はすでに4年目であり、日々の日課となっている。

「まるでワーカホリックですね」

 奇天烈な少年がこれを知れば、理解された瞬間プロミネンスが放出される軽口を叩いたかもしれない。

 白い肌が映える赤い毛織りのコット。

 白いリボンを胸元で編みあげ、テンの毛皮をあしらったシュールコートゥベールを上着代わりにはおっている。

 少々ラフな夜着だがその美貌は目減りせず、むしろ色気さえ発していた。

 不敬な狼が「5年後」と評したのを、詫び入る(よそお)いと言えよう。

「……どうした」

 覇気を放射する瞳に一瞬炎が煌めく、蝋燭(ろうそく)が揺れたのだ。

 闇に問いかけたかと思うほどの小さな呟きはしかし、音も立てず気配もなく部屋に現れた漆黒のマントに向けられていた。

「――大変申し訳ございません。監視のムカッシュヴァナーサナ卿が、アユム卿と接触してしまいました」

 いかような罰もお受けいたします――。

 フードを目深にかぶり(ひざまず)いた影が、少女にしか聞こえない声を響かせる。

 マント越しですら痩身と分かる、いっさい無駄のない体をさらに伏す。影の塊に私心は感じられず、裸足が見え辛うじて生物だと匂わせた。

「それで『風舌(ふうぜつ)』ではなく、直接おもむいた訳か」

 書類を読み、ペンを走らせ、次の書類を手に取る――いささかの乱れもない。

 少女は侵入者とのやり取りを少しばかり楽しんでいる。歳相応の表情がそこにはあったが、伏していた痩身のフードは気がつかなかった。

 ペンを置き、やっと顔をあげる。

「詳しく話せ――」


「――石畳の端を掘る?」

「はっ汚物を捨てるためかと、ムカッシュヴァナーサナ卿が質疑していましたが」

 痩身のフードは明確な説明ができず、恐縮して頭を下げた。

「この国を磨きあげろ――我の下知をそのままに受け取った? スーリヤの報告や謁見の間での態度から、それほど稚拙な印象は受けなかったが」

 少女は「分からない」などと、己を卑下したりはしない。

 その美しい左の眉が少しだけ上がり、思考の波にのまれてゆく。

「ふむ、間にあった(・・・・・)か」

「あの……っプラーナ様!」

 先ほどの「報告」とは違い、影から私心まみれの声が発せられる。

 どうしても訊きたかったのか、主従関係ながら愛称(ニックネーム)で呼ぶ無礼。気がつかぬはずもないが、少女は現実世界へ戻ってきた。

「ん……?」

「プラーナ様はおっしゃいました、我が国に未来(さき)はないのだと。プラーナ様の国がなくなるのですか……?」

「嫌か? ジャーラフ」

「ボ……クは」

 ジャーラフと呼ばれた影が困るのを見て、少女が喉で笑う。

 それは親しい友との会話か、信頼した親へのわがままにも似た胸の発露。

「フフッ……すまん、すまん。それも全て彼奴(・・)しだいであろうな」

「あの『悪あがき』、しだいだと?」

 少女が炎の瞳を細めて頷く。

「その通りだ、続けたいのなら監視は餓狼の専属にしてしまえ。それで彼奴に気がつかれたとしても、『口輪(・・)をはめられている』のだと分からせるのも一興」

 あの狼と牙を向けあうか、手なずけるか――少女が意地悪くほくそ笑む。

「御意っ!」

「――っ!?」

 部屋の前で護衛をしていた巨漢フードことステューパ卿が、その声に反応する。

「殿下っ失礼いたします!」

 ノックもそこそこに声をかけ入室すると、執務室の空気が入れ替わった。

 少女は変わらず机に向かっている、だが何か違う。ステューパ卿の瞳孔が開き、気配を探って数舜彷徨ったあと……窓で止まる。

「どうした?」

 書類に目を通しながら、少女が問う。

「……いえ、そろそろ就寝のお時間です」

「もうか――中間報告だけで数日間のロスとなっている。各部署への迅速な連絡は常なる課題ではあるが……さて因果伯の派遣先を選定せねばならんし、まだ安定していない新王都の所領も放っては――ああ分かった、そう恨めしい顔をいたすな」

「は……っ」

 立ち上がる雰囲気を見せた少女が、手元の書類に気がつき瞳を伏せる。

 さらに数枚を手繰り寄せ再び椅子に体を預けてしまうので、ステューパ卿が影をまとう置物へと変貌していた。

「卿は近衛隊長よりも、執事の方が存外向いておるのではないか? ふむ……よし今日はもう休もう、ステューパ卿子守り唄でも歌ってくれぬか」

「はっ! ――…えっ? 殿下!?」

 上機嫌に声をあげて笑う主君が、早足に部屋を後にする。

 その後ろを複雑な心境でステューパ卿が追いかけ、それを見てさらに複雑な心境になった部下の近衛兵が追従した。

 主のいなくなった執務室の窓に、痩身のフードの影が流れて消える。



「いょう、遅えぞ――~っ!」

「これは……きびだんごならぬ半バーガーで、狼がお供になったのかな?」

 翌日途中で切りあげた側溝の前に、ウールドが爽やかな顔で待っていた。

「ほいそのバールっての貸しな、今日も一日がんばろうかね!」

 ぼくからバールを奪いつつ、目と鼻はお弁当に釘づけである。

「本当に、食の魅力は絶大だなあ」

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