七十一夜 されど天候不順
「皆さんっ無事ですか!?」
早朝――といっても船倉では日で時間も読めないが、船員長が駆け下りてくる。
その顔は憔悴し、疲労が積もって混然としていた。積荷の間でシーツに包まれ、動き出す皆を確認し安堵している。
寝藁を敷いてはいるが、荷の圧迫感や寝苦しさから寝ぼけ眼は隠せない。
「どうしたんですか? なにか問題でも……」
唯一起きていたぼくの質問に、キラナ船員長は一つ息を呑む。
「――っカター船長が、殺されました!」
3人がかりでロープを引き、カター船長の巨体が見張り台から降ろされていた。
はおったマントがその巨体を隠し、識別を困難にさせている。ロープ揺れる度に甲板に血が落ち、それが生物であるのを報せていた。
「通してください、ぼくにも応急手当は行えます!」
まだ間に合うかもしれない。
ぼくは酔いも忘れて、船長を取り囲む輪に無理矢理分け入る。船医が身を屈め、うつ伏せになった船長の体を下から起こし覗き込んでいた。
巨体であり尻尾があって、容易にあお向けにはできなかったのだ。
「ダメだな……心臓をひと突きだ、体も氷みてえに冷てえし手の打ちようがねえ」
死んじまってると、血で濡れた手を拭きながらかぶりを振る。
――欧州において医者とは理容師を指し、その認識は18世紀まで続く。整髪用の剃刀で、腫れ物の切開や骨折の治療、外科処置に抜歯まで行う。
船には船医の配置義務があり、戦場経験者が勤めたので信頼は厚かった。
船員から絶望とも思えるため息と、喉の詰まる音が漂う。
「船長――…なんてこった!」
「嵐の夜だぞ? なんだって船長が見張り台に!?」
不安と疑問が、船員の精神に暗雲をもたらす。
「……どうだ?」
いつの間にかラクシュが横で屈み、ぼくにだけ聴こえる声で問う。
注意深く船長の身を検めながら、思わず眉をひそめる。太く重い声で笑っていた口が薄く開き、瞼は固く閉じられていた。
胸に創傷が確認されたそうだが、うつ伏せで見ることができないのは幸いか。
「死斑は出ていない、ならば死亡後それほど経過していない――バカかぼくは! ウロコで判断がしがたいだろ……落ちつけ、只人とは違うんだっ!」
魔獣や盗賊の襲撃を体験はしていたが、血の匂いと惨劇の色に慣れはしない。
首元から顎にかけ死後硬直を検める。マントに大量の赤黒い血が付着しており、まくって確かめるが首に外傷はなかった。
吹き出した血ではなく擦れた跡が確認でき、犯行に使用した短剣等を拭き取ったのではないかと思われる。
その他、手足などにも外傷はみられない。
だけどこれは――。
「どうした……?」
ぼくの動揺を察したのだろう、ラクシュがより小さく囁く。
思考が途切れないよう、ぼくは震えながら息を吐く。
「いえ……このまま日に晒しては遺体が変質します、急ぎ船倉に運びましょう! それと犯行現場とされる見張り台には、誰も近寄らないようにしないと――」
事件後は現場保存が、なによりも重要となるのだ。
ラクシュに答えたつもりがぼくの声は大きく、発言はかなり突飛だった。
「……はあっ!?」
疑問を浮かべた船員の顔が周囲から迫り、慌ててつけ足す。
「し、調べたいことが……現場検証や物的証拠の有無が、重要なんです!」
科学検証が行えない時代、事件直後の調査がどれほど大切か――を説かねばならないのに、舌が回らず言いよどむ。
昨日会話を交わした者の惨事に、余裕を失っていたのだ。
「調べるってなにをだ? 胸を刺されて殺されたって聞いただろ!」
「おいガキっ! なにか隠してるんじゃねえだろうな!?」
「見張り台になにかあるのか? 誰か犯人を見かけたか!?」
やばいと思った時はもう遅い。
皆気が立っており、話ができる状態ではなくなってしまった。
「ここいらに海賊が出たって噂があるぜ、襲われたってこたあねえか?」
「ハッそれで見張り台の船長だけ殺してったのか!? バカぬかすんじゃねえ!」
「オイ海賊はウダカで捕まったって聞いたぞ――!」
「第一見張りの始末なら矢で射るだろう、船長はナイフで殺されてるんだよな?」
船医が頷き、海賊説を発言した船員に批判が集まる。
疑問と憶測が至る所で飛び交い、混乱に拍車がかかった。
「海賊でもなんでもいい、なにか見た奴――そうだ見張り、昨夜の当直は誰だ!」
「船長が見張り台にいるのが変なんだ、なにか知ってるだろ!」
若い船員――昨日船倉を覗いていたコーティに視線が集まる。
見張りの当直は大変で、若手が長時間させられる仕事となっていた。
「おっ俺は知らねえよ! 交代の奴がきて、それっきり船室で寝てたんだから!」
若い船員は一瞬呆然とし、向けられる目に状況を理解したのか絶叫する。
否定して手を振り回す姿は、猜疑心を呼び起こすのに十分な態度だった。
「コーティ、まさか……お前が?」
「嘘をつくなよコーティ! じゃあ誰と交代したってんだ!?」
「正直に言え、てめえがナイフで船長を殺ったんだろ!」
若いコーティは皆より頭一つ背が低い、詰め寄られて姿が見えなくなる。
「嵐の最中だぞ!? フード被ってて顔なんか見える訳ねえだろ!」
雨の時は寒さと濡れ防止に、通常はフード付きのマントをはおり作業を行う。
皆も昨夜の嵐を思い出したのだろう、顔を見合わせ言いよどむ。
「……っ昨夜、コーティと交代した奴はいるか!?」
叫んで問うが出てくる訳がない、自分が犯人だ疑ってくれと自供するに近い。
返答がなく、コーティへの当たりが強くなった。
「皆一旦落ちつけ! 誰が犯人かより、今後の意思統一を図らねばならん!!」
キラナ船員長が興奮する船員の前に立ちふさがる。
「これが落ちついていられるか、船長が殺されたんだぞ!」
「仲間にナイフを突き立てる奴をかばうのか!?」
「コーティの荷を調べろ、ナイフを隠し持ってるに違いねえ!!」
まずは寄港し組合に報告を――そんな船員長の説明は、怒号に掻き消された。
「コーティは普段から、船長の文句を言ってたからなあ……」
「それはお前らもだろっ! 今更キレイごと言うんじゃねえよ!!」
疑いを掛けられたコーティが吠える。
「船長は短剣を持ってる、襲われりゃやり返すはずだ! 俺はケガもしてねえし、ナイフも持ってねえって!!」
「なんだその言い草あ、半人前が知った風に語るな!」
「ナイフなら調理室に――メシ作る時にだって、使うじゃねえか!」
壁に追い詰められ、無実を明かすためだろう焦って余計なことを叫んでしまう。
「てめえ言うに事欠いて、俺が船長殺したってのかっ!?」
おそらく料理番だろう、群衆をかき別けコーティの胸倉をつかむ。
誰が止める間もなく腕を振り上げ殴りつけた。
「俺が何年船長と船に乗ってると思ってやがる!!」
「俺は、殺しちゃいねえって――っ!!」
「てめえが殺ったんだ! そうだなっ!!」
コーティが壁に叩きつけられながらも否定し絶叫する。
周囲から取り囲まれ、繰り返される強要と恫喝。
「待ってください皆さん! 彼が犯人と決まった訳では――」
「うるせえ、ガキは船倉に戻ってろっ!」
ぼくはまったく抵抗できず突き飛ばされ、甲板で跳ね転がった。
体調の悪さもあったけど、息が詰まって即座には立ち上がれない。ジャーラフが助け起こしてくれ、その青き瞳が怒りに燃えている。
お腹のカレシーまで身動きをした。
「ぼっぼくは、大丈夫だから……っ」
汗を滲ませながら笑顔を作り、呼吸を整えお腹をさする。
今カレシーが起きると話がややこしくなる、ぼくは急ぎ冷静さを取り戻す。
皆殺気立っていた、恐怖が精神を歪め怒りの矛先を探してるのだ。どうにかして止めなくては、このままでは疑心暗鬼からパニックが発生する。
証言のみで犯人扱い――「魔女裁判」だ。
「やっぱり、この船は守護聖人様でも許さない――…」
誰かの嘆きにも似た声に重なり、ふいに音楽が鳴り響く。
皆が海の上でなぜと困惑に耳をそばだて、視線をさまよわせる。船倉への扉前、ヨーギの背に乗ったルタが横笛を吹いていた。
理解が唖然とした表情を生み、困惑が言葉をなくす。数舜ではあるが小さき亜人を見守る形となった。
「おっ……おい」
「――ご清聴ありがとうございまス!」
ルタがヨーギの背からピョコンと飛び降り、笑っていち礼する。
もう少し吹いてたら疑問が叫ばれ、怒号に変わったかもしれない。一連の行動はルタの容姿も相まって、批判しがたいタイミングで行われたのだ。
「さて貴様ら……誰の前で揉め事を起こしてるのか、分かっているのか?」
ラクシュが進み出て、さして大声でもないのに通る声で問うた。
おそらくルタに目配せし、吹かせたのは彼だろう。意外な展開と貴族にも思える青年からの言葉に、先とは違うざわめきが広がる。
「お見事っ!」
ぼくは心で賞賛と感謝を繰り返した。
普段はざっくばらんな青年であろうと、一国の王太子なのだ。人心を掌握する術を当然のように心得ておられる。
船員は身動きもせず、息を呑んで次の言葉を待った。
ここでラクシュの身分を明らかにしても仕方ない……場合によっては彼らにも、危害が及ぶ可能性もあるのだから。
「無事ウダカにつくまで、ぼくらで王太子を守ろう!」
肩を支えてくれるジャーラフに視線を送る。
ラクシュは大きく息を吸うと、盛大に叫んだ。
「ここにおわす御方をどなたと心得るっ! 恐れ多くもヴィーラ王国を支える要、国家の威信を守護し奉る尊き存在――因果伯であられるぞ!!」
胸を張り、手の平でぼくを指差す。
「――へ?」
今……なんて言った!?
「このような奇天烈な服を着る者は、因果伯しかおられないっ!」
今……なんて言った?
調子を合わせたのか、ヨーギとルタがぼくに向かい跪く。
目まぐるしい状況の変化に思考が鈍り、言葉が出てこない。船員が、ジャーラフでさえも口を開け呆然としていた。
皆の困惑をよそに、ラクシュは止めの一撃を喰らわせる。
「ええいっ下がれ下がれ下がれ、下がりおろう! この御方に反抗するはすなわち――ヴィーラ殿下への謀反である!!」
「ひぃっ!?」
船員は慌てふためき、飛び上がって転ぶように平伏した。
疑われていたコーティだけ、殴られた頬を押さえ遅れて頭を床につける。荒海で鍛えられ、筋肉と褐色の肌に覆われた男たちが汗を流し震えていた。
「殿下といやあ魔獣の骸を積み上げ、その上で高笑いしてたっていうぜ……」
「自分に逆らう者には容赦なく、街まで巻き込んで焼き払ったって噂だ」
「太陽を喰らいその瞳に宿したとか……関わっちゃなんねえ」
嗚呼……素晴らしきかな、ヴィーラ殿下。
「――いや違う、ラクシュどういうつもりですか!?」
目で訴えたが、片目をつむりその口元は上がっていた。
「アユム卿いかがいたしましょう。こ奴ら全員魔獣の餌にするもよし、業火に身を晒し、御身を煩わせた罪を償わせるもよし!」
「ひぃぃ……っ!」
ラクシュがことさら左膝を立て跪き、ぼくに頭を下げて見せる。
船員たちから小さく悲鳴が上がった。
開いた口がふさがらなかったが、今はこのお芝居に乗るしかない。ここで否定しもめると混乱がさらに増加する。
どうにも操られてる気がするけど、今は時間がない。
ぼくは一つ咳払いをし、震える後頭部へ向け宣言する。
「先ほども言いましたが、誰が犯人か明確には分かっておりません。許可するまで全員甲板から移動しないでください!」
「はっはは――っ!!」
後頭部がさらに低く下がり、怯えた声が甲板に木霊した。
昨夜の状況を擦り合わせるため、主要な人物に話を聞かないといけないだろう。
「申し訳ございません、海法に「流血にいたらざる事」と定めております。全員が犯罪者になるところでした……」
理性的な声――キラナ船員長が改めて頭を下げた。
上の立場の言葉と、自分たちに向けられた疑惑に皆がやっと顔を見合わせる。
頭を押さえられた形だが、興奮は収まってくれるだろう。
「しかしコーティが怪しいのは間違いねえ、次は俺らが殺されっちまう」
「ナイフなんかどこでも手に入る、サーガラで買ってまだ持ってるかも……」
「縛って閉じ込めておく方が、安全なんじゃねえですか?」
船員長は一つ頷き、汗を落とす船員に理解をしめす。
「犯行に使用したナイフは海に捨てればいい、今持っていなかったとしても犯人ではないと断定できない」
「そっそんな――!」
「船員長が決めたんだ! 誰も文句ねえよな――っ!!」
皆が大きくそうだと呼応して盛り上がり、コーティへの疑いを深める。
コーティがなにか反論する前に、船員長が落ち着けと続けた。
「だが――いいかだが、見張りを交代したのが本当だったら……どうだ?」
「っどういう、意味ですかい!?」
船員の1人が眉根を寄せ、息を呑んで訊き返す。
思い当たる不安が、精神の縁まで達し揺らめいていた。
「コーティが殺った証拠はどこにもない。因果伯様、そう言うお話ですよね?」
船員長がぼくを見つめるので、思わず頷く。
「つまりカター船長を殺した犯人が、裁かれもせずこの中にまぎれてしまうんだ」
「こっこん中に、船長殺した犯人がっ……!?」
船員長を中心に疑念の波が弾け、膝をついたままそばにいる者から避け離れる。
全員が己を取り巻く恐怖の正体に気がついた。
人間が1番恐怖を覚えるのは「理解不能」。犯人がどこの誰か分からないより、コーティであってほしかったのだ。
ここは周囲を海に閉ざされた、逃げ場のない船の上。
コグ船は近距離貿易などで使用された、中型の帆船である。
横帆の1本マストで船体は30メートル前後、30名ほどで操船ができた。
それまではオールで海面に抵抗を受け舵を切っていたが、船尾舵が取りつけられよく知る「帆船」の容へとなってゆく。
ガレー船に比べ人力による漕ぎ手を必要とせず、数倍の積荷を積載可能。
しかし風上に向かって操船する技術はまだなく、天候任せである。そのため公海はせず、海岸沿いに航行し頻繁に寄港していた。
商用の他に軍用としても使用されたが、船員が少なくて済むので海賊も好んだ。
ロングボウやクロスボウを射かけ、接舷して斬り込む。身代金が期待できる貴族や騎士以外は、奴隷として売られるか皆殺しにされる。
後に自衛のボンバード砲が搭載され、船首と船尾に戦闘用の塔楼が備えられた。
13~14世紀は陸海上ともに大きな変革期である。徐々に大型船が建造され、外洋への航路がとられる時代となるのだ。
船員30名+ぼくたち全員が、今件の被疑者と言えた。




