表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第二章 港湾都市サーガラ
69/188

六十七夜 アラヤシキ――サーガラ支店

 七月……雲が高くなり、連日暑い日が続く。

 さすがに燕尾服は着てられなくなって、ぼくは泣く泣く脱ぐ決心をする。夏服は白無地イカ胸シャツ、背が黒で表が灰色のベスト、白の蝶ネクタイ。

 白い手袋で暖簾(のれん)をかけると、つめかけた市民から拍手が起こった。

 公衆浴場「アラヤシキ」――サーガラ支店オープンである。


 ぼくはサンガ伯爵から許可を得ると、ひとまず「闇癡(あんち)」でサーガラを視て周り、俯瞰地図を作成した。

 浴場に合わせて排水用の側溝を掘り、下水処理設備を設置するためだ。

 職人たちはアマゾネスで風呂や側溝の「現物」を見ている。とはいえ工事自体はおまかせできても、ルート選択はマナスル同様ぼくがやらねばならない。

「当初危惧したとおり街全体がかなり平坦だから、傾斜を得るのが難しいな」

 そのため一部分を深く掘りゴミをためる場所を――「集水桝(しゅうすいます)」を設置する。

 これにより側溝のつまりや水があふれるのを阻止可能。しかし足を踏み入れると危険なので、最優先で蓋を用意しなければならない。

 なにしろ側溝は浴場より大切だと、サーガラの有力者から求められていたのだ。

「アマゾネスの街の輝きが、受けた衝撃がずいぶんと大きかったんだな」

 今はまだ大通りだけ、それでも側溝により段違いで清潔になっている。

 商店や屋台――特に食べ物を扱う店は刺激臭が薄まり、害虫が減少したのを肌で感じているに違いない。

 残念なのは「光恚(こうに)」を使える者がいない点。

 ぼくが作成した地図を必死で写してはいるけど、そも初めて見る俯瞰図。側溝の場所や位置がずれたと報告され、埋め戻しに手間取っていた。

 まさかマナスルから、スーリヤさまを呼ぶわけにもいかない。

「記録に関わることは今後も増えるし、M属性の重要度が増すなあ」

 北の空に笑うと、メガネをかけたエルフがどうだと胸を張る。



「いやアマゾネスで入浴して感激してたんだ、やっとサーガラにも建ったなあ!」

「発祥はマナスルだってよ、さすがは元王都だ見事なもんだ」

「この調子でサーガラも発展していくと、ありがたいねえ」

 サーガラの街に「温泉マーク」を染め抜いた、赤と青の暖簾(のれん)がはためく。

 マナスルやアマゾネスで「アラヤシキ」を体験した領民も多く、噂も後押しして心待ちにされての開業となった。

 早くもマイ桶を持参した市民もいて、期待度の高さががうかがえる。

 アマゾネスでは石鹸が手に入りづらかった。ギルドの飛脚制度を利用しマナスルに発注しても、サーガラを経由して運ばなければならない。

 どうしても時間と労力がかかる。

 幸いにもマナスルでは石鹸の需要が高まり、供給が増えて好循環していた。

 主要都市であるサーガラでも広まれば、石鹸販売の中心地となれる。アマゾネスはもとより、周囲の町や農村にも事業の拡大が見こめるに違いない。

 薪ボイラーと手押しポンプ、大量の石鹸を発注して無事ここまでこぎつけた。

「いろいろ……あったなあ」

 馬車の旅に胸と胃を高鳴らせ、イダム卿の町で盗賊騒ぎに遭遇し、黄昏れて立ち止まり、ノルブリンカの小都市起こしを手伝い、剣闘士競技会に参加――…。

「本来なら中学三年生の夏休み前、高校受験に向け勉強浸けだったかなあ」

 人が生きるという意味でなら、それ以上の経験はしているけど。

 ぼくはなんとなく感慨深い気持ちに浸り、手をかざして日の光を遮った。


 マナスル本店と違うのは、海水による浴場である点が大きい。

 これは事前に表明してたので、さしたる混乱とはならなかった。海水は海岸から七キロ以上も浸透すると言われる。

 潮の満ち引きで井戸の水位が変わるほどの影響があったのだ。

 海岸が近くても砂利や砂地が多ければ、うまくろ過できて自然な水となる。でも海面より下の地下水だと海水になる確立が高い。

 立地的にサーガラで井戸水は難しい。

「水の確保が必要と、うかがっていましたのに……」

 街中で打ち抜き井戸を掘り、手押しポンプで汲むとやはり海水だった。

 残念がるサーランバ卿をよそに、ぼくは建築の続行を決定する。

「大丈夫ですよ、海水でも浴場には適しますから」

 海水は暖めるとベタつきが消え、むしろ肌になじみ体の温度を保つ。

 向こうの世界(アラヤシキ)でも海水の銭湯が存在する。その点は心配してなかったんだけど、問題は蒸留水とする水の確保。

 領民はエールを常飲するので、飲料としての「水」に感心を持ってもらえない。

 ぼくにとってパンや料理に蒸留水は必須と言えた。しかしサーガラはナディ川をさかのぼり、汽水域を避けて淡水を運ばないといけない。

 外部から水を「搬入」するため、労力と資金がかかっているのだ。

「それにより発生する問題――か」

 幸いにも二号店を模索中、城門外の海を望む丘の中腹を掘ると水を得られた。

 風車動力で汲み上げて、木柵で囲む巨大な露天風呂を建築する。しかし街からは離れており、市民の評判がどうなるかわからない。

「三号店の準備は状況を見てからですね、サーランバ卿よろしくお願いします」

「はっはい! ご期待にそえるよう、がんばります!」


 ――海岸近くの水問題は容易に解決しない。

 向こうの世界(アラヤシキ)でもそれは変わらず、毎日の行列や所有権が諍いを生んだ。

 乾期には死活問題となり、多くの悲惨な文献が残されている。



「アユム親方……この服はいったい、なんでしょうか?」

「剣闘士競技会でのご協力、本当にありがとうございました。これは『エプロン』――調理中に発生する汚れを受け、個別に洗濯しやすい衣服です」

「アラヤシキ」に欠かせなくなった浴場前の屋台。

 城館の中庭をお借りして「絶品三獣士」の方々をふくむ、特許使用許可証を持つ商人や屋台持ちたちに集まってもらう。

 お礼の新たなレシピ公開に合わせ、エプロンを一着ずつプレゼントした。

 ――エプロンの歴史は古く、古代エジプトの壁画にも描かれている。しかしこの文化はいったん廃れ、一六世紀の欧州で再び花開く。

 一七世紀には貴族のドレスにも採用されたほどだ。

 多くの宝石をあしらい、優美な装飾をほどこしたエプロンも存在した。地元商人や個人商人ならまだマシでも、屋台持ちにとって衣服は貴重品。

 洗濯の意識も根づいておらず、どうしてもなおざりにされてしまう。

 マナスル城のメイドさんみたいに、衣服の統一までは無理だけど……エプロンの手軽さなら、利用者も増えるのではないか。

「なるほど! これなら服を丸ごと洗う必要も、替えの服もいらないですな!」

「実用性の点からいえば、前掛けやタオル一枚でも有用ですね」

 感心してエプロンを着用する姿に、普及の期待が高まった。

 ぼくは皆の前であらためて蒸留水を作る。汲んだ水を沈殿ろ過し、上澄みを樽に移して()して一定時間の沸騰消毒。

 最低限の殺菌処理であり、安全対策である。

「レシピに記載されている――実地研修で何度もおこなった、蒸留水です。皆さん実行されていますか?」

 市場で食べたかぎりでは、自家製酵母意外にも問題があった。

 何人かは……いやほとんどが顔を見合わせ、黙ってうつむく。

「水は危険であり、忌避すべき物との認識」

 それにより発生する問題――通常のパンや食事にも水は使用する。だけど労力と資金がかかるため、なるだけ避けようとしているのだ。

 お風呂を流行らせようと、浸みこんだ常識をくつがえすのは困難な事例だ。

「まずはこちらを試してください、ぼくが製造しました」

 蒸留水を使用して焼く、自家製酵母のパンを配った。

 あちらこちらでうなり声がする、「本場の味」だと。

「マナスル産のエールがおいしくなったのも、蒸留水を仕込みに使ったからです」

「おおやはり! 以前とは違うと話していたんだ!」

「おいしく感じたのは、こういった理由があったのですね!」

 行商人をしていた皆は覚えがあり何度もうなずいている。ぼくにしかできない、困難な仕様ではないと知ってもらう。

 興味深げに見ていたサーランバ卿も、家令さんに声をかけ動き出す。

「エールの醸造所に連絡するのかな、行動が速いのはやはり姉弟ですね」


「さて、料理作りに一番大切なのはなんでしょう?」

 ぼくは「絶品三獣士」の一人である、コールマン髭のおじさんに問う。

「そっそれは! それはもちろん、ソースで……いや……」

 にこやかに質問したのに、むしろ腰が引けたのか喉をつまらせた。

 ぼくの顔を見ながら、言いかけては止まる。

「待て待て一番大切なのは、常に一定のクオリティーを保つプロの技術だ!」

「食材の吟味に下ごしらえ、味つけに盛つけ――調理のスピードが最重要だ!」

 獣士の二人が前かがみに意気ごんで助言する。どちらの言い分もそれらしくて、コールマン髭のおじさんは腕を組み目が泳ぐ。

 ふいにぼくの前にある、たった今作っていた蒸留水に気がついた。

 そして自分が着ている、渡されたばかりの真新しいエプロンにも。体を震わせ、ぼくの目を見つめ返す。

「一番大切なのは、何よりも安全ですっ!!」

 何度も聴いたじゃないか! マナスルで、アマゾネスの実地研修で!

 コールマン髭が勇ましく奮い立ち、周囲は唖然としてぼくに注視する。

「ありがとうございます」

 ぼくの感謝に、「絶品三獣士」は背をたたき合って喜んだ。

「水やエプロンだけではありません! 今は無駄に思えても、一歩ずつ確実に歩くことに意味があるんです!」

『偉大な者は目標を持ち、そうでない者は願望を持つ』

 近代細菌学の開祖、ルイ・パスツール。

「皆さんの目標を、今一度確認してください!!」

「はいっっ!!!」

 ぼくを見つめる瞳に、新たな光が宿っていた。

 目標とするパンが掲げられ、城館の中庭に野太い大声が響く。


 特許制度を制定し、屋台料理のレシピに使用料を徴収する――。

 実はこの取り組みにはかなりの迷いがあった。そんなことをしなくても、無料で公開したほうが手っ取り早いのでは。

 安全性やにんにくの有用性が早く広まるのではと。

『一人が伸ばす手には限界があるわ、でも営利が見こめるとわかれば別。より多くの手が参加して事業になる、そして繋がれた手が国をうるおす経済活動となるの』

 しかしスーリヤさまの助言を思い出す。

「明日の花より今日の種」が必要な時代に、目に見えぬ効果では世に広まらない。

「営利が見こめ、より多くの同業者(ライバル)と切磋琢磨し、味を追及する意思。ここに集う職人たちが試行錯誤したからこそ、『絶品三食』なんて大層な名称をつけられるまでになれたんだ」

 パンを多く食べる欧州では、麦に発生する病気――「麦角病」による犠牲はすでに記録されている。

 レシピに記載した丁寧な製法を広め、現代でも危険な中毒を回避させたい。

「これにより何千何万もの悲惨な病死は、ぼくの記憶のなかだけですむ……」

 さらににんにくの薬効は理解できなくとも、「おいしい料理」としての認識は、体質改善の一助となり得る。

 真に偉大なる者は誰なのか。

「彼らがヴィーラ王国を救う――『衛生』を広める、もう一手となる!」

 アラヤシキ二号店で、水の販売を検討してもらえると知らせた。

 今までとは違い、手軽に蒸留水を作れるようになる。


「ではお待ちかね、新たなレシピを公開します――『タルタルソース』です!」

 まずはマヨネーズを作るため、ハンドミキサーを取りだす。仕込みが楽になると皆がくいついたので、「ホーマ親方作」と宣伝しておいた。

「組み立て式簡易五徳」同様、注文が殺到するかなあ。

 タルタルソースの材料はすでに公表しているマヨネーズ。ほかはゆで卵と砂糖、玉ねぎに酢に塩である。

「そして彩るメインは港湾都市ならでは、魚介類のフライです!」

 市場で牡蠣を見たときから作りたかったのだ。塩や中濃ソースもいいんだけど、牡蠣フライには断然タルタルソース派!

 特にヨーロッパヒラガキは二〇世紀に激減し、高級食材となる。

「今ここでなら、遠慮なく食べられるんだ!」

 牡蠣の水気を拭いて下味をつけ、小麦粉と溶き卵のバッター液に――こちらにもみじん切りにんにくを追加しくぐらせる。

 荒めのパン粉をつけ豚の脂身(ラード)で揚げると、油の香ばしい香りが中庭に広まった。

 ノロウイルスや食中毒の危険を避けるため、一八〇度の高温で一分三十秒~二分を目安とし、衣の色で揚げ時間を調節。

 白身魚やエビ、ホタテなどもおいしくなると勧める。

「皆さんの腕と発想次第です、ぜひマナスルまで名が広まる料理にしてください」

 ひと口味見した牡蠣フライに満足し、試食として順次揚げていく。

「熱いですから食べるときは、こちらの食器に刺してくださ――い!」

 セツに作ってもらった、鉄製の二又フォークを皆に配る。

 フライにした理由はもう一点、素手での食事は避けたかったのだ。

 熱いフライともなれば素手で食べるのは難しい。フォークの使用が必然となり、そして日常に浸透するのでは……。

 旅をしてきて、数多くを学ぶ。

 安全対策――ぼくはまだ、異世界(こちら)の常識を図りかねていた。

 細菌の証明は一九世紀でも難しい。しかし衛生観念が領民間に広まり、フォークが流通すれば……消毒法へもスムーズに移行できる。

 手洗いの理解を広め、素手での食事習慣を早期にあらためたかったのだ。

「五百年後にルイ・パスツールの苦労が、少しでも和らぐといいけど」


「衣が熱くて中がホクホクと……これは、これは新たな食感だっ!!」

「食材の味か油の味か? ザックリと舌に染みこむ、絶妙な甘さがたまらない!」

「甘酸っぱいのはタルタルソースも同様だ! なんとも複雑に絡み合う!」

 ――欧州に揚げ物の記録はほとんど見られない。

 一部のレシピもフライパンに入れた油に「浸す」のみであり、多量の油が必要となる揚げ物料理は作られなかった。

 未知なる料理を前にして、目の色が変わるのは当然と言えよう。

 いつの間にかサーガラの有力者や、使用人も集まり生唾をのむ。場所をお借りしている立場上無下にもできず、次々と揚げる。

 味見した牡蠣フライまでどこかに消え、無くなっていく食材に胃袋が鳴く。

「まっまあぼくは、いつでも食べられるし……」

 辛抱の甲斐あって、中庭のあちらこちらで絶賛が叫ばれた。商人や屋台持ちたちの商売魂が後押しされていく。

「アユム親方はマナスルに滞在しておられるんですか? できれば今後とも、指導をお願いできないでしょうか……!?」

「おお、ぜひとも願いたい!!」

 コールマン髭のおじさんが牡蠣フライを頬張り、うなりながら訊いてきた。

 周囲からも激しく希望の声があがる、それはいいですけど親方ってのはどうか。

「マナスルに滞在してるわけでは――そういえば、ないですね」

 自分で言っておきながら気がつく。

 サーガラ領にはすでに三か月目、マナスル以上の滞在となる。それなのにぼくの気持ちとしては、やはりこの地では「過客」なのだ。


 向こうの世界(アラヤシキ)でも農業生産力が向上する一八世紀まで、欧州では食生活の多くを漁業に依存している。

 庶民にとって魚貝類の煮こみ料理は定番だった。

 さらに塩漬や燻製用に加工し、大切な保存食として備蓄したのだ。肉が当り前に食卓にならぶのは、一九世紀である――。



 ☆



「うまっ!」

 ノルブリンカが牡蠣フライをひと口ほおばり――吠えた。

 城館の三階、海に向けたバルコニー。四人掛けのテーブルに座席を増やし、午餐――家族水入らずの昼食に招かれる。

 サンガ伯爵、ブリハスパティ卿、ノルブリンカ、サーランバ卿。

 ぼくはお邪魔だろうと遠慮した。しかしノルブリンカに無理矢……やや強引に、引っ張ってこられたのだ。

 長年のわだかまりはそう簡単に消えはしない、時間を必要とする。

 連日真っ青な海が輝き、心地よい海風が吹いていた。


「アマゾネスでもアユム卿の料理をいただきましたな、いやあ実にうまい!」

 サンガ伯爵は白身魚のフライが気に入ったようだ。

 カイゼル髭にべっとりと、中濃ソースと衣がついている。長年領主として食事をしてきた彼にとって、「料理を味わう」のは久しぶりなのか。

 エールを片手に上機嫌だった。

「衣にエールを足すのもいいな、疑似フィッシュアンドチップスだ。レシピに追加しておこうか」

 のちに国民食のひとつとまで呼ばれる料理、まあジャガイモ(チップス)はないけど。

「ふむっこの熱いフライに、フォークはなくてはならん食器だな」

 ブリハスパティ卿は寡黙な姿勢を取りつつ、いつの間にか獲物を獲得する。

「アマゾネスで使って便利でしたので、サーガラでも広めては――あっ姉さま!」

「肉食うときもちょうどいいんだコレ、あたしのは四又の特注品な!」

 そういえば貸したままでしたね、気に入って使ってくれてたんですか。

 サーランバ卿もフォークを動かすけど、ノルブリンカにすべて奪われていた。

 ぎこちなかった食事会も、杯が進むと口数も増える。

 最初はぼくが中心だった会話も、料理の好みやアラヤシキにほしい新製品など、軽口をまじえながら家族内での話も増えていく。

 ひととおり食べ終え、給仕が皿を下げ飲み物を用意した。

「ノルブリンカから聞きました。庇護する町が盗賊に襲撃された折、撃退したのは因果伯ではなくアユム卿だったと」

 サンガ伯爵がカイゼル髭を整え、エールをおくとぼくを見つめる。

此度(こたび)はサーガラに多大な貢献をしていただいた。サーガラ領領主として、領民を代表し感謝を表したい。アユム卿、ありがとうございました」

 恰幅のいい領主が目を伏せ、深々と頭を下げた。喉のつかえを吐き出す、心情の吐露だったのかもしれない。

 ブリハスパティ卿とサーランバ卿も、サンガ伯爵にならい頭を下げる。

 今だけは領主から父親へと、サンガ伯爵の目が変わっていた。


「固い固いっ! 親父(おやじ)も男連中も、アユムが困ってるだろうが!」

 ノルブリンカがまだ食べ足りないと、ホタテフライをフォークに二個刺しエールを持ったまま叫ぶ。

 ホタテは七月がもっとも大きく甘く、食べごろだと言われている。

 ありがとうノルブリンカ、ぼくもなんと言葉をかけていいのやらと……。

「ノルブリンカ、おまえの快活さは長所ではある、だが少しは慎みを持ちなさい」

 妹は素知らぬ顔でエールをひと息に飲み、兄は額を押さえかぶりを振った。

「噂もありましたがアユム卿、実際のところノルブリンカを妻にいかがです?」

「――っぶ!?」

 サンガ伯爵が幾分真面目に、そして前触れなく切り出す。

 ぼくは飲んでいたハーブティーを吹き出してむせた。ノルブリンカが口を開け、父の提案に呆れつつも背をさすってくれる。

 娘の姿に確信を持ったのか、父親の要望は止まらない。

「爵位が高くなければと駄々をこねていますが、アユム卿ならば問題ありません。我が娘ながら器量もよく、よき妻になるでしょう。婿にこだわってはおりません、どうかマナスルへ連れていってください」

「まっ待ってくださいお父さまっ! 僕はアユム卿に教えていただきたいことが、まだまだたくさんあるんです!」

 サーランバ卿がテーブルに手をつき立ち上がり、援護してくれた。

「なに慌てずとも義兄(あに)となればお会いする機会も増える。家庭教師に所領改革に、今後とも末永くおつき合いしていただけよう」

 この上ない提案ですと、サーランバ卿が父の先見の明を褒め称える。

 援護が追い打ちとなった。

 喜びの祝杯を掲げる親子に、反論する言葉が出ず途方に暮れる。

「あのなあ、あたしは今んとこそういう……いや、アユムは殿下と約束があって、婚礼とかうつつを抜かしてる場合じゃ――」

「――しかしおまえを妻に迎えてくれる男など、そうそう現れるとも思えんが」

 額を押さえたノルブリンカの突っこみを、ブリハスパティ卿が苦笑しからかう。

「年齢的に言やあ兄貴こそ、早いとこ嫁をもらわなきゃいけないだろっ!」

 痛いところを突かれ、「静かな熊」が珍しく目をそらす。

 大騒ぎする領主家族の姿を見て、給仕や使用人が驚いていた。


「――一年半で、ヴィーラ王国を磨きあげろ!?」

 サーランバ卿が驚愕し、サンガ伯爵は謁見の間がよみがえり居住まいをただす。

 無茶な命令をされたものだと、あらためて皆の視線を受ける。

「マナスルの噂は届いてたし、サーガラでも『アラヤシキ』は耳目を集めている。市民にとって欠かせない施設となっているな」

 このフライもサーガラの名物となろうと、ブリハスパティ卿が太鼓判を押す。

「アマゾネスじゃあもう手放せなくなってる、周囲の街からも視察にきてたっけ」

 アユムはよくやっていると、ノルブリンカが背をたたく。

「そうやって広まってくれると、ありがたいですね」

 幸いにも「アラヤシキ――サーガラ支店」の反応は上々だった。

「海水風呂はマナスルじゃ入れない、サーガラの特徴だな」

「いやあ空を見上げ、海を眺めながら湯につかる開放感は最高だぞ!」

 いたるところでサーガラの自慢だと高評価を受け、胸をなでおろす。

「では次はウダカ領に、向かわれるのですか?」

 サーランバ卿の問いにサンガ伯爵の髭が微妙に上がる。ウダカ領領主との確執は聞いており、早々には拭いきれない感情がうかがえた。

 ぼくはコップをおくと少し考える。

「……それよりも先に、新王都へ向かいたいですね。今年末に王都移転が完了するとうかがいましたので、ヴィーラ殿下が即位される前に街を磨こうかと」

 皆がなるほどと納得し、理解をしめす。

 側溝による通りの輝きを、設置して間もないのに実感しているのだ。

「そこでこちらから新王都に向かうのに、適した移動方法はなんでしょうか?」

 視線が移動の多い因果伯二人に向けられる。

「マナスル経由の馬車だと計七日だな、早くってんなら船だ。船に乗ってウダカに渡るのに約二日、そっから新王都まで二日で……計四日の距離」

 新王都への直通路にはターダ山がそびえていて、大回りせねばならなかった。

「ただし船は風頼みだからな、港で待機もするし日数は読めん。まあ馬車でも先日みたいに、盗賊騒ぎに遭遇しないとは言い切れないが」

 ブリハスパティ卿が補足してくれる。

 盗賊が一番に狙うのは、防御のある村や町ではない。数日の旅を余儀なくされ、商品や物資を運ぶ商人なのだ。

 アユム卿ならば盗賊など物の数ではないでしょうと、サーランバ卿が発奮した。

 いえ、会わないほうがいいですとも。

「三日の差なら……うん、変わらないな。風まかせより、確実なのは陸路ですね」

 できれば複数の行路を確認したかったけど、船より馬車のほうが無難だな。

 うんうんと納得してうなずいた。異世界(こちら)にかぎらず三日はちょっとした旅行だ、自分で言っておいて嘘くさい。

 ノルブリンカがフォークを手に違和感をしめす。

「なんだいアユム、船は嫌なのか?」


「……ぼくは、泳げないのです」




 ――その日アマゾネスの門をくぐった過客に、市民の意識が向く。

 過客などすでに珍しくない。だがフードつきのマントをはおった異質な三人の、内二人は亜人だった。

 大道芸人として大都市へ訪れはしても、地方で亜人は珍しい。

「すみませ―ん、こちらにアユム卿は、滞在しておられるでしょうカ?」

 山羊の角をもつ小さい亜人がペコリとお辞儀し、近くの市民に声をかける。

 子供の声ながら意外な丁寧さ、珍しさに見ていたおばさんが戸惑う。

 後ろにいた青年もフードを取り礼をとった。そちらは服こそボロくはあったが、立ち姿に品があり貴族の趣である。

 立場ある方だと判断し、失礼にならないようマーラを呼びにいく。

「あ~ら旅の方、アユム卿のお知り合い?」

 マーラは控える亜人を無視して、直接青年に問う。中心人物は青年だと看破し、反応を見るためあえて焚きつけたのだ。

 アユムは唯一無二の存在である、それをこの数か月で目の当たりにしていた。

 場合によっては排除対象とみなし、闇に葬る――と。鍛冶場にいたところを呼び出されたので、少々イラ立っていたともいえる。

 剣呑な雰囲気に気づかない小さい亜人が応えようとするのを、青年が手で制す。

「いいえ、ですが友人になりたいと思っています」

 青年は自分が試されているのだと理解し、率直に答えた。

 前に立つやけに色っぽい女性は、ヴィーラ王国の因果伯と察したのだ。

 虚偽は後々問題となる……そしてアユム卿は、因果伯に気を遣わせるだけの存在なのだと、期待が大きくなった。

 マーラと青年の目が交差する。

「マ……マーラさま? あの……」

 空気に当てられ、呼びにいったおばさんが後ずさった。

 一見涼やかな雰囲気はしかし、緊張をまとっているのだと周囲にも伝播する。

「……サーガラに向かわれたわ~お忙しい方だからねえ」

 息を吐くマーラの返事を受けて、小さい亜人が青年に口を尖らす。

「ほらあすれ違いになっちゃった、いつまでも屋台に通ってるからですヨ!」

「やっと食べられたんじゃないか! おまえだっておいしいって叫んでただろ!」

「ねえねえあの白い建物、詩われてた白亜の闘技場かなあ!」

 にわかに主人と従者の関係とは思えない口喧嘩が生じた。そんな騒動を横目に、馬の四肢を持つ亜人はマイペースにウロウロする。

 虚を突かれたマーラは唖然とし、次いで笑みが浮かぶ。

「アマゾネスへ、ようこそ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ