六十五夜 後夜祭
「アマゾネスだっ!」
街を視界にとらえた――と確認する間もあれ、急激に近寄ってくる。
感情が爆発したせいか、どうやら恐るべき速度で飛翔していたようだ。対比する物がなく距離感がつかめなかった。
マーラさんの姿は引き離され、木々に隠れて確認できない。
立ちのぼった煙も気になったけど、闘技場の周囲に多くの意識が集まっている。
「ノルブリンカっ街に着陸――…降りるよ! 道についたら走って!!」
「へっちゃく――~なにっなに? なにィ!?」
徐々に爆風を弱め、速度と高度を落とす。
二人分の質量と加速はばかにならない、無事に軟着陸できるよう調整する。
「――っ!?」
集中していると、ノルブリンカの体が最大限に緊張した。
視線の先を確認してぼくも息をのむ、襲撃者が闘技場に乗りこんでいたのだ。
「アユムっ落とせェ――!!」
「え……っあ! わああノルブリンカ――!?」
有無を言わせぬノルブリンカの叫びに手を離してしまう。
心臓が跳ね上がったがもう遅い、落下の振動に続き土埃が巻き上がる。だが同時に鬨の声もあがり、無事に降り立ったのだと胸をなでおろした。
「心臓に悪いなあ、さすがはS属性というべきか――…とぉ!?」
安堵したせいか集中力がとけ、立ち眩みのような倦怠感が襲ってくる。どうにか意識は保てたけど、首筋に冷や汗が流れ息が上がって苦しい。
「飛翔」はまだまだ、使いこなしてるとは言えない――。
「鳥じゃあるまいし……アユム、あんたいったい……」
どんな「力」を啓いたんだ――襲撃者を無造作にぶん殴りつつ、ノルブリンカはぼくを見上げ動揺していた。
しかし破顔する兵士によって、意識がアマゾネスに向けられる。
「――姐さんっ!!」
「おう、皆は無事かっ!?」
シュヴーアハンドで返し、フルフェイスでわからないが笑い返す。
「アマゾネスにちょっかいかける輩は、返り討ちですよ!」
「姐さんにウチらの雄姿を見せる、いい機会だ――っ!!」
近場の襲撃者を蹴り飛ばし、兵士が我先にと報告していた。
手足に血がにじむ包帯を巻きながら、誇らしげに腕を掲げる。
「どうやら味方……みたい、だな」
過客が現れたプレートアーマーに腰を抜かしていた。兵士の様子から賊ではないと判断し、ようやく緊張を解く。
驚かせてごめんね、ここはノルブリンカにまかせていい。
気がかりはまだ残っている、立ちのぼっていた煙の確認を――…。
「わ! わっあれ! ちょっと! で~~~~っ!」
ぼくはコントロールを失い、フラフラと蛇行をくり返して闘技場に不時着。
砂埃に包まれ、寝っ転がったまま喘ぐ。
「ああもう……しまら、ない……っなあ」
「きゃあっアユムさま!? いっいつお帰りに……」
「おい坊主、大丈夫か!?」
気がついた市民が叫び、兵士が駆けつけ助け起こしてくれた。
このまま寝ていたかったけど、なによりも確認しなければならない点がある。
「ぼっぼくは平気です、それより兵士の方に……領民に犠牲者は、出ましたか?」
ぼくは祈りにも似たまなざしで返事を待つ。
兵士は質問の意味を理解し、ひとつうなずいて背をたたく。
「安心してくれアユム、皆ケガはしてるけど命に別条はない!」
やっつけてやったと、たくましい顔で笑う。
打撲に骨折に切創――重軽傷はあっても、命にかかわる重体はいない。
報告を受けながら、言葉が頭に染みこんでいく。大きく息を吸って吐き出す……やっと精神を取り戻せた。
「……よかった」
急激に力が抜けるのがわかり、慌ててまだ終わっていないと活を入れる。
「よう坊主、姐さんといっしょに帰ってたのか!」
「あっアユムさま、ケガをされたんですか!?」
領民の集合場所に向かうと、兵士や市民が声をかけてきた。
二か月ばかり滞在し顔見知りも多い、無事を確認できて意識が整っていく。
「お帰りなさいませ、アユムさま」
蝋板を手に張りのある声で、家政婦長が避難の指示をしていた。
「あっ家政婦長、遠目ですが煙がのぼっていました! 盗賊が放火をして、火事が起こったのですか!? すぐに水樽を開放しなきゃ……そっそうです、火災訓練の指揮を執って――」
「ええ、遊撃隊に何事か起きたようです。兵に状況を知らせ、類焼を防ぐよう通達しております――アユムさまっ!」
「えっあ……はっはい!」
「貴方さまがうろたえてどうするのです! 婿らしくドンと構えてらっしゃい!」
慌てるぼくを心を、大人の凛とした瞳がたたく。
「ゴホン……では取り急ぎ状況の経過と、現況をお知らせいたします」
煤や泥が手足に衣服に点在していた。だけどいつもと変わらぬ姿勢を見せられ、市民はどれだけ勇気づけられているか。
若き領主や経験のともなわないぼくでは、到底成し得ぬ年長者の振る舞い。
落ちつけと自分に言い聞かせ、低く息を吐いて報告に耳を傾ける。
「それ以降ジャーラフさまの、遊撃隊の動向はわかりません。ノルブリンカさまがお帰りになられたのなら、闘技場は大事ないですね。領民は今夜このまま、つめておいたほうがいいでしょうか?」
すでにアマゾネスを襲撃した者は大半が逃げ、ノルブリンカが追撃は街中だけでいいと指示を飛ばしていた。
確かにこれ以上被害を重ねることはない。
窮鼠猫を噛む――追いつめられた盗賊が居なおり、逆襲に転じる可能性もある。
「リスク回避にはそのほうがいいですね、衛兵を配置して警備を――…」
「きゃあああっ!?」
「おい……クソっ!」
別種の騒ぎが起こり視線を追う。襲撃者が逃げるときに火を点けたのか、街中でさらに複数の煙が発生していた。
右往左往し悲鳴と混乱の声が挙がる。
先ほどのぼくも同じだったろう、家政婦長に感謝して息を整えた。
「皆さん落ちついて! 繰り返した火災訓練通り、速やかに対処してください!」
大きく手を打ち鳴らし、できるだけ通る声で記憶を刺激する。
沢から離れた場所には、水をためた大樽を設置しておいた。避難訓練に合わせ、火災訓練もすでに実地していたのだ。
「防災設備の水樽は把握していますね、各住居区ごとに点呼してグループ行動! 本番こそが練習通り――慌てず! 焦らずです!」
「そっそうだ、以後の延焼を避ける……はっはい!」
「報告・連絡・相談……よっよし、衛兵集合しろ――っ!!」
くり返し復唱する姿に、無理やり笑顔を作って送り出す。
「伏兵がいる可能性もあります! 皆さんは必ず衛兵と共に行動してください!」
「はいっ!!」
家政婦長がほほえまれた気がして、なんだかうれしかった。
大扉が開かれ、衛兵と連れだった市民が担当地区に散っていく。
上空からは見ていたけど、あらためて闘技場前の広場に向かい辺りを見回す。
「彼らが……」
深いケガを負った男たちが倒れている。武器を外して一か所に引っ立て、端から縄で縛られていた。
街おこしに奔走したアマゾネスに、わだかまる悪意の異物感。
「――っ落ちつけ、今は冷静になれ!」
ここでぼくがざわついてどうする、上に立つ者は常に感情を押し殺すべきだ。
家政婦長の戒めを忘れるなと、頬をたたいて胸を張る。
「勝って兜の緒を締めよといいますっ! 夜が明けて安全を確認するまで、最後の踏ん張りどきだと肝に銘じてください!!」
「兜の緒か、なるほどうまいことをいう!」
「さすがは婿さんだ――!」
ついことわざを叫んでしまい、兵士が脱ぎかけた兜をたたいて笑いが起こった。
緊張に固まっていた兵士が息を吐き、ぼくはふと違和感を覚える。人垣を追って視線が流れ、意識が集約されていく。
まだ闇夜のなか、松明の光が届かない足元に小さな影。
「通してください! すみません!」
ぼくをみつけ、王冠をかぶった蛇が見上げていた。
「カレシー、おいで!!」
「シ――――~!」
ぼくが両手を広げると、カレシーが走ってきて飛びつく。
「シ――シ――」
「ごめんカレシー、遅くなっちゃって」
頬に顔をすり寄せてきて、ぼくも無事を喜び強く当て返す。
外れてしまったのか、赤いマントを体に巻いていた。不安にウロコをさすってもケガをした様子はない、だけど若干違和感が……。
「あれ? シーちゃんの王冠、少し大きくなってない!?」
光のかげんじゃない、明らかに輝きも増している。
体もひと回りたくましくなって――疑問に見つめていると、マントを鼻でつつきつけてくれとねだった。
「シーシ――~…」
「うん、はい……っ!」
マントを取り、あらためて首元で縛り蝶結びにする。
楽しそうに鎌首をもたげ、体を振って広がりを喜んでいた。ずいぶんとお気に入りになったんだね。
「みんな! シーちゃんを踏まないでください! 道をあけて!」
「いやシーちゃんはすごい! さすがはアユム卿の獣者だ!」
遊撃隊のメンバー、スコグルとゴンドゥルも現れる。
「赤マント」の二つ名を持つ賢いカレシーは、すでに街の人気者。それにも増してカレシーは見事だったと、口々に褒めて下にもおかない称賛っぷり。
だけどぼくには聞こえていなかった。
ジャーラフの気配を確認した途端、意識は一点に集中していたから。
「カレシーは脱皮したんだ」
振り返らずともわかる、不機嫌なジャーラフの声。
いつもどおりの声に胸がつまる。ジャーラフは人混みを離れ、半透明の破れた皮を両手で持っていた。
「言いたくはないが命を救われた、その件に関しては――感謝してやる」
口を尖らし複雑な表情で、皮を手渡そうと歩いてくる。冷静になれと幾度もくり返した理性を、感情が凌駕した。
ぼくはカレシーを首に巻きつけたまま、ジャーラフに走り寄って抱きしめる。
「にゃっ!?」
「わあああ――――~っ!!」「ええええ――――~っ!?」
周囲から起きる、歓声と疑問の絶叫。
それも気にならずジャーラフの体を放し、肩を力いっぱい揺すってしまう。
「ジャーラフケガはない!? 限界を越えたりとか、痛いところはないっ!?」
「おっおい、アユムっ!?」
返事を待たずに腕や腰や太ももを軽くたたく、ケガをした形跡はない。
頬を挟んで持ちもう一度間近で見た。少年を思わせる精悍な顔立ち、ウェーブのかかった黒髪には猫の耳が立つ。
驚きで固まり言葉に詰まって赤面する、困惑できるくらい無事なんだ。
「よかった――っ! ジャーラフ本当によかった!!」
ぼくはさらに強く抱きしめた。
嫌だろうけど、ごめんな。
「ごっごめん『風舌』で知らせるつもりが……調子に乗って長距離は使えなくて」
ぼくの勢いに押されたのか、珍しくジャーラフが戸惑いながら弁明をする。
「いいんだ……これはぼくの気持ちなんだから、『力』を使う必要はないんだ」
抱きしめたまま答えた。
「飛翔」を使った影響か、今になって膝が揺れ力が抜けてしまう。襲撃の知らせを受けたときの恐怖がよみがえって、へたりこみそうになる。
心臓が早鐘となり高鳴っていた、ただ……無事を喜んだ。
☆
「――ハッ……ハア、ハア……ハア」
少し遅れてマーラもアマゾネスに到着する。
胸をわしづかみ滝の汗を流し、息も絶え絶えに周囲を見回した。アユムが使った奇妙な「力」も気になる、だがそれよりも……。
一度深呼吸し、避難場所とされる闘技場に小走りで向かう。
「こっちだ、一列にならべ――っ!」
「間が空きすぎよ、もっとつめて――!」
通りの建物が何軒か燃えて煙がのぼっており、消火活動の声が響く。
行動することで受けた衝撃を和らげようとしているのだ。だがふとした気の緩みから感情に浮かび上がり、顔をおおい肩を震わせてしまう。
煙に包まれた建物を見上げ、目を潤ませ呆然と立ちつくす。
「あっマーラさまも、帰ってきてくれたんすね!」
「えっマーラさま……?」
気を張れと発破をかけていた衛兵まで、マーラを見つけて明るくなる。
変な人だけど悪い人じゃない、理解している市民が目頭をこすり――驚いた。
汗だくで喘ぐマーラの全身から、淡い光がもれていたのだ。
「……どきなさい」
大量に水の張った大樽を、汗を落としながらも両手で軽々と持ち上げる。
煙をあげる建物に、コップの水を撒く手軽さでぶちまけた。二階から一階へ――周囲を照らしていた炎が消え、白い煙が立ちこめる。
空になった樽を放り投げ、止めとばかりにもう一樽ぶっかけ完全に消す。
「おっおお……やっやる――~っ! さすがは因果伯だ!!」
「お手数をおかけして……あっありがとう、ございます!」
背に歓呼に受けるマーラの表情は、濃い影をまとっていた。
いつもの笑みが消え、表れているのは深い怒り。
「……っ因果伯!?」
疑問の声に重なって、数人の男が建物の陰から現れる。
手には剣や斧を持ち、そうでなくとも明らかに盗賊の気配だった。マーラの姿を目にし、隠れてやり過ごさず飛び出したのだ。
表情を歪め足を引きずり、痛いのは敗走かケガか。
「けっ……どんなバケモンかと思や女じゃねえか、やっぱハッタリだったか!」
「さっきのはいったい何だ? てめえがやったのか!?」
「ちっもういい、このままじゃ腹の虫がおさまらねえ! 殺っちまえっ!!」
賊の一人が人質を取ろうと、手近の市民に手を伸ばす。
しかし伸ばした手は、触れることすらできなかった。
「――っえ?」
漆黒のマントが閃くと、肩と肘の間に関節を増やされる。
「……離れてなさい」
賊の腕を打ったマントが石畳の上にひるがえり、青黒いコタルディが舞う。
マーラが幽鬼のごとく逆光に浮かび、襲撃者の前で仁王立ちになった。
「ぎゃああああ――――っ!! 腕があ、俺の腕がああああっっ!!」
「なっなんだおま――…」
賊が発した疑問を、マーラの足が風を切ってたたき落とす。
「人が枯葉みたいに舞うのを……初めて見た」
驚愕か恐怖か、居合わせた衛兵がのちに震えながら語る。
昨日の戦いと五〇キロを走破した疲労がなければ、どうなっていたのか。現れた五人の男は一撃で吹き飛んだ。
石畳を転がり壁にたたきつけられ、うめき声をあげ大半が気絶した。
「ひぐ……っ!? あっま待て、待ってくれ! わっ悪かった、許してくれ!」
「とっ投降する……っ! 俺らは首領の命令にしたがっただけ――…げえっ!」
なんとか意識を保った二人の言い逃れも許さず、腹をかち上げる。
胃液を撒き散らしながら、糸の切れた人形が夜空を旋回して落ちた。
「ひっ……ひいいいい――――~っっ!!!」
生き残った一人が蒼白となり、悲鳴をあげ後ずさる。やっと理解できたのだ――自分たちが何に、誰に手を出したのか。
気が収まらないマーラは、折り重なって気絶する賊に「力」を使う。
「封印しておいてと、言ったのに……」
のちに話を聞いて、アユムは頭を抱えて嘆く。
アユムはマーラの感情が高ぶっているのを察していた。
同時に街についていれば止められたのに、おじさんの忠告を忘れ突っ走った自分の責任だと深く反省する。
心の奥で「よくやった!」と、手を打ってはいたけど……。
『炎生』!
足元に「カーン」に酷似した文様が浮かび、淡く発光する。
石畳を蹴り砕き、マーラのハイヒールが青く燃えた。
「全員っ消し炭にしてやる」
「ゆっ……ご、まっま――――~っ!」
淡々と語るマーラに、腰を抜かした賊が逃げようともがき泣き叫ぶ。
衛兵や市民は何が起こっているのかわからなかった。ノルブリンカの「邪土」は何度も見ていたが、「カルマ」自体は知らないのだ。
悲鳴をあげる賊に近づくマーラを、止められる者はいない。
「えっマーラさま!? マーラさま、やめてくださいっ!」
彼女の炎がどれほどの威力か、間近で見続けたバンダ意外は。
「もう十分っス、あなたのすばらしい『力』は、こんな奴らにゃもったいない!」
「……こいつらは、それだけのことをした」
マーラの無表情な怒気。
バンダも消火活動に参加していて、騒ぎで気がつきマーラの前に立ちはだかる。
「こんな奴らどうでもいいんスよ! 降参してる奴を相手に、マーラさまが――」
バンダの説得は最後まで続かなかった。
マーラの張り手が左頬をとらえ、体を半回転させ膝から崩れ落ちる。
ノルブリンカを下がらせる腕力。蹴りじゃないだけマシ、などと言えない破裂音が焼け跡に鳴り響く。
鍛冶場で鍛えた体でなければ、無事ではすまなかった。
賊へつめ寄ったマーラは、足を引かれて歩みを止める。バンダが倒れながらも、青黒いコタルディの裾を握っていた。
頬が青く腫れ上がり、大量の鼻血が流れ落ちている。
「アユムさまば、自分の得にもだらないのに、皆が喜ぶからやるっでお方なんス。踏んでいただきだいっでのは、正直よぐわからないっスけど……マーラざまど鉄を打つのは、楽しかっだっス」
旅の仲間だと笑いかけてくれる、奇天烈な貴族――肉の焦げる匂いと音がする。
燃えるハイヒールに、バンダの手が触れくすぶっていた。
「――バンダ!? 放しなさい、手が! 鍛冶屋の手がっ!!」
「マーラざまァ!!」
バンダが火傷した手で、屈んだマーラの頬を弱々しく打つ。
それでもマーラには、十分な衝撃の痛さが広がった。バンダの気持ちが熱い塊となって胸に集まり、全身に広がり満たしていく。
気がついたのだ、これこそが痛みなのだと。
「バンダ……」
ハイヒールの青い炎が静かに解除されていった。
「マーラさまば人を暖める炎っス! 人を豊かじする炎っス! どうかごんな奴らのせいで、汚れないで下ざいっ!!」
火傷の痛みに汗が吹き出し顔が歪む。
「マーラざまは、俺の女神様"っス!!」
視線が交差する、真剣な鍛冶職人の……プロの瞳。
マーラは目を背けて空を見上げ、深々と嘆息する。再びバンダを見る表情には、呆れたような困った笑みが戻っていた。
「……お世辞言っちゃって、もう」
「へへ……っう!」
返答に安心したのか、バンダも笑おうとして痛みにうめく。
「バンダっ! いっ今按手を、按手使うから待って!」
「アン……シュ?」
マーラの両手が大きく淡い光を放ち、バンダを包んでいた。
「ああっ誰か火傷を冷やす水を! 樽の水は――全部ぶちまけちゃった!?」
周囲に問う間もあらば、バンダをお姫様抱っこしてアラヤシキまで駆けだす。
軽々と抱き上げられたバンダの胸中は、複雑だったろう。
「大丈夫バンダ、私がきっと治すから! ごめんね、ごめんねバンダ……っ」
ありがとう――。
☆
――ノルブリンカは盗賊を追い返し、気配を探りながら街を見て周る。
闘技場に戻り皆の無事を確認すると、力が抜けて座りこむ。黄鬼と恐れられた、サンフラワー色のプレートアーマーがうなだれていた。
安堵し心が落ちつくと、自己嫌悪がわき上がってきたのだ。
「親父を批判していたくせに……自分は決断を、怠ってはいなかったか?」
木柵と空堀では足りないと自覚していた。それなのに抑止力がうまくいったのを理由に、市壁建造を後回しにしてはいなかったか。
皆が無事だったのは結果論でしかない、誰もが犠牲になり得たのだ。
「襲撃を許したのは領主の、あたしの……せいだ」
無力感にさいなまれ、心が沈んでいく。
「なに言ってんすか姐さん、あたしら誰も姐さんに完璧を求めちゃいねえですよ」
急に落ちこんだノルブリンカに、スクルドが呆れ顔で宣言する。グン、ヒルド、ゲイルスコグルに集った兵士、市民も当然だと笑う。
ノルブリンカは顔を上げずに声だけ聴く。
「だいたい優勝者のワイン取り合って、暴れる領主がどこにいるんですかい」
スクルド……だって飲みたかったんだもん。
「鍛錬してる端から素手でぶっ倒してったら、練習になりゃしませんぜ」
グン……だって見てたら体がうずいたし。
「盗賊退治はいいですけど、領主が先陣を切って飛び出すのは危険ですわ」
ヒルド……だって一番に駆けつけられるじゃん。
「隣の席の肉に手え出すのは止めてください、いやマジで」
ゲイルスコグル……ってかおまえら言いたい放題だな。
ノルブリンカの気持ちがなんとなく浮上した。そもそも長い間、落ちこんでいられる性格ではないのだ。
「だけど貴族の残飯じゃない、あたしに用意された料理を食わせてくれた」
スクルドは懐かしさに目を細める、あれがきっと「食事」と呼ぶのだ。
異口同音の声があがり、ノルブリンカはやっと顔を上げる。
「姐さんは領主じゃない、欠点だらけだから――あたしらの姐さんなんだ!」
包帯を巻き痣を作りすり傷に埋まりながら、皆笑っていた。
ノルブリンカのプレートアーマーが弾け、割れて欠片となり落ちていく。彼女の心情を表し舞い散っていく。
「姐さんは因果伯だ、今回にかぎらずいつ街を離れるかわからない。頼りない妹だけどあたしらが抑止力になって、『家』を守って見せる!」
スクルドが胸をたたき、周囲の兵士は拳を握って同意する。
「命令系統の一本化、部隊の適切な配置、指令の対応速度――今日の襲撃を戒め、坊主の教えを生かせるよう訓練しましょう!」
若手の兵士が叫び、新たな目標に瞳が輝き盛り上がった。
「坊主探しだって、しなきゃなあ」
グンが混ぜっ返し、離れて騒ぐ集団に目を移す。
ジャーラフに抱きつくアユムを見て、姐さん振られたなあと笑いが起こる。
「見ててくれ姐さん、汚ったねえガキもおかげで強くなれたんだ! 放っといても大丈夫だっていえるほど、もっともっと強くなるから――なあ皆っ!!」
「ラウレア――ッ!!」
スクルドの呼応に、地響きのごとき返答が返った。
「王国にひとつくらい、こんな街があってもいいじゃないっすか!」
『王国にひとつくらい、こんな街があってもよかろう――』
かつて「あの少女」が発した言葉と重り、ノルブリンカは言葉を失う。
少女の瞳はなにかに抗い、強く激しく輝いて見えた。
たとえ女性が中心となって運営をする街を造ろうと、「カルマ」を啓こうとも、常識の呪縛からは逃れられない。
地位、権利、生命――女性の身分は、社会の底辺におかれる時代。
だがこれより五百年後、この三重苦と戦った盲目の家庭教師が生まれる。
『失敗したら初めからやりなおせばいい、そのたび強くなれるのだから』
知るはずもない格言を受け、ノルブリンカは膝に力を入れ立ち上がった。
サンフラワー色の欠片が鳥の巣となり、よみがえったひな鳥が産声をあげる。
「もう一度……何度でも……っ!」
走り続け抗い続ける、それが彼女の「属性」だったから――。
ノルブリンカはこの町を領地として受けるさい、長く伸ばしていた髪を切った。
「領主の息女」であるこれまでの自分を断つ。どこに嫁ぐつもりも婿を迎えるつもりもないと、意思表示をしたのだ。
幸いにも啓いたので、もっと爵位が高くなければ婚姻しないと突っぱねる。
さもなくばパイプ役となり、すでに子を成していたはず。髪も地位も未来すら、自由を得るために返還したのだ。
「それなのに、こんなステキな家族を持てたんだな」
ノルブリンカがスクルドに抱きつき、ヘッドロックをかける。
「ね"っ姐ざんっ!?」
「ヒヨッコのくせに、生意気言ってらあ!」
喉の震えを、ごまかすかのように。
☆
――カレシーはわき上がる気持ちを持てあましていた。
なぜかわからないがムカツク……。
大切な存在が安堵し、心から喜んでいる。それ自体はなにも問題はない、むしろ自分も幸せな気分だ。
しかし自分以外を抱きしめるのは、それは違うのではないか。
カレシーは自身の心が揺れ動くのにイラだち、二人を見比べ眉根を寄せる。
「――ッジャ!」
「にゃ――っ!?」
威嚇の振動を上げジャーラフの腕に咬みつく、なにかせずにはいれなかった。
「なにすんだてめえっ!!」
「ジャ――ッ!!」
総毛立って直立するジャーラフ。本気で痛かったのか目に涙をためて怒鳴るも、それ以上の迫力で叫び返される。
激しく争う二人に、周囲から止めてくれと願われるもアユムは応じなかった。
どこかでマーラが賊を吹き飛ばし、驚愕の悲鳴があがる。少ししてから痛そうな破裂音が鳴り響いた。
ノルブリンカが笑いながら、チキンウィングフェイスロックをかけている。
足元には痙攣する数人の兵士が横たわっていた。
奇天烈な少年は周囲の騒動を、しばらくの間ほほえみながら味わう。




