六十三夜 襲撃
襲撃前の夕暮れ、ジャーラフは周辺を監視するため山中にいた。
猫の耳が外向きにたれリラックスしている。
このごろはアユムにつき合い、街の中や屋敷に寝泊まりしていた。だけど木々に囲まれた枝の上は落ちつくと、だらしなく伸びをする。
物言わぬ葉がささやき、心地よい風が肌をなでていく。
チラリと……お腹に巻きついた蛇に視線を送った。目を閉じて身動きもしない、日中は大抵寝ているそうだ。
オレンジに染まる空に、そろそろ起きるのかなと自答。
魔獣の縄張りがどれほどかはわからない。けれど狼や猛獣が近寄る気配はなく、安全度はさらに増さっている。
余計なことに気を回さずにすみ、実際感謝はしているのだ。
「なぜかわからないがムカツク……」
己の心が揺れ動き、イラだちを隠せない。
アユムはなぜ魔獣なんかを大切にしてるのか。従者と呼び懐に入れ、あまつさえ名をつけ親しげに呼んでいる。
なにかにつけ話しかけてるし、気配はいつも優しかった。
「――何なんだあいつはっ!」
うっかり声に出してしまい、慌てて口を押える。
振り返ってみれば最初から変な奴だった。
恐れ知らずで目が離せない、勝手気ままに行動するし、わけのわからん物を作る――まあメシは認めてやるけど。
何度か料理してるのを見た、意識をすべての鍋や窯に向ける離れ業。
いつの間にか次点の食材を用意し、狙いすまして投入する。忘れかけてた窯からベストのタイミングで取り出し、すでに次の工程へ向かっていた。
「どうしてあんなに手際よくできるのか……さくらんぼのカスタードプディング、おいしかったにゃあ」
悔しくはあるが喉を鳴らし、舌なめずりをしてしまう。
だけど魔獣が襲撃してるときにウロウロするのはどうかしてる。わざわざ助けにいったのに子供を託すとか、そら見ろ自分は死にかけたじゃないか。
頼まれてもないのに盗賊に立ち向かい、苦労だけしていた。
「そのくせやたら女が寄ってくる、嫌なら断るべきだ! ボクは――そうだボクは監視だから、仕方なく守ってやってるんだぞ! 余計な手間をかけさせるな!」
尻尾がピクピクと小刻みに動く。
いくら自問しても、なぜあいつの言うことを聞いたのかわからない。わからなさがさらに感情を複雑にする。
プレゼントされたシューズは手放せないお気に入りで、無意識に触っていた。
ヴィーラ殿下に仕えて四年。
姉――ジャーレーと誠心誠意務めてきた、それが誇りとなっていたのだ。
それなのにアユムを前にすると、何かが崩れる。
「なんで殿下は……召喚したアユムに対して、妙に冷たいのかな?」
ヴィーラ王国の未来に関わると言いながら、「悪あがき」だと突き放す――。
そんな疑問がときに浮かび、浮かんだ自分にうろたえた。
なにいってる、殿下のなさりように疑問を持つのか!? あんな奇天烈な奴は、冷たくされて当然だ!!
己を叱咤しつつも揺れる心。
「そりゃあアラヤシキから独りでこちらに来たアユムは、たいへんだろうけどさ」
ボクにはお姉ちゃんがいた、だけどあいつを知ってる奴はいない。暗い森の中で取り残される、声にならない孤独。
それがどんなに怖いか、どんなに辛いか――。
ヴィーラ殿下の顔にアユムの顔が重なる。ジャーラフは口を尖らせ、認識不足な感情を持てあます。
「――っ!?」
内心とは別に猫の耳が鋭く反応し、山奥に複数の気配を察知した。種族としての能力であり、只人には到底達しえない感覚。
枝の上で危なげなく立ち上がり、目を閉じて意識を集中する。
アマゾネスの街を挟み、包囲すべくうごめく集団の「カルマ」――それは市民の光とは明らかに違う、意志のある悪意を発していた。
「シ――~?」
ジャーラフの意識の変化に、お腹に巻きついた蛇が覚醒する。
「カレシー、つかまってろ!」
音も立てずに飛び降り、枯葉を蹴って駆けだす。
木々の間にあっても影すら残さない速度。彼女に遅れて鳥が数羽、悪意の気配を察して山奥より飛び立つ。
「間にあうか……っ!」
漆黒のマントがはためき、ジャーラフは黒い風となって森から飛び出した。
「誰かっ!?」
「……あっ! あっいや、失礼しました!」
巡回中の市民は、気配もなく現れた影に驚いて誰何する。
しかし領主――姐さんの連れてきた客だとわかり、緊張をとき剣から手を放す。
「盗賊が迫ってるっ! 『非常事態発生』を吹いて皆に知らせろ、急げっ!!」
ジャーラフは叫ぶと即座に駆けだした。
領民を見るたびに襲撃を伝え、避難場所である闘技場を目指して疾走する。
「えっ盗……あっ! わわわわあ――~っ!」
市民は数舜して理解し、持っていた角笛を吹き鳴らす。婿殿たっての願いと実施された避難訓練により、市民の動きは見事に統率されていた。
初期行動の迅速さがすべてを決定づける。
盗賊は二手にわかれ、街の様子を探りつつ日暮れに強襲する手はずだった。
しかしまだ夕暮れなのに遠くで角笛が鳴る。発見されたのかと気配を探ったが、街までは距離がありわからない。
しばらくして放っておいた斥候が慌てて戻ってきた。
「奴ら闘技場に集まってる、あっこに逃げこまれたら面倒だぞ!」
『――っお姉ちゃん聴こえないの!? お姉ちゃんっ!!』
角笛が響くなか、ジャーラフは誰よりも早く闘技場に到達している。
月の瞳に映った光景を姉――ジャーレーに伝えているのに、一向に返答がない。
「くっ……こんなときに」
白壁上に立ち、再び集中して悪意の「カルマ」を追う。
文様を啓かねばそこまで「力」は使わない。まぶたに淡い光が灯り、山奥を移動して街に侵入を図ろうとする盗賊をとらえた。
危険を発し立ちのぼる光――約百五十。
盗賊の意識はすでに街の中心地、闘技場に向けられている。
「こちらの動きが斥候にバレたな。どうやら領民の集結地も把握されてる、事前に偵察がきていたか」
ジャーラフは対象者の発する光で、意識の方向を測ることができた。ゆえに裏をとって瞬時に現れることができるのだ。
幸いにも襲撃者の範囲内に、「カルマ」を啓いた者の光は視えない。
「啓いた者がいたら、防御ではなく逃走が優先となってたけど……」
S属性なら六メートルの石壁など軽々と飛び越え、防御の意味をなさないのだ。
だが安堵はできない、ジャーラフ同様に気配を閉じる術を持つ者もいる。
「例の変な窯に向かう意識はない、ならば狙いは剣闘士競技会の収益か」
アユムに――ノルブリンカに伝えれば、大急ぎで駆けつける。闘技場で籠城し、到着まで耐えればいいのだ。
それなのに、なぜか姉と連絡がつかない。
夕日と反対の地平線を見ると、弓の形に光を残す三日月がやっと昇ってきた。
「ボクの『力』だけじゃ、サーガラまで遠すぎる……せめて上弦の月だったらっ」
ジャーラフの「風舌」が届くのは、地平線までの四キロ強。高台に上ればさらに広範囲となり、夜半は月の満ち欠けに「力」が左右される。
苦々しく月を睨んでも、同じ名を冠した衛星は応えてくれない。
ならばと避難を呼びかけようにも、領民は過客ふくめて四千人規模。マナスルの魔獣騒動よりはるかに多いのだ。
それは「風舌」の限界を意味した。
どうあろうと伝えれない領民がでる、生死の順位をせねばならない。
アユムにつき合って二か月も滞在していた。危機を防げる兵士、避難する領民、健康な者、病気やケガをしている者、未来ある子供、英知ある大人――。
切り捨てなければならない市民の顔が浮かび、苦悶の表情に汗が流れる。
「一人でも多くの領民を……だけどっ!」
ボクの「力」はすべて――…ヴィーラ殿下、どうすれば。
「シ――ッ!」
いつの間にか首元まで顔を伸ばしていたカレシーが震え叫ぶ。
ジャーラフの尋常ではない決意に、威嚇したのだ。
「カ、カレシー?」
意識が覚醒し、自分が肩で息をしていたのに気がつき咳きこんだ。
「ジャーラフさま、不可思議な『力』は……あまり使わないでくださいね?」
振り向けば、揺れる髪の兵士――スコグルが不安げに見上げていた。
「ジャーラフさまも姐さんと同じ、インガハクなんでしょう? 国の要と呼ばれる方に無理をさせないでと……させちゃダメ、かなって」
「っおまえらの街じゃないか! このまま何もせず放っておけば、逃げ遅れた奴がどんな目にあわされるか!」
「もっもちろん全員大切な仲間です! そうではなくって――~…ええっと」
うまく言葉にできず、スコグルは困って両手をもてあそぶ。
「もう話してもいいんじゃねえか? この娘決意した顔してるし止まらないぞ」
戦斧を持つ兵士――グンが苦笑しながら歩み寄ってくる。
スコグルは迷いながらも了承し、いったん背筋を伸ばす。
「アユムさまにお願いされてるんです。ジャーラフさまに限界まで『力』を使う、無理はさせないでほしいと」
気にするから黙っててほしいとも言われて……と下を向く。
ジャーラフはアユムなら言いそうだなと、なぜだか不機嫌になった。カレシーが首を傾け、表情の読めない顔で覗きこんでくる。
「……なんだよ!?」
心の揺れが増大し、カレシーが震えていないのに言い返す。
「姐さんみたいな『力』を持つ娘を、心配するってのも変な話だ。だがなあ坊主の顔を立て、ここはあたしらにまかせちゃくれないか?」
グンがスコグルの肩をたたき、闘技場に視線を送った。
「こんな問答をしてる暇は……っ領民に避難を、伝え――…」
視線に誘導され、闘技場を見下ろしたジャーラフの言葉が途切れる。
「ウチらのためにありがとうよ。あんたもあの坊主も、大したモンだ」
「格言にもある、ゆっくり急げ――っ!!」
「そうだ! 姐さんならどんなときだって笑ってら――っ!」
危険を知らせる角笛が続けて鳴らされていた。
闘技場の大扉が開放され避難が呼びかけられている。市民が過客に注意喚起し、引っ張ってともになだれこむ。
各住居区ごとに点呼し、人数を確認する声がこだました。
客席の椅子に使用していた木板は、立てならべて弓矢や投石の盾となる。兵士は常備されている甲冑を身にまとい、誰に指示されるでもなく配置につく。
かぎられた時間をおろそかにせず、誰もが迅速に行動していた。
くり返した避難訓練には余裕があり、過客は規律正しい動きに安堵する。盗賊が身近にある世界では、命の危険に直結するのだから。
ジャーラフは一糸乱れぬ行動に魅入ってしまう。
「アユムが避難訓練とやらを指導してたのは知ってたけど、ここまでとは……」
目を閉じ意識を集中すると、街から領民の姿が消えていた。
危険を呼びかけて街を周っていた、顔に傷のある兵士――スクルドが走りこみ、全領民の避難を確認すると大扉が閉じられる。
「見事……だな」
ジャーラフは手際のよさに舌を巻く。
スクルドが人差し指と中指、そして親指を立てるシュヴーアハンドで破顔した。
☆
三日月の細い光が街を照らし、闘技場の巨大な姿を浮き彫りにしている。
白壁上の歩廊に現れた人影が松明を投げた。大扉前の広場にザワリと影が揺れ、波となって数十人の盗賊が現れる。
抜き身の剣やチェインメイルがギラリと光った。
彼らにとって予定外が続き、困惑と怒りに顔をしかめている。日暮れに街を両端から包囲し、混乱のなか人質を取り見せしめに数人殺す。
脅して剣闘士競技会の収益をいただく段取りだった。
それが接近を感知されて、なにもしないうちに守りを固められてしまう。手出しできなくなってしまったのだ。
「女だけの街だ、意のままに牛耳れる……」
盗賊の首領はすでに血を吸っていたはずの剣を、イラだたしく鳴らす。
「傭兵といってもしょせん女の細腕、いかほどがあろうか……」
ブツブツと何度もうなずき、幽鬼の目はどこを見ているのか。
周囲の賊は不審がりながら、言葉にはしなかった。
「てめえらここが誰の街か知ってんのか! 因果伯に刃向かって、のうのうと盗賊していけると思うなよ――っ!!」
サンフラワー色の兜が鈍く光を発する。
スクルドが白壁上から、怒号と呼ぶべき迫力のある雄たけびをあげた。
「いっ因果伯の……街?」
誰も聞いていなかったのか、盗賊からざわめきが起きる。
数人が首領に批判の視線を向け、返答代わりに怒鳴られた。
「ハッタリだ! 因果伯がいるんなら、もったいつけずに出てきてるだろうが! 女の浅知恵にいちいちおたつくんじゃねえっ!!」
威圧されたのか納得したのか、再疑問の声はあがらない。
「因果伯がいねえのは知ってる! 大人しくそっから出てくりゃ、傷持ちでもたっぷりかわいがってやるぞっ!!」
首領が闘技場に向かって挑発し、鼓舞されて周囲からも下卑た揶揄があがる。
ジャーラフは首領の言動に違和感を覚えていた。質疑する前に別の気配を察し、猫の耳がクルリと半回転する。
「っヒルド! くるぞ!」
「ジャ――ッ!」
ジャーラフとカレシーの叫びに、美しき髪の兵士――ヒルドが驚き反応する。
盗賊が集まる広場の反対。
対面する場所にロープが飛び、何本かが木柵にかかった。慌てて数本切り捨て、上っていた賊が落ちてうめく。
木柵から顔を出した賊にヒルドの剣が舞い、絶叫と鈍い落下音が重なる。
「ぎゃあああ――――っ!!」
「危ないですわねえ、惑わされないようにしないと……っ」
意識を正面に向けさせ、裏から奇襲をおこなう。
戦に慣れた軍隊であっても、部隊行動を熟知していないとこの陽動をくらった。
「ちっ……オイ!」
「オラ、どけどけ――!!」
盗賊の首領は奇襲の失敗に舌打ちし、後方に合図をすると集団が割れる。
十数人が数本の丸太を束ねた、太い杭を吊り下げ現れた。闘技場に逃げこまれたのを知るや、住居を打ち崩して破城槌を作ったのだ。
「おお――――っっ!!!」
太い杭を構え雄たけびをあげ、闘技場の大扉に突進する。
しかし衝突の直前に拳大の石が飛来し、数人が撃たれて雪崩を起こし崩れた。
「ぎゃあっ!!」
「ってえ! ちくしょう――っ!!」
「なんっ……だあ!?」
広場に盗賊の絶叫が響き、罵声をあげのたうち回る。無事だった者も杭の重さに膝をつき、たたらを踏んで即座に立ち上がれない。
風を切る音に白壁上を凝視すると、影になりながらも何かを振り回す姿。
「放て――っ!!」
号令に従い、信じられない速度で石が飛来し――それが最後の光景となった。
投石器――「スリング」は矢などの貫通武器ではなく、打撃武器である。
チェインメイルや革鎧を着ていても、当たれば骨折。あるいは重度の打撲傷、頭部に受ければ即死だった。
遠心力を利用するので、男女の差なく威力を発揮することができる。
それが六メートル高さから、重加速度をつけうなりをあげるのだ。弾は闘技場に大量に使われているレンガを、市民が斧や薪で砕き集まってきた。
次々と撃ち出されるレンガに、賊は為す術なく建物の陰に隠れる。
倒れた仲間を助けようと、板を盾代わりにした者もいた。だが板ごと撃ち抜かれ腕に衝撃を受け、うずくまったところを狙い撃たれる。
女の街だと侮り略奪目的の盗賊に、「荷物」となる盾の所持者は少ない。
レンガを投げ返そうと、上空に向けた時点で威力は半減。矢にはかぎりがあり、しかも姿を現せば数か所から狙い撃たれるのだ。
賊は路上の松明を踏み消し、闇に乗じて白壁を越えようとした。
しかし闘技場に近づけばジャーラフの指示が飛び落とされる。盗賊百五十人中、すでに無事な者を数えるほうが早くなっていた。
「ゲイルスコグルに伝令! 正面の路地、数人が奇襲をかけてくる!」
「おっしゃあ! スリング隊、薙ぎ払え――っ!!」
槍の兵士――ゲイルスコグルが指示を受け、即座に檄を飛ばす。賊の弓兵が顔を出したとたん集中砲火をくらい、矢をあらぬ方向へ放った。
白壁上に立つ隊長を狙ったのだ、後続は舌打ちしてやむなく撤退。
「スコグル方面へ大多数が回りこんでる、注意をうながせ!」
「はっ!」
今ジャーラフのそばに、六名の伝令が控えている。
目を閉じ意識を集中するジャーラフの盾となり、受けた指示を各隊長に連絡する役目も担っていた。
命令系統の一本化、部隊の適切な配置、指令の対応速度――。
六名の隊長を選出して闘技場を六分割に設定し、各部署に伝令をおく。アユムに指導された部隊行動をもとに、ジャーラフが提案したのだ。
誰もが剣闘士競技会でアユムの指揮官ぷりを見ており、一も二もなく賛同する。
ぎこちなく即席ではあっても、試す価値ありと取り入れた。なによりこの場には世界を俯瞰できる、ジャーラフがいるのだ。
「こいつら動きが統制されてる……戦争の経験があるな、傭兵崩れか」
ジャーラフが味方と盗賊の動きを、大銀貨と小石で表す。伝令はすかさず走り、あるいは叫んで隊長が対応。
アユムに教えてもらった、「ナインメンズモリス」を応用したのだ。
剣闘士競技会でアユムがおこなった、「三匹の蛇」にはとてもおよばない。だが暗闇のなかに盤上と複数の光点が浮かび上がる。
「ふん……意思の統一に関しては、アマゾネスのほうが上だな」
六分割された兵士の光が襲いくる賊の光を跳ね返す。
ジャーラフは「力」の新たな使い方に、興奮を隠せないでいた。
因果伯は個別で行動するため、集団戦を遂行したことがない。まして「カルマ」を啓ける者は、そう多くはないのだ。
自分と姉のジャーレー以外、「風舌」使いに会ったことがない。
属性に準ずる「力」すら、基本的にマナスル伯爵から学んでいる。
ほかの「風舌」使いが、過去の「風舌」使いがどのように振る舞ったのか知る術がほとんどなく、機密扱いで記録もない。
離れた者に意思を伝える、それがすべてだった。
「アユムなら、どうしたかな……」
考えて提案した戦術がことのほかうまく機能し、役に立てるのがうれしい。
文様を啓かねばそこまで「力」を使わないとはいえ……すでに数時間、連続しての集中に疲労が蓄積し汗が流れ落ちる。
しかしそれも気にならないほど、ジャーラフの頬は高揚していた。
「すげえ……あれが因果伯か」
「まるで、神の御業だ……」
部隊の適切な配置――アマゾネスの兵士は、姐さんの婿候補と噂されるアユムにいち目置いている。
あまり接点のないジャーラフは、亜人の従者だと誤認していた。
ところが天から世界を見下ろし、部隊行動をつかさどる姿。ただならぬ気配すら発する黒猫に、別種の畏怖が汗となりつたう。
「いけるな……っ!」
スクルドは内心で確信する。
「攻城戦は長丁場が基本だ、メシを食って交代で休憩しろよ! なにより明日には姉さんが帰ってくる、それで奴らも終わりだ!」
周囲は姐さんと聞いただけで、笑みに揺れてていた。
次いで盗賊に向かい、わざと大声で叫ぶ。
「オイいったいいつになったらかわいがってくれるんだ!? ガキは帰ってママのおっぱい吸ってろ――なんだったら貸してやるから上ってきな!!」
スクルドの大笑いに、盗賊は真っ赤になってボルテージを上げる。
「おいスクルドの奴、挑発しすぎじゃねえのか?」
「あたしらにとっても初陣だからな、興奮してんのかも……」
女兵士の幾人かは、焚きつけすぎではと冷や汗を流していた。
「すぐに因果伯が駆けつける! ほ――らてめえらの後ろから襲いかかるぞ!!」
聞こえた賊が後ろを確かめ、暗闇に息をのんだ。
今でも脳裏によみがえる。戦場で重装騎兵ごと兵士をなぎ倒していく因果伯に、生きた心地がしなかったのを。
今にも飛び出してくるのではないか、暗闇が心の恐怖を映し出す。
「襲うって……それじゃあまるで、姐さんが魔獣みたいじゃないですか」
スクルドの物言いに、近くの兵士が呆れて反論する。
「姐さんは魔獣より怖え!」
丁寧に言いなおすスクルドの断定に、周囲から爆笑が起こった。
「怖えよなあ姐さん――!」
「姐さんに比べりゃあ、盗賊相手なんて子供のケンカだ!」
誰もが疲労も忘れ、笑って追従する。
「躾のなってねえバカどもをたたき出せ! 姐さんの街があたしらの家だ!!」
「おおっ!!」
――スクルドは農家の生まれで、物心つく前から親に殴られた記憶しかない。
ケガをしても治療を受けられず、水汲みに家畜の世話にと毎日倒れるまで働く。
怒られないよう家の隅で小さくなって眠った。
「ここで待ってろ……いいな、○○」
「うん、とうちゃん」
あの人は最後に、どんな気持ちで名を呼んだのか。
口減らし――数日待ち続けてようやく、捨てられたのだと理解する。
何日も山中をさまよい、運よく獣に襲われず街道をみつけた。
沢で水を飲み、見かねた行商人が食べ物をくれる。
母や兄の顔が心に浮かんでも、幼いながら帰れないのはわかっていた。
自分を捨てた親の元に居場所はない。
あてもなく歩いた先に、見上げる高き城壁が現れる。
証文がなく門衛にたたき出され、外にあふれる住宅の陰で物乞いをした。
そういうレベルでも縄張りがあって、文字通り死に物狂いで戦う。
親に怒られない生き方が、生きるための戦いに変わる。
だがそれはむしろ、心地よかったのだ。
体力があり腕っぷしはそこそこで、食えない日はあったが自信にもなった。
そんなとき女だけの街の噂を聞き、仲間を引き連れ意気揚々と尋ねる。
「あたしたちがこの街の、兵士になってやるよ!」
傷がなくなるころには大人にだって負けないと、生き抜いた力を誇示していた。
騒ぎに現れた、領主と名乗る褐色の少女が開口一番大笑い。
「汚ったねえガキどもだ!」
「なんだとこのアマ――っ!!」
歳はそう変わらない、ムカついて殴りかかるが簡単にいなされる。
何度も殴られ投げ飛ばされ、ついに仲間は全員が地に伏した。
揺れる足を押さえ当たらぬ腕を振り、一人で立ち向かうがついに動けなくなる。
倒れて震える体は、嗚咽だけをくり返す。
親に命令されていたときとは違う、己の意思で戦い負けた自分が許せない。
「あきらめない」……それがいつの間にか、彼女の誇りとなっていたのだ。
「ふっふざけんなっ! ちくしょう、放せェ――っ!!」
「うるせえあたしの勝ちだ! 黙って食えっ!!」
ボコボコにしておいて抱き起し、無理やり家まで連れていかれる。
初めて椅子に座り、初めて料理を囲み、そいつと同じ物を食べた。
「スクルドってーのか、腹いっぱいになったらまたやろう!」
そして初めて、名を呼ばれた気がした。
まっすぐに口が悪く、呆れるほど強く、放っておけないあたしらの姐さん。
「口ん中が血だらけだったなあ……あんとき食ったパンの味は、一生忘れねえよ」
あれから何度立ち向かったのか、一度も勝てないのがむしろうれしい。
グンと目が合い、口角を上げる。
「お互い、ガッリガリだったよなあ」
言葉は届かなくとも、サーガラで残飯を取り合った悪友と心は通じていた。
アマゾネスの兵士は、ほとんどが同じ境遇である。
――盗賊は闘技場の攻略に難攻していた。
数を割き数か所から同時奇襲しても、なぜか密集地に兵を配置されレンガの雨を撃ちこまれるのだ。
防具のおかげで致命傷にはならずとも、苦痛に耐えるだけの時間を要する。
運が悪い者は骨折し、気絶し転がっている者もいた。
道に落とされた松明を消し、暗闇に乗じてなんとか白壁に取りつく。どういった石組みなのか、白い壁は短剣を刺す隙間も手がかりすらない。
柵に紐をかけ上り出すがなかばを前に切られ、落ちたところにレンガが降る。
盗賊団には攻城戦に参加した者もいた。しかし壁の高さに阻まれ苦戦はしても、今回のように先手を取られ続けた経験はない。
「ここを落とすには、それこそ攻城兵器が必要ではないのか?」
顔にレンガを受け血まみれで叫ぶ仲間を横目に、やっと状況を理解する。首領に打診すべきと、遅まきながら動きだした。
あるいは――と気がつく者も出てくる。
「あるいはこの異様さこそ、因果伯の不可思議な『力』じゃねえのか……」
すべてを見通す「月の瞳」があるなど、想像もつかない。
疑問と疑惑の視線を受け、首領は選択を迫られる。
彼とて混乱していたのだ、なぜこうなったのかと。女を相手に好きなだけ暴れ、満足したら収益金をいただけばいい。
楽な仕事だ、必ずそうなると知っていた。
「因果伯はいないと聴いて……待て、誰に聞いた!?」
俺はなぜこんなことをしてる!? なぜこんな見も知らない街にやってきた!?
気がついて自問するも、答える者はいない。ただこのままでは指揮にかかわる、すでに仲間が何人もやられているのだ。
成果がなくては、立場を維持できない。
窮した首領は、当初の予定を変更する――。




