六十二夜 陽動
馬は時速四〇キロ前後で走れるが、維持できる距離は約四キロ。
常歩を――時速六キロを数十分はさみ、休憩もしなければならない。それ以上は脚や呼吸器を損ない、走れなくなるのだ。
四〇キロの距離を二~三時間で走破できる動物は、そう多くはない。
人類は「歩く能力」では突出していた。時速一〇〇キロのチーター、水を飲まず二〇〇キロを移動するヒトコブラクダ。
日に数一〇キロと長距離歩行できるのも、進化の過程で得た特殊能力なのだ。
アマゾネスまで約五〇キロ。
ぼくはノルブリンカにおんぶしてもらい、マーラさんと三人で王道を駆ける。
これが現状でとれる一番速い移動方法だった。抱きついた手に当たる風が痛い、計測すれば信じられない速度だろう。
ぼく程度では重しにならないのか、ノルブリンカの足は止まらない。
「走り出してから体感で一時間ほどか……ノルブリンカなら五〇キロの距離でも、二時間かからずに走りきれる」
半分以上を走破している計算となる。
しかし王道の隅でキャンプしている過客はいない。もしアマゾネスから脱出した領民がいても、まだすれ違える距離ではないのだ。
状況が知れない、それが焦りをさらに加速させていた。
「ノルブリンカ無理はしないでね、おそらくは……戦いになる!」
動揺するノルブリンカに確認すべきではない。けれど最悪の状況は否定できず、回避も検討しなければならない。
アマゾネス市民が人質に取られ、ノルブリンカが討たれる事態を――。
「……わかった! 振り落とされるなよ、アユムっ!」
まとったサンフラワー色のプレートアーマー、フルフェイスで表情は見えない。
ぼくは両腕に力をこめ首にしがみつく。
「せめて、『飛翔』が使えたら……っ」
ノルブリンカの背に額を寄せた。練習中だがコントロールが難しく、五〇キロの距離を飛べるか判断はできない。
途中で意識が途切れ、墜落する予感が垣間見える。
闇に染まる世界のなかで、希望とばかりに三日月が輝いていた。
――剣闘士競技会の興奮が冷めやらぬ翌日、アマゾネスで角笛が鳴る。
兵士は治療に専念しており、市民が街を巡回をしていたさなかだった。
「プァン・プァン・プァン・プァン・プァン・プァ――――~ン……ッ」
約〇・五秒吹く短急吹きが五回と、約四秒吹く長緩吹きが一回。鉄道の気笛合図を参考にしたこの報せは、「非常事態発生」である。
「外部からの攻撃、即座の避難」を意味していた。
それが間をおき、二~三か所から鳴ったのだ。避難訓練を実施していた市民は、最初の短急吹きだけで反応している。
短急吹きは危険を知らせるときしかおこなわない。
「ほら急いで逃げるよ! 場所はわかってるね!?」
「うんっ! 姐さまの闘技場――!!」
「あんたらもついてきな、こんなとこで死にたかないだろ!」
「あの音は……? おっおいなんだよ物騒だな、わかったわかった」
家にいた者は武器を持ち、外の者も手近の斧や薪を持つ。過客に問答無用で声をかけて引っ張り、避難場所の闘技場へ走った。
食料や物資の保管場所もあり籠城も可能。
堅牢なコンクリートの高い壁は、そう簡単には落ちない。夕日に角笛が重なり、一糸乱れぬ連動に称賛すらわきあがる。
「奇天烈で心配性な婿さん」の指導で、迅速な行動は市民に浸透していた。
「おっうまい! 坊主の作るメシにも、負けちゃいないよ!」
「ありがとうございます! でもアユム親方にゃあ、まだまだ遠いですぜ」
がんばんな――ホットドッグを頬張り、顔に傷のある兵士が笑っていた。
農作業が本格化する時期であり、急いで帰路につく者。言い訳のためにお土産をそろえて早朝に出立する者。
しかし昼まで滞在していれば、今夜も宿泊を意味する。
あの兵士はすごかった、あの戦いは見所があった。酒場で屋台で酒を傾けながら熱く語られる物語は、つきせず他領に流れていくのだ。
「絶品三獣士」の面々はかなりの長期滞在となっており、顔見知りも多い。
スクルドは巡回の隊長格であり、常連と呼べる一人である。知り合いが優勝者ともなれば喜びもひとしお。
しかも実地研修の成果か、おいしくなったと褒められていた。
「プァン・プァン・プァン・プァン・プァン・プァ――――~ン……ッ」
角笛を聴くや、スクルドの目つきが豹変する。
「ん、なんの角笛だ? 今から演習でもあるんっすか?」
「――おい闘技場への道は知ってるな!? 荷はこのままでいい急いで逃げこめ、血相変えた姐さんが追ってくるつもりで走れ! いけ――っ!!」
「へっ……へい! へいっわかりやしたっ!!」
「姐さん」と親しく呼ぶ領主のマネをし、こんなときにも笑って叫んだ。
わけもわからずに三獣士は走り出す。見届けたスクルドは剣を抜き放ち、角笛に向かっていく――。
『…――もうとが、ジャーラフが視たの! ほかに伝わ……いな――ねがい!』
「ジャーラフが視た!? あなたは誰なんです、どうしてわかるんですか!?」
深夜に突如交信され、ぼくは文字通り跳ね起きる。
最初こそ「無欲」――夢で未来予知をしたのかと思った。しかし「風舌」による脳のしびれと、伝えられた光景に驚く。
こちらの言葉は届かないとわかっていても、問い返さずにはいられない。
『このままではアマゾネスが全滅する、因果伯に救助願いを――』
☆
「アマゾネスが全滅すると、そう言ったのか!?」
何者かの襲撃があったと聞き、ノルブリンカに見たこともない動揺が広がる。
深夜だが構ってはおれず、使用人に頼んで因果伯全員をホールに集めた。
「妹と言ったのならたぶんジャーレーだ、真偽を確かめる術はないが……残念にも彼女はジャーラフに輪をかけて、表に姿を現さないのだよ」
「ジャーレーは殿下の、懐刀だからな……」
プリンスがマントをひるがえし、ブリハスパティ卿が重く同意する。
スピーカー越しだけどジャーラフの声と似ていた。まだお会いしたことがない、ジャーラフのお姉さんだそうだ。
「クソがっ! 親父、城門を開けてくれ! でなきゃ城壁を突破する!!」
「あ……うっうむ」
「待ってノルブリンカ、いったん落ちついてください! 彼女の情報が確かでも、敵の実態がまったく見えていません!」
即座に城館を飛び出そうとするノルブリンカを、ぼくは組みついて止める。
皆は怪しんで顔を寄せ、疑問と混乱の表情を見せた。
「アユム~? 襲撃の規模がわからなくても、皆で向かえば問題ないわよ?」
「幼子も多い女性だけの街だ、一刻も早く救助せねば……っ!」
装備を確かめ、マーラさんとダーナ卿も走り出そうとしている。短い間ながらも知り合った者の危機に、心が急いでいたのだ。
しかしぼくの感情とは裏腹に、理性が危険信号を注げていた。
「陽動の可能性があるんですっ!」
全員の視線がぼくに集中する。
「――っ陽動!?」
ノルブリンカが足を止め訊き返す、うなずいて体を放した。
「いや盗賊団が剣闘士競技会の収益を、狙ったのではないのか?」
大騒ぎに起きてきたサンガ伯爵が問う。因果伯の五名も推測していて、確認するまでもないと視線を向ける。
城館のホールには家令と衛兵が数人に、当惑した使用人も肩を寄せ合っていた。
どうすればいいのか誰も判断できず、混乱の渦にのみこまれている。
「だったとしても襲撃者は熟知しているはずです、他領に名が知れ渡るほど有名なアマゾネスの領主が――因果伯であるのを!」
ぼくは現在までの状況を順序立て、意識の統一を図った。
「イダム卿の町を襲った盗賊ですら偵察を放っていました。襲撃する街の様子は、必要以上に調べたはずです。大々的に公表されている因果伯の存在だけ、知らないなんてありえません!」
「計画性がなさすぎると、言いたいのだな?」
プリンスが状況の整理を手伝ってくれる。
「そうです! 収益金に魅力があったとしても、因果伯を敵に回すでしょうか? 盗賊はその名だけでひるんでいたんです。
そしてアマゾネスは傭兵の育成を謳い、多くの兵士が常駐しています。
街の大きさからも仲間の数は増やさなくてはならない。そうなるとたとえ襲撃が成功しても、個人が得る報酬は格段に少なくなります。
因果伯に刃向かい、命をかける率が高く、なのに見返りの少ない襲撃。
メリットが乏しすぎて、二の足を踏んでしかるべきです。しかし本当の狙いが、真の目的があったとすれば?
言い方を変えましょう、わざわざ因果伯の街を襲った動機は何か? それ意外に背景が隠されている可能性です!」
「――なるほど、それで陽動か」
ダーナ卿が顎をさすり、眉根を寄せる。
「それはM属性の予感かい?」
「っそうとってもらってかまいません。断定はできず根拠に乏しいのも認めます、ですが放置できる案件ではないでしょう」
プリンスと視線が合い、一瞬閃光が瞬いて驚く。
口調は軽いのだが目は笑っていなかった。
「アっアユム! おまえこんなときに、よく冷静になれるな……っ!」
「アマゾネスの領主が執った抑止力は効いてるんです。普通なら恐れられ狙われることすらない街なんだと、胸を張ってください!」
少しでもノルブリンカの心情を和らげるため、砕けた口調で話す。
「それに幸いにも、アマゾネスにはジャーラフがいます。あの負けず嫌いな娘は、相手が誰であれ簡単に屈っしたりしませんよ」
状況を説明しながらも考えを巡らす、今アマゾネスを狙ってどうなるのか。
「カレシーは、ジャーラフは、市民の皆は無事なのか!?」
気を抜けば不安がもたげる己の頬を打つ、感情を理性で抑えこんだ。
『目を開き耳を傾け、なにが大切かなにが最善か、常に心がけてください!』
神ならぬ身なんだ、行商人のおじさんが優しくほほえむ。
「陽動って~アマゾネスに目を向けさせて、城門を開けたサーガラを襲うとか?」
「帝こ……敵性国家の軍隊による、大規模な侵攻か!」
「なっ!?」
マーラさんが人差し指を左右にクロスさせ、ダーナ卿が察して睨む。
今まさに城門を開けるよう指示していた、サンガ伯爵が飛び上がって驚いた。
「……襲撃者の意図はまだわかりません。ですが他国の軍隊による陽動作戦なら、ジャーレーさんが危険と告げる数を割かないでしょう。
痕跡を残さず内陸に潜入するには、航空機がないと困難だからです。
サーガラの城壁はマナスルに匹敵する堅牢さ。通常数か月にもおよぶ攻城戦で、戦力を分散する危惧は犯さない。
奇襲に失敗すれば撤退も容易ではなく、後がないのですから」
雇える兵士も多くなく、嵩を増すため農民を徴募した時代。豊かな国でなければ遠征すること自体が難しい。
大規模な別働隊を編成する余裕はないのだ。
「コークー……何がないと困難だって?」
「他国では補給に期待できず、後背からの挟撃も警戒せねばならないからな」
ぼくの不用意な発言に誰もが首を捻る。しかしブリハスパティ卿が生まれ育ったサーガラ領の地形を描き、補足してくれた。
サーガラはヴィーラ王国の南端にある、海に囲まれた天然の要塞。
防御に徹すれば、援軍が到着するまで十分に持ちこたえられる。制圧が成功する確率は極めて低いといえよう。
サンガ伯爵が希望をこめて、何度もうなずいていた。
「それにヴィーラ殿下の王配問題もある。発表されてからは交渉官として各領地を巡っていても、街が雇った傭兵団との小競り合いすら減っていたのだよ」
今は戦争を仕かける状況ではない――プリンスが髪をかき上げてうなる。
そして主要都市とはいえ、今サーガラを落としても実益が低い。敵性国家だと、国内外に宣伝して回るに等しいのだから。
とはいえ盗賊団にしては計画性がない。
堂々巡りだ、異質ともいえる何者かの襲撃、なぜ「今」なのか――。
「アマゾネスが襲撃を受けたとっ! ……えっノルブリンカ姉さま!?」
城館前にひづめが鳴り扉が勢いまかせに開かれた。若い貴族から知らせを受け、サーランバ卿がホールに飛びこんでくる。
イダム卿の町が襲われたときも、騎士学校まで知らせてくれたらしい。
サンガ伯爵が若い貴族に感謝し、両手をつかみ上下に振っていた。ノルブリンカが戸惑うサーランバ卿に状況を説明する。
姉が襲撃を知っていて、なお城館にいるのに弟は驚いていた。
ノルブリンカなら以前と同じく、速攻で飛び出すと思っていたのだ。ぼくが止めなければそうなっていたに違いない。
ましてや襲撃されたのは所領である、いても立ってもいられないはずだ。
「姉さまの不在につけこんで襲撃するなど、卑怯極まりないっ!」
サーランバ卿がノルブリンカの代わりに怒ってみせる。
弟の気持ちがうれしく、姉はやっと苦笑を返していた。
「だからこそ、狙ったのでしょうけどね」
盗賊団なら小隊から中隊規模、歩兵が三十人から多くて二百人。
ノルブリンカだけでも事足りたかもしれない。そのうえ今ここには、相手が軍隊だろうと蹴散らす頼もしい仲間が――。
「――っっ!?」
ぼくは声にならず目を見開く。ノルブリンカ、ブリハスパティ卿、マーラさん、ダーナ卿、プリンス――。
ヴィーラ王国の、国家の要たる因果伯が五名もそろっていた。
後頭部を殴られるほどの衝撃を受ける。
「どうしたの~アユム?」
マーラさんが停止したぼくに怪しみ声をかける。
「今は……今狙っているのは、この城館でしょう」
突然の宣言に、全員が意味を理解できずに注目した。
「こっここが襲撃されるのですか!?」
「城館が狙われておるのですか!? さっ先ほどは違うと……なぜそんな!」
サーランバ卿が驚き、騎士らしく腰の剣を確認する。サンガ伯爵も青ざめたが、さすがに息子や娘の背に隠れる醜態は晒さなかった。
サーガラの城館は通常の城と違い、防衛機能がない。
治政の安定が所領内での犯罪行為にすら、関心が薄まっている。己の身に生じた命の危機に、初めて恐怖を身近に感じていた。
「失礼しました、城館自体が襲撃はされないでしょう。今サーガラを落としても、あまり意味がないからです」
「そ、そうかねっ! 意味が……いやっうむ」
サンガ伯爵は安心しながらも、意味がない発言に自尊心が傷ついたようだ。
申し訳ないがかまってる時間はなかった。
「正確には城館にいる因果伯の、皆さんの『力』です!」
因果伯の五名は、意外な指摘にそれぞれの表情を見せる。
「剣闘士競技会で、ノルブリンカは観客の前に姿を現しました。だからこそ以降に街から離れたのを、『敵』は確認できたのです」
なぜ「今」なのか――。
奇しくもサーランバ卿が叫んだ、ノルブリンカが……抑止力がアマゾネスに不在と判明している、「今」が好機だった。
「敵」は因果伯と判明しているノルブリンカの街を、わざわざ襲ったのだ。
救助に飛び出すノルブリンカと、駆けつける者を監視するため。サーガラに滞在している仲間の因果伯を、おびき寄せるために。
因果伯の街を襲った動機に、計画性もメリットも必要ない。
「なぜなら襲撃こそが目的で、成果はどうでもよかった!」
「しかし大規模な組織的攻撃なら、通常は騎士団が討伐に参じる。その中に因果伯がいるかをどうやって――…あっ!」
ブリハスパティ卿が気がつき、手で口をおおう。
「そうです因果伯だと判断できる、『力』を持ってい者……すなわち」
「『風舌』使い――いや、O属性かっ!」
プリンスが叫ぶ。
「襲撃の首謀者は、敵性国家の『因果伯』です!」
「この城館は監視されているでしょう。皆さんが堂々と姿を現せば、それだけ情報を露呈してしまいます」
O属性による監視。
体から発している「カルマ」の、淡い光を意識下にとらえる。啓いた者の光は、ひときわ太く立ちのぼるそうだ。
意識に関する「力」はO属性の特徴だった。
「風舌」使いのジャーラフが代表格だろう。得手不得手はあるがラヴィのように、長期の使用も可能。
ゆえに「監視」は、双方に当てはまる。
こちらにO属性がいた場合、逆に「敵」が捕縛対象となってしまう。よってそれとわかるほど、近くにはいないはずだけど――。
「ジャーラフが……いてくれたらっ」
つい愚痴がこぼれ、頭をかいてごまかす。
月の瞳を持つ彼女に、どれだけ助けられてきたのか。
「皆さんの『力』を他国に知られる率は、できるかぎり回避すべきです」
全員が理解をしめす、最大に考慮すべき点だった。
ウールドが言っていた、「極秘にすれば、抑止力にできるからだ」と。因果伯は秘匿性があるからこそ、国の抑止力となれるのだ。
ヴィーラ殿下の王配問題がどうあれ、因果伯を特定しておけば今後有利となる。
人数と属性、力の有無を。一騎当千の「力」を持っていても、四六時中監視されれば精神が持たない。
「敵」の出方次第では寝首をかかれ、あるいは弱みにつけこまれる恐れもある。
ノルブリンカ一人を討てても、注意をうながし火種を生むだけ。だけど因果伯の五名が相性の悪い属性で狙われ、同時に命を落としては?
ヴィーラ王国の根幹が、国の基盤が揺らぐ。
「そう……昨日の対決でアユムが『なんとかした』のは、これが理由だったのね」
「『敵』にとって騎士学校の戦いは、予期せぬ好機だったでしょうね」
ぼくが空気を「濃霧」に返還し、姿を隠してしまわなければ――。
マーラさんが呆気にとられ皆も理解し、ぼくに視線を送ってくる。人を凌駕する「力」を持つ因果伯に、過信する部分もあったといえよう。
「ウールドの忠告に、感謝しなきゃ」
「確かにサーガラは主要都市だ、密偵が潜りこんでいても……不思議ではないな」
ダーナ卿がホールの扉に寄り外を見ると、周囲に緊張が走った。
「だが陽動だとしても、アマゾネスをこのまま放っておくわけにはいかないっ!」
状況はわかるが別問題だと、ノルブリンカが苦悶の表情で叫ぶ。
あくまで推論とばかりに、ぼくも賛同する。
「しかし万が一に備え、ぼくとノルブリンカだけで救助に向かいましょう。ぼくは佩刀していても騎士に見えないと言われるくらい、普通の少年ですからね」
それにけっこう強いんですよと、力こぶを作って笑う。
ノルブリンカが合わせてくれたのか、肩をたたいて同意をしめす。
「いや待ったそれは問題だ。アユム卿は殿下がお招きになった貴重な方だ、危険を承知で向かわせるわけにはいかな――」
「それじゃあ私もいくわ~」
ブリハスパティ卿の反論をさえぎり、マーラさんが手を挙げ一歩進み出る。
「アユムは二人で護衛する、それで問題ないでしょ~? 第一領主の留守を狙って襲撃するなんて、手口が許せないのよねェ」
口調は軽く表情は読みにくいけど、すでに全身から淡い光がもれていた。
もしかしたら怒っているのかもしれない。
「それに監視がいたのなら、私とノルブリンカさんの『殴り愛』も見られた可能性が高いわよねえ。因果伯であるのを隠しても今さらだわ」
マーラさんの笑みに、何をしているんだとブリハスパティ卿が嘆く。
ごめんなさい。
「せめて『力』だけは明らかにしないよう、封印しておいてくださいね」
は~いと軽く返事される。
「炎生」による鉄の融解は鍛冶場でお願いしていた。
知らない者が入りこむ余地はないし、外からは何をしているのかわからない。
三人は漆黒のマントをはおり、ぼくはノルブリンカにおんぶしてもらう。
サーガラを出るまでは領主用の馬車で移動し、そこから走り出す。
深夜に城門を開けるなんて、立場を明かしてるに等しいけど……どこに誰の目があるかわからない、有事に備え少しでも情報をあたえない。
「城館への襲撃はないと思います、ですが念のため周囲には気をつけてください」
「僕にまかせておきたまえ!」
「うむ承った、そちらも油断せぬようにな」
「……けっして奢らず、最善を整えなさい」
プリンスが胸を張り、ダーナ卿が口角を上げ、ブリハスパティ卿が息を吐く。
彼らは全員S属性。特に昨日は見られなかったけど、プリンスはノルブリンカに引き分けと認めさせる「力」がある。
城館は心配するのが失礼なほど強固な場所だ。
ぼくとノルブリンカ、マーラさんは目を合わせると、城館の扉から飛び出した。
☆
「ドゥルガーの生贄」
ドゥルガーは身の丈を越えた「力」を求めた。結果己の手を足を肉を体を次々と「炎生」で返還し、全身が炎に包まれて死んだとの逸話。
己を生贄にし自滅する……愚か者のたとえとして、後世に語られている。
『これからは『ドゥルガーの生贄』さながらに、体を張るのだな』
『お兄さま――っ! お慈悲を――~っ!!』
「――ではドゥルガーと呼ばれる、『炎生』使いの女性がいたのですか?」
王道を疾走しながら、昨日のブリハスパティ卿の言葉を尋ねていた。
状況がわからないまま最悪の事態に心が支配されては、精神的疲労が蓄積する。
「実在したのかはしんないけどさ、たとえとしてよく耳にするな。大昔に恐るべき戦いの女神がいたんだって」
まあ女っちゃ女だな――乗ってくれたのか、ノルブリンカが話をしてくれた。
体を動かし目的に向かう力で、焦りから回復したようだ。
「確かに爪や……考えたくもないけど髪を返還すれば、できるだろうけど。絶対にやんないわよ~」
マーラさんが風に舞う黒髪を大切になでている。
ダーナ卿との勝負で体を痛め、息があがって汗だくとなっていた。だがなんとかノルブリンカについてきている。
数時間前は青痣と内出血でボコボコだったのに、すでに痕が残る程度。
S属性の特徴である肉体強化は全身に「カルマ」を巡らし、新陳代謝の向上にも繋げられるそうだ。
スーリヤさまの研究発表どおり、体を行使する仕事に適しているのだ。
そういえばバジリスク戦で打撲と骨折の塊だったウールドも、トリコナーの癒しを受けてはいなかった。
ほうと、ため息がもれる。
「何だか酷くS属性が羨ましくなつてしまつた」
こんなときぼくはお荷物になる、それでもマーラさんのほうが速く走れるのだ。
自分の爪を見ながら問う。
「もし今、肉体強化がかなうのなら――己の血肉を返還しないと言えたか?」
生き死にがかかった場合、返還しないと言い切れるか。
ドゥルガーの生贄……か。
「アユム、さっきはその……怒鳴ったりして、悪かった」
ありがとう――口ごもりながら、快活が信条の領主がお礼をした。
頬は赤く染まってるのではないか。現在の「戦いの女神」が見せた恥じらいに、ぼくの焦りも回復する。
「あや? ぼくは状況を整理したことへの、ご褒美のつもりでしたが」
「褒美……おまえなあ! ごまかすにしても……本当、奇天烈な奴なんだから!」
「――煙っ!」
マーラさんの叫びに、驚いて夜空を見上げた。
遠すぎるのか、ぼくには確認できない。狼煙が見える距離は約一〇キロであり、時間的には合うが……。
「急ぐぞっ!!」
ノルブリンカの体がこわばり、一歩ごとに速度が上がる。
何があった? 何が起きてる!?
祈るばかりに長い十数秒後、やっとぼくにも見えてきた。暗闇の山陰にのぼる、地獄の扉からもれる一筋の煙。
ああぼくは、知っている。
盗賊の威嚇と示威で、内乱のまきぞえで、騎士団の合法的な作戦で。
報酬と称した暴行に略奪、街に火を放ち「何も残さない」……強きが生き残り、弱きはすべてを奪われる時代――。
「おいっアユム!?」
ぼくは知らずのうち、首に回していた手を両脇に移していた。
妙な動きに走りにくくなったのか、ノルブリンカが振り返って怪しむ。
「皆に落ちついてと言っておきながら、何をやってるんだ!?」
危険だ――理性が最大限の警鐘を鳴らす。
夜ならば――感情が確信に近い予感を発している。
『――カルマ』っ!
理性を追いやり、感情が全身を支配した。
ノルブリンカの背に映った頭の影に、一〇センチほどの見慣れない文様が浮かび淡く発光する。識者ならば梵字の「キリーク」に酷似していたと指摘しただろう。
門を啓き、空気を暴風に返還する。
文様から耳をつんざく爆音が轟き、ノルブリンカの足が空を蹴った。抱きかかえたぼくといっしょに視線が浮きあがる。
「え、ええっ!? アユ、アユム――っ!!?」
「アユムゥ!? なっそれっど……ええええ――~っ!!?」
フルフェイスで表情は見えないけど、絶叫と共に体が硬直していた。マーラさんがこれ以上ないくらい目を見開き、口を開け閉めしている。
意識を保て、距離を測れ、高度はいらない、そのぶん速度を――。
「ノルブリンカ、振り落とされないでっ!」
「――――~っっ」
爆発音が空気を弾けさせ、声にならない悲鳴をかき消す。
王道の石畳に砂埃と衝撃波を残し、ぼくとノルブリンカは夜空に舞った。
『飛翔』――――っ!!




