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M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第二章 港湾都市サーガラ
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六十一夜 騎士

「こっ……この霧はいったい、アユム卿――っ!?」

 アユムとサーランバ卿の戦いは、ほぼ一瞬でついていた。

 濃霧におおわれ状況が理解できず、サーランバ卿の焦りが増す。盾を構えアユムがいた場所に突進する。

 剣で打ち合うしか頭になかったのだ。

 だがつまずきつつ走ろうと、あの奇天烈な服はどこにも見えない。

「アユム卿はどうやってこんな……いや、なぜこんなことを!?」

 疑問に答えてくれる者はいない。

 己だけ取り残された、先の見えない真っ白な世界(ホワイトアウト)

「――ゥ……ヒュゥ……」

 ふいに、風を切る音が聴こえた。

 草笛にも似た旋律は一定のリズムでくり返され、心の不安が増幅する。

「……アユム卿?」

「ヒュン、ヒュン、ヒュン……」

 どこから鳴っているのか、霧に阻まれ距離感と方向が把握しづらい。

 草笛は止まずさらに強く響く、動悸が早くなり力をこめすぎた手が痺れてきた。

「アっアユム卿――っ! 正々堂々と、戦ってくださいっっ!!」

 力のかぎり打ち合って負けるのならば本望。憧れ嫉妬したアユムに、騎士(・・)として立ち向かいたかったのだ。

 そんな覚悟を拒否するかのように、上空から剣が降ってくる。

 右斜めに放り出された「それ」を、最初は理解できずに戸惑う。近寄って見る、やはり彼が佩刀していた剣だった。

「剣を捨て……アユム卿っ!?」

「ビュンビュンビュン――…」

 疑問の叫びに草笛の音が重なり、光の輪が瞬く――。



「空気を『凝縮』させる……濃霧、どうやらうまくいった。因果伯が『独自の術』を啓くさいに提唱するのも、よりイメージしやすいからだろうな」

 綿さながら、握ってしまえそうな白い霧。

『賊や追いはぎはそういった心の隙間を狙う、気をつけろ』

 アユムは歩きながら、ジャーラフの言葉を振り返っていた。

 心の隙間、人は周囲が見えなくなる瞬間がある。集中しているとき、怒りに我を忘れているとき……心が支配されているとき。

「サーランバ卿が納得できるまで、打ち合うべきだったのか」

 彼がそれを望んでるのはわかっていた。ウールドやバクティ卿からも剣の訓練は受けており、ある程度は相手を務められる。

 だがそれとて絶対に正しいともいえなかった。

 己で解決しないといけない選択は数多くある。騎士の想いがわかるわけはなく、わかると答えられるほど人生経験が豊かでもない。

「他者の人生に責任を持てる者など、いようはずもないけど……」

 自問し自答し、答えの出ぬままに歩くほかない。

『全力で、相手をしてやってほしい!』

 ノルブリンカの瞳に、アユムはあえて剣をまじえぬ方法を取った。

 先読みや心理戦――それがアユムの使える、唯一の「全力」だったから。

 霧の先にサーランバ卿の影が薄く見えてきた。足に細い紐が幾重にも巻きつき、倒れてもがいている。


 アユムは霧を発生させたあと、後方に下がった。

 両手の手袋に中庭の土をつめ、紐で編んだリストバンドをほどく。紐はあらゆる行動の補佐に役立つ、防犯グッズとして仕込んでおいたのだ。

 霧のなか叫び声でサーランバ卿の方向を知り、剣を投げ距離を測った。

 両端に手袋の重り、真ん中に「組み立て式簡易五徳」の輪を繋ぐ。輪に指をかけ回転させ投擲すると、重りと遠心力で標的の脚や体に絡みつく。

 狩猟用武器――「ボーラ」である。

「技術の革新、これも科学者のジレンマかなあ」

「――あっ」

 少年から誰も理解できない、奇妙な苦笑が発せられた。

 アユムに気がついたサーランバ卿が絶望の表情を浮かべる。なんとか足に絡んだ紐を切ろうと、剣で挽き突き刺した。

 だが束ねられた細い紐は異様に硬く、一向に切れる様子がない。

 それは防弾チョッキや補強材に使用され、太さ一ミリで四五〇キロを吊り下げる最高レベルの有機線維――「ザイロン」である。

 試合用の刃を潰した剣で、容易に切れはしない。

「まっ待って……まだ! だって――そんな……っ」

 まだ一合も打ち合っていないのだ。これで終われるわけがない、そんなつもりで挑んだ試合ではなかった。

 皆で歯を食いしばり、騎士となる夢を見たのだ――。

 アユムが自分の剣を拾いあげ、倒れているサーランバ卿に鞘のまま突きつける。

 霧の影となりアユムの顔は見えなかった。


 サーランバ卿は荒い息のなか肩を落とし、自分の負けを悟る。



「うおおお――――~っ! こっこれが因果伯の戦いかあ――っ!!」

「魔獣の討伐をなさる方々は、こうでなければならないのだな!!」

「なにも、見……終……っ」

 ――霧が吹き飛ぶ。

 複数の松明(たいまつ)が辺りを照らす騎士学校の中庭に、生徒の大歓声がわいた。一階から幾分残念な悲鳴もあがってはいたが……。

 三者三様の決着がついていたのだ。

 勝ちを受け入れられない、肩を借りて歩くノルブリンカ。

 負けたのが信じられない、余裕で肩を貸すプリンス。

 勝ちを受け入れられない、ボロボロで落ちこむダーナ卿。

 負けたのが信じられない、すっきりした顔のマーラ。

 そして絡まったザイルを、どうにか解こうとしているアユム。呆然と座りこみ、頭を下げるサーランバ卿。

 ほかはどうあれ、「主役」の勝敗は明らかだった。


「サーランバ……」

 二階の廊下で見ていた、サーランバ卿の同期たちもうなだれている。

 しかし同期の何人かは納得できていなかった。見難いが上から状況は把握でき、そして紐が解かれていて確信する。

「サっサーランバは負けていない! 卑怯な罠にはまっただけだっ!!」

「それは騎士の戦いではない! ちゃんと勝負をしてくれ――~っ!!」

 一部からわきあがった若い批判に周囲は苦笑し、あるいは我がことを懐かしむ。

 一階にいた先輩騎士が大きな声で、しかし真摯に答えた。

「君たちは盗賊の罠にかかっても、同じように叫ぶのか? 卑怯だやりなおせと」

 先輩騎士からの意外な返答。

 すぐには理解できない問いに、小姓たちは顔を見合わす。

「だっ……だってあんなの、騎士の戦いなわけ――」

「盗賊や魔獣に騎士の心得などない。背後から頭上から、寝こみを襲ってくるぞ」

 顔に刻まれたシワと刀傷、歴戦ある大騎士の立ち姿。

 数人が驚き、慌てて右手を左胸に敬礼をしていた。

「どれだけの爵位であろうと、想い描いた未来があろうとも、敗れれば終わりだ。土の上に伏し、すべてが露と消える」

 戦場経験がある者ほど重く胸に刺さる言葉だった。昨日酒を酌み交わした仲間も夢を語り合った同期も、今日屍となる。

 やりなおしはできないのだと悟る瞬間。

「だっ――~…で、でも……っ」

 遅れて気がついた小姓たちは愕然とし、何も言えなくなった。

 それでもサーランバ卿の姿に悔しさを耐えられないでいる。そばにいた従騎士が優しく肩をたたき、心情に理解をしめす。

 同期の批判や悔しさの叫びを、サーランバ卿はどう受け止めたのか。

 疲れた顔に、薄い笑みを浮かべていた。


「ありがとうございますアユム卿、これでサーランバも納得できたでしょう」

 サンガ伯爵が歩み寄って礼をとる。

 一方的な主張とはいえ、負けた以上は騎士をあきらめるはず。今後は継承者として尽力してくれると胸をなでおろす。

 しかし打算とは別に、サンガ伯爵の表情は晴れていなかった。

 まだ幼き息子の必死な志に、親として思うところがあったのかもしれない。

「お父……さま?」

 笑みと覇気のない父の顔に、むしろサーランバ卿が驚く。

「アユムチームの、二勝一敗になるのね」

 ごめんね――~と頬をツヤツヤさせ、マーラが甘える。

「あっそこはちょっと違う、あたしとプリンスは引き分けね」

 ノルブリンカが手を挙げ訂正した。

 疲労は回復したのか、屈伸運動で調子を整えている。

「おや? 僕はノルブリンカハンマーで吹き飛ばされ、素直に投降したのだが」

 プリンスが凹んだブレストプレートを誇って見せ、にこやかに負けを報告した。

 なにやら恐ろしい技名がついたようだ。

「あんたねえ、剣も抜かずに何言ってんだ。それであっこまで追いこまれたんだ、まあいいところで引き分けにしてやるよ」

 若干悔しさもにじんでいるのか、頭を軽くたたき皮肉な笑みを浮かべる。

「引き……えええ――――~っっ!!?」

 黄鬼(オーガ)の引き分け宣言。

 信じられない発言に、今夜一番のどよめきが呼応した。騎士学校生がプリンスに憧れと尊敬のまなざしを注ぐ。

「女性に向ける剣は持っていない、それが美しい女性ならなおさらだ!」

 プリンスは注目には慣れていると、舞台上から観客に向かい高らかに謳う。

 ハイハイと手を振るノルブリンカとは対照的に、ダーナ卿がさらに影を背負って袖幕に隠れる。先ほどからひと言も発していない。

「じゃあ~一勝一敗一引き分けね、勝負はどうなるの?」

 ダーナ卿以外が顔を見合わせた。

 サンガ伯爵が口を開け発言する前に、サーランバ卿が姿勢をただし宣言する。

「そも僕の望んだ戦いです、アユム卿に負けたのですから決心はつけます」

 完全に納得した表情ではない、しかしなにかしらは吹っ切れていた。

 居並ぶ人生の先輩は、少年に対し固く口を結ぶ。軽々な助言はむしろ、道を迷わせることを知っていたのだ。

 信じて待つことも、ときには優しさになる。

「おおそれはよかった! 敵に背を向けたりせず、立ち向かうがこそ真の騎士! なに新たなゴブレットに注ごうと、ワインの味に変わりはないさ」

 僕たちも戦った甲斐があったなと、松明(たいまつ)に輝く金髪をなでてウィンクをひとつ。

 騎士を目指した経験や努力が消えるわけではない、それもまた真理か。

「これぞ騎士道! 騎士学校の諸君よ、僕に学びたまえ――!」

 緞帳(どんちょう)が下がりプリンスに惜しみない拍手が送られた。あるいは彼らしい主張に、サーランバ卿が頭を下げて感謝する。

「あんたは剣闘士競技会がやりたかっただけだろ」

 ノルブリンカの突っこみも、やや歯切りが悪い。

 ある意味プリンスの唯我独尊さに助けられていたら――。


「これはいったいっ! どうしたことだ――っ!!」

 騒ぎを聴きつけた「静かな熊」の、疑問とも怒号とも取れる絶叫が轟いた。



 ☆



「全員正座――っ!!」

 ブリハスパティ卿の反論を許さない雄たけびに、騎士学校の一室に放りこまれた関係者七人は即座に従う。

 絶叫で察し速攻で背を向けたプリンスも、襟首をつかまれ引きずられてくる。

 なぜかサンガ伯爵も素直に正座していた。

 普段は大人しすぎる息子だが実はとんでもない「力」を持っている。今さらだが因果伯なのだ、「カルマ」を啓いた者なのだと挙動不審におちいっていた。

 鬼の形相で仁王立ちする巨漢に言葉を失う、どんなに静かでも熊は熊なのだ。


 怒らせてはいけないのは、誰なのかを……。


「正座は仏教における礼拝の姿勢なのですが――」

 アユムは空気を読んで突っこみを呑みこみ、状況と理由を説明する。

 ブリハスパティ卿は腕を組み、目を伏せ黙って聞いていた。

「――それで勝負する運びとなり、騎士学校の中庭でおこなわれました」

 騒ぎとなってしまい申し訳ありませんと締めくくり、深々と謝罪する。

 うむっと肩をたたく、ブリハスパティ卿の瞳は優しかった。

「ブリハスパティ兄さま、すべて僕が悪いのですっ! 立ち会われた皆さまには、どうか寛大な処置をお願いします!」

 伏して頭を下げた弟にうなずくと、まずは四人に向きなおる。

「君たちは因果伯ではないのかっ! 国の要と称される立場でありながら、分別を持たずにどうするっ!!」

 騎士学校が揺れ、梁から埃が落ちる。

 正座をする床にまで振動が伝わる重い言葉だった。

「……なんか兄貴、弟二人(・・・)には優しいよなあ」

 ノルブリンカが口を尖らせ抗議する。

 (あたし)にも優しくしてくれと言外に語っており、自分だけ助かるつもりかと三人から睨まれていた。

「わかっていないようだな、ノルブリンカ……」

 ブリハスパティ卿が深いため息をつく。

「こういった遊びに使うのであれば、今後君らの「偸金(ちゅうきん)」はいっさい見合わす!」

 それは最大限の非難であり決別宣言だった。

「うわあ――っ! ごめんなさい兄さま、二度とやりませんから許しください!」

 ノルブリンカの月桂冠は特注品、兄妹だからと仕上げてもらった一品である。

 大のお気に入りであり、因果伯全員が同じ意見だった。

「やりすぎでしたっ! 拙者の不徳といたすところ、心を入れ替え精進します!」

「あっあっごめんなさい! もう贅沢言いません~なんでも従うのでご勘弁を!」

「僕としたことが調子に乗りすぎでした! 伏してお詫びいたします!!」

 我先にと謝罪合戦がくり広げられる。

 あの自尊心が高いプリンスですら頭を下げ、アユムは驚いていた。

『鉱石にS属性の返還価値を複数内包させ、単体で数度の返還を可能にさせます』

 スーリヤさまの研究発表で重要性は聴いている。だがそれだけではなく、武器や防具自体が「カルマ」の影響を受けていたのだ。

 使いこむほど所持者に呼応し、より適した能力や付加価値を内包させていた。

 ダインスレイフ、エクスカリバー、干将・莫耶、村正――世に残った妖刀伝説や異名の原因ではなかったか。

 S属性にとって、「偸金(ちゅうきん)」がどれほど不可欠かを表す喜劇(エピソード)である。

「これからは『ドゥルガーの生贄』さながらに、体を張るのだな」

「お兄さま――っ! お慈悲を――~っ!!」

 ひと通り懺悔を受け終え、ブリハスパティ卿はもう一度ため息をつき宣言する。

「この件はヴィーラ殿下にご報告するからな」

 これが止めとなり、因果伯四人の聞こえぬ悲鳴がこだました。


 呆然自失し肩を落とす因果伯を尻目に、ブリハスパティ卿は居住まいをただす。

 頭を下げる弟に向きなおり、優しく告げた。

「サーランバよ安心なさい、サンガ伯爵家は私が継ぐ」

 突然の宣告に、父も弟も言葉を失う。

「そも領主の嫡男として生まれたのだ、彫金士になりたいなどと身勝手を言うべきではなかった。悩ませて悪かったね、これからは進みたい道を選びなさい」

 兄の瞳はあくまでまっすぐで、決意にあふれる力を秘めていた。

「まっ待ってください! 因果伯の爵位を、返上なさるおつもりですか!?」

「私とてありがたくも、殿下のお役に立ってきたとの自負はある。お怒りになられ鞭打たれようと、伏して願い出るつもりだ」

 きっと理解していただけよう――。

 驚いて問うたアユムに、ブリハスパティ卿の返答はいっさいためらいがない。

「ブリハスパティ兄さま……っ」

 兄はこんなにも巨漢だったのかと、サーランバ卿はあらためて知る。

 だからこそ信頼され、彫金士としても名を馳せているのだ。兄だからと安心して「偸金(ちゅうきん)」を頼む因果伯も多い。

 そしてそれは道は違えど、父の背と同じなのだ。

「兄さま、ごめんなさい……」

 うめきながら発し、たくましい兄の瞳を見据えて宣言した。

「僕がっ家督を継ぎます!!」

 口を真一文字に結んだ、固い決意。

「サーランバ!?」

 巨漢の兄は、弟が無理をしているのではと深慮する。

 サーランバ卿は心を打ち払いながら、二度三度と頭を振った。

「僕はきっと意地を張っていただけなのです。ままならない未来など当然なのに、許していただける優しい懐で暴れていた……っ」

 心のどこかで、アユム卿なら打ち合いに応じてくれると。

 納得したいと泣く僕を、抱きしめてくれると望んでいた。

「アユム卿に教えてもらいました。騎士は……外の世界は子供の感傷を許してくれるほど、甘き場所ではないのだと」

 同期の叫び声で気がついた、僕はあのとき……死んでいたのだ。

 なにも成せず、なにも達せず、戦場に横たわる骸となっていた。そんな覚悟すらなかったことに気がつく。

 ただ騎士になるのだと叫び、行く先でどうするか想像もしていなかった。

 そこからが始まりなのに――。

「僕はサーガラが王国一美しい街だと思っていました、でもそれしか知らなかっただけです。サーガラの街から一歩出れば、輝くアマゾネスの街があるのに……」

 白亜の闘技場に領民の力を目の当たりにする。名も知らぬ領民の一人一人が街を支えているのだと、初めて知った。

 それでもなお生まれ育ったサーガラが美しき街だと、誇りだと胸を打っている。

 もっと輝く街にしたい想いがわいたのだ。

『食材に対する敬意です。育てた方や調理した方への、感謝をこめた言葉ですね』

「イターダキマスの心を――誰もが奇天烈ドッグに、かぶりつける国へと!」


「縁」なのだと、巡り合わせなのだと奇天烈な少年は笑った。

 この気持ちを、僕も次の者に受け渡したい……。


「お父さま、未熟な身なれど精一杯つくします! どうか導いてくださいっ!!」

 父の目を真正面から見据え、手を組んで意思を姿に表す。

 幼き息子の決意に貫録のある父は一瞬たじろぎ、いつもの言葉が口を滑った。

「うっうむ、決心はありがたいがことは重要である。幾度か会議を経て――~…」

 喉がつまり慌てて息を吸う、瞳孔が開き胸が苦しくなって天を見上げる。

 サンガ伯爵は静かに目を閉じ低く長く息を吐く。課せられた三代目領主の肩書、亡き父に代わり幼きころから所領経営に携わった。

 別の人生は知らない、幼き息子と同じ境遇だったのだ。

 そもサーガラは小都市で、市民千五百人の港町。サンガ伯爵家が代々盛り立て、ヴィーラ王国有数の大都市へと発展させる。

 常に見知らぬ先々代と比べられ、愚痴も吐けぬ日々が心に厚い鎧をまとわせた。

 数多くの苦悩や選択、自分の決断がまねいた領民の苦境や死。なぜもっと詳しく精査しなかったのだと、後悔の念にさいなまれる。

 胸中を潰して心配ないと笑う年月、心から笑えたときが幾度あろうか。

 領主として、より多くの領民のためだけに生きてきた。ここにいる者は誰一人、倍する人生を歩むサンガ伯爵の歴史を知らない。

 サーガラの「顔」でいるのに、いかばかりの未来(ゆめ)を捨ててきたか。

 幼き息子と目線を合わせる。

 だがそれでも必死に歩いてきた道を、指し示せるのではないのか。違えた失敗も後悔も、この子に伝えられるのだから。

 我知らず額に首筋に汗が流れ落ち、震える口をこじ開けて絞り出す。

「――よくぞ申したサーランバ! 次期領主としての働きに期待するぞ!!」

 サンガ伯爵にとって、それは渾身の決断だった。

「っはい!!」

 白き霧が晴れ、先に立つ父の影が光のなかに見える。サーランバ卿は若者らしい滑沢な声で返答した。

 ブリハスパティ卿は初めて聞く父の決断に驚き、次いで静かに目を閉じる。

 希望あふれるだけの道ではない、だが背を守れはしようと。


 アユムは若き少年の決意に、心の内で称賛していた。

 騎士を目指したのと同様、彼の選択が正しいとは誰も言えない。「無欲(むよく)」とて、望んだ未来が見えるわけではないのだ。

 悩み、考え、相談し、向き合い、戦うしかない。

 すべてが糧となり踏み出す力となる。道を見つけた少年がうらやましく、虚空に彼の亜人を思い浮かべる。

「人生は経験を積むための旅なんだ、解決するための問題じゃないよ」

 赤い服を着たクマさんがとぼけた顔でつぶやいた。

「成長するために……か」



 サーランバ卿が同期の元へいく。

 彼らだけにしかわからぬ、彼らだけの物語を語るため。

 静かな熊以外は足のしびれと戦いつつ馬車に乗る。城館でつつましく食事をし、割り当てられた部屋にそれぞれが向かう。

「お風呂に入りたいなあ」

 少年は別段潔癖症でもないのに、ない物ねだりの苦笑をこぼす。

 カレシーはついてくるかな、ジャーラフは嫌がるだろうな。想像し笑いつつも、ベッドに入ると夢も見ず寝た。

「――っ!?」

 寝息がささやく夜半に、少年は突如跳ね起きる。

 時計がなく正確な時間はわからない、だが三日月はすでに真上に到達していた。

 脳がしびれ肩で息をしながら頭を振る。それでも告げられた内容(・・・・・・・)を反芻すると、完全に目が覚めた。

「このままではアマゾネスが――…全滅するっ!?」

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